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森に消えたマヤ

2023-09-28 22:09:47 | 日記
 アメリカ大陸に存在したマヤは、人類の歴史に登場した数多ある文明の中でも非常に個性豊かなことで知られる。その帝国領域は今のメキシコ南東部からグアテマラやベリーズを含めた熱帯雨林が多い中央アメリカで、現在でもこの一帯はマヤ地域と呼ばれるほど、失われた文明としての知名度は抜群だ。またそう認知されるほど高度で進歩的な側面があった。しかも謎が多いのもその特徴と云える。そしてこれは同じアメリカ大陸で農耕民族の帝国を築いたインカやアステカといった他の文明と比較すると、農耕民族ではあってもかなり極端な点も見受けられる。前々回にラテンアメリカとコスタリカを主題にしたが、マヤ文明について触れなかったのは、滅んだ時期が9世紀であり、15世紀の大航海時代にヨーロッパの帝国主義諸国が大西洋を越えて、この新大陸に到達した頃、既に姿を消していたからだ。

 尤も正確には、大航海時代にも生き残っていたマヤ文明の少数派の人々もいるにはいた。それはマヤの帝国が強力な中央集権ではなく、中央に統制された地方分権に近かったことにも起因する。ところが巨大都市を有するその本質的な中央の本体はあっさり滅び去っている。そして天文学を含めた自然科学、それに音楽や美術に代表される芸術の分野でも、興味深く注目されて研究対象になっているのは、やはり地球上の他地域の大文明圏にも匹敵し、独自性も濃厚なマヤ文明の本体であろう。それを象徴するように21世紀以降も、古代のマヤの地、現代のメキシコで巨大建造物のピラミッドが新発見されている。もし仮に大航海時代に、このマヤ文明が最盛期に近い状態で残っていたとすれば、世界史の内容は大きく改変されたかもしれない。

 今の21世紀の現在地点、私たちが生きている現代文明にとって、実はマヤ文明の衰退と滅亡の足跡は、警告や警鐘という意味で非常に参考になるように思える。なぜならマヤの人々はあくまでも人間であって、知的生命体の宇宙人でもなければ超能力者でもなかったからだ。むしろその滅び方は、教訓めいてさえいる。そしてそれを裏付ける要因として、ここ数年で明らかになってきたのは、従来のミステリアスな魅力とポジティブな印象とは乖離した事実である。これは現代文明のテクノロジーの進化の賜物でもあるのだが、未知の部分に光が当てられたことによってマヤ文明の不徳と腐敗も明らかになってきた。

 そしてマヤ文明は長所ばかりが持て囃されてきたわけでもない。むしろ短所としては強権的に行われてきた生贄の儀式と、その膨大な犠牲者の数が挙げられる。これはどう転んでも生命の価値を蔑ろにしており、その意味でマヤも未だに大量殺戮の戦争を止められない現代人と同類であろう。ただしこの生贄はマヤ文明の専売特許ではなく、ましてやマヤの後続のインカやアステカといったアメリカ大陸の農耕文明に固有の社会的現象でもない。当然のこと、ユーラシア大陸やアフリカ大陸、それにその他、地球上の凡ゆる地域で発生してしまったことだ。それも文明化する以前の小規模な社会集団においてさえも見られた愚かな所業である。日本の生贄のケースだと、近世まで人柱が存在していたことが、歴史的事実として確認できる。

 マヤ文明の全盛期は2世紀から9世紀辺りで、600年以上もの長期間に渡り、この時期の壁画や彫刻、それに楽器を含めた工芸品などはその造形や色彩の構成力の完成度が非常に高い。この為、全盛期以前の作品も加えて世界中の美術館でマヤ文明をテーマにした展覧会が開催されるほどである。しかしながら、やはり生贄の儀式を連想すると、そうした優れた作品群からも不穏な空気や恐怖を感じる瞬間と無縁ではいられない。そしてアフリカ大陸でホモサピエンスが出現したのは、今から約20万年前だが、その人類発祥の地から、ほぼ永遠に等しい時間を経てマヤ文明を築く人々の祖先がアメリカ大陸に辿り着くのは紀元前80世紀くらいである。このとてつもない遠距離を長大な世代を連綿と繋ぎながら、その大移動を成し遂げた人間に宿るのは、ひよっとすると驚異的な強靭性や忍耐力なのかもしれない。

