日々是好日

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
あれこれ雑記

佐賀民話のうちその2

2016-12-30 16:47:17 | 日記

むかし、むかし、唐津の裏町に勘右衛門という人がいた。
ある日、筑前の大法螺吹きが勘右衛門のところ法螺の吹き比べをしようとやってきた。橋のそばで魚を掬っている子供を見て勘右衛門の家は何処じゃと訊ねた。
「裏町の勘右衛門はおれの親父じゃ」と言う。「お父んは家におらすかい」「お父っあんはよそさい行っとらす。」「なんしぎゃかい」と筑前の大法螺ふきが尋ねる。
「こないだの大雨で山が崩えそうになったけん、線香ば三本持って山を支えに行かした」「そなら母さんはおらそうもん」筑前の大法螺ふきは言う。「うんにゃ。あんまり雨のなごう降ったけん雲の破れば縫い直してくー」ちゅうて木綿糸と針を持って縫いげに行かした。これを聞いて筑前の法螺ふきは子供でもこれなら、親父の勘右衛門には敵わんばいと退散したげな。この話は、場所が代われば筑前男になり、筑後の、になるのです。
法螺吹きと寸足らずの筋は何処にでもあるようです。醒睡集にもその種の話題が含まれているようです。
昔聞いた話です。大群衆が大いに感じ入る史劇の場面で、エキストラの聞いて感銘しているお説教がとんでもないバレ話であったそうです。しかしスクリーン上写っているのは、群衆が敬虔にお説経に聞き感じいっているいる場面に写っていたそうです。
コメント

不知の咎め

2016-12-26 13:39:32 | 日記
ジェネリックとオリジナルというお薬に分別があり、医療費逓減への計らいがあることを知りました。幸い現時点での出費は歯科医先生の窓口のみのです。ジェネリックへの知識もなく漫然と日々を送っている次第でした。
そのことから「病草子」という一二世紀後半製作された絵巻の解説をみることにしました。諸国の奇病や怪しげな治療法など、珍しい話を集めて図絵としたものです。しかし、私の持つ「原色日本の美術8」には不眠症の患者女性の絵のみです。
家人の寝静まった夜更けに、眠られぬまま時の移りを指折り数えている女性が描かれています。夜になっても眠られず、「夜もすがら起きゐて、なによりもわびしきことなりとぞいひける」とあり、眠られぬ女性の切実な風情ともに、傍で心地よさそうな寝息の三人の同僚も描かれています。
眠れなくて困っている不眠症、またはそれ程では無いが寝そびれ症候群に困った、困ったの悩みに応当するお薬の広告が新聞などでよく見かけます。

コメント

蕎麦の根は

2016-12-25 20:52:58 | 日記
佐賀の民話(宮地武彦編)を借りました。地縁があると言えば、言えますので昨夜寝床の中で読みました。平たく云って爺婆が寝物語です。母や叔母は唐津近郷の出ですからこの本にある噺は幾度も聞かされていました。
鳥栖・三養基地方の民話として初めに「そばの根はなぜ赤い」が出てきます。このお話は子供心に怖かったですね。
旅人が夜道に迷い、山中の一軒家で親切そうな姥に宿を借り、ぐっすり寝込みます。夜中妙な音を耳して、姥の様子を窺うと、包丁を研いでいます。なおも奧の台所には髑髏がいくつも転がっています。旅人は怖くなって宿を飛び出し、一散に逃げ出します。気づいた白髪の姥は逃がすものかと追っかけてきます。旅人は逃げて最寄りの木に登ります。けれども逃がすものかと姥も足元近く追ってきます。旅人は観世音菩薩さま、どうぞ鎖を下ろしてくだされ、と一心に願います。すると天から鎖が下りてきます。白髪の姥も観世音菩薩さま!!くされ縄でも下ろしてくだされと頼みます。旅人は鎖に捉まり、僅かに逃げ切りました。姥は腐れ縄に縋って登ろうとしますが、縄は切れ、蕎麦畑に転落します。そして姥の流れた血が蕎麦畑を染めます。それでいまでも蕎麦の根を赤く染めているのです。
当時住んでいたのは街中でしたが、街灯の昭明だけの夜道でした。夜中には按摩さんの妙な笛の音も、夜廻りさんのガラガラと金棒の地を引き摺る音も、強風に吹かれて転がる空き缶の音など聞こえます。白髪頭の姥の血が流れ、蕎麦畑を染めたなどは想像以上におどろがましく思えたものでした。
コメント

病気とからだ

2016-12-23 12:40:56 | 日記

「くらしのなかの医学(大竹三郎先生著)」日本の科学・技術史ものがたり」という児童向けの本を読んでいます。図書館利用には児童書(低学年を対象に書かれた)を気軽に借り出される便宜があります。そして決して疎かには出来ない知識を得ることができます。有る統計によると、アメリカでは若い人に無宗教者が増えつつあるそうです。勿論種々の切っ掛けが有るものと思えます。一つには医学の発達・医療機関の充実があります。それは良いことではあります。「病は鬼・怨霊せいだ」とする畏怖が宗教に依頼する心情と深く拘わります。
西洋の文物導入は、鎖国のせいで窓口が長崎に絞られました。長崎は大村藩の領地でした。藩医長与俊達もその一人でしたが、西洋医学に関心を持ち勉強していることに心持ちよく思わない漢方医のためにか藩医を追われました。俊達は家族の生活のためも、自分の勉強のためにも、人里離れた古田山に、疱瘡の予防と治療を行う治療所を開きました。天保元年俊達四十一歳のときに、藩主大村純昌に古田山の治療所が認められました。十六歳の少女楠本ヒサが選ばれて俊達を助け、二度と家族のもとに帰えらずに、看護婦として働きました。ジェンナーが疱瘡予防法種痘を発見したのは一七九六年で、既に四〇年前の事でした。
嘉永二年ジェンナーによる疱瘡のもとが長崎に届き、大村藩でも種痘が実施されることになりました。
コメント (1)

昭和の消えた仕事図鑑

2016-12-21 20:37:34 | 日記

まず目次の前に、昭和のおける「賃金・物価」の遷り変わり、昭和六年の米価二三銭であるのが眼に映りました。なにしろ生まれた年ですから。どうやらと言うかやっとと言うかこの歳になりました。著者澤宮優・平野恵理子ご両人のお蔭で消えた数々のお仕事をあれこれ思い出させて戴きました。
先ずは戦後荷馬車の活躍、これが無くては戦災後の荒れ果てた都市の復興は考えられません。三輪トラックや大八車やリヤカーでは建築材料の運搬には力不足です。建築会社の製材場傍に馬小屋がありました。この本で紹介された仕事の中には、好ましくない風俗として消え去るべき種類のものや、消されるべき職種が多く含まれています。しかし 金魚屋・風鈴屋・羅宇屋など多少風物誌めいた景物として忘れ難いものもあります。運動会の折り、校門近くで甘栗や椎実の焼ける匂いがしていたのも風情がありました。
私が手元から放したくない本があります。阿奈井文彦氏著「アホウドリの仕事大全」です。一九八五年三月二〇日発行です。イラストは有りませんが、今となっては古文書的価値があると思っています。物価と給料とは世間を写す査証であると思います。その点で「日本人の給与明細 山口博先生著」は示唆に富んだものだったと思っています。
コメント