昨年12月18日に開催された,法曹養成制度検討会議第5回会議の議事録が公表されていました。
http://www.moj.go.jp/content/000105971.pdf
発言の内容については,東大ローの教授であり,いわば法科大学院側の代表と言って良い井上正仁委員が,法科大学院の態勢は詐欺的であると自ら認めているなど衝撃的なものも含まれていましたが,その話は別の機会に譲るとして,今回は法学部教育及び法科大学院の未修者教育について,法科大学院関係者すら認めている恐るべき実態を抜き出してみようと思います。
○ 丸島委員
「この前一橋大学へ行かれた委員の方はお聞きになられたと思いますが,他の大学の法学部から未修者コースに来ている学生に対して,委員から,「あなたは法学部を出たのにどうして未修者コースに来たのですか」という質問がされました。学生さんは,「法学部では法律の基礎的な勉強を必ずしも十分にできるわけでなく,法曹を目指す上で改めて基礎からしっかりと勉強をしたいと思ったからだ。」というようなことを述べられました。これは以前,和田委員も触れられていましたけれども,御自分の関心ある研究分野のところだけを専ら教える先生がいらっしゃったり,その分野の全体を見通した実践的な授業がされていないというふうなことはしばしば聞くところでありますし,また,そもそも法学部の役割自体が法曹養成に特化したものではなく,かなり幅広い役割を担ってきていて,それは公務員でもあり,企業人でもあり,より幅広く法的素養を持った社会人でもあり,そして今,法学部の役割は更に広げられようともしているわけです。したがって,法学部を出たからといって,そこで専門職としての法曹を目指す上で法学の基礎的なものを学べるような仕組みには必ずしもなっていないというのが日本の法学部全体の姿であり,もちろんそうでないところもありましょうが,そういう点の問題が基本にあると思います。」
○ 後藤教授(委員ではなく,ヒアリング対象者として発言)
「私の実感では,現在の法学部で私たちが法科大学院未修の1年次でしているような教育をすることは非常に難しいと思います。そういう,専門家になることを目指したインテンシブな教育というのは,その目的意識を明確に持った人たちだけが集まったときに初めてできるのだと思います。法学部では,いろいろな志望の学生がいるので,本当にインテンシブな教育は難しいです。ですから,私は,法学部を出て未修コースに入るのは全くおかしくないと考えています。むしろその方が適切な人はたくさんいるし,そもそも今の法学部のやり方で,本当に既修コースに入るのにふさわしい人をどれだけ育てられるのかについて,むしろ疑問を感じるところでございます。」
○ 鎌田委員
「実際に早稲田大学の場合には,当初,法律試験を課さないで入学を許可して,そして入学者の中で法律の試験をして,1年の法律基本科目を全部免除するに足りる人は既修コースにというふうにしていたのですけれども,発足当初,300人の定員のうち少なくとも100人はこれに合格するだろうと思っていたのですけれども,ほとんどいませんでした。つまり,1年生で学ぶ必修科目全部について合格点を取れない限りは免除できないという考え方でいくと,これに該当する人はほとんどいなかったのです。それで,余り人数が少ないとクラスが編成できないんで,若干基準を緩めて20人程度で既修クラスを編成しました。残り2年で新司法試験に合格できる程度まで満遍なく全ての科目をきちんと勉強している学生というのは,初期のころの方が多かったはずなんです。というのは,旧試験に合格しようとして勉強していた人たちが多かったからです。それでも本当に1年の科目を全部免除するに足りるという人は非常に少なかった。それが,今,旧試験を目指してきた受験生は減っているわけですから,もっともっと法学部出身者の学力は低くなってきている。」
○ 和田委員
「例えば,既修者枠が未修者枠よりも多い法科大学院の方が,そうでないところよりも司法試験の合格率は良くなるわけですし,その既修者は,法科大学院入学以前は,従来は旧司法試験の勉強を自分であるいは予備校で行ってきたわけです。したがって,入学時点で司法試験の合格直前までの学力を身に付けた人を多く入学させることができたかによって,その法科大学院の司法試験合格率は大きく左右されるということになるわけです。」
皆さんは,これらの発言内容を読んで,どのように感じるでしょうか。
