ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

かげはら史帆「ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく」を読む

2024年02月22日 | 読書

かげはら史帆著「ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく」(河出文庫)をKindle読んでみた。本書は、「アントン・フェリックス・シンドラー」という人物がいったい何者なのかを書いたもの。彼はベートーヴェンの晩年に、音楽活動や日常生活の補佐役をつとめていた人物だ。1827年にベートーヴェンが亡くなったのち文筆活動に目覚め、1840年から1860年にかけて、全部で三バージョンの『ベートーヴェン伝』を書いている。

彼はベートーヴェンの死後、ベートーヴェンの遺品の中から手紙、楽譜、会話帳(筆談のためのノート)などを奪って、一部は廃棄したとされている。会話帳を例にとれば、本書の中で、彼は晩年、アメリカ人伝記作家アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーの取材に応じ、かつて会話帳の一部を破棄したと告白している。いわく、会話帳は400くらいの数が存在していた。だがベートーヴェンが亡くなったあと、価値がないと判断したノートを大量に捨ててしまったという。

それだけではなく、彼は会話帳を改ざんしたと専門家の調査は結論づけている。書き加えたり削除したりしているのだ。本書の著者はその動機に注目する。そして研究者が明らかにした改ざん内容を一つ一つ検討して、改ざんは単に個人的な動機のみでなく別の理由がるのではないかと結論付ける。著者が挙げる具体例は以下のようなベートーヴェンの友人が書いた言葉を線を引いて見えにくくしている改ざんである。

「わたしの妻と寝ませんか? 冷えますからねえ」

この誘いにベートヴェンがどう反応したかはわからないが、故人の伝記を書くのに故人のイメージを損なうようなことに言及しないのはよくあることだ。また、そのような証拠を消し去ることも身辺者であればやむを得ないと著者は考える。

また、有名な「不滅の恋人の手紙」もシンドラーが会話帳とともに遺品から奪ったものだが、この手紙には宛先が書いていないし、実際に出したかもはっきりしないがシンドラーはこの手紙の宛先はかつての女弟子で「月光ソナタ」を捧げたジュリエッタだとした。手紙は1812年に作成したものだが、シンドラーが書いた伝記では1806年に書かれたとしている。それは1812年にはジュリエッタは結婚していたからである。

一人の女性を一途に愛する主人公としてのベートーヴェンを演出したいがために、会話帳のいかがわしい記載を削除し、架空のラブストーリーをでっち上げた。現実を理想に変えるための改ざんだったと考えられないかと著者は指摘する。

シンドラーが会話帳の改ざんを行ったことは広く知られているが、彼がどういった生い立ちでどういう人物で、どうして改ざんを隠し通せたのかなどについてはまだよく知られていない。そして、シンドラーが覆い隠した真のベートーヴェンを知りたいと望むならば、私たちがすべきなのは彼の存在を葬り去ることではない、シンドラーに限りなく接近し、彼のまなざしに憑依して、ロング・コートの裏側の「現実」に視線を遣ってみることだと著者は述べている。

本書で述べられているベートーヴェンの現実の姿についてはネタバレになるので、本書をお読みいただくとして、その中から上に書いたもの以外にもう一つだけ書いてみよう。

「汚い無精髭をはやし、使用済みの便器もほったらかし、風呂にもろくに入らないのに、食べ物の新鮮さにかけては極度に神経を尖らせ、気に入らなければ家政婦に卵を投げつけ罵倒する」

著者は最後に、シンドラーについて、不朽のベートーヴェン伝説を生み出した音楽史上屈指の功労者、それこそが正体だと結論づける。名コピーライター、名プロジューサーだ。

こういうことは他の人でも良くありがちなことであろう。そして、世の中には実際より良く書かれている人と、逆に実際より悪く言われている人とがあるだろう。新聞等で何度となく賞賛されたり、あるいは批判されている人物や制度といったものも素直に信じない慎重さが我々に求められるであろう。

面白い本でした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