MF文庫『僕は友達が少ない』のパロディ小説『僕は依頼者が少ない』の第2回です。
ちなみに第1回はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/28f70d976fc13c6b33d4945f26898f45
「練習をしていたのだ」
自販機のお茶(無料)を飲みながら,三日月さんは妙に重々しい言葉で,事の経緯を話し始めた。
「弁護士になったら,自ら依頼者から事情の聴取,事件処理の見通しや委任契約の説明,事件処理の報告その他諸々を一人でこなさなければならない。私はそれに備えて,修習生の頃から依頼者とのコミュニケーションの練習をしていたのだ」
「まあ,それは何となく分かるけど,・・・・・・一人で?」
「そうだ。私に友達はいないからな」
やたら寂しいことを堂々と語る三日月さんだった。
「何だその目は。太郎,お前も友達がいるようには見えなかったが」
「・・・・・・僕の名前知ってたんだ」
「お前の名前は有名だからな。クラスで知らぬ者などおるまい」
「・・・・・・まあそれはいいけど,エア依頼者とかイリちゃんとかいうのは,さすがにそれだけじゃ説明が付かないと思うな」
僕にクラスの友達がいないとか,僕の名前がなぜ有名かという問題には触れたくなかったので,とりあえず三日月さんに話の続きを促すことにした。
「まあそれはだな,私は小さい頃から,ちょっとだけ役になりきってしまうところがあってだな・・・・・・」
言いながら,三日月さんは顔を赤くする。可愛い。
「自分で弁護士と依頼者の二役こなすうち,やはり依頼者の方にも名前が必要だと思ってだな・・・・・・」
「それでイリちゃん?」
「そうだ。素晴らしい名前だろう」
自信たっぷりのドヤ顔で僕に同意を求める三日月さんだった。
「・・・・・・まあ,三日月さんのネーミングセンスにとやかく言うつもりはないけど」
「微妙な言い回しが気になるところだが,まあいいだろう。やがて,私は依頼者のイリちゃんと交遊を深めて,仕事だけではなく一緒に遊びに行ったりショッピングをしたりする,かけがえのない友達になったのだ」
僕は頭を抱えた。要するに依頼者を相手にする練習のための一人芝居が高じて,イリちゃんという名前まで付けた『エア依頼者』という架空の存在を作り上げてしまい,友達がいないこともあってそのエア依頼者との会話を楽しむまでになり,しかもそのエア依頼者と一緒にショッピングに行った云々という設定まで作って盛り上がるようになってしまった,ということらしい。
ソファーに堂々と腰掛けている三日月さんは,顔立ちも整っていてスタイルも良くて,文句の付けようがない美人である。しかし,その口から発せられる言葉の内容は,もはや廃人と称して差し支えないレベルだった。
「太郎,何だ。その憐れむような目は」
非常に気まずい。とりあえず,僕は話題を変えることにした。
「そ,そういえば三日月さんは,どこに就職したの?」
「私が所属しているのは,世田谷クレセント法律事務所だ」
「世田谷クレセント法律事務所・・・・・・?」
「どうだ。素晴らしい名前の事務所だろう」
胸を張って自慢げに語る三日月さんだったが,僕としては聞いたことがない上に,何となく微妙な名前である。
「・・・・・・もしかして,その事務所も『エア事務所』だってオチが付くの?」
「『エア事務所』ではない! ちゃんと日弁連の名簿にも登録されているぞ」
まあ,そう言われればそうか。質問の仕方を変えてみよう。
「その『世田谷クレセント法律事務所』には,弁護士さんは何人いるの?」
「今のところ私一人だ」
「・・・・・・その事務所は自分で借りたの?」
「・・・・・・事務所所在地は私の自宅だ」
何ということか。三日月さんも『即独』,しかも『宅弁』だったとは。
