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五百旗頭真 「日米戦争と戦後日本」を読んで(2024/3/8追記)

2024年03月08日 | 読書

(2024/3/8追記)

防衛大学校の学校長などを務め、東日本大震災や熊本地震からの復興に有識者の立場で力を尽くした、政治学者の五百旗頭真氏が6日、亡くなった。享年80歳。

私は昨年、五百旗頭氏の本を読んで以下のブログを書いた。また、普段からテレビなので氏の鋭い論説に感心していた。ここに五百旗頭氏の生前の功績を称えるとともに、謹んでご冥福をお祈りします。

(以下、当初投稿)

BS放送「プライムニュース」で五百旗頭真教授が出演されて日本の防衛政策を解説されているのを見て、五百旗頭先生の高い見識に感心したので、先生の書いた本を何か読んてみようと思い、Amazonで調べてみると、この本を見つけたのでKindleで読んでみた。

読んでみると先生がいろんな資料、文献に当って、それらをベースに歴史の事実と解釈を述べていられるのはいかにも大学教授らしい緻密なアプローチと感じた。私自身のこの分野には大変興味があるあるので多少勉強はしてきたが、先生のこの本を読んで初めて知ったことも多く、読んだ価値が大変大きいと言えよう。そのような点を少し述べれば

  • アメリカの占領は6年間の長期に及んだが、これは早期講和を目指すと敗戦国に苛酷な講和条件とになり日本にとってよくないので、𠮷田首相や外務省はGHQと交渉して占領がある程度の期間に及ぶようにし、その間に占領政策(民主化政策)に協力してよい講和条件を得る方針をとった、戦争で負けたが外交で勝つ戦略で、これは成功した
  • 日露戦争後、アメリカは日本を敵視することになったが、それはポーツマス講和の斡旋をし、日本にとって価値のある講和の成立に尽力したアメリカに対し、恩義を感じるどころか、不満を爆発させ日比谷焼討ち事件や反米デモなどをしたからである、当時の日本人及びその日本人を煽った日本の新聞、大学教授などの知識人までがいかに国際認識を欠いていたか
  • ルーズベルトの政治的本能として、大国間の離反をさせるバランスオブパワーの原理を追求していた、彼はカイロ会議で蒋介石に琉球諸島を戦後中国のものにする提案をしたが蒋介石が琉球は長年日本のものだからと辞退した、千島をソ連所属としたため戦後日ソで領土問題が残った、満州と外蒙古の関係も戦後中ソ間の争いの種になった
  • 硫黄島と沖縄戦は米軍の敗北だ、それは犠牲者が想定よりもずっと多かったたり制圧に予想外の時間がかかっていたからだ、日本本土に近づくほど日本人は驚異的な戦いをするので、米軍の本土攻撃の再検討をもたらした
  • アメリカが日本の暗号を解読していたのや有名だが、実は、日本もアメリカの暗号を解読していたことが近年、研究者の発見で明らかになった、解読していたからこそ、東郷外相は開戦間近の和平暫定協定に手応えを感じていた、しかしハルノートを突きつけられたので絶望した

更に、昭和天皇がポツダム宣言受諾について決断を仰がれた際に、「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」と発言されたことを記載していることは評価できる。天皇はマッカーサーにも同様なことを述べられた(諸説あり)が、このような大事なことが日本の歴史教科書には書いてないらしい、なぜなのか。

さて、この本だが、先生の説明に素直に同意できない箇所もある、一つだけ述べよう

先生は「日本はアジアにおける最初の近代帝国を築いたが、やがて強くなった腕が一人で動きだす、満州事変以降の日本の歴史はまさにそうであった」などと述べ、戦前の日本の行動を非難されている。こうも断定的に非難できるものだろうか。歴史は複雑で、その評価を白か黒かで下せるのか。当時の日本がおかれていた状況を日本人はどう感じて、日本の行動をどう思っていたのか、もっと知りたい。何かを感じもせず腕は一人で動かないはずた。世論をリードした当時のメディアや知識人は国際認識を欠いていたのか。もっと歴史を多角的に検討、評価してほしいと感じた。



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