ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「東京芸術劇場マエストロシリーズ 井上道義&読売日本交響楽団」を聴きに行く(一部修正あり)

2023年11月21日 | クラシック音楽

東京芸術劇場に「マエストロシリーズ、井上道義&読売日本交響楽団」を公演に行ってきた。今日は3階のB席、7,000円。ほぼ満員だったか、幅広い年令層が来ていたように見えた。

マーラー/交響曲第2番 ハ短調 「復活」

指揮:井上道義
ソプラノ:髙橋絵理
メゾソプラノ:林 眞暎(池田香織が病気療養のため降板)
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団

劇場の説明では、コンサートホールの音響や空間を活かした公演として、これまで大編成の管弦楽作品を軸にマーラーの交響曲を数多く取り上げてきた、井上道義は、当シリーズに過去3度出演。第8番「千人の交響曲」(2018)、第3番(2019)、「大地の歌」(2021)と、マーラーの声楽付き交響曲を指揮してきた、そして2024年12月に指揮活動からの引退を表明する中、シリーズの完結編としても相応しい第2番「復活」が今回の演目として選ばれた、とある。

マーラーの交響曲2番だが、当日もらったプログラムによると、

  • 1894年に完成、1895年12月にベルリンにてマーラー指揮、ベルリンフィルによって初演され大好評だった。
  • 初演の12年後、マーラーはウィーンを追われ、アメリカに行くが、1907年ウィーンフィルとの最後の演奏会でこの曲を選んだ
  • この80分にわたる長大な交響曲のほとんどは、最後の合唱部に向けての「予兆」であり、その最後においてとてつもなくまばゆい光彩を放つ、それはマーラーの他の作品ではない類いの光だ
  • 終楽章の詩のうちクロプシュトックの2節で「よみがえり」を語っている。

宇野功芳氏は、2番について

  • 5番以降の観念的なシンフォニーへの前ぶれを感じさせると同時に、彼の特質である美しいメロディにもあふれ、それが効果的なオーケストレーションによる美音の氾濫と結びついて、あたかも壮大な壁画を見るような感動を与えてくれる
  • 第4楽章は大きな苦悩の中にある人間に信仰の感動的な声が聞えてくる、そしてフィナーレは人生の終末である、最後の審判のラッパが鳴り、やがて聖者たちと天国にいるものたちの合唱が歌う、「復活せよ、汝許されるであろう」

公演を聴いた感想を少し述べてみよう

  • やはりちょと長すぎる、途中、どうしても集中力が切れた
  • 歌手、合唱団の前にはマイクが置かれていた、マーラーが指揮した時代でもそうだったのだろうか、歌手2人の女性の声がどうしてもマイクのせいで無機質なものに聞えた
  • 終楽章の中で舞台ではフルートだけが音楽を奏で、他の一部の楽器が舞台裏で演奏しているように聞えたところがあった、モーツアルトの魔笛でもそういう所があるのでおかしくはないが、あれっと思った
  • 最後のコーラスが歌う部分は確かに良いなーと感じたが、全体的にはまだこの曲の良さはわからなかった、何か抽象的な部分が多すぎて私にはまだ理解する能力が無い
  • オーケストラは一番大きな編成になるのだろう、舞台いっぱいに、あふれそうなくらいであった、それが大音響で演奏するところが何カ所かあるが、やり過ぎだと思う。大ホールで演奏されることを前提に作曲しているのだろうけど、何事も行き過ぎはよくないのではないか。だから歌手がマイクを使わないと行けなくなるのではないか。

マーラー人気か、井上道義の引退のせいか、読響人気か歌手人気か、いずれにしてもこのホールがほぼ満席になる今の日本、クラシック音楽マーケットとしては魅力的なのだろう。だからベルリンフィルやウィーンフィルも来日するのであろう。私としては、まだ日が当たらず小ホールでさえ満員にできない若い演奏家の室内楽公演などにもっと行って楽しみ、彼らを支援したいと思う。

さて、今日の公演前の昼食だが、自宅で蒙古タンメンの冷凍食品を買ってあったので食べてみた。セブンで売っていたものを買った。

食べたら美味しかった。辛さは確かに強烈だが食べられないほどではない。が、実際の辛さは食後になってから強く感じた、いつまでも舌がヒリヒリした。自宅で食べたので食後に歯を磨き、辛さをすべて洗い流してから公演に行けたのはよかったが、それでもしばらく舌がヒリヒリした。

