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映画と音楽と美術と珈琲とその他

兵庫県立美術館でのパウル・クレー展

2025-05-27 22:57:49 | 日記

 今月中旬に兵庫県立美術館で開催されていたパウル・クレー展に足を運んだ。クレーの絵は日本でも広く親しまれているのだが、日本人の好きな西洋画家ベスト5に入るほどではない。ネットで調べたあるランキング調査を拝見したら、1位はゴッホ、2位はピカソ、3位はモネ、4位はレオナルド、そして5位はフェルメールになっていた。この調査対象がどういう人々なのかは知らないが、意外性はさほど感じられず、ほぼ納得できる結果である。それでも多分、クレーはランキングの20位には余裕で入るのではないか。実際、今回展示されているクレーの絵は、日本の美術館が所蔵している作品が非常に多かった。

 この展覧会では「創造をめぐる星座」や「20世紀美術に燦然と輝くスターたちとの共演!」といったキャッチコピーも冠されていたが、さすがにこれは商業的成功を意図した宣伝文句であろう。なぜならクレーという人はそんなに人脈が広い方ではなかった。1879年にスイスで誕生し、青年期にドイツへ留学して美術を学び、結婚して家庭を築いて以降、無名の画家時代には音楽教師の妻に家計を支えられていたが、家事は万事怠りなく彼が担当し、愛情豊かな育児日記を書いたりしている。

 美術史で有名な「青騎士」という芸術家のグループでも公認されたメンバーではなかったし、本当のところ余り社交的ではない分、家族や気心の合う画家仲間を含めた少ない友人たちとの狭い人間関係の範囲で、ささやかな幸福を志向していたのではないか。また父親が音楽教師であり、母親も音楽学校で声楽を学んでいた環境で育った為、彼自身も趣味でヴァイオリンを弾くほど音楽愛好家であった。恐らく妻のリリーも経済的に裕福ではなくとも、音楽に守護されたような慎ましく幸福な家庭を望んでいたと思われる。

 展覧会の展示構成は10代の未成熟な絵から、最晩年の還暦に描いた遺作までを、6つの章に分けて展示していた。1章が「詩と絵画」、2章が「色彩の発見」、3章が「破壊と希望」、4章が「シュルレアリスム」、5章が「バウハウス」、6章が「新たな始まり」という主題で構成されているのだが、ほぼ時系列が前後しておらず、クレーが創造者として生きた時代が激動の20世紀前半であった事実を、年表を辿るようにしてまざまざと認識できる。

 2章の「色彩の発見」の時期の作品は、北アフリカ旅行に触発されて、現地の風景の美観に感化されたことによる色彩表現の飛躍を如実に感じ取れる。この時期は戦争にクレー本人がまだ巻き込まれておらず、芸術活動を謳歌する彼の幸福感が絵にも如実に表れているし、制作姿勢も楽観的であったことが伝わってくる。特に第1次世界大戦が勃発する引き金は、1914年に起きたサラエボ事件のオーストリア皇太子夫妻の暗殺であるが、この年に完成したクレーの絵も鑑賞できるとはいえ、まだ不穏な雰囲気は感じられない。むしろ3章の展示空間に登場する「冬のバイソン」という絵は、1913年に完成した作品でありながら、翌年に現実化する大きな戦争の予兆がクレーの無意識に潜んでいるような、近未来への不安を感じさせる。

 その3章の「破壊と希望」の時期に絵を制作していたクレーは第1次世界大戦に従軍し、戦禍で友人を失うという悲惨な体験もしているが、このそれ迄の歴史上かつてなかった規模の巨大な戦争が、彼の精神に最大級の衝撃を与えたことは間違いなかろう。展示されている多くの絵には、小市民の家庭的な幸福が戦争という残酷な人災で圧殺されてしまう恐怖さえ感じられるほどだ。

 4章の「シュルレアリスム」と5章の「バウハウス」では、4年以上も続いた第1次世界大戦が終わり、その戦争の痛手から立ち直り美術界でも絵が評価されていく時代になっていくが、6章の「新たな始まり」では在住していたドイツでナチスが台頭し、前衛芸術家への弾圧を受けて、スイスへの亡命を余儀なくされる。

