goo blog サービス終了のお知らせ 

想:創:SO

映画と音楽と美術と珈琲とその他

戦後80年の今

2025-08-15 17:08:52 | 日記

 8月15日は日本では終戦記念日とされている。ところが世界史的にはこの日を戦争が終わった日と定義している国はむしろ少ない方だ。米国は降伏した日本との降伏文書の調印式が実施された9月2日を対日戦勝記念日としているし、旧ソ連や中華人民共和国はこの翌日の9月3日を抗日戦争勝利記念日としている。またヨーロッパ諸国にとっては、ナチスドイツが降伏した翌日の5月8日がヨーロッパ戦勝記念日とされるのが一般的である。

 ただこのように戦争が終わった日としての認識のズレは世界各国で違っていても、今から80年前の1945年に、第2次世界大戦という世界が地獄に遭遇した巨大な人災が終息した事実は尊い。愚行を繰り返してきた人類も捨てたものではないというところか。しかし膨大な戦死者や、戦禍の犠牲者で戦後に多大な苦難の道を歩まざるを得なかった人々、それに戦争回避と戦争終結に心血を注いだ人々のことを考えると、現代において世界戦争の規模の紛争が、この80年間は勃発しなかったとはいえ、未だに悲惨な戦禍が無くならないのは忌々しい限りである。

 そして今年の8月15日、全国戦没者追悼式の式辞で、「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と石破首相は述べた。これは朗報といえるであろう。第2次世界大戦に対する「反省」の語句が2012年当時の野田首相以来13年ぶりに復活したのだから。むしろ13年もの間、この「反省」が式辞に抜けていた方が不可解である。

 そして歴史的にも古今東西、戦争を起こす為政者というのは、反省と感謝の気持ちに欠けている人々だ。またこれは何も国家元首のように強大な為政者に限ったことではない。私たちは有権者として選挙で政治家に投票する際にも、この反省と感謝があるかどうかで人物像を判断するのは有効だと思う。また職場や学校や地域社会といった共同体においてさえ、指導者に反省と感謝の気持ちが欠けていれば、その共同体には醜い搾取や諍いが生じてしまう可能性は高い。

 先の参院選の結果、与党は過半数を割り、衆参両院で少数与党になったわけだが、今後の国政において、国会議員の方々は是非とも反省と感謝の念を肝に銘じるべきである。それを踏まえて国民を窮乏から救う具体的なアクションを起こして頂きたい。そしてかつての大日本帝国も含めた帝国主義諸国が戦争に舵を切り、他国を侵略する略奪経済で暴利を貪るような路線ではなく、徹底的に今そこにある財務を分析して精査し、富を国民に還元するべきであろう。未来の人々の為にと唱えるのならば増税ではなく、天下りを廃止するなど国民負担とは違う切り口から問題解決を図るべきではないか。仮に天下りを廃止すれば、高級官僚の天下り先であった巨大企業は政府の要請を受けて内部留保を国民の為に吐き出す方向に動くはずだ。

 戦争の足跡が聞こえてくる時というのは、どの国でも政府の内政は機能不全に陥っている。そしてその元凶は国民目線ではなくなった政•官•財の中枢にこそあるはずだが、全体主義やそれに近い社会では国民は政府に洗脳されており元凶には気付けない。しかし民主主義社会でさえ、SNS等のネット空間でAIを悪用した洗脳技術が進歩してくれば、危険水域に達して戦争を積極的に肯定する気運さえ生まれてくるであろう。

 この戦後80年の現在地点において、戦争で唯一核攻撃を受けた日本が、世界に対して国際平和の観点から果たすべき役割は極めて大きいといえる。これは今年に被団協がノーベル平和賞を受賞した事実がその最たるものだが、特に為政者の意志決定において、戦争という政策を選ばないようにさせる平和外交のソフトパワーこそ、日本の最高の存在価値ではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参院選2025

2025-07-15 23:06:17 | 日記

 来週の日曜日、7月20日に第27回参議院議員通常選挙が実施される。政権交代が実現するかどうかまではわからないが、現段階で与党が苦戦しているのは明白なので、恐らく選挙結果では与党の過半数割れはほぼ確実であろう。仮にそうなれば、自公政権は衆参両院で少数与党になるわけだが、与党が多数派であった過去の政権運営よりも、民主主義は国民目線に近い形で正常に、そして健全に機能していくと思われる。実際、減税や給付の意見が政権側からも出てきたことはその証拠であろう。

