ポコ・ア・ポコ~考古学・地質学の部

近年の興味関心のある考古学・地質学に関する内容のMy記憶の記録です。

富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (1/7)~これは石斧か?

2018年09月27日 | 考古学に関すること

 旭川の富沢地区に、雨紛川という石狩川の支流があります。
10年ほど前、
この川の上流に地質学的に特記すべき岩石や
地層があるのでそれを見るため河原を歩いていた時、石器、
とりわけ「石斧」(せきふ)のようなものを何点か見つけ収集し
ました。「先住民の落とし物!? 」かーと。
 
 
 この地区に、少し広い沢に川が1本流れています。

後日、石器らしき物を改めて観察し、もしこれが遺物であれば、時代・年
  代はいつ頃のものか、わかるモノなら調べてみよう!と心が動きました。
このようなケースの場合、常に否定的・批判的な角度で考えていかなくて

  はーと思います。自然の何らかの作用で、偶然そうなったのかも、とか。


 
このような河原でー。

そこで、もう少し調べてから…と、ずーっとお蔵入り!していました。
 ところが、何度も雨紛川を散策する機会があり、新たな発見がありました。
 それは、石斧以外の遺物を手に入れたことで、もしかして!の期待感がー。

まずは、私のお宝!として、ブログに記録しておくことにしました。 


 遺物の条件はー 
石器・石斧などの条件としては、だけでなく、人の手が加わっている箇所、
すなわち、石片が部分的にも研磨されたり、打ち砕かれた部分があることです。
私としては、これらは先住民の作った石器・石斧ではないかーと考えました。
石器だとすると、時代はいつごろか!?。
そこで、途中経過を記録しておくことにしました。

まず、10点UPします。形は石斧のように見えますが、果たしてー。


 研磨の痕跡が見られ石斧らしい感じのものです。
  厚さcm、幅×長さcm/重さg
      ① 厚3.1cm、7.1×23.2cm/874.5g   
   ② 厚2.2cm、10.2×20.3cm/751.5g
   ③ 厚2.6cm、7.4×17.0cm/541.5g
   ④ 厚1.5cm、6.1×17.3cm/337.5g 
   ⑤ 厚2.3cm、5.8×13.2cm/337.5g
 ⑥ 厚2.6cm、6.0×14.0cm/341.0g
 ⑦ 厚2.5cm、6.1×16.9cm/438.0g
 ⑧ 厚2.0cm、7.7×15.6cm/307.5g
   ⑨ 厚2.6cm、5.6×115.7cm/409.0g
 ⑩ 厚2.5cm、5.8×12.3cm/272.5g

 これらは形が石斧に似ていますが、河原にある加工しやすい石を
見繕っている傾向があります。研磨がごくわずかで、矢じりや土器
がないことなどから、大胆に「旧石器時代後期」になるかな!?とー。
しかし、矢じりや土器は発見されていないだけかも知れないし、部
分的に研磨の跡があるので、「縄文時代のはじめころ」か!?ーとか、


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (2/7)~My疑問点はー

2018年09月26日 | 考古学に関すること
石器・石斧を例にしても、新しい時代になっていくと、加工技術
がグレードUPしてきます。そこには、とてつもなく長い長い時
間がかかりますがー。参考に、下の写真は前述の擦文文化か、オ
ホーツク文化時代の石斧ですが、この時代では、黒曜石のポイン
トや矢じり、土器なども使われていました。石斧にいたっては、
全体が研磨されピカピカ、ツルツルといった感じです。