 クレーがドイツから去って後に、第2次世界大戦がとうとう勃発してしまうが、彼が他界するのは1940年であり、第1次世界大戦よりも戦域が拡大し犠牲者も膨大化する第2次世界大戦はまだその終わりが見えなかった。ただ外側の世界が恐慌状態に陥っていく中、亡命直後こそ創作意欲も減退し作品数も激減したが、数年後に復調すると病に冒されながらも創造活動は旺盛になっていく。この晩年の作品群には140点の自作品がナチスによって「退廃芸術」の烙印を押されて没収されたことへの抗議や弾劾を感じさせる絵もあるのだが、むしろ戦争に決別した彼の精神から生まれた希望の色合いの方が濃い。つまりクレーは最後まで希望を捨てなかった。

  私がクレーの絵画世界でその絵に神秘的であると同時に親愛感溢れる魅力を感じるのは、格子の目を色違いで並べた市松模様のようでありながら、そこに嵌め込まれた四角形のサイズが一様ではない抽象画たちだ。この幾何学的な色彩構成が独特なのは、視覚表現でありながら鑑賞する側が、音楽表現に接するような時間感覚を受容できることである。恐らくクレーは音楽家が作曲に際し、誠実に一音一音を選ぶように、サイズの違う一つ一つの四角形に色を選んで塗っている。

 つまり完成した絵は、十二分にクレーが音と音の関係性に配慮して作曲した音楽の印象に近い。私たち鑑賞者はクレーの絵と向き合った時、始まった音楽が終わるまでそこを立ち去ることができなくなるように、絵の前で留まる他ない。そしてこの時間は名残惜しいほどに、見る人によっては癒される体験になるのだ。

 私が一番好きなクレーの絵は、5章の「バウハウス」の空間に展示されていた「北方のフローラのハーモニー」だ。この絵が完成した1927年のクレーはバウハウスで教職に就いていた頃であり、まだドイツにおいてナチスは台頭していなかった。それはこの絵には、数年後に人間の心の領域にさえ侵入し蹂躙するファシズムへの警戒や不安が微塵も無いことからも明らかだ。この絵が50個以上の固い四角形で構成されていても、絵全体の印象が温かく柔らかいのは、第1次世界大戦の惨禍を知り尽くしたクレーが平和を強く希求するがゆえであろう。

 つまりクレーの心の中では、もう2度と世界大戦が起きてはならなかったのだ。しかし時代はそんな彼の気持ちを裏切るように、やがて第2次世界大戦がはじまってしまう。こうした歴史的事実を鑑みると「北方のフローラのハーモニー」は痛切極まりない絵だが、最晩年のスイス亡命後の1年間で1000点を超える鬼神の如き創造活動の起動点になっていたのかもしれない。

 「北方のフローラのハーモニー」は今回の展覧会の看板やポスターやウェブページにも象徴的に使用されているが、このブログに載せた写真では、奥側ではなく左手前の大きな看板で確認できる。また展覧会ではクレーの名言も紹介されており、それは彼の墓石にも刻まれている言葉だ。「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも、一緒に住んでいるのだから」これは 「北方のフローラのハーモニー」の絵からも、彼の肉声として聞こえてきそうな普遍的メッセージである。

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ピアノの音色

2025-04-30 19:31:27 | 日記

 今年は昨年と同様に、いやそれ以上に気候変動の激しい年になっているのかもしれない。もう最強寒波が厳しかった冬は過ぎ去り、今は本来ならば春の季節なのだが、桜は開花してくれたものの、日によっては気温の上昇が急で夏日が出現したりする。しかも一日の気温の高低差も極端で、朝晩は冬のように寒いのに、太陽が顔を出している大半の時間が夏の暑さだ。おかげで過ごしやすい春や夏の気温に浸れるのは、ほんの少しばかりの時間である。これでは体調不良になるのは避けられそうにない。 

 そのせいか、ここ半年以上、聴いている音楽は癒しの効果を実感できる曲が多い。特にジャンルでいうと、クラシックのそれもピアノが主役の音楽だ。モーツアルトは男性よりも女性のピアニストの演奏に癒された。特にイングリット・ヘブラーは協奏曲も独奏も秀逸なことの上ない。またバッハとベートーヴェンやシューベルトは、このブログでも紹介したスヴャトスラフ・リヒテルの演奏ばかり聴いていた気もするが、YOUTUBEで検索する機会も増え、ピアニストの出身は洋の東西を問わず聴いていた。また新たに発見した演奏を聴くことで、鑑賞するレパートリーが増えたようにも思う。ただしショパンの曲はクラウディオ・アラウの演奏に限定していた。 

