日々是好日

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あれこれ雑記

兼好法師

2017-11-30 12:13:53 | 日記

いまは消えてしまったデパートに玉屋が有りました。そこでは「古本市」が時折開かれていました。今のブックオフとは随分おもむきが違っていたように思います。その頃には、手書きによる写本も有りました。そのなかから徒然草の美事な筆字による写本を二冊求めました。当然変体仮名で書かれています。かなりの筆者と思えますが、未だに全文を読み得ずにおります。しかし筆巧者で、かなり学識のあるお方であることは推察され、大事にしております。徒然草については、各処の意趣に関して同意し得ないところが多々あります。生活上の常識に類するものです。
先日の新聞広告に、小川剛生先生著「兼好法師」が発売されたことを知り、福岡市内の三店舗で求めましたが有りません。やっと何時もは覗かぬ西鉄福岡駅ビルのメトロ書店で買いました。新聞広告日にそれだけ売れたとする実績があるならば、兼好法師についての関心はかなりのものだと思いました。
老輩は偶々「十訓抄」を捲っていました。そして徒然草記述にも絡みがあることを知りました。なかなか素人には判らないことです。
その古本市の時代は、老輩にとっては、先立つものが最も不足がちな頃でした。
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蛸と海鼠の料理

2017-11-28 21:10:31 | 日記

東洋文庫には、和漢三才図鑑十八巻もあります。著者は寺島良安、百科事典ですが、種々役立たせて貰っています。いわゆる硬い記事ばかりではありません。例えば蛸と海鼠の調理法については次のような記述です。
蛸の頭は嚢に似て肉は薄い。しかし足の肉は厚く味も美味い。けれどもアワビより硬くて、老いた歯では噛めない。柔策(未見不明)で数回叩いて後煮ると肉が柔らかになる。ショウガ酢で食べる。酒と水を等分にしてとろ火で半日ばかり煮て、それに醤油を加えて再び煮ると、柔らかで脆く、甘美さは倍になると簡明で老人向きの心使いもあるようです。
海鼠は稲藁を忌む性質がある。もし稲藁を掛ければ、身体はとろけて泥のようになる。一度聞いたことがありますが、試したことはありません。なにしろ安いものでは有りませんからネ。ところで今朝の新聞に、「砂ゼロアサリ」試験出荷へという記事がありました。蜊貝の養殖に福岡市が力を入れているという報道を聞いてはいました。湾内では赤貝も獲れていましたが、ジャリゼロ浅蜊貝の養殖が成功は何としても一大朗報です。
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正倉院の御物

2017-11-24 15:06:52 | 日記

二日市まで散歩することが有ります。太宰府市内には、本屋さんが有りません。イオンの店内にはありますが、なにしろスーパーの店内ですから相応の商品しか置いていません。しかし覗いてみます。何時かは教科書の売れ残りでしょう『日本史通覧 帝国書院』を買いました。非常に便宜な本でした。
先日は『知っておきたい日本の皇室 皇室事典編集委員会』が僅かな金額で買うことができました。なにしろ雲の上の事柄に関してですから、知らぬ事柄ばかりです。
毎年秋に正倉院の宝物の点検があります。その折りの状況をテレビ放送を見たことが有ります。シルクロードの終着点の御物の数々を初めて目にふれました。昭和二十二年に、宮内庁の書陵部の所管となり、現在は宮内庁の正倉院事務所が管理しています。
収蔵品は、絵画、 書跡、金工、漆工、木工などの外約一万件に及ぶ品々で、唐や西域、ペルシャなどから渡ってきたものも混じっているそうです。
『沈香も焚かず云々』の老輩とは違い、正倉院御物の蘭奢侍と呼ばれる香木は、時の権力者足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇に削り取られたと伝えらています。明治天皇はご自分のものだから構いませんが、権力者は欲張りですね。
何でも海岸に流れ寄った雑木を、地元民が知らずに燃やしたところ、遠く漂う煙から香木で有ることが判ったそうです。
海岸を散歩するときは、眼を皿のようにしましょう。燃やすと、有機瓦斯発散のペットポトルばかりではありませからね。
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玄海の美事な小呂島

2017-11-22 17:48:37 | 日記

平成一五年三月二十日午前11時近く、お寺へお詣りの途中でした。天神地下街を歩いていました。突然若い女性の大きな悲鳴を聞きました。何事かと表道路に駈け登りました。正面のビル壁面の硝子は、無残に崩れて落ちています。福岡西方沖地震です。小呂島近くが震源です。
先日小呂島の現況を動画で見ました。地元の団結と復興への熱意がしからしめた結果と思われます。
『玄海の島々 野間吉夫先生著』という本があります。昭和四十八年九月三十日発行です。この中の記事は発表当時の時代の重さを感じ無ければならように思います。著者が小呂島を訪れた当時は、博多の築港からチャッカーで五時間、北崎からでも四時間かかりました。やっと昭和三十六年に福岡市に編入された周囲3,3キロの小島でした。当時はラジオ、電灯、電話なく、郵便も五日や十日もおくれることがあったそうです。
約三百年前までは無人島でしたが、黑田藩の政策で漁獲区域の広大な権利を取得するために、北崎村西浦浜から五人の漁師を移住させたのだそうです。
このような島にも昭和二十年八月六日昼、大空襲にあい、島民は密林に隠れたが家屋、家財全部が焼かれてしました。島の北端に陸海軍共同の大要塞を築いてあつたので、米軍機が察知しこれを焼いたのでした。
しかし、美事に地震から復興し、島の現況は、玄海に浮かぶ美しい景観になっています。
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新天守閣

2017-11-17 14:45:47 | 日記

今度名古屋城の新天守閣には、エレベーターを設置しないそうです。理由は、史実に忠実な復元からです。
昭和一二年一月七日、この日名古屋市には小雪の降っていました。寒さを堪えながら、守衛んが城内を巡視していました。ふと見上げると金色に輝いているはずの鯱の一匹がおかしい、よく見ると鱗が相当はがれています。スワ一大事、大騒動、調べてみると、四、五枚も盗まれています。「尾張名古屋は城でもつ」早速ばらまかれた号外を見た市民らがお城へと駆けつけました。
遠くは、大凧に乗って鱗を剥がした柿本金助あり、近くは名古屋師団の番兵の三枚の盗難あり。万治年間に、小判一万九七五両の大金で鋳造した宝物の盗難事件が始まりでした。
しかし犯人は売りさばきに難儀した模様、大阪で、買い手を探しているうちに刑事に怪しまれ捕縛されました。
呆気ない解決です。ですが、金に絡んだ福岡駅前の事件が有ります。半分判ったような、ないようなおしまいでしたね。

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