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キング・クリムゾンの来日公演 : 2015年

2018-11-11 16:06:28 | 日記
2014年にキング・クリムゾンは再結成された。10年以上も活動休止状態が続き、一時はリーダーのロバート・フリップがミュージシャンを引退するという説も囁かれていたこともあり、もう再結成は無理というのが大方のファンの見方でもあったのだが、それを見事に覆す形での復活である。しかも驚いたのは1980年代以降のライブ活動ではほぼ凍結状態にあった初期のレパートリーが大々的に演奏されはじめたことだ。特に出色なのはデビューアルバムの「クリムゾンキングの宮殿」からの選曲が多く、私が2015年に観た来日公演では「クリムゾンキングの宮殿」からはアルバムに収録された全5曲から3曲も演奏されたのだ。正直、まさかこんな日が訪れるとは夢にも思っていなかったファンも多かったに違いない。

この時のメンバーは、ギターのロバート・フリップ、ベースとヴォーカルのトニー・レヴィン、フルートとサックスのメル・コリンズ、ギターとリード・ヴォーカルのジャッコ・ジャクスジク、そしてドラムがパット・マステロットとギャビン・ハリスンとビル・リーフリンのトリオ編成で、ビル・リーフリンはドラムだけではなくキーボードも担当している。この7人のメンバーで前回の4人編成から継続して在籍しているのは、ロバート・フリップとパット・マステロットのみ。再加入したのはメル・コリンズとトニー・レヴィンで、新加入したのがジャッコ・ジャクスジクとギャビン・ハリスンとビル・リーフリンである。そして特筆すべきは、打楽器奏者が3人になったトリプルドラムと、約40年振りに復帰したメル・コリンズの存在だ。彼の復帰により、フルートとサックスの生々しい音も約40年の時を経てキング・クリムゾンの音楽に蘇ったことになる。

このコンサートでまず感心させられたのは音の質感の高い完成度である。これは最新鋭の音響技術が駆使された賜物だが、それ以上にそのような環境で最高水準の表現能力を身につけたミュージシャンが演奏するからこそ相乗効果も倍増し、夢幻のような音楽空間が現出されたのだ。そして1981年の初来日公演時と似たような展開で新曲も披露されている。普通は聴いたこともない曲を聴くと、確りと視聴できないものなのだが、大迫力に圧倒された瞬間は今でも克明に思い出せる。優れたミュージシャンの演奏は心に深く刻まれる永遠の足跡のようなものだ。この時はメル・コリンズの吹くフルートの音色がまさにそうであった。先に述べたように彼のキング・クリムゾンへの復帰は約40年振りだが、今回のメンバー編成に必要不可欠だったことがこれで把握できた。私は常々キング・クリムゾンのライブアルバムにおける最高傑作は「アースバウンド」だと思っているが、その理由はこのアルバムで聴ける「21世紀の精神異常者」が他の追随を許さない鬼気迫る演奏だからである。そしてこの類いまれなライブにはメル・コリンズとロバート・フリップが参加している。1970年代当時の写真資料を見ると、ステージ左側にメル・コリンズが、右側にはロバート・フリップが位置し、この配置は2015年の布陣でも継承されていた。ただ3人のドラマーがステージ前列に配されている為、コリンズもフリップも後列で演奏しているわけだが。