 しかしクラシック音楽で使用される様々な楽器の中で、ピアノこそ癒し効果が最高だというわけでもなかろう。多分、今回の気候変動からくる心身の疲弊に、それも個人的なレベルで効果的に、ピアノをメインに据えた音楽が最大級に作用してくれたというのが正解のはずだ。そして著名なピアニストたちは、音楽を鑑賞する人々へ、特に心身が弱っている人々に対し、そのような優しい配慮も携えて演奏しているように思われる。特にキース・ジャレットのピアノの音色には助けられた。聴いていて持病でもある偏頭痛が忘却の彼方へ消えていく、そんな心地良い錯覚さえ感じた。

 キース・ジャレットはクラシック畑の人というよりも、ジャズ・ピアニストとして著名で、米国人だが欧州を代表する名門ジャズ・レーベルのECMに在籍している。実際、このECMを代表する音楽家として認識しているジャズ愛好家は世界中に多い。実は私もそんな1人で、特に初めて即興ピアノ演奏の最高傑作と名高い「ケルン・コンサート」を大学時代に鑑賞してから、その虜になって彼のレコードを買い漁り、一時期はキース・ジャレット以外の音楽を耳にしなくなったことさえあったほどだ。またコンサート歴では、キング・クリムゾンに次いで多く、大学生の時に大阪でソロ・コンサートを体験して以降、社会人になってからも幾度か東京のコンサート会場に足を運んでいる。

  以下に紹介するYOUTUBEのアドレスは、キース・ジャレットのオリジナルのピアノ協奏曲である。タイトルは“The Celestial Hawk”という邦訳すると「天の鷹」という意味だが、音楽を聴いていて脳内に浮かぶ情景は大自然を鳥瞰したような風景、あるいは鷹という鳥の視界そのものかもしれない。ジャンル的には伝統的なクラシック音楽の範疇に収まっているものの、現代音楽家が作曲した歴然とした稀有壮大な音空間である。キース・ジャレットの場合、オリジナル以外ではジャズのスタンダード、バッハやモーツアルトの作品もリリースしているが、このピアノ協奏曲が素晴らしいのは国境を越えた魅力に満ちているところであろう。つまり西洋と東洋を融和する無国籍な音楽を連想させる。私が一番惹かれるのは第三楽章の、ゆっくりとした穏やかな川の流れのようなメロディだが、謙虚な佇まいでオーケストラに溶け込み自己主張を抑えていながら、ピアノが超越的に音楽空間に存在している点は3つの楽章全てに共通している。素晴らしいのは強い音色よりも、無音から密やかに飛翔し、無音に着地していく静かな弱い音色で、これこそ癒しの極致であろう。

First Movement

Keith Jarrett - The Celestial Hawk - Second Movement

Third Movement

 

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「鳥獣戯画」

2025-03-25 16:41:35 | 日記

 最近、たまたま図書館を訪れていたら強いインパクトで、ある本の表紙が目に飛び込んできた。それは「鳥獣人物戯画」であった。一般的には「鳥獣戯画」というタイトルで広く親しまれている絵画作品で、制作年代は12世紀辺り、平安時代末期から鎌倉時代初期になるらしい。作者は戯画の名手とも評された鳥羽僧正覚猷の説が有力だが、その真偽は定かではなく作者不詳というのが定説である。

 今回の写真画像は甲と乙と丙と丁の全4巻の甲巻から取り上げさせていただいた。多分、鳥獣戯画といえば殆どの人がこの甲巻に収録された絵を思い浮かべてしまうのではないか。乙巻が神話や伝説上の動物を主に紹介し、丙巻は動物の世界よりも人間社会が濃密な題材になっており、また丁巻も丙巻と同様に人間社会を中心に据えているのだが、構成や筆運びが他の巻と比べると多少なりとも違和感を伴うのが特徴的である。そして甲巻で描かれた動物たちの情景は遊戯に溢れており、表情豊かで実に生き生きとしている。それこそ今にも絵から飛び出して声を発しながら踊りそうなくらいに。この類稀な作品世界が日本最古の漫画とも評されるほど親しみやすく魅力的なのはそのせいであろう。