黒猫自身が学生だった頃もそうでしたが,基本的に大学の法学部では,法曹となる(司法試験に合格する)ために必要な法的素養どころか,その基礎となる法的知識すらも身に付けられるような授業は行われていないのです。法学部生であっても,司法試験を受験して法曹になろうとする人もいれば,公務員試験を受けようとする人もいる,あるいは企業に就職しようとする人もいるという感じで,必ずしも法律学を究めようとする人ばかりではないのですが,大学側もそれを口実に,たとえ志望がどこであろうと「法学部生なら最低限このくらいの教育は受けているだろう」「法学部卒業生ならこのくらいは知っているだろう」という教育の質を確保する努力を,全くといって良いほど行っていないのです。
旧試験時代には,真剣に司法試験合格を目指す者は,大学の授業とは別に予備校の講座を受講するのが当然であるという雰囲気になっており,たとえば同じ東大法学部生でも,司法試験合格を目指して早くから予備校に通っている学生とそうでない学生とでは,当然ながら法的知識や素養には大きな開きがありました。
その後法科大学院と新司法試験が出来る際,(主に法学部出身者を念頭に)法律試験を実施して基礎的な法的知識や素養を身に付けていると認められる志願者に対しては,既修者として1年次の授業を免除することにしたわけですが,実際の既修者コースに入学できる学生の大半は旧司法試験に合格しようとして勉強していた人たちであり,いわば法科大学院制度が必死に否定しようとしていた旧司法試験(及び旧司法試験の受験指導を行っていた予備校)こそが,皮肉にも初期における法科大学院教育を支えていたのです。
旧司法試験が廃止されると,当然ながら法学部生の中で旧司法試験を目指そうという人はいなくなり,法学部出身者の学力が全体的に大きく低下したことは,鎌田委員も認めているとおりです。そして今の法学部では(東大や一橋,早稲田といった一流大学であっても)法科大学院の既修者コースへ入学するに値する人材を育てるのは難しくなっているのが実情であり,未修者のみならず既修者の質も全体的に下がりつつあると言われています(実際に,過去の会議で鎌田委員がそのような発言をしています)
後藤教授などは,相変わらず予備試験の受験に年齢制限を加えよなどと主張していますが,旧試験と異なり実質5段階もの試験を受験しなければならない,高度な一般教養試験を課され受験生の負担も重い,合格率が非常に低く門戸が狭いなど様々な問題を抱えているにもかかわらず,予備試験が旧司法試験に代わり実質的に法曹養成制度を支える存在になったというのは,このような状況下ではもはや必然的な結果であったように思われるのです。
いや,最近では大学在学中に予備試験に合格できなかった人が滑り止めで法科大学院に入るという考え方が一般的になり,現役の法科大学院生でも予備試験を受験する人が増えていますから,予備試験が旧司法試験に代わり法科大学院教育を支える存在になりつつあると言っても過言ではないような気がしますね。
司法試験合格に必要な法的素養を身に付けるのにかかる時間については,もともと非常に個人差が大きく,旧司法試験時代でも2~3年くらいの勉強で合格する人もいれば,5年あるいは10年近くかけてようやく合格する人もおり,当然ながら何回挑戦しても合格できないという人もいました。
法科大学院は,原則3年という標準修了年限内に,入学者の大半に司法試験合格レベルの法的素養を身に付けさせることを目的とした教育機関ですが,もともと成果の個人差が極めて大きい法曹養成教育に,高校までのような「3年間でどこまでの教育成果を達成させる」といった枠をはめること自体に合理性がなかったのです。また,それまで結果的には多数の法曹を送り出していながらも,実際の法曹養成教育には全くといって良いほど関与しておらず,要するに法曹養成のノウハウを全く持っていなかった大学(法学部)が法科大学院教育の主体となったことには,もっと合理性がありませんでした。
その結果,旧司法試験時代であれば大学在学中に合格できたような人材にとっては,法科大学院は余計な経済的負担がかかるだけのお荷物でしか無く,できれば大学在学中に予備試験合格を果たしロー入学を回避したいと思われる存在になり果てました。
逆に,法曹になる意欲はあるものの司法試験合格まで5年以上かかるような人材にとっては,法科大学院制度は無駄な授業と経済的負担で司法試験合格までの道程をかえって遠くするだけでなく,法科大学院修了後3回以内に合格しなければ司法試験の受験資格を剥奪され,三振博士として無能者の烙印まで押されてしまうという恐怖の存在となりました。
