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尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

谷中銀座・よみせ通り こぢんまりという幸福

2012-09-26 12:11:10 | 旅行

 11時から2時間ほど歩いて汗もかきました。昼食は露伴先生の旧宅跡の角を廻ったところの「たんぴょう亭」です。気付かないで通過してしまいそうな小さく瀟洒な玄関を入ると、中は手前にカウンター席、奥に畳の席で意外に広々と感じます。落ち着いて休めそうです。奥の畳敷きにあがり掘りごたつ風のテーブルへ。青森産の馬刺しをつまみにビールや焼酎でのどを潤して注文した食事を待ちました。待つことおよそ15分。鮪の竜田揚げ定食や鮪丼がやってきました。鮪は表面をあぶってあるせいか、生の鮪よりもタレがよく浸みて少量でも十分な味付けです。大食家には物足りない量でしょうが、焼酎のロックを片手にはお手頃、つまみとしてもなかなか美味でした。

 店を出てほんの少し歩くと御殿坂にでました。日暮里駅から歩けば登りきったあたりでしょうか。ここは昭和の香りただよう通りです。煎餅屋さんで道を確認し谷中銀座商店街に向かいます。途中、敗走する彰義隊をかくまったと言われる経王寺を見つけました。山門のあちこちに残る官軍の弾丸跡。上の方の穴は小さく目前の穴は大きいのです。ここを訪れる人々が一度は指を入れるんですね。

 そして階段をおりて谷中銀座商店街です。「夕やけだんだん」の階段を下ります。有名なミニコミ誌『谷根千』を始めた森まゆみさんが「ここは夕日が美しい」とつけた地名だそうです。よくテレビなどで紹介される場所です。現在、『谷根千』は発行されてないとのこと。以前、浅草の台東区立中央図書館でバックナンバーを何冊かめくってみたことがありますが、歩いて見て聞いたことがよく書かれていること、こういう地元誌を持つ住民の幸せ、発行し続けていることの意義深さみたいなものを想った覚えがあります。

 「夕やけだんだん」を下りると、ここは惣菜屋通りといってもいいくらいです。とくに肉屋さんのメンチカツがうまそうですが、こちらは糖質制限食を励行中の身、見て見ぬふりです。あらあら、女性たちは八百屋の前で立ち止まっています。ミニトマトの入った袋を下げて嬉しそう。ほかにもいろんなお店が並んでいましたが、惣菜屋の数は以前に比べずっと少ないとのこと。通り抜けてみると谷中銀座自体が可愛らしくて美味しい総菜のような印象が残ります。

 突きあたりは「よみせ通り」。以前は夕方になるとたくさんの出店が並んだことから名付けられたようです。ここを左に折れて「お茶する」ことにしました。小さなテラスのあるケーキとコーヒーの店。ここもこぢんまりとしていますが明るく開放的です。女性たちがあれこれメニューを見ているあいだに、私は向かいの小さな居酒屋に接近してみました。もちろん昼間は開店していませんが、永年の経験か不思議なことに店の構えを見ただけで中の雰囲気がわかるのです。メニューのほかに店の主人の趣味らしい映画批評の案内もありました。ぶらぶら歩いてくる途中で話題になった映画『最強のふたり』のチラシも見えます。しかしこの店はお子様連れはお断りのようです。

 ケーキとコーヒーの店に戻り、ほんとに小さなクッキーがついた、うまいコーヒーをいただきながら話題は「子連れ同伴はお断り」という居酒屋のことになりました。私は小学生のころ、路地の飲み屋街のすぐ近くに住んでいたことがあって夕方から夜にかけての賑やかさが好きです。いわば毎日ハレ状態だからです。今でも○○小路などと名づけられた飲み屋街を見つけるとついフラフラと入って行きたくなります。しかし、昭和30年代も終る頃です。ここでは毎日のように客同士の喧嘩が路上でありました。「表に出ろ!」というわけでしょう。酔っぱらい同士の喧嘩などは大した騒ぎにもならなかったようですが、一方がヤクザ風だと事情は異なります。一度、いかにもそれらしい男が酔っぱらった相手を痛めつける騒ぎを目にしたことがあります。男の殴る仕草の激しさとスピード、そして革靴をはいた足で思いっきり相手を蹴り上げる場面に、幼かった私は凍りついてしまいました。飲み屋街は危険な場所であったことを初めて覚りました。そのせいか、私は我が子が成人するまでは、それらしい飲み屋街はもちろん居酒屋に彼らを同伴することはありませんでした。

 同伴しなかったもう一つの理由は、太宰治の短編「桜桃」のように「子どもよりも親の方が大事だと思いたい」と考えたわけではありません。幼い頃から母親に「外で嫌なことがあっても家には持ち込むな」と言われ続けて来たからです。外での仕事や人間関係で、嫌な思いをしたらその思いは外で晴らす、つまり暗黙の「寄り道のすすめ」ですね。そういえば、若い頃グデングデンに酔っぱらって帰っても母に小言を言われた覚えはありません。あえて三つ目を挙げれば、そう、酒を飲むというのは「神々の時代」はともかく、やはり気晴らしですから、どうしてもだらしなくなります。大人のそんな楽しみに子どもを引き込むのはいやだという親の見栄ですかね。