 特に日本最古の漫画という評価に納得できるのは、この「鳥獣戯画」が遠い昔の紀元前10世紀以降から古代中国で使用されだした墨を画材にして、墨絵の広大なジャンルの中でも、白描画という殆ど線だけで描く技法を極めていることだ。従ってこの絵は陰影や遠近感を殆ど重視しておらず、その意味で現代の漫画との親和性が非常に強い。そしてそれは現代人の私たちにとって、時代背景など考える隙もなく、その違和感があっけなく剥がれ落ちてしまう見事さだ。斯様にこの作者の対象を捉える素描や筆触といった視覚表現は突出して優れている。これはやはり未だ正体不明の作者の才能によるところが大きいのだが、同時に動物たちをここまで擬人化して構成したアイディアにも舌を巻く。またそのアイディアには、なぜこの絵が描かれたのかという謎さえ残る。要はこの作者が絵を描くことを心底楽しみながら制作しているのは間違いなかろうが、それにプラスアルファして無目的ではない何かが炙り出されてくるのだ。

 ここで作者の候補でもあった鳥羽僧正覚猷について少し考察してみたい。実はこの人物、平安時代後期の天台宗の高僧で90歳近い長命を全うしているのだが、晩年に大寺社の要職を歴任していながら、宗教的権威や政治的権力の腐敗には批判的であった。つまり官に属してはいても、民に対する共感力や同情心は確りと持っていたらしい。そしてそんな彼の人間性は、天台宗の園城寺において自ら絵筆をとって密教図像を描きつつ絵師の育成にも努め、仏教美術を体現することで権威や権力に利用されない仏教の本質に接近していたように思われる。また「鳥獣戯画」が4巻で構成されており、巻によって筆触や雰囲気が微妙に違うことも考慮すると、複数の絵師によって描かれた可能性が高い。

 恐らく「鳥獣戯画」に鳥羽僧正覚猷の肉筆が入っていたとしても、その仕事の全容は全巻の編集であったように思えるのだ。また彼が生きた時代は治天の君と謳われた白河天皇が譲位して上皇となり、さらに出家して法皇となって院政を敷き、権威と権力を束ねて独裁化しようとした頃であり、後の平家の勃興を準備する北面の武士を設置し朝廷の軍事力を強化していた。そしてこの政策は、天台宗の総本山である比叡山の延暦寺が軍事的に武装化し、朝廷にも圧力を懸けてくる政治勢力になっていた現状に釘を刺したといえる。つまり国家の頂点に座す為政者が武闘派として君臨しており、それに付随して貴族や寺社も武力の存在価値をかなり重視する傾向にあった。しかもこの流れは時を経てさらに強まっていく。きっと鳥羽僧正覚猷は古代から中世に移行するこの時代が、かなり荒れた動乱期に向かっていたことを如実に察知していたはずだ。特に当時、仏教における末法思想が流布していた歴史的事実を鑑みると、彼はリアルタイムで釈迦の正しい教えが理解されずに通用しない、天災のみか人災で世の不安と絶望が増すばかりの社会情勢を、悲嘆しながらも諦観して見つめていたのではないか。

 そして「鳥獣戯画」の甲巻に登場する動物たちの擬人化が目を見張るほど冴えわたっているのは、描かれた彼らの親近感や可愛らしさが、私たち人間が人間に対して抱く感情の域にまで高められ到達しているからであろう。そこには種差別という偏見が存在しない。つまり釈迦の説いた、全ての生命は平等に尊重されるべきだという教えに、一直線で繋がっている。

「鳥獣戯画」が作者不詳という説を信じるならば想像を働かせるしかないが、鳥羽僧正覚猷が作品制作の過程で関与していたのはかなり信憑性の高いところだ。ゆえにその作者は無名でも彼の弟子に当たる人物で、その技と才を高く評価されていた絵師だったのではないか。鳥羽僧正覚猷がその長い人生の時間を多く過ごしたのは園城寺だが、この寺院がそもそも創建された理由は、同じ天台宗でも比叡山の延暦寺と宗教的な正当性で散々に揉めたあげく、10世紀末に分裂して独立したことによる。また鳥羽僧正覚猷の存命中に、延暦寺との僧兵を動員した軍事衝突で園城寺は度々焼き討ちに遭っていた。軍事力では延暦寺には敵わなかった為に全焼の憂き目も見たほどで、こうした仏教徒が暴力で釈迦の教えを踏みにじっている事態も、「鳥獣戯画」が生まれた要因なのかもしれない。なぜなら生命を蔑ろにする戦争や内戦を含めた紛争に対するアンチテーゼがこの作品のテーマだと解釈すると、絵の中で擬人化された動物たちの生命力は、なお一層その輝きを増すからだ。