 人類の4大文明であるエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明とマヤ文明が大きく異なるのは、農耕の文明ではあっても、水源となる大河が存在しなかったことだ。要するにマヤの人々にとっての水源は湖や川や泉であり、ナイル川やユーフラテス川やインダス川や黄河のような果てしない大河には恵まれていない。この点でマヤ文明の衰退と滅亡を凶作による大規模な飢餓だと断定する説もある。またトウモロコシを主食としていたが、農産物の栄養価が低く疫病が蔓延した際に、なす術もなく急激な人口減に及んだという説もあった。しかし最近になって、かなり信憑性の高い研究が進んできている。多分この研究と分析から得れた真相こそが、マヤ文明の衰退と滅亡の本当の原因であろう。そしてこれは生贄の儀式とも関連している。

 まずマヤ文明において、数字を含めた文字や天文学が相当に進歩していたのは有名な話だが、これは農業に重大な影響を与える天候の予測においても貢献できたことは明らかである。しかし実は他の4大文明と比べると、天文学は純粋に大宇宙の探究に重点を置いていたらしい。ここから推測できるのは、マヤの人々が雨季や乾季が想定通りに訪れず、気候変動によって凶作が発生しても、その対応策や解決手段を平然と準備していたことだ。そしてそれは恐ろしいことに、生贄による人口調節であったのかもしれない。つまり生贄は貯蔵物も含めて国民全体を食で養う余裕がなくなる事態を防ぐ効果もあったのだ。順調に人口を増やす為に、局面によっては人口を間引くという方式である。また巨大なピラミッドのような神殿を舞台にした盛大な儀式によって、世界を創造した神々が天災で人間社会を苦しめないよう、生贄を捧げる有効性を説いて、社会の支配層は被支配層を洗脳していた。マヤの宗教は多神教だが、この神々は人間を創造していながらその失敗作に幻滅し、洪水まで起こして、わざわざ創造した人間を滅ぼしたこともある恐い神様たちである。

 マヤ文明の支配層にとって、この宗教は大いに重宝したことであろう。なぜなら絶対服従の恐怖支配に利用できるからだ。そしてこうした不条理は、大なり小なり人類史で、うんざりするほど見受けられる愚行である。しかもマヤの被支配層の人々は、儀式の生贄だけではなく、兵士として頻発する戦争にも駆り出されていた。このマヤ文明における戦争の多さも、近年の調査研究で判明してきたことだが、呆れ果てるのはここでも生贄による生命軽視の洗脳が機能していることである。これは現存するマヤの壁画に描かれた戦場や生贄の儀式の情景を見るとよく理解できる。色彩表現や造形美も見事で実に完成度も高いのだが、武器を手にして敵兵や生贄の命を奪う戦士たちをヒロイックに描写している為、プロパガンダとして制作されたことが容易に想像可能である。
 
 マヤ文明は古代から中世にかけて、首都だけで10万人近い人口を要していたが、ユーラシア大陸で勃興した他の巨大帝国に比肩し得るこの繁栄においても、やはり生贄や戦争による人口調節は機能していたのかもしれない。そして支配層が贅沢な生活を謳歌していたこともわかってきた。つまり経済を支えていた基盤がかなり強固であり、それは農産物の物流だけではなく、強い兵士に商品価値があり、古代ギリシャの都市国家のように傭兵も国家経済を支えていたのではないか。またマヤ文明は鉄を持たなかったが、車輪技術もなく農作業の労働を人力のみで担っていた為に、鉄製の武器がなくとも兵士はかなり屈強だった可能性がある。