 給付される2万円は雀の涙ほど陳腐な数字だが、給付が無いよりはマシだし、与党が給付の実現を選挙前に提唱してきたのは、そこに選挙で勝ちたい思惑があるからだ。しかしこの2万円という数字はお粗末すぎるほど焼け石に水であり、これで景気が上向く可能性は限りなくゼロに近い。また貧すれば鈍してさらに窮する大多数の国民生活もこれでは上向かない。給付を受け取った人々は貯金するか、生活の足しにするかで完結してしまう。与党も選挙で勝ちたければ一律ではなく、低所得の人々への給付を10倍の20万円にでもするべきであった。その意味で与党はやはり野党よりも国民目線が弱いと感じざるを得ない。

 少数与党では国会が停滞して決められない政治に陥るという危惧もあろうが、過去の与党が安定多数の第2次安倍政権において、いつの間にか消費税が5%から10%になっていた事態は、むしろ停滞なく決められる政治の欠点でしかない。要は国会ですんなりと通ってしまう法案が国民を苦しめる内容であることの方が危険なのだ。その意味で、今の少数与党の状態は悪くはない。税負担だけでなく、社会保険料の負担も国民生活に大変な圧迫を与えている事実が広く国民に認知されだしたし、こうした経緯は野党のチェック機能の精度が上がってきたからである。尤もそれでもまだ他の民主主義諸国に比べれば、その精度は弱い方かもしれないが。

 来週には選挙結果も判明し、予想通りに衆参両院で少数与党になった場合、国民にとって望ましい展開は、とにかく政府が国民負担を減らす方向で実直に動き出すことだ。減税と給付は勿論のこと、それにプラスアルファして全知全能を尽くし、速やかに窮乏する国民の救済を実現すること、これに尽きる。今の国民負担を減らせるのなら、与党も野党も各党の政策を折衷して協力しても良い。

 何よりも2024年度の国家の一般会計税収は75兆円を超えているのだ。これは5年連続で過去最高を更新している。その概要は詰まるところ物価高や円安の恩恵を受けた企業の業績好調が主な要因だが、その影響で消費税と法人税の税収が伸びているのだから、国民に還元しないのは人災である。この人災をこれ以上エスカレートさせない為にも、野党が過半数を上回るべきであろう。ただしここで安心できないのは、野党で得票数を伸ばした政党のどこかが与党と連立を組むシナリオだ。これは投票した有権者に対する背信行為だが、どこの国にもこういうことができる政治家はおり、その意味で、選挙における有権者には慎重な意志決定が必要不可欠となる。

 特に選挙戦も終盤になってきた今、勝つ為には手段を選ばないような動きが見られる現象は甚だ残念である。SNS等のネットで先鋭化しだした自国ファーストや外国人排斥の声が多数派の盛り上がりを見せており、それに連動して安直に票を稼ごうとするイメージ戦略が顕在化してきた。これは昨今、日本に限らず民主的な選挙が実施されている諸外国でも見受けられるが、非常に拙いのは本質的な問題が隠蔽されてしまうことである。現状の大多数の国民生活が窮乏しているのは、外国人が元凶ではなく政治が機能不全に陥っているからだ。それにそもそも世界最先端の人口減社会を走っている日本は、外国人と融和し共生する道を模索する方が現実的である。

 また変化を好まず政府に対して従順な姿勢を維持してきた人々も、流石にこの物価高による生活苦は相当に応えてきたはずだ。物価高を上回る賃上げというスローガンも聞こえてくるが、日本の会社の90%以上は中小企業であり、自転車操業で経営が厳しい会社も多い。つまり税という安定した収入源がある政府こそが本来は救世主にならなければいけない。政府は安易に経済成長で問題解決が図れる路線も掲げているが、だとすれば緊縮財政から脱却して、まず国民にもっと富を還元するべきである。それも国民に投資をする気概で、中長期的な視点を持ってだ。

 日本は民主主義の法治国家ではあるが、日本で生まれ長く暮らしていても未だに選挙権の無い人々も存在する。つまり日本はまだ民主主義社会としては道半ばなのだ。それゆえ日本の選挙において有権者の一票は重い。これから選挙に行く人は自らの心の声を素直に聞き、是非とも悔いのない投票をしていただきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モネ 睡蓮の時 / 京都市京セラ美術館

2025-07-01 23:39:23 | 日記

 印象派の巨匠クロード・モネをこのブログで取り上げるのはこれで3回目である。そして今回は、今年の京セラ美術館で開催された展覧会に関してなのだが、「睡蓮の時」という言葉が冠せられている通り、まさに展示空間全域がほぼ睡蓮三昧であった。

