記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

紳士と女子高生

2005-02-09 | Weblog
注意書き:ごめんなさい。30年近く前の女子高生のたわいないお話ですから。

演劇少女と卓球少女のおかげで、憧れの学生ラガーマンとテレフォンショッキングができたおりがみは、義理堅い少女でした。「貸し借りはつくらねえ」が新庄、じゃない信条。二人のために一肌も二肌も脱ぐ覚悟で日々礼拝堂で祈ってましたですよ。「いつか、彼女達にも、王子様とお話できるチャンスがありますように」・・・・鶴の恩返しの機会は意外にも早くやってまいりました。

演劇少女の憧れのラガーマンは、体格は小柄、なのにポジションはフォワードのフランカー。ちっこい身体で、学生時代は社会人チームに果敢に挑んでいった方です。社会人チームに入られてからも、ジャパンのユニホームも着ようかというような、はっきり言って「有名人」でした。春先、山手の外人倶楽部の7人制大会で、目の当たりにしたとき、小柄と思っていた彼の肉体が常人よりはるかに鍛え上げられているのにビックリしました。太腿なんか肉がわれてるし、胸板なんか分厚くって、ああ、もうタックルでもチャージでもして!って感じ。そんな、近くにいたのに、演劇少女は声一つかけられない。おりがみも卓球少女も、声をかけようとしましたが、いざとなると固まっちゃって・・・・。純情だったんですね。彼はスーッと歩いて行ってしまいました。千載一遇のチャンスだったのに。でも、同じ芝生の上に立っていられたというだけでもなんとなくうれしかったのです。

ところが、夏になって、かのフランカー氏(Iさん)が、半月板の大怪我をしてしまったのです。ニュースをきいた演劇少女の落胆振りと来たら気の毒なくらい。よし、今しかいないとおりがみは演劇少女に持ちかけました。「お見舞い行こう!」「めいわくじゃないかな?」「絶対に治って欲しいんでしょ、直接励ましてあげたいんでしょ。」「でも」「だめでもともとだよ、ファンレターだけでもわたせればいいじゃないか」何処にそんな度胸があったのか、卓球少女は入院先の病院を調べあげ、いざ出陣。「あのー、ラグビーの、Iさんのお見舞いにきたのですが。」と受付けで申し出るとあっけないほど、面会が許可されました。
丁度、大学の後輩らしき方がお見舞いにいらしてました。面識の無い私たちの闖入にIさんはきょとんとされていました。(別の後輩さんたちがきたのかと思って通されたのかも知れませんがそこらへんは今も謎です)
「あの、はやくよくなってください。これ、おみまいです。」
「このこ、Iさん大大大好きで、心配してて、私たちきちゃいました。」
卓球少女とおりがみは言うだけ言うと演劇少女をひとり病室に置いて廊下へでてました。


しばらくして、演劇少女が「ふたりとも、はいっておいでよー」と困ったような顔を見せました。
「絶対にシーズンには復帰したいから、リハビリがんばるね。遠くから、ありがとうね。」
白いギプスが痛々しかったけれど、Iさんは終始笑顔でした。見知らぬ高校生の突然の来訪に、腹も立てず、かといって馴れ合うでもなくえらぶるでもなく、そこには、私たちが憧れていたままの姿のIさんがいました。

帰りは出口まで見送ってくださったのです。紳士です。ジャージ姿だけど、松葉杖だけど、紳士です。



「ひとりじゃ、たぶん、こられなかった」演劇少女の思いはIさんに通じたのでしょう、その冬のシーズンにはグランドにたつIさんがいました。
彼から貰った力は、計り知れません。






Iさん、今は全国をかけまわる指導者としてご活躍とうかがっております。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。