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森永卓郎さん 追悼

2025-02-15 16:54:38 | 日記

 先月の28日に経済アナリストでエコノミストの森永卓郎さんが他界されていた。ブログの場ではありますが、衷心よりご冥福をお祈りいたします。

 森永さんは1990年代後半辺りからテレビ出演が増え、その漫画に登場しそうなユーモラスな風貌や雰囲気からとても親しみやすく、すっかりお茶の間の人気者にもなっていたようだ。しかしその発言は実のところ、非常に真面目な内容が多く、専門の経済の分野以外でオタク文化を語ったりもしていたが、日本社会や国際情勢の未来を真剣に考えておられた。それは数多くの彼の著作を読めばよく理解できる。

  森永さんがタレントのように有名になりだした頃、私は既に社会人であったが、語り口はソフトでも反権力の軸が非常に確りとしており、注目に値する言論人として個人的な記憶に強く留めることになった。そして日本のバブル景気が弾けた後の1990年代後半以降、だらだらと続く平成不況が始まり、失われた20年とも揶揄されたこの時代は20年どころか、元号が平成から令和になっても殆ど回復の目途がたたないまま、もう30年を過ぎようとしている。こうした閉塞した時代状況の中で、世界的に格差社会が進行する絶望的な流れはこの日本でも例外なく顕著になってきた。

 森永さんは一昨年に発覚したステージ4の癌に蝕まれてからは、過酷な闘病生活の中でもメディアでの発言や著作によって全力で警鐘を鳴らしていた。その主張に一貫しているのは、政府の経済政策が機能不全に陥っていることへの痛烈な批判だ。そこには弱者切り捨て、弱い者いじめを許さない方向に舵を切るべきだという信念が感じられる。しかしこの森永さんの強い信念は感情論などではなく、政府への具体的な政策の提案でもあった。そしてそれはつまるところ政府から国民への財政出動であろう。要は貧すれば鈍する状態の庶民が貯金に回さざるを得ない程度の少額ではなく、景気が刺激されるほど安心して消費に回せる量のお金をばら撒くべきだということである。 

 この失われた30年間、小泉内閣の構造改革や、安倍内閣のアベノミクスといった小さな政府による新自由主義や市場原理主義を肯定した路線は、数字の上でGDPが上向く局面はあったにせよ、大多数の国民は幸福になっていない。かつて一億総中流と形容された中間層が没落していき、幸福を実感できたのは少数派の勝ち組だけだ。しかもその勝ち組の中には2世3世の国会議員もいる。要するに人生のスタート地点で恵まれた境遇にいる人々とは裏腹に、負け組の敗者復活戦の機会均等に元々恵まれていない日本という国においては、このお粗末な状況はどう考えても不可解千万かつ不条理である。

 森永さんは帰国子女で東大を卒業後は日本専売公社に新卒で入社しており、官僚ではなくともエリートの部類に入る。今のJTである日本専売公社には8年ほど在籍したが、退職後は財閥系の総合研究所へ移籍して暫し研究員を務めた。テレビ出演を始めたのはこの研究員の頃からだと思う。そして21世紀になり企業人から大学教員へ鞍替えすると、執筆活動も本格化し著作も増えていく。そんな物申すタレント森永卓郎が本領を発揮するステージへと移行した。

 先月に人生の終点を迎えるまで、全身全霊をかけて真情を発露されていたが、その思想信条やビジョンは全くぶれなかった。それは先にも述べた通り、私たちが生きている社会が弱者切り捨て、弱い者いじめを許さない世界に変わらなければ、人類の未来は暗澹たるものだということ。これに尽きる。そしてこの間違った方向性の軌道修正とは、やはり政・官・財が特権を手放して富を民に還元する道であろう。この軌道修正を実行するのは容易ではないと思われるが、意外と森永さんは若いエリートの人々にそれを期待していたのかもしれない。

