四季の喜び

心穏やかに

増上寺

2008年02月20日 20時50分40秒 | Weblog
浄土宗・大本山・増上寺本堂





梵鐘 今鳴るか芝か上野か浅草か江戸七分ほどは聞える芝の鐘



仏足石



幼少の法然さま





徳川将軍家とのゆかり深く、日本有数の大寺院。
増上寺が開かれたのは、明徳四年、浄土宗第八祖聖総上人によってひらかれた。
徳川家の菩提寺

家康は元和二年増上寺にて葬儀を行うようにと遺言を残し、七十五歳で没しました。
二代秀忠、六代家宜、七代家維、九代家重、十二代家慶、十四代家茂、

六人の将軍の墓所がもうけられています。
昭和二十年の空襲で一瞬の内に無に帰したが、昭和四十六年から四年の歳月と三十五億円の巨費を費やして、壮麗な新大殿を建立した。平成元年四月に開山堂を再建し、鐘楼、経蔵、安国殿と再建なった大殿が、
一万六千坪の境内に立ち並んでいます。


樋口一葉・旧居跡

2008年02月19日 20時14分01秒 | Weblog
小説家・歌人として明治期に活躍した樋口一葉の旧居跡。
父を亡くし母と妹を養いながらこの地の貸家で小説家として立つ決意をし、半井桃水の指導をうけながら「闇桜」「たま襷」「五月雨」「別れ霜」などの小説を執筆した




浄土宗・法真寺
明治の文人「樋口一葉」ゆかりの寺である。樋口家は明治9年にこの法真寺の左隣に居を移し一葉10歳まで5年間住んだ。この時代が樋口家では最も安定した時であった一葉の作品の中に出てくる「腰衣観音」も現存している。







一葉会館は一葉が5歳~10歳迄過ごした通称「一葉桜木の宿」の隣に位置し、一葉関係の資料を収集し展示している。



樋口一葉(本名奈津)明治5年3月25日生まれ、明治29年に肺結核のため24年という短い生涯を終えました
その短い生涯のうちに「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった現代の我々にも感銘を与える珠玉の作品を遺しています。平成16年11月に新五千札の肖像として登場した樋口一葉。
これからますますみなさんの身近な存在となっていきます。


一葉は和歌を詠むときには、「夏子」という雅号で、14歳で歌塾に通い歌会で才女に・
打なびく柳をみればのどかなるおぼろ月よもかぜはありけり
一葉が恋に悩んだ時に詠んだ歌
みるめなき恨みはおきてよるなみのただここよりぞたちかへらまし

小石川後楽園

2008年02月18日 22時53分17秒 | Weblog
梅まつり  今年は開花が例年よりおくれている模様です.
梅の花が中国から伝えられのには長い月日と歴史がありました。花の美しさも去ることながら、実梅のパワーを様々な方面に活用し、いまや日本を代表する健康食品のひとつにあげられています。




白滝枝垂は、まるで柳のようで綺麗です



蓬莱島は琵琶湖を表現した景色を造り出したもの、絵に描いたようです



玉英



通天橋(紅葉の時は橋が引き立ちます)



大盃と冬至です





豊後です



内庭(バックに東京ドームがみえます)



江戸時代初期、寛永6年に水戸徳川家の祖である頼房が、その中屋敷として造ったもので二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭になっています。
小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定されています。この二重指定を受けているのは、全国でも小石川後楽園、浜離宮恩賜公園、金閣寺など、ごく限られています。

東京マラソンEXPO2008

2008年02月17日 21時46分37秒 | Weblog
浅草、国道6号線辺りを走るランナー





疲れた方は、色々ありますよ・如何ですか・どうぞ



トイレも大変、不足気味・・行列です



無事ゴールしたら、ビールが待っていますよ!



一番キツイ、日本橋辺り・タイムも気になりますか?



この寒さのなか、素足で和太鼓の懸命の応援ありがとう(中野区立第十中学校)



外国の方も、流暢な日本語の大声で「ガンバレ」と応援していた



東京マラソン
寝坊して、スタート地点の都庁前には間に合はず・浅草の6号線辺りからの応援となった
それにしても、すごい人出で写真を撮るのも大変だった
冷え込みが厳しく、選手の方も長袖やタイツが多かった・かなり年配の人も頑張っていた
選手に負けじと、日本橋へ移動し応援した。ゴールも見たかったがパーティーなので残念でした。