このように凄まじく不合理な制度が導入された結果,法曹を志望していた有能な人材がどれほど逃げて行き,無計画な法曹人口激増と併せてどれほど法曹界の社会的凋落をもたらしたかを考えれば,このように政府当局及びその関係者が法科大学院制度の実質的破綻を既に認識していながら,なおも同制度の存続に固執しようと無駄な努力を続けていることについては,それ自体に大変な怒りを禁じ得ません。
法科大学院以外にも,国家試験合格を必要とする専門家を養成する「専門職大学院」は,公認会計士を養成する会計大学院,弁理士を養成する知的財産大学院など様々なものが作られましたが,それらの大学院による教育は実験的なものに過ぎないと正しく認識されていたことから,いずれもその修了を関連国家資格の受験要件とするには至らず,せいぜい試験科目の一部が免除される程度の存在にとどまったのです。それでも会計大学院は計16校が開設されており,概して人気は低いものの制度自体の破綻には至っておらず,害も少ないため法科大学院のように厳しく非難されている様子もありません。
法科大学院制度も,全く実績のない教育機関が行う実験的な制度であったことを正しく認識した上で,法曹養成の中核的機関だの司法試験の受験には原則として法科大学院修了を要するだのといった分不相応な特権を与えることなく,せいぜい修了すれば択一試験の一部を免除するくらいの制度にとどめておけば,現在のように法科大学院が濫立することもなかったでしょうし,制度発足後10年もしないうちに制度自体の破綻が叫ばれ,その存在そのものが強く批判されるような事態にはならなかったはずです。
事ここに至った以上,黒猫としては法科大学院制度そのものを廃止すべきであり,大学は法学部教育の再建に専念すべきだと考えますが,大学や文部科学省が,仮に法学の理論と実務の架橋を試みるための実験的な場として,法科大学院だけはどうしても残しておきたいというのであれば,少なくとも法科大学院修了を司法試験の受験要件とはせず,他の専門職大学院と同様,せいぜい修了すれば択一試験の一部を免除するくらいの制度にとどめるべきなのです。
そうしなければ,法曹養成制度ひいては三権の一翼を担う司法制度そのものが実質的に破綻するのみならず,法科大学院側も出来もしない結果を出すことを早急に,しかも常に求められるため,落ち着いて教育内容の改善に取り組む余裕もなく無意味な苦悩と迷走を続けるだけであり,結局誰も幸せにならないのです。
第5回会議では,法科大学院制度の中でも特に破綻の著しい法学未修者教育のあり方について意見交換が行われましたが,田島委員からは,そもそも高度な法律を学ぶ大学院なのに入試段階で法律試験が課されないのはおかしいのではないかという指摘がなされたところ,それに対する井上委員の回答は,要するに「私自身は既修者コースだけにすればよいと思っていたが,当時はアメリカのロースクールと同じモデルが良いという意見が非常に有力だった」というものであり,もはや自信を持って現行制度の合理性を説明できる者は誰もいないという異常事態に至っています。
また,未修者教育の質を確保する手段として,1年次から2年次への進級にあたり共通到達度確認試験(仮称)を課すという中教審ワーキンググループの案についても議論されましたが,井上委員はその趣旨について賛成しつつも,この確認試験について次のようなコメントを残しています。
「これも,しかし,ロースクール関係者にとっては,実は非常に恥ずかしいことなのです。それぞれの法科大学院とその教員としては,単位を与えて進級させ修了させているわけですから,それが適切に行われていないということで,共通的なものを入れないといけないとされるのは,非常に恥ずかしいことと思わなければいけないのです。」
司法審の委員などを歴任し法科大学院制度の旗振り役と目されてきた井上委員によるこの発言くらい,法科大学院制度の実質的破綻を端的に物語るものはないでしょう。しかし,法科大学院関係者の多くは,井上委員のいう「恥ずかしい思い」や「反省」すらもしていないのです。
田島委員は「例えば,合格率ゼロとか,合格者が出ていないとか,それから,大体20%以下なんていう学校が法科大学院と名乗っていて,そこの教授でございますってよく言えたものだと思うぐらい,もうびっくりするぐらい反省がないです」と強く非難しており,井上委員もそのような関係者の態度や発言について「私自身憤りを覚えるところがあります」と述べています。
もはや,法科大学院に特段の利害関係がない現役法曹や一般市民が,このようにふざけた法科大学院制度の存続を許すべき理由はどこにもありません。