 

(2023/11/21 投稿後一部修正)

本日、読者のtoraさんよりコメントを頂き、当初投稿で言及した歌手や合唱団が使っていたマイクについて、それは拡声マイクではなく録音マイクではないかとのご指摘を受けました。確かにその可能性が高いと判断し、マイクについて言及した部分を削除しました。記録のため訂正部分に取消し線をつけています。


「ゴッホと静物画、伝統から革新へ」展を観に行く

2023年11月20日 | 美術

SOMPO美術館で開催中の「ゴッホと静物画、伝統から革新へ」展を観に行った。2,000円。日時指定予約制が導入されているが、平日でもあり、予約しなくても大丈夫だと思い、いきなり行ってみた。SOMPO美術館に来るのは久しぶりである。結構若い人が来ていた。女性が多かった。

予約すると、個人情報を入力させられ、クレジットカード番号も入力が必要となるから心配になる。たかが美術館の予約をするのに生年月日や自宅の住所などなぜ必要なのか、最近の企業はやりすぎである。一流企業でも情報セキュリティーのレベルは驚くほど低い、ハッカーなどの攻撃に無防備で個人情報がよく漏洩しているではないか。過度な個人情報取得は有料にすべきではないか。

今回の展覧会のテーマはゴッホの静物画であり、展示作品は大部分ゴッホの作品である。当美術館所蔵の作品の他、オランダのクレラー・ミュラー美術館の作品も多く展示されているのがうれしい。ゴッホが生まれたオランダにはゴッホの絵を中心に展示している2つの美術館がある。1つはゴッホ美術館であり、もう一つはクレラー・ミュラー美術館である。私は現役時代、アムステルダムに出張する機会があり、週末を利用してゴッホ美術館を2回訪問したことがある。しかし、クレラー・ミュラー美術館には行ったことがないので、今回は同美術館のゴッホ作品を見る良い機会だと思った。

展覧会の説明資料によれば、ゴッホは生涯850点の油彩を描き、そのうち静物を扱ったものは190点近くあるという。展覧会では、ゴッホは人物画を描きたかったが、静物画はその練習のために描いたと書いてあった。作品を見ていくと、ゴッホはこんな静物画を描いていたんだと気付かされる作品も多かった。が、何と言っても「ひまわり」が最大の眼目であろう。

館内は原則、写真撮影OKだったのは評価できる。撮影できた作品のうち、特に印象に残った作品をアップしてみたい。スマホなので細かい所までは写らないがご容赦を。


ラトゥール、「花と果物、ワイン容れのある静物」(1865、国立西洋美術館)


ドラクロア、「花瓶の花」(1833、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)


ルノワール、「アネモネ」(1883から1890頃、ポーラ美術館)


ラトゥール、「プリムラ、洋ナシ、ザクロのある静物」(1866、クレラー・ミュラー美術館)


ゴッホ、「青い花瓶にいけた花」(1887、クレラー・ミュラー美術館)、こんなきれいな絵を描いていたなんて驚いた。


ゴッホ、「アイリス」(1890、ゴッホ美術館)


ゴッホ、「ひまわり」、14輪。オリジナルのロンドン・ナショナルギャラリーの「14輪のひまわり」のレプリカ


ゴッホ、「カーネーションをいけた花瓶」(1886、アムステルダム市立美術館)


ゴッホ、「レモンの籠と瓶」(1888、クレラー・ミュラー美術館)


ゴッホ、「皿とタマネギのある静物」(1889、クレラー・ミュラー美術館)

ゴッホは好きな画家だ。存命中には一枚も売れなかった、苦しい生活を強いられ、画商の弟テオ夫婦の支援で生計が成り立っていた。37年の短い生涯に多くの絵を残した、特にオランダからパリに出てきた1886年以降の絵に素晴らしいものが多い。一目見れば直ぐにゴッホの絵だとわかる強烈な、個性的な作品が多いのが良い。

生存中にテオとの往復書簡など多くの手紙を残し、それが翻訳されて「ゴッホの手紙」(岩波文庫)として3冊の本になっている。これを読むとゴッホの人物像や苦労がよくわかる。そしてゴッホは日本の画家に影響を受けており、かつ、尊敬していたこと、読書家であることが興味をそそられる。

