先日、東慶寺にてこんなお墓を見てまいりました。
東京オリンピック女子バレーボールチーム監督
鬼の大松といわれた大松博文氏のお墓です。
球技つながりですので
サッカー日本代表へのおりがみからのエールです。
立ち上がるだけじゃなんもできまへん。
駆け巡れ日本
攻め立てろ日本
守りぬけ日本
勝ちぬけ日本
そんな気持ちで・・
ただねぇ・・
去年のセンバツあたりから
おりがみが応援するチームってことごとく負けてるんだわ。
スマナイネニッポン
東京オリンピック女子バレーボールチーム監督
鬼の大松といわれた大松博文氏のお墓です。
球技つながりですので
サッカー日本代表へのおりがみからのエールです。
立ち上がるだけじゃなんもできまへん。
駆け巡れ日本
攻め立てろ日本
守りぬけ日本
勝ちぬけ日本
そんな気持ちで・・
ただねぇ・・
去年のセンバツあたりから
おりがみが応援するチームってことごとく負けてるんだわ。
スマナイネニッポン
マリーンズに少々荒っぽい(一発か三振か)けど、当たれば飛ぶ若手が出てきたとき、私は『だいまつ』と読んでしまいました
大松博文さんが指揮を執ったニチボー貝塚のあった貝塚市はシルク家の隣の市。体育館までJR2駅、車で10分少々の距離です。
ニチボー貝塚⇒ユニチカのバレーボール部も無くなってしまいましたね。
ユニチカ時代に使われていた体育館は、【日本バレーボール協会貝塚ナショナルトレーニングセンター】として、現在も使用されていますが、工場が閉鎖されて更地になった一角にポツンと残っているのが寂しげです。
ニチボー、東洋紡、倉紡・・繊維業界のバレーチームが強かった時代がありました。
トレセンという形でニチボーの歴史が語り継がれるのは胸に染み入ります。
もう日本のバレーボールがかつてのような世界一の座を占める日は来ないような気がします。あのころとは競技そのものが変わってしまったから。
それでもいいのです。
れんほうではないですがね・・。
ってーのは、考えすぎですかね
プロ野球も、当時は【映画・新聞・電鉄】の時代でした。【IT】なんて、言葉すらありませんでしたね。
20年ほど前、私らの住む周辺に新しい建物が出来ると、『ここって、前は何が建ってたん?』『タオル工場』というのが、当たり前の会話でした。
バレーボール部がなくなるのも仕方のないことですか。
「映画・新聞・電鉄」昔話の域になってきましたねぇ。
繊維業界の女工さんは「野麦峠」の時代までさかのぼりますね。「ああ、飛騨がみえる」(by大竹しのぶ)
>タオル
国産の良い繊維製品が安い輸入品におされて廃業してゆくのですね。明治初期の日本の基幹産業は絹織物・・シルクでしたわ。