http://www.moj.go.jp/content/000105971.pdf
発言の内容については,東大ローの教授であり,いわば法科大学院側の代表と言って良い井上正仁委員が,法科大学院の態勢は詐欺的であると自ら認めているなど衝撃的なものも含まれていましたが,その話は別の機会に譲るとして,今回は法学部教育及び法科大学院の未修者教育について,法科大学院関係者すら認めている恐るべき実態を抜き出してみようと思います。
○ 丸島委員
「この前一橋大学へ行かれた委員の方はお聞きになられたと思いますが,他の大学の法学部から未修者コースに来ている学生に対して,委員から,「あなたは法学部を出たのにどうして未修者コースに来たのですか」という質問がされました。学生さんは,「法学部では法律の基礎的な勉強を必ずしも十分にできるわけでなく,法曹を目指す上で改めて基礎からしっかりと勉強をしたいと思ったからだ。」というようなことを述べられました。これは以前,和田委員も触れられていましたけれども,御自分の関心ある研究分野のところだけを専ら教える先生がいらっしゃったり,その分野の全体を見通した実践的な授業がされていないというふうなことはしばしば聞くところでありますし,また,そもそも法学部の役割自体が法曹養成に特化したものではなく,かなり幅広い役割を担ってきていて,それは公務員でもあり,企業人でもあり,より幅広く法的素養を持った社会人でもあり,そして今,法学部の役割は更に広げられようともしているわけです。したがって,法学部を出たからといって,そこで専門職としての法曹を目指す上で法学の基礎的なものを学べるような仕組みには必ずしもなっていないというのが日本の法学部全体の姿であり,もちろんそうでないところもありましょうが,そういう点の問題が基本にあると思います。」
○ 後藤教授(委員ではなく,ヒアリング対象者として発言)
「私の実感では,現在の法学部で私たちが法科大学院未修の1年次でしているような教育をすることは非常に難しいと思います。そういう,専門家になることを目指したインテンシブな教育というのは,その目的意識を明確に持った人たちだけが集まったときに初めてできるのだと思います。法学部では,いろいろな志望の学生がいるので,本当にインテンシブな教育は難しいです。ですから,私は,法学部を出て未修コースに入るのは全くおかしくないと考えています。むしろその方が適切な人はたくさんいるし,そもそも今の法学部のやり方で,本当に既修コースに入るのにふさわしい人をどれだけ育てられるのかについて,むしろ疑問を感じるところでございます。」
○ 鎌田委員
「実際に早稲田大学の場合には,当初,法律試験を課さないで入学を許可して,そして入学者の中で法律の試験をして,1年の法律基本科目を全部免除するに足りる人は既修コースにというふうにしていたのですけれども,発足当初,300人の定員のうち少なくとも100人はこれに合格するだろうと思っていたのですけれども,ほとんどいませんでした。つまり,1年生で学ぶ必修科目全部について合格点を取れない限りは免除できないという考え方でいくと,これに該当する人はほとんどいなかったのです。それで,余り人数が少ないとクラスが編成できないんで,若干基準を緩めて20人程度で既修クラスを編成しました。残り2年で新司法試験に合格できる程度まで満遍なく全ての科目をきちんと勉強している学生というのは,初期のころの方が多かったはずなんです。というのは,旧試験に合格しようとして勉強していた人たちが多かったからです。それでも本当に1年の科目を全部免除するに足りるという人は非常に少なかった。それが,今,旧試験を目指してきた受験生は減っているわけですから,もっともっと法学部出身者の学力は低くなってきている。」
○ 和田委員
「例えば,既修者枠が未修者枠よりも多い法科大学院の方が,そうでないところよりも司法試験の合格率は良くなるわけですし,その既修者は,法科大学院入学以前は,従来は旧司法試験の勉強を自分であるいは予備校で行ってきたわけです。したがって,入学時点で司法試験の合格直前までの学力を身に付けた人を多く入学させることができたかによって,その法科大学院の司法試験合格率は大きく左右されるということになるわけです。」
皆さんは,これらの発言内容を読んで,どのように感じるでしょうか。
