花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

『更級日記』完聴

2023-12-13 | 日記
『更級日記』の現代語訳(ポプラ社)をsaeko yamashitaさんの朗読(ユーチューブ)で完聴した。

『源氏物語』の世界に憧れてロマンチックな夢をみている多感な少女が、成人して子供を産み、夫の出世や息子の成長を喜び、夫の死後は極楽往生を願う孤独な女性になっていく。そんな自分の生き様を控えめなタッチで淡々と描いている。

『更級日記』の最初と最後の部分です:
「10歳から13歳までの少女期を私は上総の国で過ごした。私の父、菅原孝標(すがわらのたかすえ)が国司としてこの国に赴任中であり、私も兄や継母ともども京から移り住んでいたのである。
 私はすでに文字をおぼえ、手習いをおわり、和歌の手ほどきなどをうけていた。
 単調な日々のなかで、私の唯一の楽しみは、ときおり姉や継母から、さまざまな物語や光源氏のことなどを話してもらうことだった。なんて魅力的でロマンチックな物語世界。」
  ・・・・
「夫の葬送の日、息子の仲俊(なかとし)が喪服姿で棺のあとを泣く泣く歩いていった。去年の秋、美々(びび)しく着飾って供の者にかしずかれ、父親に付きそって出立したことを思い出すと、息子が哀れに思えてならなかった。私の心は悲しみに閉ざされ、夢路をさまようように、うつろだった。こんな私を、亡くなった夫は煙となって天へのぼりながら、かわいそうなことと見てくれたであろうか。
 思えば娘のころから、つまらない物語や歌にばかり没頭してきた私である。もっと早くから、真剣に神仏を信じていたら、このように、夢のようなはかない思いをしないですんだかもしれない。十数年前、初瀬寺へ最初にお参りした折、稲荷からくださる霊験あるしるしだといって、杉の小枝を投げられた夢を見たが、あのすぐあとに稲荷神社へ参詣していたら、いまのようになりはしなかったろうに。」

ご訪問いただき、ありがとうございました。(ゆ~

作者の父 菅原孝標の最後の任地、信濃国の更科には「姨捨伝説」がある。

余談だが、ずっと以前に「姨捨行」なる詩を地元の新聞に投稿して佳作になったのを思い出した😅 


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