じっくりと鑑賞して楽しめた。


「河村尚子 × アレクサンドル・メルニコフ」を聴きに行く

2023年11月18日 | クラシック音楽

東京芸術劇場のVSシリーズVol.7、河村尚子 × アレクサンドル・メルニコフを聴きに行ってきた。19時開演、終演は21時ちょっと前。6,000円。9割方埋まっていたか。今日は前から2列目だった。

VSシリーズとは、初顔合わせとなる2人のピアニスト、ジャンルの違う2人のピアニストによる、表現の交歓の中で即興的に生まれていく、予想することのできない”衝突“を観客も一緒に体感する狙いの企画とのこと。

有名なピアニストは普通、連弾はやらないと言う。ピアノを引く手が交錯し、ペタルも2人が分けて踏む、個性と個性がぶつかり合い、なかなか呼吸が合わないからであろう。その意味でこのVSシリーズは意欲的な取組みと言える。

出演は、

河村尚子(42)
ミュンヘン国際コンクール第2位、クララ・ハスキル国際コンクール優勝。ドイツを拠点に、ウィーン響、バイエルン放送響などにソリストして迎えられ、室内楽でもカーネギーホールなどで演奏。現在、ドイツのフォルクヴァング芸術大学教授。

2019年秋公開の映画『蜜蜂と遠雷』(恩田陸原作、この本の読書感想はこちら参照)では主役・栄伝亜夜のピアノ演奏を担当し、その音楽を集めた。「河村尚子plays栄伝亜夜」もリリースされているようだが、これは知らなかった。また、ベートーベンのピアノソロ全14曲のリサイタルを開くなどしている。ドイツを拠点にしているので、ベートーベンが好きになったのかもしれないが、私も好きだから、彼女の演奏を聴けるのはうれしい。

アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov、ロシア、50)
1989年のシューマン国際コンクール、1991年のエリザベート王妃国際音楽コンクールなど主要な国際ピアノコンクールで入賞、以来国際的に活躍している。室内楽では、現在、イザベル・ファウストとデュオを組んでいる。また、アンドレアス・シュタイアーなどとピアノ・デュオ活動も行っている。しかし、こういったロシア人のピアニストなどはウクライナ侵略後は、ロシアに住んだままロシア外で活動しているのだろうか。侵略についてどう考えているのだろうか。

演目は、

シューベルト/幻想曲 ヘ短調 D940
ドビュッシー/交響詩『海』(作曲者による1台4手版)
ラフマニノフ/交響的舞曲

「シューベルト/幻想曲 ヘ短調 D940」はピアノ1台4手連弾の傑作。「ドビュッシー/交響詩『海』」はドビュッシー自身の編曲による「1台4手連弾版」、オーケストラの名作としても知られる、そして2台ピアノ作品の金字塔「ラフマニノフ/交響的舞曲」。

今日の演目のうち、ドビュッシーとラフマニノフの作品は知らない曲で、事前にちょっと予習したが、そのくらいではその良さがわからない難しい曲だ。「海」という題名だから静かな曲かと思ったが、結構激しいところがあったのには驚いた。

最初のシューベルトの幻想曲は大好きな曲だ。なんとも言えない憂いを帯びたメロディーに惹かれる。作家の百田尚樹氏はクラシック音楽ファンとして知られているが、氏の書いた「この名曲が凄すぎる」(PHP)では24曲の氏が推奨するクラシック音楽が書かれており、この幻想曲D940も含まれている。氏によれば、この曲は誰にも教えたくない曲で、自分の何かが詰まっているような気がする曲だと述べている。

この曲はシューベルトが亡くなる年に書かれたもの。氏によれば、彼がほのかに思いを寄せていたエステルハージ家の姉妹の妹カロリーネに献呈するために書かれたものだが、実は彼女への愛の告白の曲として書かれた曲である、としている。身分違いの女性を口説くような勇気を持ち合わせていない内気なシューベルトは、この曲を彼女に献呈して自分の思いが伝わることを期待したとしている。そんなシューベルトの見果てぬ夢がこの曲の悲しみに充ちたメロディーに込められていると私も思う。

なお、この曲のCDはAmazonで探してもほとんど売っていないのはなぜなのだろう。

今日の公演であるが、2人のピアニストの息はピッタリと合っていたように見えた。事前に相当練習したようだ。メルニコフはおとなしい感じの人で、なんだか河村尚子の方がリードしていたように見えた。ピアノも2人で同時に弾く専用のものなのだろうか、それ専用のピアノに見えた。つまり、2台のピアノを使ったというより1つの大きなピアノに鍵盤が左右に2つついているように見えた。