黒猫自身が学生だった頃もそうでしたが,基本的に大学の法学部では,法曹となる(司法試験に合格する)ために必要な法的素養どころか,その基礎となる法的知識すらも身に付けられるような授業は行われていないのです。法学部生であっても,司法試験を受験して法曹になろうとする人もいれば,公務員試験を受けようとする人もいる,あるいは企業に就職しようとする人もいるという感じで,必ずしも法律学を究めようとする人ばかりではないのですが,大学側もそれを口実に,たとえ志望がどこであろうと「法学部生なら最低限このくらいの教育は受けているだろう」「法学部卒業生ならこのくらいは知っているだろう」という教育の質を確保する努力を,全くといって良いほど行っていないのです。
旧試験時代には,真剣に司法試験合格を目指す者は,大学の授業とは別に予備校の講座を受講するのが当然であるという雰囲気になっており,たとえば同じ東大法学部生でも,司法試験合格を目指して早くから予備校に通っている学生とそうでない学生とでは,当然ながら法的知識や素養には大きな開きがありました。
その後法科大学院と新司法試験が出来る際,(主に法学部出身者を念頭に)法律試験を実施して基礎的な法的知識や素養を身に付けていると認められる志願者に対しては,既修者として1年次の授業を免除することにしたわけですが,実際の既修者コースに入学できる学生の大半は旧司法試験に合格しようとして勉強していた人たちであり,いわば法科大学院制度が必死に否定しようとしていた旧司法試験(及び旧司法試験の受験指導を行っていた予備校)こそが,皮肉にも初期における法科大学院教育を支えていたのです。
旧司法試験が廃止されると,当然ながら法学部生の中で旧司法試験を目指そうという人はいなくなり,法学部出身者の学力が全体的に大きく低下したことは,鎌田委員も認めているとおりです。そして今の法学部では(東大や一橋,早稲田といった一流大学であっても)法科大学院の既修者コースへ入学するに値する人材を育てるのは難しくなっているのが実情であり,未修者のみならず既修者の質も全体的に下がりつつあると言われています(実際に,過去の会議で鎌田委員がそのような発言をしています)
後藤教授などは,相変わらず予備試験の受験に年齢制限を加えよなどと主張していますが,旧試験と異なり実質5段階もの試験を受験しなければならない,高度な一般教養試験を課され受験生の負担も重い,合格率が非常に低く門戸が狭いなど様々な問題を抱えているにもかかわらず,予備試験が旧司法試験に代わり実質的に法曹養成制度を支える存在になったというのは,このような状況下ではもはや必然的な結果であったように思われるのです。
いや,最近では大学在学中に予備試験に合格できなかった人が滑り止めで法科大学院に入るという考え方が一般的になり,現役の法科大学院生でも予備試験を受験する人が増えていますから,予備試験が旧司法試験に代わり法科大学院教育を支える存在になりつつあると言っても過言ではないような気がしますね。
司法試験合格に必要な法的素養を身に付けるのにかかる時間については,もともと非常に個人差が大きく,旧司法試験時代でも2~3年くらいの勉強で合格する人もいれば,5年あるいは10年近くかけてようやく合格する人もおり,当然ながら何回挑戦しても合格できないという人もいました。
法科大学院は,原則3年という標準修了年限内に,入学者の大半に司法試験合格レベルの法的素養を身に付けさせることを目的とした教育機関ですが,もともと成果の個人差が極めて大きい法曹養成教育に,高校までのような「3年間でどこまでの教育成果を達成させる」といった枠をはめること自体に合理性がなかったのです。また,それまで結果的には多数の法曹を送り出していながらも,実際の法曹養成教育には全くといって良いほど関与しておらず,要するに法曹養成のノウハウを全く持っていなかった大学(法学部)が法科大学院教育の主体となったことには,もっと合理性がありませんでした。
その結果,旧司法試験時代であれば大学在学中に合格できたような人材にとっては,法科大学院は余計な経済的負担がかかるだけのお荷物でしか無く,できれば大学在学中に予備試験合格を果たしロー入学を回避したいと思われる存在になり果てました。
逆に,法曹になる意欲はあるものの司法試験合格まで5年以上かかるような人材にとっては,法科大学院制度は無駄な授業と経済的負担で司法試験合格までの道程をかえって遠くするだけでなく,法科大学院修了後3回以内に合格しなければ司法試験の受験資格を剥奪され,三振博士として無能者の烙印まで押されてしまうという恐怖の存在となりました。