 
 網走管内で貰った石斧。

しかし、私が収拾した石斧らしきものは、一部分しか研磨されていません。
今回も、前回より大きめの石斧らしい遺物10点を紹介します。 


 少し大きい石斧(⑪~⑳)です。 

厚さcm、 幅×長さ/重さ
        ⑪ 厚3.4cm、7.8×21.1cm/867.0g   
   ⑫ 厚3.3cm、6.8×18.1cm/584.5g
      ⑬ 厚4.1cm、9.3×27.2cm/1264.0g
      ⑭ 厚4.4cm、9.5×20.0cm/1033.0g 
        ⑮ 厚4.6cm、11.0×16.1cm/1020.0g
  ⑯ 厚2.6cm、8.6×14.1cm/608.5g
   ⑰ 厚2.6cm、6.5×14.7cm/470.5g
   ⑱ 厚2.7cm、7.0×17.7cm/426.0g
   ⑲ 厚2.8cm、6.4×14.8cm/367.0g
      ⑳ 厚4.5cm、5.5×19.1cm/670.0g
 

問点興味関心のある方、一緒に考えてください。

(1) 採集した場所の疑問

今までの調査では、石器を採集できた場所は、橋脚より50m上流~
下流200mの河原に限定されています。この地は、河川の上流部に
位置しているので、河原には角ばった石が多いことも特徴です。 
さらに特記すべきことは、この場所は、近年、橋の架け替えや堤防など
の工事があったことです。
しかし、通常古代の先住民は、洪水が頻繁に
  起たであろう平地でなく、
経験的に丘陵・高台のところに住居を構えます。
それが、平地、しかも河原の砂利に混じっていることが大きな疑問です。


 この河原からも、多数見つけました。

(2) 研磨が少ないことの疑問
これが縄文時代擦文時代の遺物だとすると、研磨という作業はほんの
わずかしかなされていないことです。(これを局部練磨石器というのか?)
例えば、白滝の旧石器時代のポイントや矢じりを見ると、黒曜石という恵ま
れた素材がありました。そこでは、相当レベルの高い技術を持っています。
しかし、これらは、河原の転石から、石斧になりそうなものを拾い集め
 加工しているようです(これは礫石器かー)。ここの住んでいた人たちは、
石斧の加工の状態から見て、時代がより古かった可能性があります。


 ササヤブをこいで住居跡のような場所がないかとー。

(3) 他の遺跡が発見されない疑問
今まで河原で収集したものは、石斧もしくは石斧のようなもののみです。
先住民がここで生活していたとしたら、その他の痕跡があるはずです。
どこか小高いところか河岸段丘の場所に住居を構えていたものと思います。
それが発見できれば、ある程度ですが、時代が特定できるかもしれません。
近くの小高い山、石器の発見した更に上流や下流を何度か探索しました。
竪穴住居の跡のような場所もありましたが、断定することはできません。
河原の他に露頭を探しましたが、周囲にはありません。更なる調査がー。


 何かくぼ地がー。住居跡か!~そう簡単には見つからない。
黄色の直線は1mの折尺。写真で見るとくぼ地か否か不可解ですが。

  今のところ自力解決では、疑問点が残るだけです。まあ、
~かな!?と、想像のツバサをチョッピリ羽ばたかす程度でも
イイのですがー。堂々巡りになることも多いのですが、ひと
つのテーマを作り探究しようとすることは、脳の活性化にも
イイかと、もう少し続けて行こうと思います。
 


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (3/7)~局部磨製石器か!

2018年09月25日 | 考古学に関すること

磨製石器は、新石器時代の指標とされていましたが、ヨー
ロッパや西アジアで旧石器時代の中石器時代に当たる紀元
前9000年(
約1.1万年前)に局部 磨製石器(刃先だけ磨い
た石斧)が発見されています。
日本でも発見済です。

石斧以外の遺物の発見
何度も現地に行っているうちに、石斧以外に新たなものがあることがー。

(1) 研磨された「石包丁」のようなもの

当初、⑧、⑨、⑩は、私なりに石斧の仲間に入れていましたが、それ
以外のものがあることに気付きました。それは、狩猟・採集生活の折、肉
を切ったり、穀物や植物を小さくするような道具に使えそうなものです。
特に①は、手の握るところがあり、形も包丁のようで、刃になる部分が、
研磨されていて日常生活に使用されていたのではないかと想像しました。
また、⑤、⑥、⑦は小さいですが、持つところが細くなり刃の部分も結
構研磨されています。これらは、自然の偶然だけではできないことです。