 ただ私個人にとってお目当ての作品は、1897年に完成した日本初公開の「ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出」で、実はこの絵には睡蓮が明確に描かれている形跡は弱い。それでもこのぼんやりとした安息の境地には、密やかではあっても何処かに睡蓮が存在している気配はやはり感じられる。そしてそのような日の出の光景には、心の琴線に響く何か神秘的な魅力があり、それはきっと人間がこの世界を支配している日常とは相容れない幻の風景をモネが創造したからであろう。

 とりあえずこの「ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出」を拝めただけでも、京都まで足を運んだ甲斐があった。今回、載せている写真は館内撮影が許可されている絵で、1914年から1917年頃にモネが描いていた「睡蓮」である。この絵は表現された色彩の親和性が先に述べた「ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出」と非常に近い。この絵の中にも、その日の出の空気感が漂っているからだ。

 モネが描いた睡蓮の絵の総数は200点以上にも上り、この研ぎ澄まされた視覚に恵まれた画家にとっては睡蓮こそが、その創造の動機となる主要なテーマであったと思われる。ただこの2つの絵には20年近い時の隔たりがあり、57歳のモネが描いた絵と77歳のモネが描いた絵における肉体的表現の違いは、当然のこと否定できない。無論、作品の優劣といった価値規準は抜きにしてもだ。

 モネが睡蓮を主題にした連作の制作を始めるのは1889年からで、86年に及んだ長い人生が半世紀を過ぎた辺りからである。そして昨年のブログに載せた、大阪で開催されたモネ展で館内撮影したモネの絵も睡蓮の連作であった。しかも日の出ではなく黄昏を描いたあの絵は還暦を過ぎた60代に制作した絵なのだが、ひよっとすると彼が睡蓮を主題に選んだ理由には、当初から死生観さえ表現する意図があったのではないか。睡蓮の花は朝に開いて夜に閉じる。その有様には生まれてから死ぬまでの人間の一生を象徴するような趣きさえ感じられる。今年5月の京セラ美術館では、そんな想いがかなり強く残った。

 特にモネの実人生は40代以降、絵で生活できるほどの経済的余裕が得れたとはいえ、トータルで客観的に把握するなら苦労人の生涯だ。また長命であったがゆえに、家族に先立たれる不幸も多く、そして晩年は白内障を患って健康寿命も尽きてしまい、絵筆を握った手も自由自在に動かせない状態での制作活動は、想像以上に苦闘の連続であろう。要は老いの進行で必然的にリアルな死を意識せざるを得ない心境になったと思われる。

 ただモネは19世紀後半から20世紀前半を生きたフランス人であり、当時の国民皆兵というフランス政府の政策で、青年期には徴兵されてアフリカ大陸のチュニジアへ派遣されている。チュニジアの隣国アルジェリアが既にフランスの植民地になっていた為、現地のフランス軍はかなり精強で攻撃的な組織だったはずだ。案の定、モネは兵役に就いて数ヶ月も経ずしてチフスに罹り帰国している。

 19世紀のチフスは治療法もまだ確立されておらず死亡率も高かった為、感受性豊かなモネは自分の死を容易に想像できたであろう。そして幼少期から学校が嫌いだったモネにしてみれば、強制的な軍隊組織の生活には全く適応できなかったのではないか。またそれを裏付けるように1870年に普仏戦争が勃発すると、モネは兵役を避けてオランダ経由でイギリスへ渡っている。

 チュニジアでの兵役の実体験は殆ど語らなかったモネだが、現地の自然の美には深く感化された。特に光と色彩の印象は瞬間的な感動で終わらず、心の奥に萌芽として息づき、明確な形はとらずとも、その後に延々と続く創造における探究の礎になったと述べている。

 これはあくまでも推測だが、チュニジアでの兵役の期間、暴力的トラブルから現地の民間人が軍隊に殺害されてしまうような不条理で衝撃的な死に、当事者ではなくとも直面した経験も想定できる。またそうした悍ましい記憶があるからこそ、普仏戦争では徴兵から逃れたようにも思えるのだ。

 またモネ自身もチュニジアでチフスに感染しており、やはり青年期に過ごしたチュニジアでの数ヶ月が、モネの心に大きな内的変化を齎らす契機になったのは間違いない。そしてその青年期から画家として様々な試行錯誤を繰り返した果てに30年以上の時を経て、睡蓮というテーマに辿り着いたともいえる。しかもそこからモネが睡蓮の制作に没入していく時期に、世界では紛争が増えていった。ここから考察できるのは、明らかにモネには内戦や戦争を含めた紛争という人類の愚行に対する批判精神があったことだ。