「ちなみに,『クレセント法律事務所』は調べて見たら既にあったので,区別するため『東京クレセント法律事務所』で登録しようとしたら,既存の『クレセント法律事務所』も東京の千代田区にあり誤認混同のおそれがあるから駄目だと言われ,仕方なく『世田谷クレセント法律事務所』にしてようやく登録できたのだ」
「なんでそこまでクレセントにこだわるんだ・・・・・・」
言ってみてすぐに気が付いた。クレセントは英語で『三日月』という意味がある。なるほど,何とか自分の名前(苗字)の英訳を事務所名にしたかったわけね・・・・・・。
「得心がいったようだな」
僕は頷いたが,質問すべきことはまだある。
「三日月さんは,就職活動はしなかったの?」
「もちろんした。何十もの法律事務所に履歴書を送って,そのうちいくつかの事務所では面接まで漕ぎ着けた。しかしどの事務所でも,面接の途中で『うちでは女性の採用予定はありませんので・・・・・・』などと言われ,ことごとく落とされたのだ!」
どう話す三日月さんの声は,明らかに怒気を含んでいた。
「信じられん・・・・・・。日頃から人権とか社会的正義とかほざいている弁護士のくせに,どうして男女雇用機会均等法を公然と無視できるのだ・・・・・・? 復讐してやる! 復讐してあいつらを社会的に抹殺した上,ばらばらに切り刻んでコンクリート詰めにして東京湾に捨ててやらねば気が済まん!」
そういう三日月さんの表情は,もはや人間というより悪鬼のものだった。発言内容もアレだが,間違っても物語のヒロインがやっていい顔じゃない。
怖いから口には出さないでおくけど,たぶん女性云々というのは表向きの理由で,本当は三日月さんの性格に危険なものを感じたからじゃないだろうか。あと,美人だけど愛想が悪すぎるから客商売にも向かなそうだし。
「ところで,太郎はどこに就職したのだ?」
僕は微かに呻いた。できれば答えたくない質問だったが,自分から話を振ってしまった以上答えないわけにもいかない。僕は正直に,どこの事務所にも就職どころか面接すらさせてもらえなかったので,仕方なく暫定的に自宅を事務所にして弁護士登録した経緯を,三日月さんに話して聞かせた。
「そうか,三桁も履歴書を送って面接すらさせてもらなかったのか。太郎は寂しいやつだな」
ずいぶん嬉しそうに話す三日月さんに,僕は思わず言い返した。
「『エア依頼者』なんか作ってる三日月さんに言われたくないよ!」
僕の反撃に,三日月さんは微かに呻き声を上げた。
「い,イリちゃんを馬鹿にするのか? イリちゃんは可愛くて頭もよくて運動神経抜群で優しくて話し上手で聞き上手で,それに,絶対に裏切らないのだ」
最後の部分だけ,妙に情念が籠もっているような気がした。
「いいぞ,エア依頼者は。太郎も作ったらどうだ?」
「え,遠慮しておきます。さすがに,それは人としてアウトな領域だと思うんで・・・・・・」
「それだと,私がまるで人として終わってるみたいじゃないか」
「・・・・・・」
僕は無言で目を逸らした。
三日月さんの顔が真っ赤になり,やがて小声で,
「・・・・・・・・・・・・わかっている。これが現実逃避だということくらい。でも仕方ないだろう。依頼者の探し方なんて分からないんだから・・・・・・」
拗ねたように言った。
依頼者の探し方が分からない。あまりにも共感できるその言葉に,僕はしばらく何も言えなかった。
ちょっと長くなるが,『即独』という言葉の意味を含め,今の僕達が置かれた状況について若干説明しておこう。
今の制度では,弁護士になるには法科大学院を修了して,司法試験に合格した後,1年の司法修習を受けて最後の考試(通称『二回試験』と呼ばれている)に合格すると,晴れて弁護士になる資格を与えられる,というのが通常の流れになる。