選手の皆さんの頑張りに敬意を表し、ボランティアの方々本当にありがとう。

日本橋水天宮

2008年02月16日 19時13分43秒 | Weblog
安産・子授けの水天宮・社殿



手水舎





鈴乃緒



狛犬






[腹帯タイプ]
神様をお呼びするのに鳴らす鈴があり、これを鳴らすのに布地(さらし)の鈴紐がありこれを「鈴乃緒」と呼ぶ
この古いのをいただいた妊婦が腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから、人ずてにこのご利益が広まりました。毎日妊婦さんの参拝が絶えず、水天宮では鈴乃緒を「戌の日」に祈祷するようになり、
以上の由来から水天宮の腹帯を「鈴乃緒」と一般には「岩田帯」とよんでいます。
   

東京大学

2008年02月15日 19時58分29秒 | Weblog
赤門
加賀藩13代藩主前田斎泰は、文政10年に11代将軍徳川家斎の娘溶姫を正室に迎えた。
当時の慣わしとして、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際には、
朱塗り、唐破風造の特殊な門を建てた。往時の原型を残す唯一の門である。






三四郎池(育徳園心字池)
樹木・水・土・生物という自然の感触を味わうことのできる小さな楽園である。
育徳園の池は形が「心」という字をかたどっていることから心字池といわれている。
しかし、明治の東京大学を今に伝える夏目漱石の「三四郎」により「三四郎池」と呼ばれるようになった。




大講堂「通称・安田講堂」
1990年の大改修を機に300人以上の学生を対象とした研究発表、講演会・演奏会に使用できる



正門・・・明治45年・本郷キヤンパスに建てられた



東大というと「イチョウ」というイメージがある。校章はイチョウであるし、
安田講堂前のイチョウ並木は有名である。
明治38年周囲3cmのイチョウを移植したが現在は周囲1m以上の大木に成長している。
大正14年竣工の安田講堂により大学のシンボルとなる。

上野不忍池

2008年02月14日 21時17分59秒 | Weblog
この時期になると、鴨や水鳥が元気に舞って見せてくれる
(青い屋根が弁天堂、白い建物が精養軒)




真夏の早朝に一斉に花開き、我々を楽しませてくれる蓮の花も、陰でこの方々の力があるからだ



池の杭に一羽ずつ、見事に整列している



弁天堂(寛永寺、谷中七福神)徳川家康の知遇を受けた上野寛永寺の天海僧正が、
不忍池を琵琶湖にみたて、竹生島に似せた弁天島を築き、弁財天を祀った。
現在の弁天堂は昭和33年に再建された。










不忍池は、江戸時代から続く桜の名所ですが、今の時期渡り鳥が飛来します。
夏には蓮の花が見事に音をたてて咲きます。360度のパノラマが見渡せ、
一日充分楽しめます

小岩菖蒲園

2008年02月13日 20時41分02秒 | Weblog
余りにも晴天なので、時期外れの誰もいない菖蒲園へ



菖蒲田も、まるで水田のようでした



この時期、水上バスも運休ですねー




小岩菖蒲園は地元の方から寄贈された花菖蒲をもとにした回遊式庭園で、
5~6月には50,000本の花菖蒲が咲き誇り、都会のオアシスとして都内名所の一つです



宮城道雄記念館

2008年02月12日 21時09分08秒 | Weblog
寒い雨の日、記念館を訪問したら休館日でした



記念館の案内板、確かめて行けばよかった



宮城道雄氏略伝、石碑



宮城宗家、宮城会



宮城道雄記念館

偉業を顕彰するとともに、今後の日本音楽の発展に寄与するため、昭和53年12月6日、故人が晩年まで住んでいた敷地に建設された、日本で最初の音楽家の記念館です、目で見る展示のほか、耳で聴く設備がある。
日本を代表する音楽家として忘れることのできない人物です。
8歳にして失明の宣告を受けた宮城は箏曲の世界に自らの道を定め、
生田流の二代目中島検校に入門し、弱冠14歳で処女作「水の変態」を作曲。
この曲によって彼は日本の音楽史に輝かしい一ページを書き加えたのです

梅の名所

2008年02月11日 21時00分13秒 | Weblog
「第51回 梅まつり」 湯島天満宮。境内には、樹齢約70~80年の木を中心とした約300本の梅が植えられています。



舞台では、お客さんと即興ダンスを・・



ベリーダンスといって今、若い女性に人気のキュッと締まったウエストラインはもちろん優雅な動作が身につく。発祥は中近東で、きらびやかな衣装と女性らしさを生かしたセクシーな動きが特徴で思わず見惚れてしまいました



天満宮のお札をもらう人で正面は、すごい賑わい



境内は露店も数多く出ていた



湯島天神では約10種類の梅があり、8割を占めるのが白加賀で白い一重咲きの梅。江戸時代から「加賀白梅」の名で栽培され親しまれていた梅です。



創建は雄略2年。祭神は学問の神として知られる菅原道真公。受験シーズンには、合格祈願に訪れる受験生の姿が目立つ。また泉鏡花の「婦系図」の舞台としても知られている