原田芳雄の最後の映画「大鹿村騒動記」を見た。久しぶりに見る映画だ。
阪本順治監督が、先月71歳で亡くなった原田芳雄を主演に据えて撮った、最初で最後の映画。
原田芳雄は阪本監督の作品の常連だが、阪本監督の映画は独特の癖があり、どうも相性が悪くて、映画館にあまり足を運ばなかった。
原田芳雄は黒木和雄監督作品の常連でもある。黒木監督は好きな監督の一人なので、よく見ている。先日BSで「父と暮せば」を放送していたが、上映時には宮沢りえが主演だと思って見たけれども、これは原田芳雄主演の映画だということがよく分かった。
「父と暮せば」とともに、黒木監督の戦争レクイエム三部作と言われている「TOMORROW明日」「美しい夏キリシマ」にも出ている。ちなみに、この中で私がいちばん好きな作品は「美しい夏キリシマ」だ。黒木監督の少年時代の戦争体験を描いたもので、こういう戦争の描き方があるんだと、感動した。
その黒木監督も2008年に亡くなった。
「大鹿村騒動記」は、実在する長野県の村、大鹿村で300年続く「大鹿歌舞伎」に芸能の原点を見た原田芳雄が、阪本監督に話を持ち込んで実現した映画。
とにかく、原田芳雄がいい。原田芳雄は、若いころからセクシーで、存在感がある俳優だったが、この映画を最後に撮ることができて、幸せだったろうと思う。その幸せ感が、共演の俳優たちにも伝染しているような感じだ。
おそらくスタッフたちも映画を撮っている間、幸せだったのではないだろうか。
映画の中で演じられる歌舞伎の演目は「六千両後日文章 重忠館の段」。大鹿歌舞伎の演目は人形浄瑠璃の義太夫狂言が中心になっているという。
人形浄瑠璃は、歌舞伎に比べると、より土俗的、大衆的で、大衆の思いをストレートに反映しているものが多い。そのため、ストーリーも舞台設定もあり得ないようなめちゃくちゃな展開を見せる。
しかし、そのめちゃくちゃな展開の中で、この世の真実を語る。大衆は、そこに共感し、怒り、喜び、涙を流し、カタルシスを経験する。
「六千両後日文章」は今は大鹿歌舞伎にしか伝わっていない演目だそうだ。
原田芳雄が村の歌舞伎で演じるのは、平家の落人、景清。源氏の大将・源頼朝、頼朝の重臣・畠山重忠にたった一人で戦いを挑むのだが、最後に、源氏の世を見たくないと自ら両眼をくりぬき、目から血を流しながら「仇も恨みもこれまでこれまで」と見得を切る。
「仇も恨みもこれまでこれまで」というセリフは、映画の中でいろいろなものに縛られ振り回されている村人や、今の日本、世界に向けて発せられた「和解」のメッセージだ。この「重忠館の段」自体が、和解の物語なのだ。自分を殺そうと襲いかかってきた景清を、頼朝は許すのである。
ジュリー・テイモア監督の「テンペスト」も、復讐と和解の物語だった。最後にプロスペラが、観客に向かっていうセリフも和解を促すものだった。
「テンペスト」も、「大鹿村騒動記」も、一方はシェイクスピア劇、一方は歌舞伎という伝統的な演劇を扱い、同じメッセージを発している。これは偶然だろうか。
映画を見終わって、この作品は原田芳雄からの最後の贈りもののように思えた。
映画を撮っているときには、彼は死ぬとは思っていなかっただろう。けれども、身体の中に癌を抱えていたし、71歳という年齢は、原田芳雄から無駄なものを取り除き、純粋に芸能の原点に立ち返って、伝えるべきものを伝えようと思っていたのではないだろうか。
私は、この映画でも、マルセル・モースの「贈与論」、岩田慶治さんの「贈りもの=霊魂」「霊魂=場所」説を思い出した。
原田芳雄が「大鹿歌舞伎」に見出した芸能の原点とは、演者と観客が、演劇という場で、霊魂の交換をするということではなかっただろうか。