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21世紀の中国の行方

2019-06-02 19:13:44 | 日記
世界的に著名な投資家ジム ロジャース氏は21世紀は中国が歴史的な主役を演じる100年になるだろうと明言している。シンガポールに在住し世界経済を俯瞰している彼だが、恐らくその予測は高確率で的中するように思われる。世界史においてある地域や国が周辺から広大な領域に渡って長い年月と共に大きな影響力を発揮していくケースは少なからず先例があった。かつての古代ローマがそうであるし、中世から近世にかけてのイスラム世界におけるアッバース朝やオスマントルコもそうだ。そして近現代になって私たちの記憶に新しいのは、19世紀の大英帝国イギリスと20世紀のアメリカ合衆国だろう。

しかし中国やインドも先に述べた地域とは違うが古えの大文明圏であり、特に日本は仏教の発祥地インドと儒教を近隣諸国に伝搬した中国には多大な影響を受けてきた。特にインドよりも中国の文化の影響が濃い。私たち日本人が古来から自国の日常習慣だと認識しているものも、元を辿ると中国発だったりもする。例えば12種類の動物が年初に入れ替わり登場する干支は中国で生まれたものだ。他にも箸を使う食習慣や農耕技術、印刷技術も中国からもたらされている。多分、日本という東端の島に最大級の影響を与えた地域は中国大陸なのだ。そして中国は東アジアだけでなく、北も西も南も含めて全方位的に周辺からその外へと計り知れない影響を及ぼしてきた。

私は中国が文明社会に果たした最大級の貢献は、紙の発明による印刷技術だと思う。後漢の時代に1人の宦官が発案し実用化したものだが、インターネットの時代になっても、なお紙媒体の文化を私たちは捨てきれないでいる。これは凄いことだ。日本には古代から既に伝わっていた紙だが、イスラム圏には少し遅れて唐からアッバース朝へと伝わっている。そして紙に書かれたコーランがイスラム圏全域に広がっていくわけである。そこからヨーロッパに伝わっていくのは、さらに後のルネサンス期まで待たねばならない。ここまでを振り返ると、中国はかつてインドがゼロの概念を創造したように、世界の先進地域であったことがわかる。

現在の中国のGDPは、今や日本の約2.5倍であり、日本の約4倍の米国に次いで世界2位にまで伸びている。恐らく今世紀中の何処かのタイミングで米国を抜く日も決して夢物語ではない。つまり世界最高峰の経済大国がアジアに誕生する。ジム・ロジャース氏は娘に中国人の家庭教師をつけて、中国語を学習させていたほどなので、中国が世界を制覇する未来の到来を確信しているかのようだ。

しかし、ここである不安を覚えてしまうのは私だけだろうか?中国は民主主義の法治国家ではない為、そこで生きる人々に選択の自由はない。国家は共産主義体制下にあり、政府の意志決定が速いが故に、国家資本主義ともいえる強引な政策が強力に推進される。超大国への道を邁進する所以だ。ただ、短絡的に中国を圧政を敷く専制国家だと決めつけるのは時期尚早である。日本の企業人から、中国へ仕事で出張するとビジネスパートナーとしての中国人には反日感情など微塵も感じられず、共にビジネスを成功に導こうという健全なパートナーシップが圧倒的に強いという話も聞くようになった。ところが前向きな高度経済成長を続けていても、やはり格差社会は歴然と存在する。国家から評価される大きな成功を収めた企業経営者は、我々には選択の自由があると豪語するようだが、それは過酷な競争を勝ち抜いた者が権益を手にした余裕ではないだろうか。

もし21世紀が中国の世紀になるとしたら、そこでは民主主義が立派に機能しているはずである。21世紀はまだその4分の1を越えてはいないが、これから中国が真の民主化を成し遂げる可能性は大いにあると思う。現存の超大国たる米国が分断社会になり疲弊しつつある今、リーマンショックが引き鉄になった大恐慌に蹂躙された世界経済をチャイナマネーが支えたように、地球規模で山積している格差や天災、それに内戦や紛争といった諸問題を、民主化した中国が新しい価値観と技術革新で解決する日が、ひよっとすると来るのかもしれない。