 睡蓮を描きだしてからのモネの絵は人間不在の風景画だが、そこには世界を人間中心的に捉えるのは良くないというメッセージが感じられる。そしてそれは人間同様に絵の中に姿を見せない鳥たちが、人間とは異なり自然を破壊しないその性分から、戦争などしている場合ではないと囁く鳴き声のようだ。

 第1次世界大戦中にも、モネは睡蓮の制作に専念していたが、私たち人間は意外と戦争という人災のイメージが強烈なほど具体的であるのに対して、人災ではない平和のイメージは曖昧で漠然としている感は拭い得ない。しかしこれは実のところ、理想状態の平和に近づく努力が私たち人間にはまだまだ足りないということの証明であろう。恐らくモネはそれに気づいていたのではないか。モネの創造した世界は鑑賞者に大きな安らぎを与えてくれるが、そこに包み込まれることで、平和の大切さや希少さを実感できれば、次は平和をかなえる行動へとステップアップできる。

 この展覧会でもアナウンスされていたが、モネの真摯な画業の到達点は、現在のフランスのオランジェリー美術館で具現化した、鑑賞者を360度ぐるりと睡蓮の大作の壁面で包み込める、楕円の展示空間「モネの部屋」の大装飾画である。今回の京セラ美術館では、この大装飾画の構想となった2メートルを越える大画面の睡蓮の絵の数々を鑑賞できたが、最晩年のモネの創造意欲とその執念は十二分に伝わってきた。かつての色彩の魔術師の域からは逸脱した色味や配色は見られても、悠然とした睡蓮の存在感は永遠であり、睡蓮の浮かぶ水面は広大な自然を映しだしている。そこは平和が終わらない世界である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県立美術館でのパウル・クレー展

2025-05-27 22:57:49 | 日記

 今月中旬に兵庫県立美術館で開催されていたパウル・クレー展に足を運んだ。クレーの絵は日本でも広く親しまれているのだが、日本人の好きな西洋画家ベスト5に入るほどではない。ネットで調べたあるランキング調査を拝見したら、1位はゴッホ、2位はピカソ、3位はモネ、4位はレオナルド、そして5位はフェルメールになっていた。この調査対象がどういう人々なのかは知らないが、意外性はさほど感じられず、ほぼ納得できる結果である。それでも多分、クレーはランキングの20位には余裕で入るのではないか。実際、今回展示されているクレーの絵は、日本の美術館が所蔵している作品が非常に多かった。

 この展覧会では「創造をめぐる星座」や「20世紀美術に燦然と輝くスターたちとの共演!」といったキャッチコピーも冠されていたが、さすがにこれは商業的成功を意図した宣伝文句であろう。なぜならクレーという人はそんなに人脈が広い方ではなかった。1879年にスイスで誕生し、青年期にドイツへ留学して美術を学び、結婚して家庭を築いて以降、無名の画家時代には音楽教師の妻に家計を支えられていたが、家事は万事怠りなく彼が担当し、愛情豊かな育児日記を書いたりしている。

 美術史で有名な「青騎士」という芸術家のグループでも公認されたメンバーではなかったし、本当のところ余り社交的ではない分、家族や気心の合う画家仲間を含めた少ない友人たちとの狭い人間関係の範囲で、ささやかな幸福を志向していたのではないか。また父親が音楽教師であり、母親も音楽学校で声楽を学んでいた環境で育った為、彼自身も趣味でヴァイオリンを弾くほど音楽愛好家であった。恐らく妻のリリーも経済的に裕福ではなくとも、音楽に守護されたような慎ましく幸福な家庭を望んでいたと思われる。

 展覧会の展示構成は10代の未成熟な絵から、最晩年の還暦に描いた遺作までを、6つの章に分けて展示していた。1章が「詩と絵画」、2章が「色彩の発見」、3章が「破壊と希望」、4章が「シュルレアリスム」、5章が「バウハウス」、6章が「新たな始まり」という主題で構成されているのだが、ほぼ時系列が前後しておらず、クレーが創造者として生きた時代が激動の20世紀前半であった事実を、年表を辿るようにしてまざまざと認識できる。

