記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

伯母の見送り

2015-07-30 | 介護

5月末、ほんとなら保育所の子どもたちと山形へ田植えに行くはずだった。

入院中の伯母が危篤になって田植え前日に亡くなった。

そこからの怒涛の2か月。

仕事と伯母関連のあれこれとで忙しく過ごした。

ブログのほうはそういうわけで放置。

 

私もうさたちも元気ですよはい。

 

何から書けばいいのやら?伯母のことなどぽつぽつと。

 

伯母は大正14年7月の生まれ。私の母が昭和7年生まれで2年前に先に逝ってる。

連れ合いは15年前に病死。

子どもがいない。兄弟も高齢。

で、私が伯母の比較的近くて若い親族としてあれこれかかわるようになった。

 

 

5年前まで伯母は一人しゃきしゃき暮らしていたらしいのだが、認知症が出始め一人暮らしが厳しくなってきた。

自ら成年後見人を頼んで昨年の入院を機に賃貸アパートを引き払って介護付き有料老人ホームへ入居した。

ここを出るときは死ぬ時だと覚悟をしての引っ越しだった。

若いとき結核を経験し、もともと肺が弱かった。そのため酸素吸入が毎時1リットルから2リットル必要だった。

快適に過ごしていたが、時々短期間の入院があった。

 

今回も肺炎を起こしたための大事を取っての入院だった。

酸素~二酸化炭素の排出が 肺機能の衰えでうまくいかず、だからと言って酸素量を抑えると意識が混濁しという悪循環。

これも老化のせい?食事がとれなくなって衰弱。盛り返す。で酸素増やすとまた二酸化炭素が増える。の繰り返し。

徐々に衰弱。

ドクターに見せられた肺の写真は、まるで母の時と同じような白い影がいっぱい。

間質性肺炎。

まったく仲の良い姉妹だ。

病気まで同じとは・・・。

 

5月29日の未明、眠るように伯母は逝った。

 

 

職場には迷惑をかける形になって田植えの付添をやめた。

駄菓子菓子、そのあとはほとんど休まず母の葬儀やホームの片づけなどを仕事の合間に済ますことができた。

 

昨年のアパートの片づけであらかた荷物が片付いていたのでそっちはよかったが、役所関係の手続きは大変だった。

なにしろ私が伯母の親族であるということをいちいち証明しなくてはならない。

戸籍簿を取り寄せ5枚の紙を並べて免許証も出して「これが私です」というのを繰り返した。

今の私の横浜の戸籍と実家の古い横浜の戸籍と母と伯母が記載してある世田谷の戸籍とをペラペラめくって指差して。

お寺さんや墓苑やらにも戸籍簿もって出かけた。

 

年金、保険、納骨・・・

 

さて今は相続にかかっている。

これまたややこしいが、逃げるわけにもいかない。

 

 

 

生きるってのはこういうことなんだな。

介護の坂道の次は自分自身の終末への準備が待ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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