さて、今夜の公演前の夕食だけど、池袋東口の蒙古タンメン中本東池袋店で食べることにした。激辛タンメンで有名で、名前は聞いていたが来たことがなかった。相当辛いらしいので、10段階の辛さの3の「みそタンメン」を選んでみた。

さすがにこれはあまり辛くなかった。次は辛さ度合い5の蒙古タンメンに挑戦しようと思う。女性も含め若い人がほとんどでシニアはいなかった。


名曲喫茶「バロック」に行く

2023年11月17日 | カフェ・喫茶店

吉祥寺に来て、タムジャイサムゴーでスパイシー・ヌードルでランチを食べた後、せっかくなので名曲喫茶のバロックに寄ってみた。

1時頃に訪問すると、お客さんが何人か入っている。空いてる座席に腰かけ、ゆっくりする。いつ来ても落ち着いた良い空間である。

奥のスピーカーからはシューマンの5重奏曲が流れていた。その後、バッハのチェロ組曲、バッハの平均律クラヴィーア、モンテヴェルディの宗教音楽などがかかる。室内楽とオーケストラ音楽などを2系統のステレオで区別して流しているようだ。音楽はすべてLPを使っており、CDは使っていない。かける曲のリクエストもできる。

音楽を聴いていると次々と客が入ってきて満席近くになっていく。週末に来たのは初めてで、こんなに客がはいっているなんて知らなかったが、喜ばしいことである。皆さん、直ぐに出ていくような人はいず、1時間以上はじっくりと珈琲などを飲みながら聞き入っている人ばかりと思われる。

私もこの後特に用事が無かったので、2時間近くじっくりと聴いて、さて、帰るかなと思ったら、ガラス張りのオーディオ室兼LPライブラリーから座席に向かって白板に書かれている次の曲の紹介にRシュトラウス、シュヴァルツコッブ、セルによる歌曲集4Lstsongsのアルバムが出たではないか。今日はB面の曲がかかったが、これを聴いて、店を後にした。この歌曲集に含まれている16曲の歌はいずれも美しく、家で読書などしながらゆっくりと聞き流すとき、しみじみと良いなーと感じるのであり、私のお気に入りである。

今日は珈琲800円を注文、1時間以上いるといつも2杯目のコーヒーを無料でだしてくれる。おしぼりも2回以上交換してくれる。こんな良い店ないと思う。いつまでも残ってほしい貴重な名曲喫茶である。そのためにももっと来よう。

ご馳走様でした。


「譚仔三哥 タムジャイサムゴー」に行ってみた

2023年11月16日 | グルメ

吉祥寺に出かける用事があり、用事が済んでからランチの時間になったので、前から行ってみたいと思っていた「譚仔三哥 タムジャイサムゴー」に入ってみた。

この店は、丸亀うどんで有名なトリドールが運営するブランドで、ミシュランガイドの「ビブグルマン」に3年連続で掲載され香港No.1の人気を誇る米線(ミーシェン)を使用したスパイス・ヌードル店。

「米線」という米からつくったグルテンフリーの麺を使用しており、独自配合のスパイスが効いたスープでこれまで日本では味わうことができなかった新感覚の食べ物を提供するスパイス・ヌードル店と言うのがうたい文句だ。

店に入ってメニューを見ると、①スープを選ぶ、②辛さを選ぶ、③トッピングを選ぶ、の3つの選択肢がでているメニューを見て自分の好みで選ぶ方式との説明がある。これが面倒くさかったり、内容がよくわからない人には店側が考えたおすすめ組み合わせがあり、私もその中から「香港の大定番」となっている初めての方におすすめのランチ1,160円を選んだ。これは①マーラースープ②豚バラ・油揚げ・キクラゲのトッピング③辛さは初心者おすすめの10ランク中の4を選んだ。

ヌードルが出てくるまでに15分くらいはかかっただろうか。しばらく待ってやっと出てきた。

スープの色が独特で、日本で言えばちゃんぽんの汁のような色で、麺はやはり白い感じの透明色のビーフンか冷麺か韓国料理の麺のような感じのもので食べ心地は悪くない。スープはマーラーだから痺れがあるもので旨い。辛さも辛すぎずちょうど良いのでどんどん食べられた。量も申し分ない。