 2章の「色彩の発見」の時期の作品は、北アフリカ旅行に触発されて、現地の風景の美観に感化されたことによる色彩表現の飛躍を如実に感じ取れる。この時期は戦争にクレー本人がまだ巻き込まれておらず、芸術活動を謳歌する彼の幸福感が絵にも如実に表れているし、制作姿勢も楽観的であったことが伝わってくる。特に第1次世界大戦が勃発する引き金は、1914年に起きたサラエボ事件のオーストリア皇太子夫妻の暗殺であるが、この年に完成したクレーの絵も鑑賞できるとはいえ、まだ不穏な雰囲気は感じられない。むしろ3章の展示空間に登場する「冬のバイソン」という絵は、1913年に完成した作品でありながら、翌年に現実化する大きな戦争の予兆がクレーの無意識に潜んでいるような、近未来への不安を感じさせる。

 その3章の「破壊と希望」の時期に絵を制作していたクレーは第1次世界大戦に従軍し、戦禍で友人を失うという悲惨な体験もしているが、このそれ迄の歴史上かつてなかった規模の巨大な戦争が、彼の精神に最大級の衝撃を与えたことは間違いなかろう。展示されている多くの絵には、小市民の家庭的な幸福が戦争という残酷な人災で圧殺されてしまう恐怖さえ感じられるほどだ。

 4章の「シュルレアリスム」と5章の「バウハウス」では、4年以上も続いた第1次世界大戦が終わり、その戦争の痛手から立ち直り美術界でも絵が評価されていく時代になっていくが、6章の「新たな始まり」では在住していたドイツでナチスが台頭し、前衛芸術家への弾圧を受けて、スイスへの亡命を余儀なくされる。

 クレーがドイツから去って後に、第2次世界大戦がとうとう勃発してしまうが、彼が他界するのは1940年であり、第1次世界大戦よりも戦域が拡大し犠牲者も膨大化する第2次世界大戦はまだその終わりが見えなかった。ただ外側の世界が恐慌状態に陥っていく中、亡命直後こそ創作意欲も減退し作品数も激減したが、数年後に復調すると病に冒されながらも創造活動は旺盛になっていく。この晩年の作品群には140点の自作品がナチスによって「退廃芸術」の烙印を押されて没収されたことへの抗議や弾劾を感じさせる絵もあるのだが、むしろ戦争に決別した彼の精神から生まれた希望の色合いの方が濃い。つまりクレーは最後まで希望を捨てなかった。

  私がクレーの絵画世界でその絵に神秘的であると同時に親愛感溢れる魅力を感じてしまうのは、格子の目を色違いで並べた市松模様のようでありながら、そこに嵌め込まれた四角形のサイズが一様ではない抽象画たちだ。この幾何学的な色彩構成が独特なのは、視覚表現でありながら鑑賞する側が、聴覚表現に接するような時間感覚を受容できることである。恐らくクレーは音楽家が作曲に際し、誠実に一音一音を選ぶように、サイズの違う一つ一つの四角形に色を選んで塗っている。

 つまり完成した絵は、十二分にクレーが音と音の関係性に配慮して作曲した音曲の印象に近い。私たち鑑賞者はクレーの絵と向き合った時、始まった音楽が終わるまでそこを立ち去ることができなくなるように、絵の前で留まる他ない。そしてこの時間は名残惜しいほどに、見る人によっては癒される体験になるのだ。

 私が一番好きなクレーの絵は、5章の「バウハウス」の空間に展示されていた「北方のフローラのハーモニー」だ。この絵が完成した1927年のクレーはバウハウスで教職に就いていた頃であり、まだドイツにおいてナチスは台頭していなかった。それはこの絵には、数年後に人間の心の領域にさえ侵入し蹂躙するファシズムへの警戒や不安が微塵も無いことからも明らかだ。この絵が50個以上の固い四角形で構成されていても、絵全体の印象が温かく柔らかいのは、第1次世界大戦の惨禍を知り尽くしたクレーが平和を強く希求するがゆえであろう。

 つまりクレーの心の中では、もう2度と世界大戦が起きてはならなかったのだ。しかし時代はそんな彼の気持ちを裏切るように、やがて第2次世界大戦がはじまってしまう。こうした歴史的事実を鑑みると「北方のフローラのハーモニー」は痛切極まりない絵だが、最晩年のスイス亡命後の1年間で1000点を超える鬼神の如き創造活動の起動点になっていたのかもしれない。