 研磨された石包丁のようなもの
 


  厚さcm、幅×長さcm/重さg
  ① 厚1.5cm、2.9×10.0cm/67.3g
  ② 厚1.7cm、2.9×10.1cm/74.8g
③ 厚1.4cm、2.4×9.6cm/74.8g
④ 厚1.2cm、3.8×9.6cm/94.8g
    ⑤ 厚2.3cm、4.2×10.4cm/163.4g 
    ⑥ 厚1.9cm、3.8×12.2cm/144.7g
    ⑦ 厚1.9cm、4.4×12.7cm/151.2g  
    ⑧ 厚1.8cm、5.5×19.7cm/382.0g
    ⑨ 厚2.3cm、6.5×16.5cm/401.0g
    ⑩ 厚2.0cm、5.4×15.5cm/297.5g

(2) ポイント(尖頭器)のようなもの
特に、➂は、実にヤリの形をしたイイ形をしています。
恐らく時代的には、弓はなかったと考えられるので、棒の先にこれらを縛
り付け、狩りや戦いに使うポイントだったのかな?と思われるものです。
②は、何らかの破片がポイントのような形になったのかも知れませんが、
意図的に先や両角が鋭くなっているところが捨てがたいものがあります。
④も、偶然にできた三角柱の岩石片を利用して、少し加工した感じです。


 ポイント(尖頭器)のようなもの

  厚さcm、幅×長さcm/重さg
  ① 厚2.0cm、13.6×7.2cm/256.0g
  ② 厚1.2cm、5.1×12.0cm/123.5g
 ③ 厚3.9cm、3.9×10.9cm/97.0g
 ④ 厚2.4cm、2.8×12.7cm/95.5g
 ⑤ 厚1.5cm、4.9×9.6cm/109.5g 
  ⑥ 厚19.5cm、3.4×13.3cm/140.5g

 以上が、私なりに厳選!した遺物36点です。「らしいものー」と
現地で収集したものは100点以上ですが、もう少し吟味してから
分類しようと思います。また、今後も新たな発見もありますので、
サンプルはだんだん増えてきます。北海道は、これから冬の季節に
なりますので、河原での収集や付近の探索は不可能です。しかし、
春向かって楽しみなことは、雪が融け大量の雪解け水の作用で、今
まで地表に表れていない遺物が発見できる可能性があるからです。

さて、私が手にしているものは、局部練磨石器なので
しょうか!?練磨した箇所が顕著に見られないので、まだ
遺物と断定できないでいます。他で発掘された局部磨
製石器を調べ、比較検討する必要もでてきました。
 


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (4/7)~岩宿遺跡と白滝遺跡

2018年09月24日 | 考古学に関すること

岩宿遺跡と白滝遺跡 (旧石器時代)

縄文文化時代以前を、旧石器時代あるいは先土器時代という呼び方が
一般的かもしれません。しかし、日本列島のその時代には、旧石器
時代はないとされていましたが、岩宿で70年ほど前旧石器時代の
遺跡が発掘されてから、日本全国で次々と発見・発掘されました。

旧石器時代という呼称は、「土器」というこの時代にないも
のを用いて生活していた時代の呼称にしていることに問題
があるとの指摘もあります。岩宿博物館では、土器を持たず、
狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる
日本最古の時代
を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで「岩宿時代」と
呼んでいます。私にとっては、時代の呼称は、あまり関心の
ないことですが、 岩宿遺跡から出土した石器と私が収集した
石器を比較することにしました。  

岩宿遺跡の例 (HPより)