来ているお客さんを見ると、若い人が圧倒的に多い。女性客も多いのが特徴だ。外装や内装も色彩感覚が派手で良い感じがした。店員は皆若い。新しい店なので清潔感もあり居心地は悪くない。ただ、カウンター席は隣とアクリル板で仕切られており窮屈だし、足下に荷物入れの大きな籠があり、これも窮屈だった。また、普通、料理が運ばれてきたときに伝票も渡してくれると思うが、ここは伝票だけ料理より先に来て、料理がなかなか来ないので心配になった。

丸亀うどんは好きだからよく利用しているが、同社が香港のこのチェーン店を多額の金を出して買収した話を知ったときは驚いた。丸亀はうどんで世界に進出して勝負をするのではないのかと、いや、そうしてほしいと思っていたのに何でこの店を買収したのかわからなかった。麺だったら何でも良いのか、私には理解できないが、買収後、株価は上がっているので市場ではその路線が評価されているのであろう。

香港ではどうか知らないが、日本ではまだ行列ができるほどではないし店舗数も少ないので投資の効果が順調なのか知らないが、味は悪くないので、頑張ってほしい、が個人的には日本の丸亀製麺方式で世界で勝負してもらいたいし、できると思う。

ご馳走様でした。


突発性難聴になる

2023年11月15日 | 日常生活の出来事

最近、左耳の突発性難聴になった、そして治療した。そして幸運にも治った。その経過を以下に記載して読者の参考に供したい。

  • 旅行から帰ってから2、3日してから、耳がかゆいので耳鼻科に行って耳垢の掃除をしてもらった。ベッドに寝ながら、耳の中が明るく照らされ、そこにピンセットのようなもので耳にへばり付いている耳垢を引き剥がすように取っていったのがモニター画面で見れた。左耳が特に耳垢が多かった。
  • 無事に終了して帰宅した。が、なぜか何となくスッキしした感じがしなかった。おかしいな、と思ったが、そのうち治るだろう思って、放っておいた。
  • しかし、翌日から左耳が少し塞がっているような気がしてきた。これも気のせいかと思った。掃除したのにそんなはずがない。だが、それから2日くらいたっても耳の塞がった感じが改善せず、悪化した気がした。そこで、ステレオの音を左右の耳で聞き比べすると、何と、左耳の聞え方が非常に弱くなっている。そして、翌日には耳詰まり感が更に進み、自分の声が頭の中で反響するようになった。プールで耳に水が入って詰まったときの感覚だ。
  • これはまずい、直ぐに医者にと思ったが3連休だ。ネットで調べると突然の難聴は早期の治療なら治る可能性が高い、となっているので焦る。が、仕方ない、この時間を利用してどの医者にかかるか嫁さんと相談して、やはり経験豊富な先生のいる病院に、となり、溜池山王のあるクリニックの先生に決め、月曜日に予約無しで行くことにした。

  • 当日行って、診断を待つ。予約優先なのでその合間に入れてもらう、どのくらい待つかわからない。不安な気持ちで待っていると意外に早く呼ばれた。そして、聴力検査をして結果を見ると、確かに左耳の聴力が落ちている、中等度難聴に近い軽度難聴だが感覚的には右耳の半分位しか聞えてない。
  • 医師は原因はわからないが内耳の感音神経がやられている突発性難聴だと説明。ステロイド剤などを1週間服用し、1週間後に来院するように指示される。もらった病気の説明資料を見ると内耳の脳卒中だと書いてある。また、耳垢掃除は難聴と関係ないと言われる。
  • 薬の服用を始めると、その日の夜から塞がっていた耳に穴が少し空いてきた感覚がしてきて、翌日には聞えが良くなってきた。3日目にはかなり聞えるようになり耳の塞がった感じもなくなった。
  • 1週間後、聴力検査をすると左右の聴力の差はほとんど無くなり、耳が塞がった感覚も無く、完治したと診断された。
  • よかった、よかった。治療開始が早かったのが奏功した。難聴の原因は不明だが、加齢、ストレス、動脈硬化、高コレステロールなどが考えられるとのこと。また、耳垢掃除は必要ない、とのこと。私は、加齢以外は該当がない。
  • 突発性難聴はストレスでなる人が多い、だから若い人にも多いそうだ。しかも、仕事が忙しく放置して、回復不可能になった段階で受診するケースが後を絶たないと言う。
  • 聞えづらい、耳が塞がっているような気がする、耳鳴りがしてきた、などの場合には、直ぐに耳鼻科を受診することが必要である。私は難聴を自覚してから4日目に受診した、不調を自覚してからは10日目だ。
  • 私の場合、リタイアして時間に余裕があった、コロナで病院が大混乱している時でなかった、海外旅行中でなかった。治ったのは、幸運に恵まれたこともある。

