むかし、むかし、唐津の裏町に勘右衛門という人がいた。
ある日、筑前の大法螺吹きが勘右衛門のところ法螺の吹き比べをしようとやってきた。橋のそばで魚を掬っている子供を見て勘右衛門の家は何処じゃと訊ねた。
「裏町の勘右衛門はおれの親父じゃ」と言う。「お父んは家におらすかい」「お父っあんはよそさい行っとらす。」「なんしぎゃかい」と筑前の大法螺ふきが尋ねる。
「こないだの大雨で山が崩えそうになったけん、線香ば三本持って山を支えに行かした」「そなら母さんはおらそうもん」筑前の大法螺ふきは言う。「うんにゃ。あんまり雨のなごう降ったけん雲の破れば縫い直してくー」ちゅうて木綿糸と針を持って縫いげに行かした。これを聞いて筑前の法螺ふきは子供でもこれなら、親父の勘右衛門には敵わんばいと退散したげな。この話は、場所が代われば筑前男になり、筑後の、になるのです。
法螺吹きと寸足らずの筋は何処にでもあるようです。醒睡集にもその種の話題が含まれているようです。
昔聞いた話です。大群衆が大いに感じ入る史劇の場面で、エキストラの聞いて感銘しているお説教がとんでもないバレ話であったそうです。しかしスクリーン上写っているのは、群衆が敬虔にお説経に聞き感じいっているいる場面に写っていたそうです。