法科大学院の授業は,大半がお偉い学者先生などの話を聴いて試験を受けたりレポートを書かされたりするだけで,司法試験も法律の理論に関する問題なので,司法試験に合格しても弁護士をやるための実務的な要領は身に付かない。法科大学院では民事実務基礎,刑事実務基礎といった科目も一応あったけど,もともと司法試験に出ない科目である上に,それも訴訟物とか要件事実とかの理論が中心で,弁護士としての実務のやり方を教えてくれるような科目ではなかった。
それで,弁護士としての実務はたぶん司法修習で教えてくれるものと思っていたのだが,1年間の司法修習のうち,実際に弁護士の事務所(『法律事務所』というのが正式名称だ)で受ける修習,すなわち弁護修習は2ヶ月しかなく,しかもその2ヶ月の間に研修所の教官が来て導入講義をやったりするので,実際に弁護士の実務を見られる時間はさらに少ない。
さらに,法科大学院在学中から大手事務所の内定をもらっているような目端が利く人は別だが,それ以外の修習生はその弁護修習中も必死の就職活動に追われている。僕などは修習中も疲れ果てて,正直なところ起きているのが精一杯だった。それでも修習中に何とか就職先を見つけられたならまだ良いが,僕や三日月さんのように就職先を見つけられなかった人は,二回試験に合格して弁護士になる資格を得ても,実際に弁護士になるには,自分で新しい法律事務所を立ち上げて弁護士登録するしかない。
このように,既存の法律事務所で全く実務経験を積むことなく,修習を終えた後直ちに独立することを業界用語で『即独』というのだが,即独の場合収入の保証はもちろん無い上に,12万円の弁護士会入会手続費用,初年度で年間27万円を超える会費負担もすべて自腹だ(しかも恐ろしいことに,登録後の会費負担額は年々増えていき,最終的には年間60万円くらいになるらしい)。これは東京弁護士会の話で,地方の単位会では年間100万円くらい取られるところもあるという。
法科大学院の学費,司法修習資金の貸与で借金を重ね(ちなみに僕自身は既に500万円以上の借金を抱えている),もちろん何年も必死に勉強して,高額の入会費用も何とか工面して『弁護士』と名乗れる立場になったは良いが,気が付くと弁護士の仕事をどうやって行えばよいのか,特に実際の弁護士さんがどうやって依頼者を探し,どうやって依頼者の相談を聴いて仕事の依頼を受け,依頼者とどのようなコミュニケーションを取っているのかほとんど分からないという自分がいる。それが「即独」弁護士の現実である。
僕や三日月さんに限らず,最近はむやみに弁護士の数を増やしたせいで,こういう「即独」弁護士がかなりいるらしい。ちなみに,「即独」弁護士のうち,僕や三日月さんのように自宅を事務所にしている人を「宅弁」といい,何人かの共同でアパートを借りて事務所にしている人を「アパ弁」というそうだ。
まあ,三日月さんのように頭の中で『エア依頼者』を作ってしまう人はまずいない(と思う)が,実際にどうやって依頼者を探し,依頼者とどう接すればよいか分からない点にかけては,僕も三日月さんと大差ないレベルなのだ。
「即独」弁護士として同じ悩みを抱えていることが分かった僕と三日月さんの話は,いつの間にか「これからどうしよう」という話題に移っていた。
「まあ,大事なのは過去じゃないよ。これからどうするかだよ」
三日月さんを元気づけようとして,何となくそう言ってみたものの,
「どうするんだ?」
「・・・・・・どうしよう」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
三日月さんの問いかけに僕が答えられず,二人とも沈黙してしまった。
「・・・・・・近所にチラシを配って宣伝するのはどうかな?」
「それは私も考えたが,どうも色々調べてみたところ,弁護士に仕事を依頼しようとする人は,一般的に弁護士に相談していることを他人に知られたくない傾向があるという。また,依頼者にとって事件は自分の一生がかかっているので,お金持ちで自分の事務所を持っていて,実務経験も豊富な弁護士に仕事を依頼する傾向があるという」
「・・・・・・」