相澤忠洋さん(発掘調査の頃) 1946年9月11日、最初の発掘調査
相沢忠洋(発掘調査の頃) 1949年9月11日、最初の発掘調査
(写真提供:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3万年前) 岩宿2石器文化(約2万年前)
最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3.5万年前) 岩宿2石器文化(約2.5万年前)

 岩宿遺跡から出土したものの例ですが、まず、岩宿1の約3.5万年前
の場合は石と石をぶつけて石斧やポイントを作った感じで、素朴な作
りになっています。そして、近くで発掘された約2.5万年前の石器は
材質も黒曜石を使い、矢じりなどもあり手がこんできています。

写真はあまり鮮明でありませんが、岩宿1石器文化(約3.5万年前)の石
器と比べても研磨の仕方や形状は私の採集した石斧と違いがあります。
私の石斧の方が、局部研磨ではありますが、時代的に新しいかな?と
 見えたり、思えたり、反面、大胆な形状からみて古く見えたりします。
研磨の技術が新しいとすると、土器は発見されていないが縄文
時代か、と考えたりなかなか微妙で悩ましいことです。


北海道の白滝遺跡(旧石器時代)

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器。

 材質が黒曜石なこともあり、きれいで大きなポイント
のこれらの写真から、
白滝遺跡の方が、当時の高度な石器製
作技術を読み取ることができます。私の石器・石斧は、この以
前の時代なのでしょうか。迷宮入りしました。まだまだ、参
考文献や展示された石器から学ばなくてはーと思います。


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (5/7)~明治大学博物館へ

2018年09月23日 | 考古学に関すること
過日、岩宿遺跡に発掘に携わり、その折発掘された遺物(レプリカ)がある
中央線代々木駅から歩いて5分の「明治大学博物館」を見学しました。

いくら石器をみても、説明を読んでもよくわからないことも多いのですが、
私には解決!しなければならないテーマがあります。それは、とりわけ、旧
石器時代後期の遺物として展示されている日本各地の遺物の比較検討です。
まず、岩宿遺跡で発掘された遺物を見ることにしました。

 

 



  

 ここまでの写真が岩宿遺跡から出土したものです。
以下は、明治大学が発掘した他の遺跡から出土したものです。写真が多量
ですが、整理しきれないので展示されていた掲示物とともに載せました。


 

 

 

 

 礫石器やハンドアックス、細石器もしっかりみることができました。
さて、自分の収集した石器と思われるものは、…ーとの視点で。
礫石器は、材質は違っても何か共通点を見出すことができます。
さて!?。


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (6/7)~東京大学総合研究博物館へ

2018年09月22日 | 考古学に関すること
 次は、文京区本郷にある東大の門!をクグルことにしました。
netで考古学関連のことを調べているとき、東大で「世界最古の石器
ハンドアックス~ デザインの始まり展のことを知ったからです。

175万年前 最古のデザインされた石器
東京大学では、エチオピアの地溝帯で175万年前のハンドアックス
を発見。それをエチオピア政府から借り、2か月間展示するという。
恐竜やアンモナイトの時代よりは古くはありませんが、「万年」という
単位、それも175万年前という世界に人間の祖先が存在し、一定の文
化を築いていたという。テーマはハンドアックス=握斧=手斧です。


 


 ハンドアックス


 アシュール型石器の世界最古の例。下の写真は裏側に回って撮りました。


 エチオピアのコンソで発掘。165万年前~125万年前。


 展示スペースから見えるラボ


 マンモスの骨格


弥生時代の遺物か


化石の部

 
 タカハシホタテ


 アンモナイト。

  東大に入って!本物のしかも175万年前のハンドアックスから、今自分が
解決すべき課題のヒントになりそうなことはないかの視点で見学しました。
まず、展示されたハンドアックスが意外に大きく、実際に日常的に使うには
ちょっと手軽でないかなーと思いました。昔の人は大きかったのではーとも
考ましたが、それぞれの時代の頭蓋骨のレプリカがありましたが、現代人と
比較しても大きく感じませんでした。小さいくらいです。本展示会のための
ボランテアの人たちからもいろいろ話を聞くことができました。しかし、私
の課題を解決するヒントは直接ありませんでした。新しい出会いがたくさん
あり、何か利口になった気持ちで東大を後にしました。さて、次はー。  
 