  特に親ガチャなどではなく、受験戦争を含めた過酷な競争を不断の努力で勝ち抜き、給与待遇や福利厚生にも恵まれたエリートの領域に、やっと最初の一歩を刻んだ社会人1年生あたりに対してである。恐らく本来ならこうした若者は初期段階では高潔な志も持っているはずだ。ところが実際には、彼らの過酷な競争を勝ち抜いて得たスキルは、足の引っ張り合いのような出世競争でそのエネルギーを消費する形に変容してしまう。これは実に滑稽で馬鹿げた展開なのだが、既にエリートの領域にどっぷり浸かっている諸先輩方が、生臭い出世によって富み栄えている現状を目にすれば、その渦に巻き込まれて、世の為に人の為にといった高潔な志は忘却の彼方に消えていくのであろう。

 多分、エリートからドロップアウトした森永さんは、自分のように外へ出てしまうのではなく、中に残って内部改革を進める人々が増えていくことに大きな期待を寄せていたのかもしれない。無論、彼の著書に触れた全ての読者に健全な変化を期待していたのは当然だとしても。そして他界から1箇月がまだ経過していない現在、図書館で森永卓郎の本を借りようとすると、大半が貸出中でしかも予約待ちになっている事実に唖然とさせられるが、これはそれだけ森永さんの言葉には説得力があり、本を読んだ人々の行動にもその影響力が発揮されるという証明でもあろう。 

 死期を悟った森永さんは、日本の今の国政のトップに立つ石破茂首相へ具体的な政策提言もされていた。それは経済政策における地方創生にはベーシックインカムの導入がベストだという提案である。確かにベーシックインカムは全ての対象者に分け隔てなく一定金額を定期的に支給する社会保障制度であり、大都市圏より所得が低く貧しい地方の人々の生活の質を改善するには優れた選択肢だ。

 政府は今年度の地方創生交付金の倍増を掲げているが、地方創生の方向性は2014年の第2次安倍内閣でも実現しており、ここでも地域創生というスローガンで交付金を出していたが、国や地方自治体のプロジェクトに民間企業が受託者として参加して資金の交付を受けるケースが多かった。結果は10年以上経過しても地方と都市部の所得格差は是正できておらず、残念ながら実を結んでいない。これはやはりベーシックインカムのように対象者の1人1人へ、政府がお金を配る形になっていなかったからであろう。

  ベーシックインカムの制度を完全導入した国は世界にまだ存在していない。しかしこの制度は全ての国民が衣食住において最低限の生活を営むことを保証することがその目的とされている。このビジョンは日本国憲法における3つの原則、国民主権と基本的人権の尊重と平和主義の、基本的人権の尊重に等しい。現段階の具体例としてはベーシックインカムを実験的に導入した国は、フィンランドとインドとカナダとオランダ、それにアメリカ合衆国だ。

 興味深いのはカナダでオンタリオ州の貧困層4000人のみ対象に実施したケースで、これは州議会の選挙による政権交代で3年間しか実現しなかったが、実験時における対象者の貧困層は仕事を辞めずに健康状態も改善したという調査結果がでている。

 またアメリカ合衆国はイリノイ州のシカゴ議会で2011年に議決し、低所得の5000世帯を対象に毎月500ドルを1年間のベーシックインカムプログラムとして実験的に支給したし、アラスカ州では州から産出する原油収入の25%をアラスカ恒久基金として積み立てて、対象者を全ての州民とし、毎年1000ドル以上1500ドル以下の範囲の配当金を支給している。つまりアラスカは厳寒の地で人口密度も低過ぎて住み易い環境ではないが、貧困の境遇から脱出するには格好の移住先なのかもしれない。

 日本の場合、ベーシックインカムを導入するには労働市場と社会福祉やその財源の確保を含めた制度設計の整備をしてから踏み切るべきだと思うが、恐らく森永さんが捉えた財源とは、日銀による通貨発行益は勿論のこと、政・官・財が特権によって蓄積した富であろう。たとえば20世紀からずっと問題視されている天下りは、官民の癒着による予算や許認可の権限の乱用や、過剰な補助金という税金の無駄遣いから発生する暴利の構図だ。また10%の消費税を含めて過去最高に達した税収は国民に還元されなければ惨い搾取でしかない。