「それを考えると,いくら近所の弁護士がチラシを配って宣伝していても,それが我々のように実務経験ゼロで,事務所も借りられず自宅を事務所登録しているような弁護士であったら,実際に依頼者が来る可能性は限りなくゼロに近いだろう。実際,近所にチラシを配って歩いている弁護士など見たことがない」
「・・・・・・まあ,そういうのがしっくり来なかったのは僕も同じなんだけど」
「だろう? こうして,実際にはお金持ちで自分の事務所を持っていて,実務経験も豊富なごく一部の弁護士,いわゆる『リア充』弁護士だけが栄えていき,それ以外の弁護士はどんどん貧しくなっていく構図が出来上がっている,それが弁護士業界の実情だ。このまま行けば,我々は弁護士業で稼ぐどころか,実務経験を積むこともできないまま借金だけが残り,やがては自己破産で弁護士資格すらも剥奪される,そんな運命が待ち受けているだけだ。我々のような存在は,法科大学院や弁護士会にとっては,さぞかし美味しい金づるだろうな」
明らかに社会への憎しみを込めたような口調で語る三日月さんに,僕はため息をついた。
「・・・・・・なかなか的確な分析だとは思うけど,だからどうしようかって悩んでいるんだよ」
「・・・・・・どうしようか?」
「・・・・・・どうしよう」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。どうしようもない。これまでの努力は全て無駄だったと諦めるしかないのだろうか。すると,
「あ,そうだ」
三日月さんがぽんと手を叩いた。
「何か名案でも?」
(続く)
ちなみに第1回はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/28f70d976fc13c6b33d4945f26898f45
「練習をしていたのだ」
自販機のお茶(無料)を飲みながら,三日月さんは妙に重々しい言葉で,事の経緯を話し始めた。
「弁護士になったら,自ら依頼者から事情の聴取,事件処理の見通しや委任契約の説明,事件処理の報告その他諸々を一人でこなさなければならない。私はそれに備えて,修習生の頃から依頼者とのコミュニケーションの練習をしていたのだ」
「まあ,それは何となく分かるけど,・・・・・・一人で?」
「そうだ。私に友達はいないからな」
やたら寂しいことを堂々と語る三日月さんだった。
「何だその目は。太郎,お前も友達がいるようには見えなかったが」
「・・・・・・僕の名前知ってたんだ」
「お前の名前は有名だからな。クラスで知らぬ者などおるまい」
「・・・・・・まあそれはいいけど,エア依頼者とかイリちゃんとかいうのは,さすがにそれだけじゃ説明が付かないと思うな」
僕にクラスの友達がいないとか,僕の名前がなぜ有名かという問題には触れたくなかったので,とりあえず三日月さんに話の続きを促すことにした。
「まあそれはだな,私は小さい頃から,ちょっとだけ役になりきってしまうところがあってだな・・・・・・」
言いながら,三日月さんは顔を赤くする。可愛い。
「自分で弁護士と依頼者の二役こなすうち,やはり依頼者の方にも名前が必要だと思ってだな・・・・・・」
「それでイリちゃん?」
「そうだ。素晴らしい名前だろう」
自信たっぷりのドヤ顔で僕に同意を求める三日月さんだった。
「・・・・・・まあ,三日月さんのネーミングセンスにとやかく言うつもりはないけど」
「微妙な言い回しが気になるところだが,まあいいだろう。やがて,私は依頼者のイリちゃんと交遊を深めて,仕事だけではなく一緒に遊びに行ったりショッピングをしたりする,かけがえのない友達になったのだ」
僕は頭を抱えた。要するに依頼者を相手にする練習のための一人芝居が高じて,イリちゃんという名前まで付けた『エア依頼者』という架空の存在を作り上げてしまい,友達がいないこともあってそのエア依頼者との会話を楽しむまでになり,しかもそのエア依頼者と一緒にショッピングに行った云々という設定まで作って盛り上がるようになってしまった,ということらしい。
