日々是好日

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あれこれ雑記

ダウト

2018-03-27 14:41:16 | 日記

原作は「疑いをめぐる寓話」ですが、トランプ遊びにあるダウトを連想しました。日本では平成二一年に公開された映画です。観たのはDVDです。最初の印象で不明な点がありましたので、ウイキペデアで調べた結果以上の点が判りました。
ある厳格なカトリック学校で校長から年若いシスターの教師がすべてのことに疑惑をもって当たれと命じられていいました。若い彼女は、進歩的で生徒に人気も高いフロン信父と黒人少年とが性的な行為を行ったという疑惑を持ち、校長に告白します。しかし若い教師は、フロンからそれが単なる勘違いであったことを告げられ、その疑いを解くのでした。校長は執拗にフロンの罪を追及します。
「神の意に沿う行為を為すためには、神を遠ざかる手段をとることをも辞さない」としてフロリの「罪」を厳しく追求し続けるのです。
このあたりのものの判断がなんとも解せななかったので、不明を糺してみました。この映画は数多くの賞を受けた映画だそうでが、快いものではないものが残りました。

猫の花見

2018-03-26 14:08:13 | 日記

眠ったいような日和です。御笠川沿いに遊歩道があり、石のベンチに座ってぼんやりしていれば天下泰平、ただ昨日は弁当を手に花見に出かける人々が前をかなり通り過ぎました。泰平の惰民は唯座ったままです。行き過ぎる人々に交じって犬も牽かれています。大凡は小型犬ですが、猫に似た面構えの小犬が道路川端を歩いています。面容を眺めると全く猫です。川沿いに近い方は確かに猫です。そして道路側で主人に付き添っているのが犬です。二匹の小動物を曳いているのは飼い主です。恐らくお花見に出かける途中でしょう。しかし良く躾けたものです。猫もお花見に出かけて悪くはない、ましてや寒かった後のお花見です。
昔々の中近東で猫を殺すと死刑と、定められた国があったそうです。少々無茶な刑罰だと思い、猫に関する本を繰ってみたことがありました。古本ですが、二冊持っています。「不思議猫の日本史 北嶋博敏先生著」「猫は犬より働いた 須磨 章先生著」です。どちらも猫に関しての詳しい知識が書き込まれています。花見に出かける猫についての例は書れていなかったようでしたが。あるいは見落しかも知れません。

スクラップの愉しみ(その2)

2018-03-23 14:00:25 | 日記

軍夫として、鹿児島における戦況を次のように便りを寄越しています。
薩州鹿児島の城下海岸の際泉町と申す所に宿陣す。未だ郵便所是無きに付き、同県庁より取り次ぎ蒸気船郵送に相成る旨聞きつけ御安心のためあらまし当地の景況申し上げ仕り候船は品川丸外に14隻あって三日午前八時の鹿児島向けへ出航し、四日午前五時、桜島沖に碇をおろし、午後五時から小舟で鹿児島城下に上陸、さらに四月二六、二七日にも、一一艘の蒸気船が着き、続々鹿児島に上陸し、台場を城を築いた。斬り込みの将兵は、山村竹林にもれなく兵を配置し、そのさまは城兵何万寄せてもとてとも官軍を打ち破る不可能と思えた。
また軍夫は、夫卒に至るまですべて安心していて、昼寝できるようであった。片夫でも一日七五銭の日給を受け、百長である私は、戦地へ行くこともなく、部下にも病人はいない。
日給は百人長が一円、二〇長が七五銭、平夫が五〇銭と記載されている。
当時米一俵が一円内外であったから、命を的に軍夫に応じたのである。百円の大金を得て無事帰村し、分家を建て、その上、五・六反の田畑が買えた者ものある。しかし流れ弾に倒れ、あるいは流行病に死んだ者も少なくなかっようである。
戦地から遠く隔たった静かなわが山村も戦役の余波はひたひたとせまり、悲喜こもごもであったことが今に伝えられた。
とスクラップの「軍夫の戦地便り」に書いて有ります。参考までにこの年明治六年は徴兵令が布告されました。

スクラップブックの愉しみ

2018-03-22 20:43:30 | 日記

新聞の読者のなかには、興味の有る記事の切り抜きを趣味にする方がおられると思われます。しかしスクラップ帳に貼り付けたまま紙の変色に任せとなる惜しい場合もが多いことでしょう。機会を得て知識を広めろこともあります。このスクラップは国立福岡中央病院神経科部長安陪光正先生が新聞社に寄稿されたものです。題材は松本清張先生の「西郷札」に関連するやもしれません。
それは「一軍夫の戦地便り」です。九州全土をまきこんだ西南の役には、筑前からも多数の官軍将兵が従軍するとともに、また多くの軍夫が雇われた。軍夫は、直接戦闘に参加するのではなく、戦場では食糧や弾薬を運搬し、あるいは陣地を築いた。彼らの多くは農村青年であり、戦いが明治十年二月から九月にわたってたので、軍夫応募者の多いところでは田畑が荒れてしまったといわれている。
私は先日、故郷福岡県朝倉郡三奈木村住んだ曽祖父安陪庄作あての手紙を整理中、村から応募した百人長(軍夫百人の長)の戦地便りを見出した。
それは巻紙に達筆で書かれた約千百字書状で筆者名は書かれていませんでした(その一)。

源平桃

2018-03-20 14:01:46 | 日記

 既に桜の蕾が膨らんだところもあると聞きます。数年前桜が終わったころ、柳河の堀川沿で源平梅の美事な並びを眺めました。実は呻吟語について書き足りないので、続きを書くつもりでした。しかし如何にも時好に合わせた気持ちになります。そこで材を替えました。 狭い庭ですが源平桃が美事な紅白の花を咲かせます。
 昭和三十三年ごろ、中国詩人撰集第一巻が本屋の棚に並びました。定価は百八拾円、新書・紙箱入り布表紙でした。その第一巻目は「詩経国風 注は吉川幸二郞先生」です。
 桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宣其室宣
 わかわかしい桃の木。つやつやしたその花。そのように美しいこのむすめはお嫁に行ったら、うまく家庭に調和しよう。
 注に、今でも婚礼のときにこの歌を歌う地方があるそうだ、とあります。老輩に源平桃が艶を含んでいるように見えたのはそのせいでしよう。