空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

一枚のハガキ

2011-08-23 19:14:10 | 映画

 99歳の新藤兼人監督がメガホンを取った「一枚のハガキ」を見た。以前NHKで、そのメイキング・ドキュメンタリーを見ていたので、楽しみにしていた。

 観客は、圧倒的に高齢者が多い。ちょっと早めに行ったのだが、よい席が残っていなかった。見終わって外に出ると、次の上映回の観客が大勢待っていてびっくり。

 戦争という悲劇をただ悲劇として描いていない点、戦争で人生を狂わされた二人(大竹しのぶ演ずる戦争未亡人・森川友子、豊川悦司演ずるくじ引きで生き残ってしまった兵士・松山啓太)が、紆余曲折の末、大地に豊かに実った麦のように生き抜く希望を描いた点が、いかにも新藤兼人監督らしい。

 そこには、絶望したら戦争に負けることになる、戦争なんかに負けてたまるか、倒れても倒れても生き抜くことが、無力な大衆が戦争に勝つ唯一の方法だ、というようなメッセージが込められていると思う。

 戦争映画でよく描かれる出征の場面、英霊と書かれた白木の箱になって帰ってくる場面を皮肉たっぷりに戯画化したり、戦争があってもなくてもいつの世にも抜け目なく器用に生きる庶民の姿など、ユーモラスな場面もあって、大いに笑わされもしたが、始めから終わりまで泣かされて、目が真っ赤になり、外にでるのが恥ずかしかった。

 余計なものはバサッと削り取って、登場人物に変に感情移入せず、人間の営み、喜び、悲しみを単純明快に描き、メッセージもはっきりしている。

 ほかの監督であれば、あまりにも明快すぎてリアリティーが感じられないかもしれない。しかし、新藤兼人監督は、観客を納得させてしまう。

 「そうだよね。負けてたまるか。私たちも、友子や啓太のように、どんなことがあっても、生きなくちゃ。絶望しないで生きてこそ、理不尽を強いた軍人や政治家や、戦争で金儲けをする奴らに勝つことができる」と思わせてしまう力を持っている。

 大竹しのぶはすごい。その演技のあちこちに、乙羽信子を重ねてしまうような場面もあった。

 友子と啓太が樽を担いで沢から水を運ぶシーンでは、「裸の島」の乙羽信子と殿山泰司を連想させた。

 この映画が最後だという新藤兼人監督の脳裏には、過去に撮った映画のさまざまなシーンが去来していたのではないかと思う。

 おりしも、NHKでは、今、戦争のさまざまな場面で地獄を味わった人の証言集を放送している。証言者はいずれも、友子と啓太のように、戦争で人生を狂わされる。そして、どの証言者も、自分だけが生き残ったことを申し訳ないと思い、死ぬまで自分の戦争は終わらないと、異口同音に語っている。

 「一枚のハガキ」の友子と啓太は、そういうすべての人々を代表して、「あなたが生き残ったのは、生き抜くためだ。戦争で死んでしまった人々のためにも、戦争を悲劇のままで終わらせてはいけない。生き抜いて希望の火を次の世界につないでいくのだ」と言っているように思えた。