ソファーに堂々と腰掛けている三日月さんは,顔立ちも整っていてスタイルも良くて,文句の付けようがない美人である。しかし,その口から発せられる言葉の内容は,もはや廃人と称して差し支えないレベルだった。
「太郎,何だ。その憐れむような目は」
非常に気まずい。とりあえず,僕は話題を変えることにした。
「そ,そういえば三日月さんは,どこに就職したの?」
「私が所属しているのは,世田谷クレセント法律事務所だ」
「世田谷クレセント法律事務所・・・・・・?」
「どうだ。素晴らしい名前の事務所だろう」
胸を張って自慢げに語る三日月さんだったが,僕としては聞いたことがない上に,何となく微妙な名前である。
「・・・・・・もしかして,その事務所も『エア事務所』だってオチが付くの?」
「『エア事務所』ではない! ちゃんと日弁連の名簿にも登録されているぞ」
まあ,そう言われればそうか。質問の仕方を変えてみよう。
「その『世田谷クレセント法律事務所』には,弁護士さんは何人いるの?」
「今のところ私一人だ」
「・・・・・・その事務所は自分で借りたの?」
「・・・・・・事務所所在地は私の自宅だ」
何ということか。三日月さんも『即独』,しかも『宅弁』だったとは。
「ちなみに,『クレセント法律事務所』は調べて見たら既にあったので,区別するため『東京クレセント法律事務所』で登録しようとしたら,既存の『クレセント法律事務所』も東京の千代田区にあり誤認混同のおそれがあるから駄目だと言われ,仕方なく『世田谷クレセント法律事務所』にしてようやく登録できたのだ」
「なんでそこまでクレセントにこだわるんだ・・・・・・」
言ってみてすぐに気が付いた。クレセントは英語で『三日月』という意味がある。なるほど,何とか自分の名前(苗字)の英訳を事務所名にしたかったわけね・・・・・・。
「得心がいったようだな」
僕は頷いたが,質問すべきことはまだある。
「三日月さんは,就職活動はしなかったの?」
「もちろんした。何十もの法律事務所に履歴書を送って,そのうちいくつかの事務所では面接まで漕ぎ着けた。しかしどの事務所でも,面接の途中で『うちでは女性の採用予定はありませんので・・・・・・』などと言われ,ことごとく落とされたのだ!」
どう話す三日月さんの声は,明らかに怒気を含んでいた。
「信じられん・・・・・・。日頃から人権とか社会的正義とかほざいている弁護士のくせに,どうして男女雇用機会均等法を公然と無視できるのだ・・・・・・? 復讐してやる! 復讐してあいつらを社会的に抹殺した上,ばらばらに切り刻んでコンクリート詰めにして東京湾に捨ててやらねば気が済まん!」
そういう三日月さんの表情は,もはや人間というより悪鬼のものだった。発言内容もアレだが,間違っても物語のヒロインがやっていい顔じゃない。
怖いから口には出さないでおくけど,たぶん女性云々というのは表向きの理由で,本当は三日月さんの性格に危険なものを感じたからじゃないだろうか。あと,美人だけど愛想が悪すぎるから客商売にも向かなそうだし。
「ところで,太郎はどこに就職したのだ?」
僕は微かに呻いた。できれば答えたくない質問だったが,自分から話を振ってしまった以上答えないわけにもいかない。僕は正直に,どこの事務所にも就職どころか面接すらさせてもらえなかったので,仕方なく暫定的に自宅を事務所にして弁護士登録した経緯を,三日月さんに話して聞かせた。
「そうか,三桁も履歴書を送って面接すらさせてもらなかったのか。太郎は寂しいやつだな」
ずいぶん嬉しそうに話す三日月さんに,僕は思わず言い返した。
「『エア依頼者』なんか作ってる三日月さんに言われたくないよ!」
僕の反撃に,三日月さんは微かに呻き声を上げた。