このように凄まじく不合理な制度が導入された結果,法曹を志望していた有能な人材がどれほど逃げて行き,無計画な法曹人口激増と併せてどれほど法曹界の社会的凋落をもたらしたかを考えれば,このように政府当局及びその関係者が法科大学院制度の実質的破綻を既に認識していながら,なおも同制度の存続に固執しようと無駄な努力を続けていることについては,それ自体に大変な怒りを禁じ得ません。
法科大学院以外にも,国家試験合格を必要とする専門家を養成する「専門職大学院」は,公認会計士を養成する会計大学院,弁理士を養成する知的財産大学院など様々なものが作られましたが,それらの大学院による教育は実験的なものに過ぎないと正しく認識されていたことから,いずれもその修了を関連国家資格の受験要件とするには至らず,せいぜい試験科目の一部が免除される程度の存在にとどまったのです。それでも会計大学院は計16校が開設されており,概して人気は低いものの制度自体の破綻には至っておらず,害も少ないため法科大学院のように厳しく非難されている様子もありません。
法科大学院制度も,全く実績のない教育機関が行う実験的な制度であったことを正しく認識した上で,法曹養成の中核的機関だの司法試験の受験には原則として法科大学院修了を要するだのといった分不相応な特権を与えることなく,せいぜい修了すれば択一試験の一部を免除するくらいの制度にとどめておけば,現在のように法科大学院が濫立することもなかったでしょうし,制度発足後10年もしないうちに制度自体の破綻が叫ばれ,その存在そのものが強く批判されるような事態にはならなかったはずです。
事ここに至った以上,黒猫としては法科大学院制度そのものを廃止すべきであり,大学は法学部教育の再建に専念すべきだと考えますが,大学や文部科学省が,仮に法学の理論と実務の架橋を試みるための実験的な場として,法科大学院だけはどうしても残しておきたいというのであれば,少なくとも法科大学院修了を司法試験の受験要件とはせず,他の専門職大学院と同様,せいぜい修了すれば択一試験の一部を免除するくらいの制度にとどめるべきなのです。
そうしなければ,法曹養成制度ひいては三権の一翼を担う司法制度そのものが実質的に破綻するのみならず,法科大学院側も出来もしない結果を出すことを早急に,しかも常に求められるため,落ち着いて教育内容の改善に取り組む余裕もなく無意味な苦悩と迷走を続けるだけであり,結局誰も幸せにならないのです。
第5回会議では,法科大学院制度の中でも特に破綻の著しい法学未修者教育のあり方について意見交換が行われましたが,田島委員からは,そもそも高度な法律を学ぶ大学院なのに入試段階で法律試験が課されないのはおかしいのではないかという指摘がなされたところ,それに対する井上委員の回答は,要するに「私自身は既修者コースだけにすればよいと思っていたが,当時はアメリカのロースクールと同じモデルが良いという意見が非常に有力だった」というものであり,もはや自信を持って現行制度の合理性を説明できる者は誰もいないという異常事態に至っています。
また,未修者教育の質を確保する手段として,1年次から2年次への進級にあたり共通到達度確認試験(仮称)を課すという中教審ワーキンググループの案についても議論されましたが,井上委員はその趣旨について賛成しつつも,この確認試験について次のようなコメントを残しています。
「これも,しかし,ロースクール関係者にとっては,実は非常に恥ずかしいことなのです。それぞれの法科大学院とその教員としては,単位を与えて進級させ修了させているわけですから,それが適切に行われていないということで,共通的なものを入れないといけないとされるのは,非常に恥ずかしいことと思わなければいけないのです。」
司法審の委員などを歴任し法科大学院制度の旗振り役と目されてきた井上委員によるこの発言くらい,法科大学院制度の実質的破綻を端的に物語るものはないでしょう。しかし,法科大学院関係者の多くは,井上委員のいう「恥ずかしい思い」や「反省」すらもしていないのです。
田島委員は「例えば,合格率ゼロとか,合格者が出ていないとか,それから,大体20%以下なんていう学校が法科大学院と名乗っていて,そこの教授でございますってよく言えたものだと思うぐらい,もうびっくりするぐらい反省がないです」と強く非難しており,井上委員もそのような関係者の態度や発言について「私自身憤りを覚えるところがあります」と述べています。
もはや,法科大学院に特段の利害関係がない現役法曹や一般市民が,このようにふざけた法科大学院制度の存続を許すべき理由はどこにもありません。
私の認識限りですが,52期以降,大手は,二桁の新規登録弁護士を採用するようになったと記憶しています。
