日々是好日

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あれこれ雑記

三葉虫➁

2017-06-30 15:58:34 | 日記

とにかく38億年の秘密がわかるには、まだまだです。
ガンブリア紀に栄えた三葉虫もデポン紀あたりで数を減らしてきました。満つれば欠ける世の生業でしょう。しかし三億年生き延びました。さて人類は、と思案するまでもありますまい。
三葉虫の強みはよく見える眼でありました。その眼は、小さなレンズが沢山集まって出来ている複眼でした。それは小さいレンズを動かして一定の視野を確保出来るからです。海底を這っている三葉虫は下方より上方への警戒が重要だと考えられるからです。
三葉虫は補食される側の生物であったと推測されています。海底を這い、泥中の有機物を食べていたようです。
それは鮫のように大型で強いアゴや歯をもった魚類が登場し、捕食されたからことが、一因だといわれています。
今でも魚釣の餌は、ゴカイ(多毛類)が多く使われていますが、これも捕食される側としか思えませんね。


恐竜の名前

2017-06-27 19:58:01 | 日記

恐竜の名前はカタカナで長くて老輩は覚えにくいのですが、孫たちはしっかり覚えていたようです。その連中もいい大人になりました。一体あの名前はどのようにして決められていたのでしょう。
ラテン語を元にした学名が殆どだそうです。サウルスがつくのが非常に多いのは、現在でいうところの「トカゲ」似た形をしているものが多いのと、恐竜が分類的には爬虫類であるからだといいます。
次のように命名にも理由があるようです。
アーケオ古代の、始まりのアーケオプリテクス(始祖鳥)アナト家鴨のアナトテイタン(巨大なアヒル)アパーテイ瞞すアパトサウルス(惑わせ竜)歯(ドン)(イクアノドン)ダイノ恐ろしい(恐竜)等々です。

山口県のも熊

2017-06-26 13:35:58 | 日記

古い話ですが、昭和五十年六月十四日の毎日新聞夕刊をスクラップしていました。仕留められた熊の写真は、古いものですから、明瞭ではありません。次は毎日新聞夕刊の記事です。
山口県阿武郡阿東町福下でハチミツ箱を荒らしにツキノワグマ一頭が地元猟友会の手でしとめられた。体重十八キロ、体長1メートル80センチメートルの大物のオスグマ。 同町や隣の佐波郡徳地町附近の山中に今月上旬からツキノワグマが出没。二日夕と三日夜徳地村北谷地区の県道をうろついているのを近くの主婦がみつけ、ハンター25人が六日から本格的にクマ退治を始めた。この日お手柄をたてたのは猟友会阿東町支部地福分区長の賀川文夫さん(53)ら四人。一三日夜から徹夜でクマの出没しそうなミツ箱周辺に張り込んだ。十四日午前五時二十分ごろ、近くの永安幸夫さん(53)宅裏山のミツ箱に近づいたところをねらい撃ちした。 賀川分会長の話 イノシシはこれまで何度も退治したことはあるが、クマを見たのは初めて。ちよつとあわてた。このあたりにはあと四、五頭いるようだ。
古い三十二年前の記事ですが、近々北海道や東北などに、熊の危害報道が頻繁です。平成に入っては鳥取市で農作業中にツキノワグマの被害遭遇のニュースがあります。古い新聞記事だと油断はできないのではないでしょうか。

三葉虫➀

2017-06-25 11:15:52 | 日記

ジュンク堂のいわゆる科学に絡んだ本の売り場をよく見物します。おおむねは理解の及ばぬ書籍が並んでいます。しかし、間には多少どうやら理解が届く部類も有ります。先日出会ったのは「生命38億年の秘密がわかる本ー地球科学研究倶楽部編(学研)」」という本でした。勿論選択肢の一つには、本体600円*税は別に加算されますにありましたが、この売り場でもっとも廉く(雑誌は別)「三十八億年の秘密がわかる」ならばとレジに向かいました。
老輩は蓄財の才も蓄えもありませんが、三葉虫の本物(ガンブリア紀(約5億年前)アメリカ・ユタ州)を持っています。百科店での展覧会で買ったものです。骨董品でそんじょそこらの焼き物の壺などとは比べようもありません。
三葉虫についての説明は次の通りです。ガンブリア紀にその姿を現し、ベルム紀で絶滅するまで約3億年を生き抜いた生物だ。「三葉虫」という名称は、体の中軸の部分と両側のふたつの部分の3つに分けられることが由来となっている。その種類はじつに一万種にもなる。大きさは最大で90センチ、小さいものは5ミリ程度だ。(老輩の所有物は実に鼻屎程度です)。
以下秘密がわかる本を援用します。ガンブリア紀には生物種が飛躍的に増え、その中でも節足動物は驚異的な繁栄を見せた。節足動物とは、エビやカニ、クモ、サソリ、ムカデ、昆虫類などで、現代でも120万種以上が存在し、地球上でもっとも数の多いグループだそうです。そこでつまらない事を思い出しました。三島由紀夫先生は蟹をお食べにならなかったそうです。蟹の容姿が蜘蛛に似ているからだそうです。ガンブリア紀で代表する節足動物には、オレノデスやナラオイヤなどの三葉虫の仲間、クモやカブトガニの先祖の可能性があるサンクタカリス、その他にカナダスやらシドネイア・マーレラ等々、このような節足動物の名はどうやって決めたのでしょうか。次いでに、恐竜連中のネーミングも知りたいですね。

消えた牛馬祭

2017-06-23 14:03:27 | 日記

平成七年十二月十日お天気が好かったので、JR基山駅から西鉄三沢駅まで歩いてみました。殆どが平坦なところですし、師走とは言え風のないお日和でした。三沢駅近くで四本の笹竹に小さな竹で組まれた簀ようなものが宙吊になっているのを見かけました。その上には人参と大根がお供えしてあり、四本柱になっている笹竹の根元には榊が添えられていました。すぐ傍には庚申塚にもシメナワが張られていました。塚の文字はよくよめませんでいた。以上は当時写生していた画帳によります。
偶々筑紫野市のホームページを見ました。以下はそれに拠ります。「駄祭」とは牛馬祭りのことです。戦後でも牛馬は農家は勿論、建築業・運送業にとっては必需貴重なものでした。古文書には「駄風流」「駄糞流」 とも書かれます。それも失われつつあります。筑紫野市西小田には馬市路傍に駄祭記念碑が建っています。
馬市については、黑田家譜に享保二十年頃の記載に、「往昔は当国に馬市が有って、自国・他国の伯楽が相集まり、馬の交易をしていたのであるが、いつの頃からか事止みになってしまって五十年余になった。しかし馬市があれば国中の民に益があることであるからと、重ねて馬市が再開された」と書かれていました。してみれば、江戸初めに馬市が有ったことになります。
「駄風流」「駄糞流」については、大宰府市公報(2013・7)及び市史民俗資料編に詳しく書かれています。春・秋に行われる水神さまに、川を牛馬を洗い汚すのをお詫びするおまつりだと伝えられて、御笠郡や筑前南部にかけての習俗だったとも思われます。