「い,イリちゃんを馬鹿にするのか? イリちゃんは可愛くて頭もよくて運動神経抜群で優しくて話し上手で聞き上手で,それに,絶対に裏切らないのだ」
最後の部分だけ,妙に情念が籠もっているような気がした。
「いいぞ,エア依頼者は。太郎も作ったらどうだ?」
「え,遠慮しておきます。さすがに,それは人としてアウトな領域だと思うんで・・・・・・」
「それだと,私がまるで人として終わってるみたいじゃないか」
「・・・・・・」
僕は無言で目を逸らした。
三日月さんの顔が真っ赤になり,やがて小声で,
「・・・・・・・・・・・・わかっている。これが現実逃避だということくらい。でも仕方ないだろう。依頼者の探し方なんて分からないんだから・・・・・・」
拗ねたように言った。
依頼者の探し方が分からない。あまりにも共感できるその言葉に,僕はしばらく何も言えなかった。
ちょっと長くなるが,『即独』という言葉の意味を含め,今の僕達が置かれた状況について若干説明しておこう。
今の制度では,弁護士になるには法科大学院を修了して,司法試験に合格した後,1年の司法修習を受けて最後の考試(通称『二回試験』と呼ばれている)に合格すると,晴れて弁護士になる資格を与えられる,というのが通常の流れになる。
法科大学院の授業は,大半がお偉い学者先生などの話を聴いて試験を受けたりレポートを書かされたりするだけで,司法試験も法律の理論に関する問題なので,司法試験に合格しても弁護士をやるための実務的な要領は身に付かない。法科大学院では民事実務基礎,刑事実務基礎といった科目も一応あったけど,もともと司法試験に出ない科目である上に,それも訴訟物とか要件事実とかの理論が中心で,弁護士としての実務のやり方を教えてくれるような科目ではなかった。
それで,弁護士としての実務はたぶん司法修習で教えてくれるものと思っていたのだが,1年間の司法修習のうち,実際に弁護士の事務所(『法律事務所』というのが正式名称だ)で受ける修習,すなわち弁護修習は2ヶ月しかなく,しかもその2ヶ月の間に研修所の教官が来て導入講義をやったりするので,実際に弁護士の実務を見られる時間はさらに少ない。
さらに,法科大学院在学中から大手事務所の内定をもらっているような目端が利く人は別だが,それ以外の修習生はその弁護修習中も必死の就職活動に追われている。僕などは修習中も疲れ果てて,正直なところ起きているのが精一杯だった。それでも修習中に何とか就職先を見つけられたならまだ良いが,僕や三日月さんのように就職先を見つけられなかった人は,二回試験に合格して弁護士になる資格を得ても,実際に弁護士になるには,自分で新しい法律事務所を立ち上げて弁護士登録するしかない。
このように,既存の法律事務所で全く実務経験を積むことなく,修習を終えた後直ちに独立することを業界用語で『即独』というのだが,即独の場合収入の保証はもちろん無い上に,12万円の弁護士会入会手続費用,初年度で年間27万円を超える会費負担もすべて自腹だ(しかも恐ろしいことに,登録後の会費負担額は年々増えていき,最終的には年間60万円くらいになるらしい)。これは東京弁護士会の話で,地方の単位会では年間100万円くらい取られるところもあるという。
法科大学院の学費,司法修習資金の貸与で借金を重ね(ちなみに僕自身は既に500万円以上の借金を抱えている),もちろん何年も必死に勉強して,高額の入会費用も何とか工面して『弁護士』と名乗れる立場になったは良いが,気が付くと弁護士の仕事をどうやって行えばよいのか,特に実際の弁護士さんがどうやって依頼者を探し,どうやって依頼者の相談を聴いて仕事の依頼を受け,依頼者とどのようなコミュニケーションを取っているのかほとんど分からないという自分がいる。それが「即独」弁護士の現実である。