 強力な軍隊にも守られて、冨み栄える支配層は我が世の春を謳歌していたが、やはり終焉はやって来た。そしてマヤ文明の衰退は急激な人口減少が、9世紀の100年足らずの間に起きてしまう。この衰退の流れが滅亡に直結した。人々は消えだし、繁栄した都市は次々と鬱蒼とした森に覆われていく。この結果を齎した原因は水資源の汚染である。以前は天災の疫病説が有力であったが、真説の人災による生活用水の汚染こそが歴史的事実であろう。しかもその人災の全容も解明されてきた。それは神々の権威を利用した支配層の威光を示す為に造られた建造物や、その内部に描かれた壁画に使用された塗料であった。その体制維持に必要不可欠な塗料に有毒な水銀が含まれていたのだ。これが雨や排水で流されて大地にも浸透し、土壌も毒に汚れて水質の悪化を生んでしまった。

 このマヤの帝国支配層の自業自得の結末は、私たち現代人にとっても、洒落にならないモデルケースである。戦争や環境破壊による気候変動は、それに反対の声を上げる人々がいても、政府がプロパガンダで邪魔をして潰してしまう国は多い。またネット社会ではフェイクニュースも飛び交い、民主主義社会においてさえ、個人が自由意志で選択する過程が、客観的には詐欺的に洗脳されていく状況であったりもする。つまり破滅を防ぐ行動を妨害する勢力が存在し、その勢力はどう考えても大多数の人々から搾取して、その恩恵を浴びれる現状を変えたくない少数の人々であろう。しかも破滅が来るまで、酷い格差社会の頂点で贅の限りを尽くしたい腐敗した連中であり、きっとマヤ文明を滅亡に導いた支配層もその例外ではなかったと思われる。

 ここで仮定の話になってしまうが、マヤ文明が滅亡を防げた道を考えてみたい。それはやはり支配層の自制と、その自制心を生かして、利権を優先した政策を放棄する道であろう。つまり水銀の毒に汚染された塗料を使う前の段階で、生贄や戦争という選択肢を捨ててしまうことである。それをやっていたら、巨大な神殿を建造する必要はなかった。また傭兵が商売になっていたということは、暴利を貪る為に、始める必要のない戦争を始めたり、終わる可能性のある戦争をずるずると引き延ばしていたことが考えられる。マヤ帝国の周辺には、マヤよりも強大な国は見当たらなかったし、支配下の衛星国同士を戦争状態になるよう誘発したこともあったのではないか。これではまるで弱い者虐めの金儲けである。だから異なる道を選択していれば、そもそも破滅へ向かうことすら無かった。

 マヤ文明の衰退と滅亡を厳しい教訓として肝に銘じるべきなのは、国を動かす立場にいる為政者の人々であろう。特に生贄のような犠牲を正当化する形で、利他精神を国民に植え付ける愚かしい政策は絶対に取るべきではない。現代の民主主義社会においては、マヤの生贄の儀式は遠い昔の絵空事なのかもしれないが、冷静に思考すれば同じようなシステムにも見えてくる。生贄を神々に捧げれば災厄が防げるという構図は、増税に耐えれば国難が防げるという構図と似ていなくもないからだ。特に昨今の政治家たちの不祥事を見るにつけ、本当に増税が必要なのかどうかという根本的な疑問さえ湧いてくる。つまり政治家たちの非倫理的な行動がその本性を表しているとしたら、国民が納税したお金が正しく使われているかどうかは、甚だ怪しいと感じざるを得ないのだ。これはどの国の政府にも言えることだが、為政者は国民へ自己アピールする前に、まず自らが改心する必要があるのではないか。それをしなければ、マヤ文明の支配層と同じ自滅が待っているのは必定の理りである。
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