これよりも以前の期から,司法試験の合格者が増加することとなっているのですが,ついに,51期から丙案貴族が誕生するようになり,厳選に厳選を重ねた少数精鋭主義の採用方針から,「大量採用→選別→大量肩たたき」主義に方針が転換されました。
その後,合格者は,うなぎのぼりとなって行きます。50期後半は,大量合格者+丙案貴族あり制度でもあり,「能力に疑問」のある新人弁護士も激増しました。
ですので,「大手渉外事務所に決まれば一生が保証されて余生のようなものですよ。口をあけているだけで留学にもいけて高給が保障され」などというのは,大量採用→選別→大量肩たたきがデフォになった52期くらいからは,事実上ありえないです(その頃,大手渉外事務所に入れた新人弁護士が,勝手にどう思っていたかは別の問題です)。
その後,ロー制度ができて,さらに,「能力に疑問」のある新人弁護士が激増したため,50期末期の「大量合格者+丙案貴族」問題はなりを潜めた形になりましたが,決して,彼らが優秀というわけではないと記憶しています(「レベルが低い」と思っていたが,さらにレベルが低いものが現れたので,相対的に,前者が目立たなくなった,というだけのことです)。
蛇足ですが,そんな彼らも,続けていれば,法曹として5年以上キャリアを積んだことになるので,今頃は,単独で,あるいは,中堅(後進を指導する立場)として,現場に出る形となっているので,法曹の現場は,そこかしこで,「困ったちゃん」が激増し,文字通り,周りを巻き込んで,皆が困っているというのが現状かなという印象があります。
合格率首位を一橋に持っていかれたのは、仲間外れになったり情報が行き届かない人が相当いるからだと思います。
あと、司法試験合格を目標とはしていないと公言しておきながら、秘密の闇ゼミ、地下組織での受験指導は大々的にやってます。予備試験の受験指導もやってます。
東大ローでは「当校は司法試験合格を目標としない」という趣旨の発言は複数の教員がしておりますね
(カリキュラムをマスターすれば合格水準より遥かに高いレベルに到達できる・・・という意味だとは思いますが、合格率首位を一橋に取られている現状では只の慢心に近いと思ってます)
あと、コメント欄で文3と文1の足きりラインの話が出ていますが、
文3のセンター足きりラインが高く出る現象は(自分が大学受験生であった)四年以上前から起きているので、法科大学院とは無関係です。
同様に理系では理3の足きり点が一般に低くくなる傾向があります
誤「不正確な適性な表現」→正「不適切な表現」です。誠に申し訳ありませんでした。
本当っすか?みんな余生を過ごしてたんすか?
京大と言えば民法,民法と言えば京大なのに。
潮見,山敬,横山,佐久間毅…
研究者としてはもちろん,教育者としても申し分ないのですが。
少なくとも、既存予備校以上の授業を提供する義務があるかと。
ところで、東大文1が文3より低いって本当ですか(((( ;゜Д゜)))
ただ法科大学院は自分たちが率先して、良き法曹をつくると言って出来たのだから、学部と同じスタンスでやるべきではないと思ってます。
放任主義という学風だから授業は適当でいいのですか? 放任主義というのは、必修科目を設けないとか、要卒単位数が少ないという意味だと思います。
学生が授業料を払うわけですし、教授は単位認定の権限を持っている以上最低限の授業の質は確保すべき義務が生じると思いますよ?
その義務を履行せず、聞き取りにくい小さな声でごにょごにょ喋り、レジュメは適当というのは…
それに教えを請うべきといいますが、そのまさに教えを請うために授業に出るのではありませんか?笑
もちろん、質のいい授業をされる教授はいますが、放任主義は授業で手を抜く言い訳に使われてる気がします。
少なくとも私が京大にいたころは、おそらく、どの京大法学部教授も自分のことを「研究者」と思っていて「教育者」とは思ってなかったと思いますよ。
もっと正確に言うと、「学者=研究者」を目指す者を指導する「教育者」となることはあっても、一般の学部学生を教育するなんて考えてなかったと思います。
京大「法学部」教授ですから、学部学生に対する教育者ではないと言ってるんでしょ?
京大法学部は昔から学生にやりたいことをやらせる放任主義ですから、研究者という高みを目指し、自発的に教えを乞う者しか教えないのがその学風です。手取り足取り教授に教えてもらうことを期待して入学したのであれば、それは受験時の情報不足であったと言わざるを得ません。
女子学生は注意して下さい。目のパッチリした女性にセクハラします。
誰?