ここでまたジム・ロジャース氏の話に戻りたい。彼は投資を成功させるには経済だけではなく、歴史や哲学から学ぶ必要があると力説しているが、特に歴史の再帰性を視野に入れている点は非常に興味深い。歴史は繰り返すとは古くから言われていることだが、全く同じパターンを繰り返すのではなく、類似性はあっても新しい現象に注目する必要があるということだ。これを踏まえると、中国の歴史には古来の漢民族がメインの王朝だけではなく、異民族支配の時代があったことを忘れてはいけない。漢民族中心の王朝は、漢と唐と宋と明があげられようが、現在の中華人民共和国もまたほぼ漢民族主体の王朝の現代版のようなものである。そして異民族による王朝支配は秦と隋と元と清である。秦は始皇帝により初めて中国大陸が統一されたことでも有名だが、西から東へ遠征してきた民族であり、黄色人種だけではなく白人種も混血していたようだ。また日本の聖徳太子の外交文書でも知られる隋も中国大陸の北西から領土拡張を図った鮮卑系の民族であった。そしてモンゴル高原から現れた元は世界史において最大版図を有した遊牧民族の王朝であり、清は中国大陸の東北や朝鮮半島の北側から西へ遠征した女真族の王朝である。このように中国は外圧により大きく変化した歴史的経緯があるわけだ。そしてこれから中国が民主化を成し遂げるには、多様な価値観を認める懐の深さが必要不可欠になろう。

そうなる為には、当然のこと新しい波動が生じなければならないわけだが、その波は国外からやってくると予想できる。そしてきっかけになるような種は既に20世紀後半に改革解放路線の礎を築いた鄧小平によって撒かれていたとも云える。鄧小平は中国政府の中枢にいながら幾度となく失脚するもその都度、不死鳥のように返り咲いた不屈の政治家である。彼は生前、若者に海外留学を積極的に進めたことでも知られる。彼自身もフランス留学の経験があり、その必要性を熟知していたのだ。恐らく今の中国共産党指導者の多くが役割を終えて退いた後の次世代には、海外留学経験者が台頭してくるのではないか。また政治の分野以外では、既に海外留学経験者の起業家が輩出してきているのも事実である。米国西海岸のシリコンバレーで起きたような現象が、AIや宇宙開発といった先端産業の分野で世界をリードするようにして花開くのかもしれない。

しかし、鄧小平が蒔いた種だけでは無論まだ民主化には至らないだろう。鄧小平は改革解放路線を実施する際に、こう釘を刺していた。成功して金持ちになるのは結構だが、先行して金持ちになった人々は、後続の貧乏な人々をどうか助けてほしいと。つまり折角、種を蒔き経済成長や技術革新が進んでも、その内実における倫理と向き合う心がなければ無意味だからだ。それは民主主義の法治国家である日本でさえも他人事ではない。今や格差社会の浸透で貧困が増え基本的人権が尊重されない人々も存在している。これは嘆かわしい事態である。

中国には為政者のあるべき姿を説き官が民を指導する儒教の教えとは別に、老荘思想という人心の拠り所となるものが一方に存在する。老子や荘子の教えは、必要以上に勤労を奨励し人を努力させるものではない。集団よりも個人の自由に配慮を置いてさえいるだろう。そして争いを避けて無為自然に生きることを良しとする。これは中国大陸では大昔からあった穏やかで大らかな考え方だ。私たち日本人も何処かで聞いたような諺の一つに「小欲知足」というものがある。これは老子の言葉であるが、超富裕層の人々には是非とも、耳に入れてほしい諺ではないか。わかりやすく言うと、欲張らずに満足の状態を知るということだが、昨今の巨大企業の上層部が、億単位の巨額の年収を得ていながらなおも私腹を肥やし不正を働く姿を見るにつけ、このたった四文字に過ぎない諺の真意を彼らが知ることを切に望む他ない。しかし超富裕層にも、老荘思想に感化されているような人々もいる。ビル・ゲイツ氏などはその典型であろう。彼は世界の億万長者が資産の半分以上を寄付する活動を提言し実行している。そして彼に賛同する大富豪が40人以上いるということだ。多分この40人の中には中国系の人物もいるのではないか。

老荘思想は古代中国における圧政により虐げられた膨大な民衆にとっては、心の救済装置のような存在であった。そしてインドから仏教が中国大陸へ伝来した頃、民衆レベルでは老荘思想により解釈された側面が顕著である。中国に基本的人権の尊重を踏まえた外来の民主主義が浸透するのはまだ先になるだろうが、意外と老荘思想との相性は悪くないように思える。老荘思想と民主主義が融合した時、素晴らしい化学反応が起きるのかもしれない。それは台湾や香港に見られるような、20世紀に孫文が実現させた辛亥革命の流れを汲む、儒教を土台としたような民主主義とは異なるものになるはずだ。中華人民共和国は今世紀の国際社会にとって無視できない大国である。その行方を慎重に見守りたい。

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