記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

ドラマ「広島・昭和20年8月6日」を見て

2005-08-30 | テレビっ子
昨年は「サトウキビ畑のうた」そして今年は・・・戦争をテーマにしたドラマが制作されました。ありがたいことです。

父や母、祖母から聞かされた戦争。「出征」「戦死」「空襲」「疎開」「食糧難」「勤労動員」「灯火管制」・・・・実感のこもった伝承からは、どう考えても「戦争はいや」という結論しか出てきません。


貧しさ、悲しさ、不自由さを引き連れて、父母の戦後は始まりました。「子どもや孫にあんな経験は絶対させたくない」おかげさまで、おりがみ40代までは未経験で過ごせました。この先ゆきは????



大きくなったおりがみさん、こどもたちに、その父母からの思いを伝えたいのですが、実体験のないことをどう伝えれば良いのか。なにしろ、わたしは戦争が終わってから15年も経ってから生まれていますから。どこか遠いところでおきた特別なこと。と思わないのが大切なのでしょう。

身近な問題としてひきつけること。その難しさ。を、感じます。

ちなみに下記については経験豊富ですので自分の言葉で語れそうです。
「アカテンとった」「骨折した」「手術した」「火傷した」「バイクに乗って転んだ」「自動車事故を起こした」「失恋をした」「借金取りにおびえた」
怪我・病気がちだったのに、何故か救急車にのったことはない。(他の家族はみんな乗ってるのに)
「戦争を体験してる」というのだけは、このリストには載せたくないものです。

なにはなしてんだ?






ああ、ドラマについてでした。



【あらすじ】
昭和20年の夏、広島の産業奨励館(のちに世界遺産、原爆ドームとなる)のそばで旅館を営む三人姉妹+末っ子の弟が主人公です。長女は両親の残した旅館を守るため、好きな人がいても結婚は諦めている。次女は代用教員として子ども達に慕われていて、足の不自由な恋人が居る。三女は工場に動員されているが、バレリーナの夢がある。末っ子の長男は幼い風貌のまま戦地へと赴く・・・。

ドラマの中の三姉妹はそれぞれが健気に幸せを求めているのに。彼女達には何の抗うすべも無いまま、根こそぎ存在そのものが奪われてしまった。それが、原子爆弾であり、戦争の持つ非人間性なのだとおもいます。
恋人と新たな人生を歩もうと決意し、再会を心待ちにする長女。
教職を追われる次女は恋人と結婚、教師を続ける決意と新たな命の芽吹きを迎える。
動員先の工場で、三女は姉手作りのシューズをはき、朝鮮の少女とバレエへの夢を弾ませる。


そこへ、リトルボーイはやってくる。おはよう、いいお天気ですね、ともいわないで。











ラストシーン、被爆直後に広島市入りし、黒い雨に打たれ号泣する長女の恋人。そして、現代の広島で語り部として生きる長男の言葉をしっかりと記憶に刻んで・・・。



エンドマークのBACKに出てくる写真は、まったく初見の人は?????だったでしょう。さあ、そこから始まるのです。


とっかかりは「かわいそう」だったり「こわい」でもいいのかもしれません。
そこからさきは・・・・・実体験を持つ人たちが減少してゆく時間との戦いのような気がします。知るも一生知らぬも一生。











夜もふけましたが、むすめたちにチラッと感想を聞いてみました。

うえちゃんは「去年見た『明日』というお芝居に通じるものを感じた」
したちゃんは「高知の原爆展でみた写真やフィルムが使われていたね」(ちいさいころにも見てるのですが、やっぱり「ものごころ」ついてからのほうが記憶に残るようです)



おりがみは、つい先日、広島に行って帰ってきた少年(園長の長男ゆーくん)の報告を聞いたばかりでしたので、彼とドラマの中の末っ子長男が重なって「なだそうそう」状態になりました・・・。







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