私は父も東大法学部なのですが、かつての教授、平野龍一教授や芦部信喜教授らは、権威主義的だったが東大の価値を貶めるようなことは絶対しなかったと申しております。引用されている議事録を読む限り、井上正仁先生にはそんなプライドがないように見えます。東大法学部の権威主義的発想は批判も多いですが、矜持だけは持ってほしいと思います。
現在の京大法学部には、自分は教育者ではないと言い放つ勘違い民法教授までいますよ。学生は呆れてますよ。ローの教授も無能で、出席取らない授業にでないのは当然。出席とる授業は内職してます。
誰の授業料でおまんま食べられるのかという基本的なことを理解できない無能教授(笑)
反論がないのは、認めているからかも知れません。
いずれにしても、不合理であることに認識しながら法科大学院を存続させることは、故意以外の何物でもないと思います。
退学者や留年者や三振者や修習辞退者達から、ロースクール被害について聞き取り、ロースクールと貸与制 の被害を合わせた主張を組み立てていければと思います。
私も当初は母校に対する裁判を考えましたが、ロースクール(を訴えても、ロースクール対元院生の裁判としかマスコミにも世間に注目されないと思いますので費用対効果は低いと思いますので、運動論として迂遠です。
やはり 運動論として、国を相手に国家賠償請求訴訟で、ロースクール被害を世間に明らかにしていく必要があると思います。
黒猫君の時代の東大法学部はそうだったのかもしれないが,
我々の時代の東大法学部(伊藤塾長が大学を卒業した頃)は,司法試験をめざして予備校に通う学生は,むしろバカにされ,学部の授業を真面目Tに受けていただけで,司法試験の合格していた学生も結構いたよ。
これはそういうことを見越してクラス配置、授業運営をしなかったローに問題があるのでしょうね。法律学を習得するのには努力が必要などと言いながら、単位認定を甘くする。ロー教授って教育者といえるのでしょうか。
お偉い方々が、いつまでも、わかりきったことを何度も何度も繰り返してダラダラダラダラ税金使って会議を費やしているのは、現実に直面したくないからで、ただの時間稼ぎなんだよ。
その意味でも、「法科大学院制度ぶっ壊そうシンポジウム」いいですねえ。
弟子同志の問答では、師匠は馬鹿にされないけど、他の道場に通ってしまった場合、その道場主の方が良いとなれば、もとの師匠は馬鹿にされ、ないがしろにされるので、許されざることです。
詐欺だろこれ。
ローとかあんなお金ぶんどってなんにも教えてないぞ。
まともに教えてるのは、外部から手弁当できた講師だけ。
高給とりの教授陣は今日もうんこ授業。
しかし、学生が自主的に予備校に行って法的素養を身につけようとすることに対しては否定しました。
何が違うんでしょうかね。
外部からは弁護士に準じて法律に詳しいと思われていたようですが。
かくいう私も予備校の授業で初めて知ったことばかりで、大学の授業もそこそこは出ていたはずなのに何も思い出せなかった。
大学の法学部というのは何をするところだろうと昔から疑問に思っていましたが、まさに化けの皮がはがれたというところでしょう。
現実は一つであり、個人的な多様性が見られない。日本人の真理ともいうべきものである。
だから、もしも個人的な発言に違いがあれば、事実関係調べが行われる。
多様を尊重する社会には、真の個人主義がある。
非現実 (遠未来・遠過去) の内容には、個人的な多様性が見られる。
非現実に対応する文章構文があれば、その内容は成案・考えとなり個人差が出てくる。
対応する文章構文がなければ、想いから矛盾を排除できず、空想・出鱈目にとどまり鬼も笑う。
遠未来の社会の内容が明らかに描かれれば、建設計画に着手できる。人々の協力も得られる。
建設的な意見の持ち寄りにより進歩ははかどる。
遠未来の社会が明らかにされなければ、建設計画もできない。人々の協力も得られない。
不毛の議論の連続で、人々は未来に対する不安と閉塞感にさいなまれている。
筋があれば理想 (ideal)になる。なければ空想 (fantasy) になる。
日本語には、未来時制がないから理想の世界は展開できず、現在時制の世界における戯けごとになる。
一寸先は闇と見ている政治家たちに導かれて、国民の生活は動いている。
自分が死んでもこの国がまっすぐに理想の世界に進むようなルール作りを政治家たちにはしておいてもらいたい。
それには、時制のある言語 (英語) の教育が必要である。
英米で高等教育を受けてきた者を活用できる知的な社会の枠組みを作って、彼らを優遇しなくてはならない。