吉浜海岸の東の端、国道135号線沿いに小道地蔵堂があります。
小道地蔵堂は、源頼朝と縁が深く、古くは小田原市との境の星ヶ山の中腹にお堂がありましたが、焼失し、現在地に再建されました。
境内の一角に道祖神さんがいらっしゃいます。
風間不動堂の道祖神を西の道祖神、素鵞神社の道祖神を中の道祖神と言うのに対し、東の道祖神とも呼ばれます。
敷地の東側の端にたくさん並んでいますが、左側の赤い旗が立っているのは延命地蔵尊、右側に見える2体が道祖神さんです。
ただ問題は、道路の脇、交差点の角に1体いらっしゃるんです。こちらの方も道祖神なのか、道標なのかよくわからなかったです。
戻って、2体の道祖神さんです。
左の小さい方は、肩から上が破損したらしく、無理矢理直した感じです。
道祖神さんの右には、2つの力石が転がっています。
案内板によりますと、若者たちが力比べのために担いだ石です。大正3年に吉浜中部落からこの地(東部落)に担いできたそうです。大きい方が44貫(130kg)小さい方が(100kg)あるそうです。
中部落とは、素鵞神社や英潮院の辺りから山側をいいます。今でも素鵞神社の道祖神さんは中の道祖神とか、英潮院のことを中寺と呼んだりしています。私の子供の頃は子供会も吉浜東、吉浜中、吉浜西に別れていました。
小道地蔵堂は、源頼朝と縁が深く、古くは小田原市との境の星ヶ山の中腹にお堂がありましたが、焼失し、現在地に再建されました。
境内の一角に道祖神さんがいらっしゃいます。
風間不動堂の道祖神を西の道祖神、素鵞神社の道祖神を中の道祖神と言うのに対し、東の道祖神とも呼ばれます。
敷地の東側の端にたくさん並んでいますが、左側の赤い旗が立っているのは延命地蔵尊、右側に見える2体が道祖神さんです。
ただ問題は、道路の脇、交差点の角に1体いらっしゃるんです。こちらの方も道祖神なのか、道標なのかよくわからなかったです。
戻って、2体の道祖神さんです。
左の小さい方は、肩から上が破損したらしく、無理矢理直した感じです。
道祖神さんの右には、2つの力石が転がっています。
案内板によりますと、若者たちが力比べのために担いだ石です。大正3年に吉浜中部落からこの地(東部落)に担いできたそうです。大きい方が44貫(130kg)小さい方が(100kg)あるそうです。
中部落とは、素鵞神社や英潮院の辺りから山側をいいます。今でも素鵞神社の道祖神さんは中の道祖神とか、英潮院のことを中寺と呼んだりしています。私の子供の頃は子供会も吉浜東、吉浜中、吉浜西に別れていました。