読者の中にも現役の人もいると思うが、注意してほしい。耳が詰まった感じがして、自分の話し声が頭の中で反響し聞えづらくなるというのは想像以上に苦痛だった、そんな症状が固定したら大変だ。おかしいと思ったら仕事を抜けて、直ぐに職場の近くの耳鼻科に行ってほしい。

 


筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その2)

2023年11月15日 | 読書

(承前)

  • 1931年9月、満州事変が起こると新聞は(軍縮から)大旋回した。例えば大阪朝日新聞は、「満洲に独立国が生まれることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」と報道した。事変後、朝日を困らせたのは不買運動だ、10月中旬の役員会で事変支持が決定した
    (コメント)新聞社の主張や倫理観などはこの程度のものだ
  • 5.15事件では、被告人の主張する元老・財閥・政党等特権階級への批判がそのまま正当化され報道された。また、減刑運動が検討され始めた段階で、この運動を唆し支援するものであることが明白な記事が出された。そして異例に軽い判決が出ると11月10日の時事新報は「法を破るその罪は大、愛国の至情は諒とする、36年への危機憂慮が暴発、条理備わる判決理由」という見出しで伝え、内容は被告らの主張そのままであった。
    (コメント)安倍首相暗殺犯の主張を、それが本当かどうかもわからないのに大騒ぎし、減刑運動まで取り上げる報道姿勢は今でも同じだ。
  • 満州事変のリットン調査報告書について、12月19日の全国132紙は受諾拒否共同宣言を出した。翌2月7日に日比谷公会堂で国際連盟緊急国民大会が開かれ、政府に連盟脱退して直ぐに帰朝せよとの声明を採択した。これをNHKがラジオで全国中継した。松岡の背後にはこの「国民の声」があった。2月20日、政府は連盟脱退を決定した。当時学者が現実的な意見として「頬被り論(連盟非脱退論)」を主張していた。日本がこの理論を採用していればその後の歴史は変っていた可能性がある。だが、東京日日は社説で「連盟脱退の外なし、頬冠り主義を排す」と書いた。外交では価値・理想も必要だが、利益の追求は合理性を担保することになり、置かれた環境を無視する非合理的行動に走らせないと言う視点が重要である。
    (コメント)新聞社の国際情勢を見る目の無さは今も同じではないか、ただ学者はこの時、現実論を言った

  • 評論家の清沢洌は、ポーツマス会議とジュネーブ会議(国際連盟問題)を比較して、相違点として、桂太郎と小村寿太郎はいかに民論による迫害があろうと断固として講和会議をまとめる意志があったが、松岡は民論に責任を転嫁して、その陰に隠れようとした、また、桂と小村が絶対に我が国の国際的孤立を避けんとしたのに対して、斉藤と内田はむしろ我らから進んで孤立を選んだ傾きがあった、と批判した。日清・日露の時は、国家の絶大なる難局に面した場合には、暫く世論を無視し、国家のために一身を犠牲にするのも国民、ことに指導者の任務ではなかろうか、この視点を絶えず維持していた石橋湛山から今日学ぶべきことが多い理由でもある。日清・日露の時はそういう指導者に事欠かなかった。
    (コメント)明治の政治家たちは偉かった。そもそも新聞社の主張は世論ではないし、往々にして間違っている。
  • また、清沢は海外の老練なジャーナリストは知力で勝負し、優れた分析力を見せる、正確なデータに基づいた報道を心がけるが日本の新聞は不正確なものが平気で横行している、と批判し、ポピュリズムに足を取られやすい危険性を指摘している。
    (コメント)最近でも同じである。ある新聞の慰安婦強制連行報道はひどかった。

(その3・完に続く)


