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土肥の河内と何を得る!

歴史、古いものが好き、道路なんかが好き
土肥の河内と名に負える湯河原真鶴を紹介

吉浜原の道祖神【湯河原】

2020-07-10 12:59:30 | 道祖神など
湯河原町吉浜新崎川の新崎橋付近に道祖神がいらっしゃいます。

吉浜原の道祖神 · 〒259-0312 神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜

吉浜原の道祖神 · 〒259-0312 神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜

★★★☆☆ · 史跡

吉浜原の道祖神 · 〒259-0312 神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜




車の車庫みたいなシャッターの上に道祖神はいらっしゃいます。
この車庫には、お祭りで使う山車が入っています。素鵞神社の山車よりも小さいですが、なかなか立派なものです。


車庫の左の階段から上れます。


左から碑、石祠、道祖神1体、石の祠らしきもの


碑には何か書いてありますが、よくわかりません。


石祠は、よくある形です。
道祖神は、小さいサイズで、頭は自然石を乗っけた感じです。
その右の祠のようなものはなんでしょう、燈籠の一部にも見えます。


右に5体の道祖神がいらっしゃいます。


左2体、頭は丸い石を乗っけてます。


真ん中の方は頭はお顔が彫刻されていますが、頭を乗せ直した跡があります。
どっしりとした感じでなく、スリムなお体なので、地蔵尊に近いように見えます。


右の2体も頭が自然石です。


すごいところにいらっしゃいますね。
車庫に乗ってるこの倉庫が心配
通学路を見守っていただいています。

児童館前道祖神【真鶴】

2020-02-16 23:36:12 | 道祖神など
真鶴駅前の路地を半島方向へ、荒井城趾公園を過ぎたところにいらっしゃいます。

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〒259-0201 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴 県道739号





擁壁の一部をへこませて安置されています。

道祖神が1体。色んなもので飾られて、大切にされているのがわかります。

かなり風化しています。

左にあるのは、何か石像が。文字がありますが、読み取れません。これによく似たものが岩にもあったと思います。

後ろに飾ってある絵。3体あったということですかね。

細山の道祖神【真鶴】

2019-12-19 21:59:45 | 道祖神など
県道740号線を小田原方面へ走り、岩沢川(水無川)を渡る直前を左に入っていくと、二細山の集落です。150m程行くと、細山の道祖神がいらっしゃいます。

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〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩





手前から右へ抜ける道が県道の旧道ではないかと疑っているのですが、よくわかりません。


鋭角の角地がキレイに整備され、2体の単身座像が座っています。


手前の左右に赤い何かが突き出ています。祭礼の際に何か建てるのではないでしょうか。


造花ですが、花が添えられ、2体の間には賽銭箱があります。2体の後ろに石碑が一つあります。2体とも、赤白帽をかぶってます。


左の方。丸い体。頭は後補のものでしょうか。


右の方。左の方と作成時期が違うのか、体の彫りがはっきりしています。


後ろの石碑。左側に南無阿弥陀仏と書いてあります。右側はよくわかりません。

下の道祖神【真鶴】

2019-07-10 07:53:51 | 道祖神など
岩忠さんの隣に道祖神さんがいらっしゃいます。
元は遠藤貝類博物館が昔あった裏にあったものが今の場所に移されたとのこと(Wikipediaより)




コンクリート製の屋根が付いていて、道祖神さんに珍しく、本坪鈴が付いています。




道祖神さんは3体、天保15年、1844年に塞の神として安全、安産祈願、行疫厄除、大漁、縁結び、その他の願いを叶えてもらえる神様としてまつられていると碑にあります。1月15日にドンドン焼きが行われます。

小道地蔵堂の道祖神と力石【湯河原】

2019-05-15 22:19:37 | 道祖神など
吉浜海岸の東の端、国道135号線沿いに小道地蔵堂があります。
小道地蔵堂は、源頼朝と縁が深く、古くは小田原市との境の星ヶ山の中腹にお堂がありましたが、焼失し、現在地に再建されました。
境内の一角に道祖神さんがいらっしゃいます。
風間不動堂の道祖神を西の道祖神、素鵞神社の道祖神を中の道祖神と言うのに対し、東の道祖神とも呼ばれます。




敷地の東側の端にたくさん並んでいますが、左側の赤い旗が立っているのは延命地蔵尊、右側に見える2体が道祖神さんです。


ただ問題は、道路の脇、交差点の角に1体いらっしゃるんです。こちらの方も道祖神なのか、道標なのかよくわからなかったです。


戻って、2体の道祖神さんです。



左の小さい方は、肩から上が破損したらしく、無理矢理直した感じです。


道祖神さんの右には、2つの力石が転がっています。
案内板によりますと、若者たちが力比べのために担いだ石です。大正3年に吉浜中部落からこの地(東部落)に担いできたそうです。大きい方が44貫(130kg)小さい方が(100kg)あるそうです。
中部落とは、素鵞神社や英潮院の辺りから山側をいいます。今でも素鵞神社の道祖神さんは中の道祖神とか、英潮院のことを中寺と呼んだりしています。私の子供の頃は子供会も吉浜東、吉浜中、吉浜西に別れていました。