 こうした暴利や重税というナンセンスを削除していけば財源は確保できるということではないか。また現在の日本社会の物価高に賃上げが追い付かない労働市場と、年金だけでは生活できない社会福祉の実態は、正直お先真っ暗の典型である。その意味でも政府は地方創生に限らず、ベーシックインカムの制度を真剣に検討するべきなのだ。

 幸いにも森永さんのラストメッセージはこれからまだ受け取ることができる。今月も来月も新しい本が出版されるからだ。もう故人になられてしまったが、以下の著作から真摯な言葉と向き合う機会はまだ残されている。

・発言禁止 誰も書かなかったメディアの闇 2025/02/27

・日本人「総奴隷化」計画1985-2029 アナタの財布を狙う「国家の野望」 2025/03/01

・森永卓郎流「生き抜く技術」--31のラストメッセージ 2025/03/03

・この国でそれでも生きていく人たちへ 2025/03/06

 

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米国第47代大統領の就任演説

2025-01-26 21:49:17 | 日記

 4年ぶりにホワイトハウスに返り咲いたトランプ大統領は、その就任式の演説でアメリカの黄金時代が今からはじまると明言されているが、実に彼らしい大言壮語である。 

 しかし21世紀も今年でその4分の1を過ぎようとしているわけだが、20世紀が米国の世紀と形容されたほど、米国が文明の先頭を走っていた時代は、まだまだ余裕で継続しているようにも思われる。それを象徴するのは、今回の就任式において、政界の大物たちに引けを取らないほどの存在感で、ズラリと顔を揃えたGAFAMのテック企業トップの面々だ。ただ、こうした先端技術の邁進や新興の巨大企業の成功の影で、酷い格差に苦しむ多くの貧困層の人々がいることを忘れてはならない。

 そして新しい大統領が標榜した黄金時代とは、超大国においてささやかな幸福にも手が届かず見捨てられているような人々も、幸福を実感し享受できるような社会の到来を意味するのではないか。少なくとも劇場型の選挙アピールに酔わずに、トランプ大統領に投票した有権者は、政権が与党から野党に変わることで日常生活の改善をシンプルに望んでいるはずである。こうした現象も、日本がほぼ延々と自民党が与党の政権を維持している姿に比べると、日本も米国も共に民主主義の法治国家でありながら、米国社会の方が日本社会よりも、民主主義が正常に機能しているのは間違いない。

 今回の就任演説でアメリカ•ファーストしか視野に入っていない内容は、ここではコメントを差し控えるにしても、以下の言葉には堅実さと賢明さを含蓄した決意を強く感じた。 

「平和の使者であり団結を促す人物でありたい」

 この声明で、トランプ大統領は「私にとって最も誇らしい遺産は、平和の使者であり、団結を促す人物であることだ。それが私の目指す姿であり、平和の使者であり、団結を促す人物でありたい」と述べている。

 遺産という言葉には、メディアで批判されているノーベル平和賞狙いという見方もあるかもしれないが、ここは暗殺未遂にまで遭遇した人物の素直な心情の発露だと解釈したい。そしてここ数日の間に、トランプ大統領は産油国で構成されたOPECに対し、原油価格の引き下げを要求するとも述べている。これは原油価格の下落によりウクライナ戦争が終わる可能性が強まるからだ。また馬鹿げた戦争をやめろとも発言していた。

 トランプ大統領は力による平和を信じて疑わないタイプだと思われるが、戦争という選択肢を避けようとする姿勢は感じられる。つまり戦争というハイリスク•ハイリターンの路線は、中長期的には国家経済にとって失敗しか招かないという事実を、過激な言動とは裏腹に、企業経営者でもある観点から熟知しているのではないか。

 ここは一つ、日本政府は力による平和ではない、世界で唯一の被曝国である日本の独自な立ち位置を明確にした、日本国憲法や非核三原則といった理念を、日米外交の場で積極的に提唱してはどうか。無論、この理念が世界平和の為の団結にとっては欠かせないものであり、国際政治の場でも現実的に役立つことを丹念に説明してだ。その例をあげれば被団協の活動が核戦争の抑止に貢献した事実はもう自明の理であろう。この大統領に3期目はもうなく、高齢でもあることを鑑みると案外、聞く耳は持っていると思う。

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