ここで「21世紀の精神異常者」と「クリムゾンキングの宮殿」という2曲について述べたい。デビューアルバムが発表された1969年、世界ではベトナム戦争が泥沼のように続いており、この為、世界中で若者を中心に反戦運動が大々的に展開していた。真摯なミュージシャンの多くは音楽表現において、反戦のメッセージを世界へ向けて発信しており、キング・クリムゾンのデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」にもまたそのようなメッセージは込められている。ただ歌詞を書いたオリジナル・メンバーのピート・シンフィールドの個性的な才能のせいもあるのだが、ボブ・ディランやジョン・レノンに比べると、かなりスタイルは違う。なぜなら「21世紀の精神異常者」はアルバムが発表された当時からすると未来であり、SF的な世界観に近い。またアルバムタイトルにもなっている曲「クリムゾンキングの宮殿」は中世ヨーロッパが舞台である。にも拘わらず現代を映す鏡のようにして、ベトナム戦争を弾劾する迫力が備わっているのだ。しかもこれは時空を超えたメッセージである分、一見すると様々な解釈も可能だが、根底にある主題は人間社会や文明における不条理であり、痛烈な問題提起であろう。しかし詞とは言葉であり、音ではない。そしてキング・クリムゾンの音楽は歌よりも、楽器演奏による時間の方が圧倒的に長いのが特徴だ。この為、言葉は主役である音楽を支える要素でしかないわけだが、「21世紀の精神異常者」はその構成が完璧なのだ。まず冒頭で衝撃的な歌が入り、そこからギター、サックス、ベースとドラムが入り乱れる破壊的な音の洪水が変幻自在に流動していく。この長い間奏が終焉に向かうと最後に冒頭よりも短い歌が挿入されて曲が終わる。起承転結の起と結が歌であり、承転は嵐のような轟音の楽器演奏だ。この詞で語られている21世紀の精神異常者とは、戦乱と搾取の主役である権力者を象徴しているのではないか。私にはそのように思える。そしてアルバムのジャケットデザインの恐ろしくも悍ましい表情をした巨大な顔は、暴走を止められず腐敗した権力者の形相そのものだ。興味深いのは「クリムゾンキングの宮殿」の歌詞では、封建社会のような中世ヨーロッパ世界の権力の頂点に座すクリムゾンキングと呼ばれる深紅の王は、ずっと姿を見せず王宮の何処かに隠れている。恐らく21世紀の精神異常者とクリムゾンキングは同じ顔をしているはずだ。つまりアルバムジャケットの腐敗した権力者の形相を共有している。要は過去、現在、未来を通じて、ベトナム戦争のような惨禍を引き起こす権力が存在する限り、この戦乱と搾取による膨大な犠牲者は絶えない。キング・クリムゾンの音楽は、世界中の暴力支配を批判し激烈な音で徹底的に粉砕していくような破壊力に満ちている。特に「21世紀の精神異常者」という曲はその極め付けであろう。この時のライブではアンコールに演奏されたのだが、間奏にギャビン・ハリスンのドラムソロも加わり、その迫力ある演奏は圧巻であった。特にメル・コリンズのサックスが凄まじく、古希に近い高齢にも関わらず全てをぶっ飛ばす勢いで吹き鳴らしていた。多分、この曲に限らずコリンズがメンバー全員の中で最も元気にプレイしていたようだ。

2015年の来日公演ではデビューアルバムから、もう1曲演奏されている。それは「エピタフ」という哀愁漂う壮大な曲だ。ここで感じるられるのは、世界の悲惨な現状に対する嘆きである。この曲で作者の詩人ピート・シンフィールドは過去や未来ではなく現在に佇んでいるように思われる。詞の中の「……全人類の運命が愚か者の手にある……」という言葉は切実だ。なぜなら、アルバム発表当時のベトナム戦争以降も、相変わらず地球上では戦禍が絶えないからだ。ここで語られている全人類の運命を左右するほどの力を持つ者は愚か者であり、またしてもあのアルバムジャケットの巨大な顔とイメージが重なる。この歌を録音時に歌ったのは、ヴォーカルとベースを担当したオリジナルメンバーで2016年に他界したグレッグ・レイクだが、彼は生前に「エピタフ」の詞について発表当時より現代に訴える力があると述べているが、全くその通りだろう。つまり詞のメッセージに揺るぎない普遍性があったのだ。2014年から復活しスタジオ録音をせずにライブを中心に音楽活動を再開させたキング・クリムゾンだが、ピート・シンフィールドが創作した詞をベースにした初期作品は公演日のセットリストの中にも多い。要は演奏する楽曲に取り上げるのは現代に訴える力が強いからだ。それに応えるようにリードヴォーカルを担当しているジャッコ・ジャクスジクはその重責に耐えよく健闘している。

私が来月の公演で、一番聴きたい曲はデビューアルバムには無い「アイランズ」である。この曲も詞はピート・シンフィールドによる作品だが、詞の内容は抒情的で島で暮らす人の心象風景を描いたような静かな世界だ。そしてその音楽は崇高なまでに美しい。キング・クリムゾンの音楽の静と動の、静の面を象徴するような曲である。ただ、私は昔からこの曲は好きなのだが、今回どうしても直に聴きたくなったのは、昨年リリースされた北米公演のライブアルバム「ライブ・イン・シカゴ」を購入したからで、兎に角このシカゴにおける「アイランズ」は感涙ものである。曲が終わった後の観客の反応も最高潮に達し、音楽という慈悲深い芸術が内包する救済力に心を打たれた感謝の歓声に満ち溢れている。このライブアルバムを聴けばはっきりとそれが確認できるはずだ。特にコリンズの優しく切ないサックスの響きとステイシーのピアノの澄み切った調べに慰められる。そして、このシカゴでの熱演のメンバーでキング・クリムゾンは今月の27日に日本の土を踏む。2015年のメンバーにジェレミー・ステイシーを加えた8人編成である。日本縦断の過密スケジュールだか、今度も感動的な音楽体験に遭遇できるのは確実だろう。





