「新宇都宮カントリークラブ」でゴルフ

2023年11月14日 | ゴルフ

栃木県芳賀郡の新宇都宮カントリーでゴルフをした。天気は晴れ、気温は最高で21度で絶好のゴルフ日和だった。費用は2人で11,300円、安くて有難い。ここは今年2回目。

コースは27ホールあり、それぞれ個性があって飽きない。適度なアップダウンがあり、ドッグレッグホールと池が絡むホールがいくつかあり、コースを面白くしている。元々2グリーン方式だったが、今はベントグリーンだけ残して1グリーンのみの運用にしている。カートはフェアウェイ乗り入れ可能で、楽にラウンドできるから夏場は特に良い。東京方面から来る人より地元の人たちに使われている感じだ。

1973年、昭和48年の開業で民事再生法は適用したことがなく生き残っているのはたいしたものだ。同じような名前で、同じような雰囲気の27ホールの東宇都宮カントリーというコースがあったが、こちらは随分前に閉鎖された。

クラブハウスやカートが古くなっているが、カートにはナビがついている。このナビはよくできたナビで、グリーン近くになりフェアウェイ乗り入れができなくなる所に来ると、カート道に戻ってくださいとか、それを無視して進むとここは乗り入れ禁止区域ですと言われる。

コースの手入れはよくできてる方だと思う。ティーグラウンドやグリーンの状態もまずまずだった。ただ、カート道路がかなり傷んできているので、その点が要改善点だろう。ティーマークもスコアカード通りの位置に設置されており好感が持てる。

今日はある程度の客が入っていたが、プレーの進行はスムーズでハーフ2時間弱で回れた。ゴルフはこうでないといけないだろう。毎ホール待たされるコースは有名なコースでもごめんだ。

天気の良い日に1日楽しめました。また来ます。


「東京都交響楽団 第986回定期演奏会」に行く

2023年11月13日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された東京都交響楽団 第986回定期演奏会に行ってきた。14時開演で終演は16時過ぎ、S席7,000円、今日は1階席、前から10列目くらいの良いところ。日曜ということもあろうかほぼ満員であった。若い人も結構きていたように見えた。

演目は

シルヴェストロフ/沈黙の音楽 (2002)
シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 ニ短調 op.47

出演は

ジョン・アクセルロッド(米、57)
アレクサンドラ・コヌノヴァ(Vn)(モルドバ、35)

都響のホームページからの抜粋した解説と、今日聴いた感想を書いてみたい。

シルヴェストロフ(1937~)は、ウクライナを代表する作曲家のひとり。旧ソ連において彼の作品は演奏が禁止されていたが、今世紀になって彼の作品を収めたCDが相次いで発売された。ロシアのウクライナ侵攻は、彼の運命も大きく変え、ドイツへ亡命した。彼が2014年に書いた「ウクライナへの祈り」は、ウクライナへの連帯を表明する作品として世界各地で演奏されるようになった。

今回の演目「沈黙の音楽 」は静かな曲で、沈黙という意味を音で表現したのか、と感じた。10分くらいの短い曲だった。

1904年に発表されたシベリウス(1865~1957)のヴァイオリン協奏曲は、彼が残した唯一の協奏曲。もともとヴァイオリニストを目指していた彼が作曲したこの曲は、傑作協奏曲として高い人気を博しているが1904年に披露された初稿は大失敗、大幅な修正を加えた改訂稿も酷評される。それでもジネット・ヌヴーやハイフェッツらの尽力により協奏曲の真価が少しずつ認められると、その後広く世界中で演奏されるようになった。

さて、バイオリンのコヌノヴァであるが、ピンチヒッターだ。当初予定のアリーナ・ポゴストキーナが気候変動問題への取り組みの一環として、今後一切航空機を利用しないことを決めたため、来日は不可能となったためである、やれやれ。

この協奏曲は、自宅でもヌヴーのCDでよく聞く曲だが、確かにそう簡単に理解できるような曲ではないだろう。何回も聞いていくうちにその良さを感じるタイプの曲ではないか。その意味で、今日のコヌノヴァのバイオリンによりじっくり聞けたのはよかった。彼女は派手な衣装で細身の体を着飾って、一生懸命に演奏していた。アンコールにバッハを弾いてくれた。