 しかし、飲み屋街というのは疲れた大人のホッと一息吐くところです。たとえば、夜、家に残しておけない幼子を抱えて生きなければならない片親を想うとき、「子ども連れの居酒屋」はありそうに思えます。疲れた心と体をもてあましたとき、カウンター傍らに座って何かを頬張る子どもの横顔は何よりも癒しになるはずです。子どもにしたって妖しげでも大人の世界を垣間見る機会です。ほかにも子連れで居酒屋に行きたくなるケースはいくつもあるに違いありません。大人が寄り道して一杯やるのも、子どもを連れて出直すのもまた、こぢんまりした店や家屋が並ぶ下町にふさわしい幸福の一つかもしれません。コーヒーを飲み終わる頃、この店のママさんが、かわいいカップに入った微笑み付きの「カボチャ紅茶」をサービスしてくれました。ほんのりとカボチャの風味がさわやかでした。

 さて、最後の目的地は忍ばず池のそばにある「台東区立下町風俗資料館」です。タクシーで、と思ったら台東区で営業する巡回バス「めぐりん号」があることを知りました。停留所まで「よみせ通り」を歩いて行きました。並んでいるのはまだ開かない飲み屋ばかりではありません。魚屋、肉屋、八百屋、米屋、クリーニング店、中華そばの店、コンビニもあります。途中、コック姿のコーヒーの出前持ちを見かけました。さらに雑貨屋みたいな店や薬屋、病院、床屋もがあったようなないような・・・・。ビジネスホテルもあります。日々の生活で必要なこまごましたものは何でも小売店で調達できそうです。バスが行ったばかりであと15分ほど待たなければいけません。時間はわずかですが私は一人バス停の先まで散歩しました。

 このよみせ通りが三崎坂(さんさきざか)にぶつかる手前で面白い店を見つけました。「指人形笑吉工房」です。名前につられて入ってみました。ある、ある、見事な指人形がずらりと並んでいます。どれもこれもメリハリのきいた表情をした老人顔ばかりです。時間がないので手っ取り早く「なぜ老人か」を訊いてみたところ、老人は表情豊かな顔がさまになりやすく、指人形として動かした場合コミカルな動きがこれまた似合うというご主人の説明にふかく納得。彼はもともとは画家。13年前にこの道に入ったとか。これまで出会ったことのないような指人形ばかり、なかにはなんと「ウォーターボーイズ」までありました。この工房では指人形販売や特注制作まで引き受けます。ほかに人形劇もやってくれます。演目は笑い上戸、酔っぱらい、朝帰り、魚釣り、ピアニスト、瓦割り、剣玉など、どれもこれも「下町の幸福」を表現するものばかり、ふと笑いがこぼれます。「下町のピアニスト」だなんてかっこいいじゃないですか。さらに指人形がお客の似顔絵も描いてくれます。頭はうすくなってもまだ老人顔の自覚がない還暦ホヤホヤの身としてはぜひ描いてもらいたいもの。

 停留所に戻りながら、ふと思いつきました。どんなところに住んでも日々の暮しは、こぢんまりしたことの集まりです。こんどの震災や津波で日々の暮しを失った東北の人々が先々の不安を抱えながらも、まず以前に繰り返していたこぢんまりした日々の習慣を復活させたことからも、このことの大切さがわかります。下町とは──、下町とはこぢんまりという幸福を最大限に実現する町のことではないでしょうか。


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3 コメント

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何度も (日暮里在住)
2012-09-26 18:12:50
連投すみません。。。

ブログといっても、まるで上質なエッセイもしくは小旅行記を読んでいるようです。
ほんわかした気持ちになり、楽しく読ませていただいています。

人はなかなか、物事を一面的にしか自分の立場からしか見ることができないものだと思うのですが、
先生は目の前にはいない誰かの立場にたって考えることができる、それは素敵なことだなと思いました。

想像力があれば、もっといろんなことはシンプルになるのかなぁ。

こぢんまりという幸福、素敵な響きです。
私も日々の小さな幸せを見逃さず大切にしていくたいです。
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となりのおやじと (おさむ)
2012-09-29 20:49:16
昼間からいっぱい 素敵ですねw
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こぢんまりした幸せ (いざわ君)
2013-01-14 17:35:35
読後感想その一
「外で嫌なことがあっても家には持ち込むな」
心にずっしり響く言葉です。なぜなら私にはとても無理なことだからです。たとえ外の事は外で酔って晴らして来た、としても、心の軟弱な私にはとうてい無理な仕業です。なるほど、ブログ氏はこうしたきっぱりとした躾を受けて育ったのかあ、と感服いたしました。でも一方でそれを「暗黙の「寄り道のすすめ」」と我田引水するあたりが愉快でもあります。
読後感想その二
 居酒屋に子供を同伴することに対し何とはなく「うしろめたさ」のようなものを私自身は感じてしまいます。しかしその根拠は一体どこにあるのかと自問すると、やはり自分自身の育てられ方にあるのだと思う程度以上のことはみつかりません。だから、「疲れた心と体をもてあましたとき、カウンターの傍らに座って何かを頬張る子どもの横顔は何よりも癒しになる」と言い切るブログ氏の物事のとらえ方は新鮮に映ります。自分の無意識の価値観、その根拠を明白にせよ。或いは、異なる視点から新たな価値観を創出せよ。
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