たずさんのブログ

福岡近郊の風景を中心に撮っています。最近は山登りの写真が多くなっています♪ since2004~

大分竹田市、岡城跡から

2014-11-25 | Weblog
おはようございます。
晩秋のくじゅうを見た後、どこに行こうかと考え、竹田市の岡城に久しぶりに行ってみようということで行ってきました。
だいぶ、雰囲気的にさびれた雰囲気があって、ちょっとさみしい感じがしました。
日本のマチュピチュで有名な竹田城にも似た感じでよいところと思うのですが、こちらは、あんまり人気がないようです。
お城の立地、規模もなかなかのもののような気がしますがねえ。
駐車場にあったレストラン、結構、美味しくて気に入っていたのですが、もう無くなっておりました。残念。

この日は、お天気がパッとせず、どんよりとした空で紅葉もいまいちで冴えませんが、歴史を感じながら、雰囲気を見ていただきたいと
思います。



-ウンチク-

悲運な武将・源義経が見た「岡城の夢」

かの源平合戦において、郷土の武将「緒方三郎惟栄(これよし)」が九州武士団を率いて、大宰府に落ちてきた平氏を九州から追い落とし、
平氏滅亡のきっかけとなったことをご存じだろうか。
豪傑で知られる惟栄だが、源頼朝と仲違いをした源義経を迎え入れるため、文治元年(1185)岡城を築城したと伝えられている。
しかし、頼朝の怒りを買った惟栄は群馬県沼田荘に流され、義経入城の夢は幻と消え去ったのである。

その後、岡城は中世では志賀氏の居城となり、天正14年(1586)には島津藩3万7000人もの軍勢に対し、わずか1,000人で撃退した。
その戦いぶりに豊臣秀吉から感状を与えられたという。
難攻不落の名城は、文禄3年(1594)、中川公の入封によって岡藩の城となった。

現在残されている城郭は、中川公によって築城されたもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの主な曲輪(くるわ)から成っている。
趣味人であった藩主は、城の北側にある絶壁を
三日月型にくり抜き、その中に明かりを灯して、月のない夜も月見の宴を楽しんだ。毎年秋、稲葉川の水上舞台では幻想的な薪能(たきぎのう)が
催され、往時をしのぶ風流なひとときが流れる。




1 ここから、けっこうな階段を上って行きます。























7 山城なので、登ったり下ったりと運動できますね。











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お天気も、うす曇りだったのに加え、PLフィルターをつけっぱなしだったので、余計にSSが遅くなって
さらに手ぶれを誘発してしまいました
めんどくさがらずに、ちゃんとはずさないといけませんね。
反省です






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