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キング・クリムゾンの来日公演 : 2000年

2018-11-03 23:17:11 | 日記
前回の1995年の来日公演から、5年後の秋にキング・クリムゾンは再来日を果たしている。この時にはまたグループの再編が行われ、6人から4人へと小規模化したような形になった。ただキング・クリムゾンは元々、アルバム発表ごとにメンバー構成が違っており、例外は1980年代の活動期だけであった為、本来の姿勢に戻ったような印象を受けたのもまた事実である。この時期に発表されたアルバム「コンストラクション・オブ・ライト」も、小粒にまとまったイメージは拭えないが統一感のある完成度の高い作品だ。

また1990年代以降の活動において、リーダーのロバート・フリップはキング・クリムゾンの現在進行形の音楽を1980年代の民族音楽に接近しながらポリリズムを追求したような独自のスタイルから、1970年代のメタリックで硬質な音を蘇らせて止揚したヌーヴォ・メタルというコンセプトで形容していた。これは大衆受けのヘヴィ・メタルとは一線を画した表現であり非常に興味深い。メンバーはギターのロバート・フリップとドラムのパット・マステロット、ベースとタッチ・ギターのトレイ・ガン、そしてヴォーカルとギターのエイドリアン・ブリューの4人。

コンサートは「ブルーム」という曲で始まった。演奏は相変わらず質の高い内容で、90年代の6人編成で演奏されていた曲も上手くアレンジされていたように思う。ただこのコンサートの最大の目玉はアンコールに演奏された「ヒーローズ」という曲だろう。これはロック史に燦然と輝くデヴィッド・ボウイの名曲であり、キング・クリムゾンの持ち歌ではない。ではなぜ演奏可能になったのかというと、ロバート・フリップがこの名曲でギターを演奏しサポートしていたからだ。そして、彼が奏でるギターはこの曲に無くてはならない存在感を生み出している。「ヒーローズ」の歌詞は20世紀の東西冷戦時代にベルリンに築かれた壁が主題である。この歌で最も印象的なのは、「……恥ずべきなのは壁の上で銃声を轟かせる人々だ……」という部分だろう。キング・クリムゾンの歌詞は、中世ヨーロッパや未来世界を舞台にすることはあっても、現代の人間社会に批判的なメッセージを含めたものが多く、だからこそそのような詩の世界に合致した音楽を創造してきた音の要素たるギターの響きが「ヒーローズ」という歌には相応しかったと云える。ただエイドリアン・ブリューの声質はデヴィッド・ボウイとは明らかに違う為に、この辺りの違和感は仕方なかっただろう。今年来日する現行の8人編成のキング・クリムゾンも「ヒーローズ」が演奏曲目に入っている。これはユーチューブの映像でも鑑賞可能だが、私は今ヴォーカルを担当しているジャッコ・ジャクスジクの歌の方が好みだ。

2000年の来日公演で私が一番感じたのは、デジタルな打楽器の演奏表現に積極的なパット・マステロットの存在である。「コンストラクション・オブ・ライト」のアルバムでも顕著なのだが、原始的な打楽器の音の良質な個性がデジタル加工されて一種独特な味わいを生み出しているのだ。そしてそれは、ライブでも明確に感じることができた。このライブツアーの後に、キング・クリムゾンは同じ4人のメンバーで「パワー・トゥー・ビリーヴ」というアルバムをリリースするが、ここではさらにパット・マステロットのこの路線が突き詰められているように思う。このメンバーでのキング・クリムゾンのライブも日本公演の全貌をユーチューブで鑑賞することができる。この模様は私が足を運んだ2000年ではなく2003年のライブなのだが、メンバーは同じ顔ぶれでも、選曲や構成がかなり変化しており、ファンには非常に楽しめる映像だ。特にコンサートの冒頭でのロバート・フリップのギターによるサウンドスケープは、文字通り音により描かれた幻想的な風景であり、山よりも高く海よりも深い広大な神秘性を感じさせる。






















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