ショスタコーヴィチ(1906~75)の交響曲第5番は、ソ連によって歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が厳しく批判され、絶体絶命の危機に陥った時に作曲した曲だ。ベートーヴェン風の「苦悩から歓喜へ」という明快な構成、輝かしいフィナーレで終わるこの曲の初演は大成功、危機を脱した。指揮したムラヴィンスキーは、このときが彼との初めての出会いだったが、以後、多くの作品の初演指揮を任せられた。彼の存命中は、社会主義の闘争と勝利を描いている曲と思われていたが、その後、実は彼がこの曲にスターリンに対する批判を込めたという考え方が広まった。

この曲は自宅ではバースタイン指揮のNYフィルの演奏でたまに聴くが、そんなに好きな曲でもなかった。今回、会場でじっくりと聴いてみると、なるほど解説にあるとおり、ベートーベン風の「苦悩から歓喜へ」ということがよく感じられ、最後に一番盛り上がるような曲になっており親しみを感じるようになった。ティンパニやシンバルが大活躍していたのでアクセルロッドから何回か終演後立ち上がるように促され、盛大な拍手を受けていた。

自宅でクラシック音楽を聴くときは、自室にいて読書などをしている時にずっとBGMで同じCDを繰り返し聞いているので、曲の細かいニュアンスなどはテレビや公演で理解する。そして公演などでじっくり聞いて、初めて曲の良さがわかることが往々にしてある。このやり方が自分には合っていると思っている、その意味で今回の公演はよかった。

さて、今日の公演前の昼食だが、会場に到着してからだと遅くなるので、自宅で、昨日買った吉祥寺いせやの焼き鳥を使った「焼き鳥丼」にした。


筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その1)

2023年11月12日 | 読書

筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」(中公新書)をKindleで読んでみた。失礼ながら、この著者のことについては何も知らなかった。帯には、戦争は避けられなかったのか、マスメディアが煽った政治不信と革新論、とある。

明治維新前後から昭和の敗戦に至る歴史には若いときから興味があり、それに関連する著作はなるべく読んで、何が本当に起こっていたのか知りたいと思っている。

まず最初に本書で取り上げているポピュリズムの意味について確認しておこう。著者は本書の中で「ポピュリズムの定義は色々あるが、要するに大衆の人気に基づく政治ということである、とし、それなら日本ではとうの昔、戦前にそれが行われていた」としている。

著者の認識では戦前に日米戦争に日本を進めていったのはポピュリズムである、「戦争への道の責任」と言うことはさかんに言われるが、ポピュリズムについては取り上げられることがないため、この本を書いたと述べている。

この著者の見解は一理ある。戦前ポピュリズムが現代においてメディアで取り上げられないのは、それがメディアにとって不都合な事実が多いからであり、その不都合な事実は現在においてもなんの反省もなく同じように行われているからである。以下、著者の主張と自分のコメントを書いてみよう。

  • 政治において大衆が1つの勢力として台頭したのは1905年(明治38年)の日比谷焼討ち事件からだ。新聞は戦争中から戦争祝勝を煽り、戦後は講和条約を批判した
    (コメント)煽り報道、国際情勢音痴は今も同じ
  • 辛亥革命後、日本人を対象にした中国による殺傷事件が立て続けに起こった。これに対する新聞等の誇大な報道により世論は激高した。これを見て政府の対中交渉も強行外交を展開した
    (コメント)対華21箇条交渉の時も新聞は「最後通牒の外なし」(東京日日)など強硬論だった
  • 1924年、アメリカで排日土地法が可決され、日本の世論は激高した。東京・大阪の主要新聞社はアメリカの反省を求める共同宣言を出した
    (コメント)感情的報道は今も同じ
  • 若槻内閣では次々と疑惑事件が起こり、新聞報道により大衆の興味をひいた。若槻は朴列怪写真事件などスキャンダルめぐる大衆動員の動きを軽視した。その結果、スキャンダルで支持が下がり追い詰められ、そこに金融恐慌が発生して選挙もできずに退任に追い込まれた
    (コメント)事の重要性を考えないスキャンダル誇大報道は今も同じ
  • 1927年、田中義一内閣が発足し、6月には立憲民政党ができて政友会と二大政党制となった。新聞はこれに期待感を示しつつも、政権本意の現状を危惧するような報道に終始し、政党を批判ばかりした。せっかくの二大政党制成立の時期にその健全な育成に意を注がなかった。吉野作造などの知識人も同様。
    (コメント)ここが新聞社の大きな限界であろう

(続く)