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あれこれ雑記

栗山大膳と線状降雨帯

2017-07-28 18:04:35 | 日記

古いメモを読み返していたら、栗山大膳のことを書いていました。
原鶴近くに冨有柿の産地で有名な志波がある。ふるくは把伎駅として駅馬五頭を抱え、近世には日田街道の宿駅として現在とはちがった存在だった。更に付け加えれば、本邦で最初に煙草の栽培がなされ、専売公社の支所も置かれたことがあった。
栗山備後利安が創立した龍光山円清寺あり、鎌倉時代に建てられたとする普門院もある。
利安の息子大膳がここの高山淵にさしかかった折に、淵の主とも思える大亀が甲羅を干していた。大膳が鉄砲で大亀を撃つや俄に大雨が降り始め、近隣三千石の田畑が水没した。三奈木あたりでは大膳の鐙あたりまでの水量があったという。
貝原益軒はこの話を筑前続風土記のなかで紹介し、且つ結びに「大膳よしなき一時の僻事」によって村人が夥しい禍を受けたと結んでいる。列侯深秘録(三田村鳶魚編)は大膳忠臣説を主としている。大膳と大亀による件は、奥村玉蘭の筑前名所図会にも書かれている。大亀の祟りとして千年川の下流の瀬下では、流れ着いた大亀を丁重に葬ったそうである。
付けたりとして加えれば、今回気象庁などで言われているような線状降雨帯による集中豪雨とも考えらます。その大雨が「筑後の方は小雨小降りで、かの村人多くは川端に出て、対岸の大雨を見物していた」という証言もあるようです。
なお小野重喜先生の花乱社から出版された「栗山大膳」には、志波・高山周辺の地誌としても貴重な資料だと思われます。老輩の知るのが遅かったようです。
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金魚の寿命

2017-07-26 17:12:41 | 日記

という言い方があるのか、ないのか、判りませんが、ともかく先週一三年の寿命を終えて庭の土に帰りました。又々古い話ですが、平成十一年八月九日の朝日新聞に「世界最長寿の金魚往生」といいう記事があり、推定四三歳、赤色薄れて晩年は銀色に」という記事がありました。
【ロンドン8日ー沢村亙】金世界最長寿としてギネスブックに認定されたばかりの英国の金魚がこのほど、推定年齢43歳で死亡。英国の主要メデイアが一斉に報じている。金魚はノースヨークシャ州ヒルダ・ハンドさん(72)が飼っていた「テイシュ」。1956年に7歳の息子が縁日の景品でもらってきた。年を重ねるにつれてハムスターや犬などの同家の他のペットは次々に他界。テッシュも晩年は青銅色が薄れ、銀色になっていた。「金魚は数秒しか記憶がないと言われているが、テッシュは私の顔を覚え、私もテッシュの気持ちがわかった」とハンドさん。長寿の秘けつについて、「毎日、同じえさをやり、日陰で、水をこまめに換えたこと」とはなしている。
記事はここまでです。顔を覚えてくれていたどうかは判りませんが、足音は気づいていたようです。有名な作家のいわく、「飼われた金魚は月余も保たず」と。しかし、生き物を飼うのにずぼらはいけませんねえ。
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治山治水