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!?(7/7)~旧石器捏造事件のこと

2018年09月21日 | 考古学に関すること

今から17年前、考古学上の大事件=旧石器捏造事件が発覚しました。
考古学にそれほど関心がない人も、記憶されていることと思います。

日本に人間が住んでいた=住み始めた最初の時代は、これまでの発掘
調査やその後の研究から「旧石器時代後期」が定説とされていました。
もし、それ以上の前の時代=旧石器時代中期、前期の遺物や遺跡が発
見されたとしたら、それこそ世紀の大発見!になります。私もよくわ
からないなりに考古学に関心を持ってきたので、注目していました。

1970年代半ばから、次から次へと年代を遡る大発見が続きました。
日本に住み着いた人間は、岩宿遺跡の関東ローム層から発見された
遺物の年代鑑定から3.5万年前とされていましたが、それが70万年前
にまで遡ることになったのです。それも、日本には世界の同年代と比
較しても類のない文化があったことが発掘により実証されたのです。

ところがー

これは捏造だったことがわかったのです。発掘調査に携わっていた考古
学研究者が、自ら事前に埋設した石器を自ら掘り出して発見した!と。
  彼は、民間研究団体「東北旧石器研究所」の副理事長の職にありました。
捏造発覚までの約25年間、周囲の研究者が期待するような石器を、期
 待されるような古い年代の地層=ローム層から次々に掘り出しました。
今でいう「忖度」しての行動だったかも知れません。自分の地位や名誉の
ためにも。そのためグループにとって欠かせない人物として評価され、
後に、「神の手」(=ゴットハンド)と呼ばれ、周囲から期待されました。

「藤村真一石器ね...」の画像検索結果

1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていま
 したが、不信に思う人も当然現れ、現場証拠!を写真でーということに。
ある筋の情報から、毎日新聞が動き、遂に石器を事前に埋めている姿を
 2000年11/5の毎日新聞の朝刊にスクープされ、不正が発覚しました。

これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の
歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の
醜聞となり、海外でも報じらました。日本人としても、本当に恥ずべ
  き誠に残念で腹立しいできごとでした。              

彼の自白から、「発見」された遺物の9割方は、彼自身の手によって表面
採集(=縄文時代)されたり発掘されたものであり、他人の手によって発
掘されたものは、彼があらかじめ仕込んでおいたものとされています。
彼が掘り出して見せたり、埋められていた石器は、自らが事前に別の遺
跡の踏査を行って集めた縄文時代の石器が殆どであったとのことです。
捏造された「偽遺跡」は宮城県を中心とし、一部北海道や南関東までも。 
旧石器時代
前期:約200万年から10万年前
中期:約10万年から3.5万年前
後期:約3.5万年から1.2万年前


先住民(網走管内)からのメッセージ (1/3)~ポイント・矢じりの部

2018年09月19日 | 考古学に関すること

ずーと昔のこと、網走管内の知人からたくさんの遺物をもらいました。
ある日、私が考古学に興味・関心があるとの話題から、自分の家に矢じ
 りや土器片・石斧がたくさんあるのでもらってくれるのならあげるーと。

翌日、無造作に木の箱にガサッと入れ、しかも自転車の荷台に載せてー。
彼の両親は、ある湖畔近くの畑作農家で、祖父母が開墾した土地の中から
遺物がザクザク!出てきて邪魔になるほどとのことです。それでも、先住
民の遺物であるので、何か役に立つかーと、納屋に保管していたのですが
持て余していたとのこと。これまた私としては願ったりでのことでした。
今回は、まずポイントと矢じりを紹介します。