僕や三日月さんに限らず,最近はむやみに弁護士の数を増やしたせいで,こういう「即独」弁護士がかなりいるらしい。ちなみに,「即独」弁護士のうち,僕や三日月さんのように自宅を事務所にしている人を「宅弁」といい,何人かの共同でアパートを借りて事務所にしている人を「アパ弁」というそうだ。
まあ,三日月さんのように頭の中で『エア依頼者』を作ってしまう人はまずいない(と思う)が,実際にどうやって依頼者を探し,依頼者とどう接すればよいか分からない点にかけては,僕も三日月さんと大差ないレベルなのだ。
「即独」弁護士として同じ悩みを抱えていることが分かった僕と三日月さんの話は,いつの間にか「これからどうしよう」という話題に移っていた。
「まあ,大事なのは過去じゃないよ。これからどうするかだよ」
三日月さんを元気づけようとして,何となくそう言ってみたものの,
「どうするんだ?」
「・・・・・・どうしよう」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
三日月さんの問いかけに僕が答えられず,二人とも沈黙してしまった。
「・・・・・・近所にチラシを配って宣伝するのはどうかな?」
「それは私も考えたが,どうも色々調べてみたところ,弁護士に仕事を依頼しようとする人は,一般的に弁護士に相談していることを他人に知られたくない傾向があるという。また,依頼者にとって事件は自分の一生がかかっているので,お金持ちで自分の事務所を持っていて,実務経験も豊富な弁護士に仕事を依頼する傾向があるという」
「・・・・・・」
「それを考えると,いくら近所の弁護士がチラシを配って宣伝していても,それが我々のように実務経験ゼロで,事務所も借りられず自宅を事務所登録しているような弁護士であったら,実際に依頼者が来る可能性は限りなくゼロに近いだろう。実際,近所にチラシを配って歩いている弁護士など見たことがない」
「・・・・・・まあ,そういうのがしっくり来なかったのは僕も同じなんだけど」
「だろう? こうして,実際にはお金持ちで自分の事務所を持っていて,実務経験も豊富なごく一部の弁護士,いわゆる『リア充』弁護士だけが栄えていき,それ以外の弁護士はどんどん貧しくなっていく構図が出来上がっている,それが弁護士業界の実情だ。このまま行けば,我々は弁護士業で稼ぐどころか,実務経験を積むこともできないまま借金だけが残り,やがては自己破産で弁護士資格すらも剥奪される,そんな運命が待ち受けているだけだ。我々のような存在は,法科大学院や弁護士会にとっては,さぞかし美味しい金づるだろうな」
明らかに社会への憎しみを込めたような口調で語る三日月さんに,僕はため息をついた。
「・・・・・・なかなか的確な分析だとは思うけど,だからどうしようかって悩んでいるんだよ」
「・・・・・・どうしようか?」
「・・・・・・どうしよう」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。どうしようもない。これまでの努力は全て無駄だったと諦めるしかないのだろうか。すると,
「あ,そうだ」
三日月さんがぽんと手を叩いた。
「何か名案でも?」
(続く)
今や即独者だけでなく、それまで営業できてた弁護士でさえも、
気がついたらそうなってしまっていますね、、
しかし、司法改革が卑劣で姑息であることはさておいて、
この逆風のまっただ中で、三日月さんと太郎はどう生き延びるのか?
彼らと同じ苦悩を多くの現実の弁護士が抱えたいま、色んな意味で続きに注目しています。
次は「エア事務員」(エア秘書orエア執事?)もお願いします。即独の先生達が実務をするにあたってここも大変(実際の手続について聞ける人がいない)だと思うので。
ラノベとかパロディよりも、ノンフィクションのかほりが…。
厳しい環境だからこそ仮想演習で経験を補おうとしている三日月さんは真に優秀といえるでしょう。
黒猫さんの続編を楽しみにしています。