2017-07-25 15:05:03 | 日記

これは五年前の七月十三日に井蛙日記にブログとして載せたものです。今次大災害についてもこの高橋裕先生のこの著書の考えは再度出版されるべきと思い、二度に亘るとは思いましたが、敢えて投稿しました。
一九七一年(昭和四十六年)七月二〇日)に発行された岩波新書【国土の変貌と水害 著者高橋裕】の冒頭には水害の歴史性について書かれています。
水害、それは時により所によりその発生形態は多様であり、それぞれに傷ましい。
人類の長い歴史を通して、水害はつねにわれわれを悩ましてきた。技術がいかに進歩しょぅが、社会経済が目ざましく発展しようが、それらとは無関係であるかのように、水害は一向に減らない。といって、水害は、いわゆる公害のように、最近になって急激に出現したのでほない。それどころか、水害は人類が集団生活を営むようになった原始時代から発生していたに違いない。しかも、水害を年代的に比べてみると、その様相は目まぐるしく変転してきている。すなわち、災害のなかでも特に水害は、特有な歴史性を持っているかにみえる。このような水害特有の性質は、わが国において最も著しいように思われる。
古くから、わが国を苦しめてきた水害は、現代もなおわれわれに重荷となっておおいかぶさつている。しかし、その内容とその背負い方には、時代の進行とともに大きな変質が認められる。まず、水害の重荷の程度を紹介し、その変貌の状況を戦後四分の一世紀間の顕著な水害を例にとりながら考察し、あわせてそれぞれの水害の持つ歴史的意義と性格を検討してみよう。
としてそれまでの水害について分析と検討が述べられ、最後に新しい治水技術者が必要とされています。
新しい発想は、必ずしも従来の学問なり施策なりの延長線上にない。こんごの水害に立ち向かう人は従来にない異なった資質が要望される。治水技術者はもちろん、土地に直接記録を刻む人々は、その記録が今後の自然と社会に与える影響について読む力をそなえ、かつそれに対して打つ手を提案できるようにならなくてはなるまい。
著書の内容については到底技術的な全てを理解することはできません。そしてあながち当路の人々のみへの警告ではないと私は思います。
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松浦市鷹島

2017-07-23 21:28:44 | 日記

松浦市はもと北松炭鉱地帯にとっては要枢の場所でした。その後は北松漁業の要であります。当時地名はは調川町といいました。老輩はその炭坑町に生活を依存していましたが、ご存知のとおり炭坑は衰微し、炭住の灯は消えてしまいました。一時は映画館の開館に江利チエミさんが来館されたこともあります。その後不幸にも地下坑道の浸水などの不運に見舞われたようです。
先年鷹島を訪れました。島周辺に来襲した元軍船が台風により沈没していたのを引き揚げ、歴史的考察を加え、考古博物館の体裁を整えられようとして熱が入っていました。それの見学のためでした。その折り玄海原子力発電所が目睫の近さにあることを体験しました。
今朝の新聞には、玄海再稼働反対続々30キロ圏保守系市議ら会合、とあって長崎県松浦市、平戸市、佐賀県伊万里市の三市議会の議員計十九名が松浦市で会合を開催。「豊かな漁場を守るためやってゆきたい」「避難経路を含めた安全性をどう確保していくのか」などの意見が出たようです。更に「国会議員も県会議員も動かない。我々が声を上げていくしかない」と訴えています。
既に松浦、平戸両市議会は全会一致で再稼働に反対する意見書を可決しているそうです。
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福岡藩の浦とは

2017-07-19 21:07:36 | 日記

怡土郡から遠賀郡に亘る海沿いの地域で、姫島玄界島相島地ノ島大島など島々なども当然含まれています。
市図書館の地方史史料のなかに、福岡藩浦記録がありました。西区古文書を読む会編です。この会の世話をされている高田茂廣先生には筑前五ケ浦回船という立派な研究書があります。現代への史観と洞察と根気とが必要です。しかもその時代に生きた人々への慈しみがなければやれません。
ところで本書には、「巡検使・秋月藩主残島鹿刈りの件・浦方記録唐泊火災など」が記載されています。じっくり読まねばとは思いました。高田先生の西日本新聞社から「能古島から」という手ごろなご本もあり、手始めに読むことにしました。勿論片々たる挿話の拾い読みに留まることにはなるでしょう。
ただ朝倉市を含む大災害に際し、被害の救済には国の救済が緊急事業として行われています。江戸時代の救済と共助がどのようなものであったかを知る史料に触れることも出来かとも考えています。
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