矢じり・ポイントなど

 
 ポイント(尖頭器)と矢じり


ポイント(尖頭器)

   
 ➊これは形・大きさとも、完全形の見事なポイント(尖頭器)です。
厚0.82cm、3.83×12.35/36.4g。  Q;何に使っていたのかな?
A;動物を突き刺すために、槍の先端に付けて使っていたようです。
このポイントは、シンメトリーでバランスがとれ美しい形をしています。


 ➋これもポイントですが、先端が破損していて、途中で折れたものです。
      厚1.14cm、4.25×10.23/55.9g。この厚さは、①の2倍近くもあり、先が
  1cm程欠けている部分+Rの延長線を伸ばしてみると、15cm前後の大き
   さかな?。このポイントなら、熊やエゾシカなどの狩りに使えたかもー。

 
 ❸これも、ポイントの破損した一部です。当然➋の片割れか!?と思いましたが、
   ➋は縦の筋が入り所々茶色の斑点が見られますが、❸は純度のイイ黒曜石です。
 厚0.99cm、4.25×6.78/37.0g。完全形のときは、長さが15cm前後かなー?
他にもにたくさんあると言っていたので、そちらに混ざっていたのかもーと。


矢じり

 
 右の先端が少し欠けていますが、やや大き目の矢じりのほぼ完全形です。
    厚0.63、2.27×10.00/13.5g。一番細長い形で、私のお気に入りの一つです。
この大きさの矢じりで、どれだけの破壊力があったのか、と想像しました。


 ❺右の先端と矢の広がっている部分が破損している矢じりです。
    厚1.04、4.56×8.96/33.8g。破損したのは扱いが悪かったのだろうか。
     それとも使っている時破損したのか。少し丈夫そうなので実戦的かな!?。


 ❻どちらが先端か、チョット迷いがありましたが、右かなーと。
 厚1.18、3.24×9.53/30.0g。矢じりを固定すると実質5cm前後かな?。 


 ❼これも両方とも鋭いのでどちらが先端か迷います。右かナとー。
厚0.91cm、2.80×7.17/14.9g。青く見えるのは黒曜石の中の色です。


 ❽黒曜石の欠片の特徴を見ながら、あまり手を加えないで作った矢じり。
ほぼ完全形のふっくらとした感じです。厚0.74、3.15×8.11/23.5g


 ❾少し欠けているところがありますが、シンメトリーでない矢じり。
命中率は悪かったのでないかと思います。厚1.12cm、4.45×8.85/29.9g。


 ❿これもバランスの悪い矢じりです。矢じりを縛り付ける部分
がくぼんでいるのが特徴です。厚0.80cm、3.51×8.13/24.6g。


 ⓫小さいけれど丈夫そうで、きれいな紡錘形をした矢じりです。
バランスがよく、命中率も高かったかも。厚0.63cm、2.69×5.77/12.5g。


 ⓬これも紡錘形をした矢じりですが、黒曜石の質がよくありません。
ざらざら凸凹した感じです。厚0.71cm、2.65×5.59/10.3g。


 ⓭これは、両端が破損しています。また、少しカーブしています。
別の用途として使われたのかも知れません。厚1.0cm、2.0×9.2/21.4g。

 

 ⓮十分手を加えて作っていますが、全体にカーブしている矢じりです。
近距離は問題ありませんがー。厚10.18cm、3.03×9.95/26.1g。



 
 ⓯黒曜石に赤茶色の色の付いたものです。当時も希少価値!で、
人気があったかも知れません。厚0.91cm、2.93×7.84/19.0g。


 ⓰これはどちらが先端がわかりません。黒曜石全体が赤茶色です。
イイ感じの色合いですがー。厚0.73cm、3.54×8.00/18.3g。


 ⓱これは赤っぽく+灰色っぽく見える黒曜石で作られたものです。
表面が浸食された感じです。厚1.05cm、3.22×7.72/33.6g。  

 これらのポイントや矢じりは、良質な黒曜石が使われています。
この近郊で黒曜石が出るところは、前述した遠軽町の「白滝」です。
このエリアには、土器のない旧石器時代の遺跡が発掘されています。