 「北方のフローラのハーモニー」は今回の展覧会の看板やポスターやウェブページにも象徴的に使用されているが、このブログに載せた写真では、奥側ではなく左手前の大きな看板で確認できる。また展覧会ではクレーの名言も紹介されており、それは彼の墓石にも刻まれている言葉だ。「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも、一緒に住んでいるのだから」これは 「北方のフローラのハーモニー」の絵からも、彼の肉声として聞こえてきそうな普遍的メッセージである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノの音色

2025-04-30 19:31:27 | 日記

 今年は昨年と同様に、いやそれ以上に気候変動の激しい年になっているのかもしれない。もう最強寒波が厳しかった冬は過ぎ去り、今は本来ならば春の季節なのだが、桜は開花してくれたものの、日によっては気温の上昇が急で夏日が出現したりする。しかも一日の気温の高低差も極端で、朝晩は冬のように寒いのに、太陽が顔を出している大半の時間が夏の暑さだ。おかげで過ごしやすい春や夏の気温に浸れるのは、ほんの少しばかりの時間である。これでは体調不良になるのは避けられそうにない。 

 そのせいか、ここ半年以上、聴いている音楽は癒しの効果を実感できる曲が多い。特にジャンルでいうと、クラシックのそれもピアノが主役の音楽だ。モーツアルトは男性よりも女性のピアニストの演奏に癒された。特にイングリット・ヘブラーは協奏曲も独奏も秀逸なことの上ない。またバッハとベートーヴェンやシューベルトは、このブログでも紹介したスヴャトスラフ・リヒテルの演奏ばかり聴いていた気もするが、YOUTUBEで検索する機会も増え、ピアニストの出身は洋の東西を問わず聴いていた。また新たに発見した演奏を聴くことで、鑑賞するレパートリーが増えたようにも思う。ただしショパンの曲はクラウディオ・アラウの演奏に限定していた。 

 しかしクラシック音楽で使用される様々な楽器の中で、ピアノこそ癒し効果が最高だというわけでもなかろう。多分、今回の気候変動からくる心身の疲弊に、それも個人的なレベルで効果的に、ピアノをメインに据えた音楽が最大級に作用してくれたというのが正解のはずだ。そして著名なピアニストたちは、音楽を鑑賞する人々へ、特に心身が弱っている人々に対し、そのような優しい配慮も携えて演奏しているように思われる。特にキース・ジャレットのピアノの音色には助けられた。聴いていて持病でもある偏頭痛が忘却の彼方へ消えていく、そんな心地良い錯覚さえ感じた。

 キース・ジャレットはクラシック畑の人というよりも、ジャズ・ピアニストとして著名で、米国人だが欧州を代表する名門ジャズ・レーベルのECMに在籍している。実際、このECMを代表する音楽家として認識しているジャズ愛好家は世界中に多い。実は私もそんな1人で、特に初めて即興ピアノ演奏の最高傑作と名高い「ケルン・コンサート」を大学時代に鑑賞してから、その虜になって彼のレコードを買い漁り、一時期はキース・ジャレット以外の音楽を耳にしなくなったことさえあったほどだ。またコンサート歴では、キング・クリムゾンに次いで多く、大学生の時に大阪でソロ・コンサートを体験して以降、社会人になってからも幾度か東京のコンサート会場に足を運んでいる。

  以下に紹介するYOUTUBEのアドレスは、キース・ジャレットのオリジナルのピアノ協奏曲である。タイトルは“The Celestial Hawk”という邦訳すると「天の鷹」という意味だが、音楽を聴いていて脳内に浮かぶ情景は大自然を鳥瞰したような風景、あるいは鷹という鳥の視界そのものかもしれない。ジャンル的には伝統的なクラシック音楽の範疇に収まっているものの、現代音楽家が作曲した歴然とした稀有壮大な音空間である。キース・ジャレットの場合、オリジナル以外ではジャズのスタンダード、バッハやモーツアルトの作品もリリースしているが、このピアノ協奏曲が素晴らしいのは国境を越えた魅力に満ちているところであろう。つまり西洋と東洋を融和する無国籍な音楽を連想させる。私が一番惹かれるのは第三楽章の、ゆっくりとした穏やかな川の流れのようなメロディだが、謙虚な佇まいでオーケストラに溶け込み自己主張を抑えていながら、ピアノが超越的に音楽空間に存在している点は3つの楽章全てに共通している。素晴らしいのは強い音色よりも、無音から密やかに飛翔し、無音に着地していく静かな弱い音色で、これこそ癒しの極致であろう。

First Movement

Keith Jarrett - The Celestial Hawk - Second Movement

Third Movement

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする