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ミケランジェロの遺作

2020-10-31 23:47:08 | 日記
前々回にレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について書いた。今回はミケランジェロ・ブオナローティの遺作「ロンダニーニのピエタ」である。ピエタとはイタリア語で哀れみや慈悲を意味する言葉だ。ミケランジェロのピエタ作品は数点存在するが、我が子イエス・キリストの死を悲しみ悼む聖母マリアの母性を崇高なまでに尊く表現したのは、恐らく彼の人生最期を飾るこのピエタであろう。

ミケランジェロはレオナルドとラファエロと並ぶルネサンスの3大巨匠の1人だが、他の2人と比較すると彫刻における3次元表現により優れていた。その立体作品の創造における技巧は神懸り的でさえある。また彼自身も「最後の審判」を含めた後世に多大な影響を与えるほど傑出した絵画作品を残していながら、自らを彫刻家だと断言している。

そしてこれは彼の人間的特徴だが、レオナルドやラファエロに比べるとかなり根暗で陰鬱な性格であったらしい。特に多くの弟子を抱えて大規模な工房を営んでいたラファエロとは正反対に、非社交的で人付き合いが苦手なミケランジェロには弟子が寄り付かなかったようだ。この為、ラファエロの作品には助っ人の弟子たちの手が当然の如く入っているのとは真逆に、ミケランジェロ作品は天井画のような大作も殆ど彼の一人舞台である。

没落貴族の家庭に育ったミケランジェロだが、文学的素養は豊かで詩人としても多くの詩歌を残し、自らの哲学や信念に基づいたコンセプトを創造の過程で具現化させるには、いかに個人ベースの作業量が多過ぎだとしても、他者の手を借りるのは煩わしかったのかもしれない。それゆえ芸術だけではなく自然科学にも長じた理系のレオナルドとはタイプこそ違え、文系の彼もまた万能の人であった。そしてルネサンスの3大巨匠の中では88才という長命を全うし、中世から近世にかけて激動期のイタリアを生き抜いたそのエネルギーは大変なものである。

「ロンダニーニのピエタ」は、死期も近く年老いたミケランジェロが殆ど視力が無い状態で病に倒れる寸前まで、石を削って掘り続けた作品だ。従ってレオナルドの「モナ・リザ」のように、ライフワークではあっても作者がその完成形を見極めたかどうかは謎のままである。しかしながら、その未完の有り様こそがこのピエタの深遠な魅力でもあろう。

ミケランジェロのピエタというと、誰しも真っ先に連想するのは、20代の若さで完成させた「サン・ピエトロのピエタ」だと思う。これは彫刻のリアルな造形美としては究極の域に達している。しかも大理石の一枚岩からこれだけの形を掘り起こした事実に驚嘆せざるを得ない。たった1つの石が人間の手で圧倒的に変化してしまうのだ。そしてこのピエタには青年ミケランジェロの高潔なキリスト教精神が感じられる。特に息子のイエス・キリストよりも母親のマリアを若い娘の姿で彫像しているところなどは、敬虔なキリスト教徒なればこその発想だ。これに関しては、ミケランジェロ本人が処女懐胎をした聖母マリアの神聖さを表現したのだと公言している。恐らくルネサンスの3大巨匠の中で、神への信仰心がもっとも篤かったのはミケランジェロであろう。

尤もミケランジェロが生きた15世紀から16世紀の時代、キリスト教世界の支配層は腐敗の極みにあった。何よりその頂点に座すローマ教皇自体が愛人に産ませた息子を甥としてでっち上げて権威や権力を世襲させてしまう出鱈目さである。またイタリア半島の都市国家群は貿易や金融で栄えて国家財政が潤ってはいても、その富を享受できるのは上流階級であり、大多数の民衆には還元されないのが虚しい現実であった。ミケランジェロは教会から依頼されて作品制作の仕事ができる身分ではあっても、キリスト教倫理とは著しく矛盾した社会の現状にかなり悲嘆していたことが想像できる。

そして88年の長い人生の到達点「ロンダニーニのピエタ」には、レオナルドのあの「モナ・リザ」と同じメッセージが感じられる。生前のミケランジェロは20才ほど年上のレオナルドを嫌っていた節もあったようだが、本心では尊敬していたのではないか。なぜなら理想社会の到来を願ったレオナルドの想いが、2次元の絵画ではない3次元の彫刻という形で、しかもピエタを創造することで、レオナルドよりもダイレクトに伝わってくるからだ。

「モナ・リザ」の肖像は聖母マリアではないが、聖母のイメージが重なっている。そしてこのピエタには当然、聖母マリアが存在するのだが、年老いたミケランジェロの手で生み出された半ば抽象的なこの女性像にはキリスト教の枠を超えて異教徒にも普遍的に共感を呼ぶ親和性が漂っている。それは限りない無償の母性愛であり、これは人間以外の生物の母性をも象徴しているかのようだ。さらに意外なことにこのピエタはピエタの主題を超越した観さえある。つまりここでイエス・キリストは死んでいるように見えない。むしろ母親マリアを生きているイエス・キリストが背負っている。慈悲深い母性という存在を背負うことで、イエス・キリストがその大切さや貴重さを私たちに訴えているのだ。

ミケランジェロはレオナルドと同じくフィレンツェの出身だが、15世紀末に都市国家フィレンツェでは歴史的に大きな出来事が起きている。当時の国家の支配者メディチ家が倒されて、後の宗教改革の先駆ともいえる神権政治が始まったからだ。中心人物は修道士のサヴォナローラで、現状の腐敗した権威や権力を徹底的に糾弾して純粋な信仰を訴えた結果、民衆の支持も集めてフィレンツェの新しい国政を担うことになった。しかし虚栄の焼却と呼ばれた極端な政策が行われたことや、ローマ教皇も含めた狡猾な旧勢力と反対派の巻き返しによって4年ほどで挫折している。虚栄の焼却は贅沢品を大規模に焼き払うことで、これには裸婦を描いた絵画などの美術品も含まれていた為に、ミケランジェロは大きな衝撃を受けたはずだ。そして実はこの政変の神権政治の時期に、彼はフィレンツェを離れてローマに滞在している。

サヴォナローラの高潔なキリスト教精神は、ミケランジェロの最初のピエタ作品「サン・ピエトロのピエタ」に明らかに影響を与えている。実際、芸術活動ができないことを危惧してフィレンツェを去ったミケランジェロではあったが、芸術に対する偏見を除けばサヴォナローラの思想に共鳴していたようだ。しかし老年になって彼はレオナルドと同じ境地に達したように思われる。それは力の正義の否定だ。遺作「ロンダニーニのピエタ」はある角度から鑑賞すると、聖母マリアとイエス・キリストの姿が鳥の翼のようにも見えるらしい。2つの翼が優しく羽ばたき、戦乱と搾取の無い理想の未来へ向けて飛翔するように映るのだ。ミケランジェロの死後、まもなくしてヨーロッパのキリスト教世界では宗教改革が始まる。残念ながらそれは歴史の乱暴な転換期となった。旧教カトリックと新教プロテスタントは血で血を洗う泥沼の宗教戦争へと雪崩れ込んでいく。同じキリスト教徒でありながら、互いが正義と正当性を主張して譲らず、武力で決着をつけんとするわけだが、ルネサンスの巨人ミケランジェロがそのように凄惨な未来を望んでいなかったことだけは確かである。
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