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ミャンマーのクーデター

2021-03-31 18:41:12 | 日記
今、国際社会を震撼させているミャンマーのクーデターだが、過去のビルマという国名の時代からこの国は政変が多かった。特に軍事クーデターが多いのがその特徴で、国民の80%以上が仏教徒であることから鑑みると、少々不思議に思われる人が多いかもしれない。しかし実は隣国のタイもまた仏教国で、しかも国民の90%以上が仏教徒であるにも関わらず、近代国家になってからの軍事クーデターは多い方だ。

そして過去のミャンマーの軍事クーデターでは、国民によって支持された事例も少なくない。これは恐らく近現代において植民地から独立した際に、国軍が活躍し貢献したことが大きい。ある意味で、軍隊が祖国解放の英雄として国民に賞賛されているわけである。この為、国軍の政府への影響力は権威ある僧侶の上部組織以上に強い。尤もその軍人さえも殆どか仏教徒ではあるのだが。

ただ東南アジア諸国における植民地からの独立は真に険しい試練の道であった。近代以降は政変や内戦が絶えず、その最大規模のケースはベトナム戦争だが、歴史的には大航海時代以降の帝国主義国家群による東南アジア侵略から、この地域における戦乱の惨禍がはじまったように思われる。特に銃火器が戦史に登場して以来、何もヨーロッパの帝国主義国家に限らず、中国やインド、さらには安土桃山時代の豊臣政権や大日本帝国もまた東南アジアへ侵略の触手を伸ばしてきた。

ここでミャンマーをその歴史も踏まえて地政学的に、また宗教的にも少し考察してみたい。先に述べたようにミャンマーは仏教徒が国民の大半を占める国であるが、ではいつ頃にその仏教がこの地に伝来したかというと、それは古代にまで遡る。そして実はインド亜大陸と地続きではあっても、島国のスリランカを経由して伝わっている。つまりインドからスリランカに伝わった上座部仏教が、ミャンマーや隣国のタイ及びラオスやカンボジアの仏教徒の信仰する仏教であり、この上座部仏教は、中国大陸や朝鮮半島、ベトナムそれに日本列島に伝来した大乗仏教とは同じ釈迦の教えであっても、根本的に分裂してしまったほど似て非なるものだ。

そして大きく2つに分離したとはいえ、上座部仏教も大乗仏教も創始者の釈迦に最大級の敬意を払い、その教理を釈迦の死後に確立している。つまり亡き釈迦の教えを方向性は異なるにせよ、尊崇の念で解釈したわけだ。そして時系列でいうと、釈迦の死後に幾つもの部派仏教が分立し、その中から頭角を現し主流になった上座部仏教は、紀元前から存在しており、当然のこと大乗仏教よりも数百年以上スタート地点が古い。

生前の釈迦は真理を悟る為に苦行という修行をした。ところが最終的には苦行を捨てて瞑想することで真理に到達している。この釈迦の生涯における悟りへの道行きから得た認識が、上座部仏教と大乗仏教では違うのだ。まず上座部仏教では釈迦を見本にして真理を悟る過程で戒律を厳格に守ることを重視した。一方、大乗仏教では釈迦の教えを広く大衆に広めることに主眼を置いた。

なお上座部仏教は古代の仏教世界において、主流であった時代が紀元前から相当な長期間に渡る。その数世紀の間、学識を有した長老たちが属する上座部が、一般僧侶たちの大衆部を啓蒙し教育し管理している状態がずっと続いていた。そして紀元後の1世紀あたりで修行よりも信仰による他力本願的な民の救済に目醒めた大衆部から大乗仏教の運動が起こる。

ここで明確にしておきたいことがある。自力本願の上座部仏教には他力本願は有り得ない。それゆえミャンマー国民も大半が一生に一度は出家をして修行をする。そして当然のこと、瞑想の習慣も仏教徒の国民全般に定着している。この辺は日本人の仏教を含めた宗教観からすると真面目過ぎるほどの国情だ。しかしそれではなぜ、上座部仏教の後に大乗仏教が現れたのかというと、このスタイルだと教育を受ける資格がない、出家をする術のない貧しい民衆はやはり救われないからである。

特に仏教の発祥地たる古代インドにおいて、上座部仏教は王族や貴族といった社会の上流階級が教養として身に付ける学問としての色合いが濃くなって以降、実は民衆の救済も確りと視野に入れていた釈迦からかなり遊離してしまったともいえる。ただインドにおいては主に口伝によって釈迦の教えが伝えられてきた為、この辺の事情は致し方無かったかもしれない。

しかしながら、それでは上座部仏教の後に宗教改革のような形で広まった大乗仏教が、上座部仏教よりも優れているのかというとそう簡単には言い切れない。特に発祥地のインドで仏教が新興のヒンズー教に呑み込まれるようにして廃れていくのとは逆に、大乗仏教が広まった国々では仏の教えが民衆にも浸透した反面、組織的に拡大し時の権力と結びついて腐敗していくケースも多々見られたからだ。特に日本の歴史においては、残念ながらそれは顕著である。  

つまり上座部仏教も大乗仏教も権力と癒着すると、釈迦の教えを、自分は棚に上げて他者を批判する、あるいは自分には特例が適応されるといった二重基準を利用して曲解してしまう。これは何も仏教に限らず多くの宗教が、高邁な理想とは裏腹に腐敗していくお決まりのパターンだ。例えば仏教には殺生戒という戒律が存在するが、誠実にこの視点に立てば、現在ミャンマー国軍がデモをする国民を殺傷する行為は生き物を殺すことを禁じる殺生戒に反している。そしてそもそも釈迦は武力で争うことをはっきりと否定していた人だ。もし今のミャンマーの惨状を釈迦が知ったら悲嘆にくれるのは間違いない。

このクーデターで国軍の暴力が激化し、恐怖支配がエスカレートしていくミャンマーの悲惨な現実を国際社会は黙って見過ごすわけにはいかない。その意味では民主主義諸国の政府が軍事クーデターを強く批判する姿勢は、国際政治の舞台においてまともに民主主義が機能している証拠であろう。またミャンマー国内においても街頭のデモ以外に、基幹産業を担うエリートのような人々までもが不服従運動で職場を放棄して抵抗を始めた。これによって物流や金融のインフラは麻痺していくであろうが、それでも国家が専制的な軍部に牛耳られるよりはましであり、殆どの国民は軍事政権による暴政など望んではいないのだ。

ただ今回のミャンマー国軍の動きには異様なものも感じる。なぜここまで強気の姿勢を崩さないのか。また国軍は国軍で選挙の不正を訴えて民主主義を守る為だと主張している。これはクーデターで退陣を余儀なくされて拘束されたスーチー氏とその民主的な政府を悪者に仕立て上げるかのような言い草だが、これと似たような展開を私たちは容易に思い出せる。それは数ヶ月前に米国で起きた「選挙が盗まれた」というトランプ元大統領の発言に踊らされるようにして発生した暴動である。

これは深読みかもしれないが、戦争で暴利を貪る為に、世界中の軍産複合体が連携しミャンマーで長期間に渡る内戦を計画しているのではないか。事実、国軍に抵抗する少数民族が武装勢力となり、それに対し空爆が行われてしまった。このままだとミャンマーは内戦が泥沼化し、今や化学兵器の実験場とさえ批難される中東のシリアのような事態になってしまう可能性さえある。悲しいことに戦争とは大多数の人間を不幸のドン底に叩き落とすだけではなく、その裏でボロ儲けもできるシステムだ。そして莫大な富の恩恵を受けれるのは戦争を引き起こす少数の権力者たちである。つまり自分は安全地帯にいて命令だけ下すような人々だ。どうもミャンマー国軍の行き過ぎた勇み足の背後には、強かな巨悪が存在するように思える。

しかし悲観するのはまだ早い。ミャンマーでは通常なら政権と協調することが多い仏教僧侶の最高管理組織も、国軍の暴力によるデモ参加者への弾圧を非難している。つまり権力と結びついた宗教機関さえも、異議申し立てをはじめたわけである。勿論、一般の僧侶たちは民主化を進めるスーチー氏の解放を求めてデモには既に参加を続けており、世論形成に影響力を持つ僧侶の発言や行動は、やはりミャンマーではことの他大きい。

ミャンマーは殆どの国民が仏教徒ゆえに、少数民族や異教徒には排他的な面もあるが、そもそも釈迦は少数民族や異教徒を決して排撃したり弾圧した人ではなかった。そしてこれはキリスト教にもイスラム教にも共通することだか、釈迦もイエスもムハンマドもその教えを信じて付いてきた人はいたが、巨大な組織の長ではなかったし、権力を行使する巨大組織を目指したわけではない。そんなことよりも世界が良くなることを望み、謙虚に心と向き合う教えを広めようとしたに過ぎない。

こうしてブログを書いている間に、ミャンマーでは国軍による市民弾圧で、死者数が500人を越えた。大変な危機的状況だが、ミャンマーの民主化は闇のトンネルを抜けるように成し遂げられるはずである。国民の民主化を望む強い意志と、人種も民族も国家をも超える世界宗教たる仏教本来の普遍性に目覚めた僧侶たちの行動が、いずれは国軍の内部崩壊を招くように思われるからだ。そして私たち日本を含めた民主主義諸国はこの軍事クーデターに対し、異議申し立てを粘り強く続けるべきである。
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