想:創:SO

映画と音楽と美術と珈琲とその他

Stay Home

2020-04-30 19:10:45 | 日記
外出せずに家で過ごす時間が増えたことで、いろんな発見が増えた気がする。緊急事態宣言がなければ、朝早く起きて交通機関を使い職場へ出勤し、そこで仕事をして、仕事が終わったら、そこそこ長い通勤時間を要し家路につくわけであるが、こうしたサイクルを繰り返していると、ついつい大切なことを見落としていたりもする。

昨年にブライアン・フェリーの来日公演があったことをうっかり忘れていた。ブライアン・フェリーはイギリスのミュージャンで、ロキシー・ミュージックというロックバンドのオリジナルメンバーだ。そしてバンドの創設者、つまりリーダーである。

私はロキシー・ミュージックの音楽も好きで、アルバムも多数保有しているのだが、どちらかというと曲によって好みが分かれてしまっている。この為、全く聴かなくなってしまった曲も多い。この巣篭もり生活において、たまたまyoutubeで好きな曲を検索したら、いとも簡単に出てきたのでご紹介したい。この映像は2011年のフランスのリヨンでのライブである。

TaraとMy only loveの2曲が、以下のアドレスからご覧になれます。

https://m.youtube.com/watch?v=SHK1S9UnSKs#searching

https://m.youtube.com/watch?v=D7ZDhr9wChg

この2曲は悲しい旋律が特徴的だが、ブライアン・フェリーは音楽における悲しみの要素にとても惹かれると、どこかのインタビューで答えていたのを思い出す。彼はそこで多くを語ってはいなかったが、音楽には悲しみを癒す力があり、それを肯定し、そうした音楽を創りたいんだということではなかったか。そして、音楽における悲しみへの癒しは、聴く人に対して悲しみの受容を否定しない。むしろ、受容した深い悲しみを浄化し、痛んだ心を絶望から希望へと昇華させるものである。この2曲にもそれを強く感じる。

今、新型コロナウィルスの猛威で、日本でも既に多数の死者が出ている。生ある者には必ず死は訪れるとはいえ、感染の危険性の為に肉親の死にも立ち会えないのは痛恨の極みであろう。

前回のブログにも書いたが、この未曾有の疫病を収束させるのは、私たち人間一人一人の行動次第だ。日本はまだオーバーシュートしていないが、油断すればその危険性は非常に高い。この大型連休で、どれだけ日常生活における外出を80パーセント近く減らせるかが鍵になる。そして政府は非常事態宣言により経済的な打撃を被ることになった国民に対し、さらなる手厚い援助を続けるべきである。このような大規模な災厄による事業や雇用や家計の崩壊を防げない政府には存在価値など無いからだ。


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大いなる試練

2020-04-04 22:49:21 | 日記
コロナウィルスの猛威は地を覆う雲のような勢いで拡散し、凄まじいことこの上ない。前回にこのブログで書いた時と比べると感染者数は莫大に増えてしまっている。しかしながら、このとてつもなく困難な局面において私たちは決して自暴自棄になるべきではない。そしてこれは人類にとって未だかつてない大きな試練であり、私たちは畏れつつそれに耐えることを試されているかのようだ。

この新しい疫病が、ほぼ地球上全体に瞬く間に広がってしまったのは、現代が過去のどの時代よりも著しく文明が進歩したことにより、短い時間で広い空間を移動し利用できる状態になってしまったからであろう。しかしながら心強いことに専門家や識者の方々が、コロナウィルスは制御できると明言されている。それはシンプルに納得できることであり、私たちの行動を変えることで可能である。

そして今さらながら、この巨大な危機に直面したことで、為政者の心も清新に変化してきたようにさえ思える。多くの国々の政府が富を国民へ大規模に還元しはじめたのだ。しかも戦争とは違い、平和的に生命を守ることが、このウィルスとの闘いである。もはや国同士が争っている場合ではない。ある意味、最近の世界情勢は、各国政府が互いを信頼し協力することで、一つの世界政府が地球上に存在しているかのような印象も受ける。これは絶望の中、新しい希望と優しさが芽生えている証ではないか。

コロナウィルスには、ペストや天然痘をはるかに凌ぐ脅威を感じるが、私たち人間一人一人の行動によって、状況を好転させることは可能なはずだ。そしてそれは私たちが自制できるかどうかにかかっている。外出を控える、3つの密(密閉空間、密集場所、密接場所)を避けるといった日常生活における自己規制を全うすること。それによって、感染者数も抑えられるし、何よりも時間を稼げるのだ。つまりこのウィルスは非常に手強い為、有効な新薬の開発等には時間も要することが予測できる。その意味では一刻の猶予も無い。日本はまだオーバーシュートにはなってはいないが、著名人に感染者や死者がでてきたことを考えると、油断などできない状態が今後も続く。 

ここは、私たち人間は、身近な草花のような植物を見本にすると良いと思う。彼らは同じ場所から動かず、謙虚にじっとしている。それでも彼らは広大な自然を構成する一員であり、希少な存在価値を有する。私たちは感染者ではなくとも、動けない感染者のように振る舞うべきである。人が動かないことで、人命を破壊するウィルスの動きを止めてその拡散を防ぐことができるのだ。これは実に具体的で直接的な効果だ。選挙で巧みなパフォーマンスを演出し明るい未来を公言する政治家に投票するのとはわけが違う。日常生活における個人の意志決定が、世界中で崩壊しつつある人間社会の再生に直結している。


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