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大江健三郎さんを偲ぶ

2023-03-20 01:28:10 | 日記
大江健三郎さんがこの世を去った。
訃報がメディアで報じられたのは3月13日だが、既に3月3日に老衰で他界されていたということだ。1994年にはノーベル文学賞を受賞されている。また日本人の作家でノーベル文学賞を受賞した人は川端康成と大江健三郎の2人だけである。ノーベル賞作家の作品は、読み応え十分で作品の質も格段に高い。まさに人類の文学的遺産と形容できるほどだ。それゆえ当然のこと、大江作品も日本文学の枠を超えてその域に達している。小説を読み漁っているのに、感動的な作品に中々出会えないと嘆いている人がいたら、世界中のノーベル賞作家を探すと良い。そしてその作家たちが創造した作品に出会い読み終えたなら、まず時間を無駄にして後悔した気分に襲われることはないだろう。

私が最初に読んだ大江作品は、大学時代に図書館で借りた、芥川賞受賞作の「飼育」である。第2次世界大戦中の日本の四国の山村が舞台なのだが、かなりショッキングな内容であった。そして戦争に対する拒否感や嫌悪感が否応なく湧き上がったのを覚えている。また人種差別や異端への排撃といった社会病理や、その悪癖がどうしようもなく大人から子供に感染してしまう現実への悲嘆や絶望も感じた。この作品が発表されたのは1959年だが、今も色褪せてはいない。それどころか大規模なウクライナ戦争が続いている現代において、この小説世界はむしろリアルそのものである。「飼育」は初期作品だが、この小説で大江健三郎という作家を知って以来、作品数も多く全ては未だに読み切れていないが、かなり愛読してきたように思う。

そしてこの読書体験以降、代表作の「個人的体験」も含めて、小説だけではなく「ヒロシマ◦ノート」のような現地を取材した著作も興味深く読んだ。要は社会人になってからも、後を追うようにして読み続けた作家の1人である。つまり私にとって、それだけ目が離せない何かが作品世界に存在していたのだ。ただ文学者としてだけではなく、政治的な立ち位置もはっきりとしており、社会へ向けて積極的に発言し行動する人であり、そこも大きな魅力であった。また私の亡くなった両親とは同世代で、その意味では多分に親近感もあったのかもしれない。この為、私小説形式の物語世界で、登場人物が話す日常会話の中に、父や母の言葉がダブるような雰囲気も感じた。

そして何よりも反戦、反核、護憲を粘り強く真剣に主張し続けた作家であり、こういう人々が日本の言論人にいたからこそ、日本は現在まで70年の時を超えて、ずっと戦争をせずに済む国になっているとしか思えない。仮に日本国憲法に戦争を断固否定する平和主義が明記されていなければ、20世紀にアジアで勃発した朝鮮戦争やベトナム戦争に、日本は自衛隊よりも増強された新しい正規軍を再編成して参戦していた可能性さえある。

政治的発言で明確に記憶に残っているのは、テレビの特集番組で「約束を守りましょう」と語られた姿だ。大江健三郎さんはその時、広島にいた。確か平和記念公園で講演をされていたのだと思う。そしてその約束とは原爆死没者に対してのものである。原爆被爆者慰霊碑の石棺に刻まれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という言葉がそれだ。これは戦争で原子爆弾を被爆した郷土で暮らす私たちが未来永劫、肝に銘じて果たすべき約束である。 

そしてこの約束は人類が共通認識できるものだ。実際、東日本大震災に遭遇した時、福島の原発事故のニュースを知った海外の人々から、日本に原子力発電所がある事実が信じられないというコメントもでていた。日本は世界で唯一の被爆国なのだし、ノーベル賞を受賞した科学者も多いのだから、とっくの昔にクリーンなエネルギーで発電する環境が整備されているものと思い込んでいたようだ。正直な話、これこそ古今東西関係なく、極々まともな庶民感覚である。そしてこうした感覚は、専門知識に乏しくとも私たち人間の良心が枯渇していないことを証明しており、それがあるからこそ東日本大震災でも、日本へ世界中から支援の手が差し伸べられたのだ。

きっと大江健三郎さんは、この良心を信じられるがゆえに、反戦、反核、護憲を一貫して主張し続けたといえる。また、自分自身をはっきりと戦後民主主義者だと自認もされていた。ただ大江健三郎さんに限らず、平和を希求して声をあげる戦争体験者の人々に対し、綺麗ごとを言うなとか、良い人ぶるなといった批判も、残念ながら日本社会では多々見受けられるわけだが、そうした批判には未来に対する責任を放棄したような軽薄さを感じる。むしろ戦争に遭遇していない私たちは、彼らの声に素直に耳を傾けるべきであろう。なぜなら現実に戦争を知っている日本人は、いずれ時を経ずしてこの世から去っていくのだから。

特に今、高齢者の方々で戦争に遭遇された方の多くは、その忌まわしい最大級の苦難の時期、非戦闘員で幼少期だったはずだ。もし話す機会があれば、若者は直に話を聞くと良い。またそれだけではなく、彼らが残した言葉の明確な記録を知ることも大切だ。そして大江健三郎さんは、やはり小説の中で、そのフィールドでしか表現できない形で、貴重なメッセージを残している。今回使用した画像の「治療塔」と続編の「治療塔惑星」は、大江作品の中でも珍しいSF小説なのだが、人類が宇宙へ進出した近未来、そこでも現代に通じる極端な格差や、環境破壊は改善されておらず、この為、読者は今の現状認識を真摯に深めざるを得ない内容だ。

しかも私がこの未来世界で最も痛切に感じたのは、人類が必要のない必要をつくりだしていることである。これは「治療塔惑星」で描かれているのだが、人類が環境汚染を防ぐ技術革新を導入できることが可能であるにもかかわらず、それが実現すると既得権益を失う人々が邪魔をしてしまう。ここで人間社会における既得権益を生む構造がいかに不必要かが理解できる。またテロや紛争も発生しており、暴力で問題解決を図ろうとする動きや、戦争で金儲けを企む勢力も見え隠れしている。私がこの小説を読んだのは、確か出版された1990年代であったが、先ほど述べた「飼育」以上に、当時よりも今現在に訴求してくる物語だ。

そしてこの連作SF小説の後に、「燃え上がる緑の木」というライフワークの3部作を完成させて、もう小説は書かないという引退とも断筆ともとれる発言をされた。しかし親友で音楽家の武満徹さんが他界されたのを機に、再び小説を書くことを決意する。そしてその復帰を飾る第1作が「宙返り」であった。実は大江作品の中では、私はこの「宙返り」が1番好きで、それはやはり復活の息吹が感じられる特別の作品だからだ。しかもこの小説では久しぶりに、一人称ではなく三人称で語られる物語になっていたことも大きな魅力であった。

私は現代日本文学の中で、自分にとっての最重要作家はずっと安部公房さんだったのだが、この「宙返り」を読んで、それが大江健三郎さんに切り替わったように思う。そして「宙返り」以降は、遺作となった「晩年様式集」まで、ずっと新作が発表される度に読んでいた。その15年ほどの年月において、転職や両親との死別といった試練もあったが、この人の小説を読むことで随分と勇気も頂いた。この場を借りて深く感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げます。

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