私がもらった遺物は類似点がありますが、時代としては新しい物です。
先住民は、この白滝の黒曜石を使ってきたことは、白滝の先住民と
何らかの交流があったものと思います。例えば、白滝人!は、オホーツ
ク沿岸くに住む人たちと塩と黒曜石と交換していたのかも知れません。

一方、現場で制作したものか、
原石を持ち帰って作ったのかも不明です。
原石を持ち帰って作ったのなら、その加工場の跡があるかもー。
それにしても、原石は、重くて大変なことです。その輸送手段は?

  「埋蔵物文化財保護法」について
”厳密に「埋蔵文化財」といった場合、土地に埋蔵されている
文化財としての
価値が認められる遺構と、
文化財としての価値が推定される「埋蔵物」として

の遺物のことを指しており、~”


この法律は、遺跡が出たので個人で勝手 に発掘したり、工事現場
で遺跡が出たのがわかっても、工期が遅れるためそのまま工事を続
けてめちゃくちゃにさせないための法律だと認識していました。

例えば、土地に埋まってなく、土地の表面にあった遺物を拾った場
 合も届けなくてはならないのかなーと。ある人は、「土地に埋蔵され
ている」
とあるのでそれはイイのでないかといいます。さて!?ー。 


先住民(網走管内)からのメッセージ (2/3)~土器の部

2018年09月18日 | 考古学に関すること

土器片も沢山もらいました。だんだん整理して現在は顕著な文様の2種
類になりました。開拓に携わった当時のほとんどの農家の人たちにとっ
ては、遺跡は価値のないことで、開墾作業を進めていったことでしょう。
もしかしたら、現地では完全形も出土したのかも知れませんが、もらっ
たものは破片状態のものばかりで復元することができないほどでした。

土器片など


 ①縄文式土器or続縄文式土器の感じです。厚0.66cm。


 ②擦文文化か。同じ場所に出るとは…?。厚0.68cm。右端;厚0.86cm。


 ❸これは、軟質の砂岩を縦に2つに割り、両側に細工をしてある様子
から漁に使う網の重りに使ったものかなーと想像しましたが。
新しいものかも。大きさ;厚1.90cm、4.70×10.37/99.3g。 


 下記の年表は前述しましたが、これらの遺跡はどの時代のものでしょうか?
消去法としては、鉄器を使っていたアイヌ文化以前のもの、土器を使ってい
 たのですから旧石器文化時代以降と考えられます。非常に漠然としています。

「縄文文化、続縄...」の画像検索結果
後は、今まで発掘された時代が特定された遺跡と対比し、その特徴
から推測することになりましょう。そういう意味で、これらの遺跡は、
出土した場所地層周囲の環境などが不明であるので、その考古学な
価値は半減します。さらには、住居跡とか貝塚、墓などによりその当時
の人たちの生活の様子がより分析されていくのですがー。


埋蔵文化財保護法について(続)
河原や畑で拾った遺物を届ける必要があるのか、確かめる機会がありました。
一つのきっかけは、過日、町内にある子供たちがよく遊んでいる公園に
携帯電話の落とし物が私の家に届き、近くの交番に届けることにしました。
手続きを終えた後、「埋蔵文化財保護法」について聞いてみました。
若いおまわりさんでしたが、拾得物の視点から、河原で拾った
ものであればOKだが、人が所有している土地で拾ったのならその
家の人の許可を得なければならないーとか、一般的な話でした

その後、北海道埋蔵文化財センターに尋ねてみました。担当係は、交番
で聞いた同じような答弁でした。河原で拾ったり、保護法ができた以前
のものであったり、表面的な収集では問題にならないとの話でしたが、
はっきりしたことはいいません。あまり重要視していないようです。
得体の知れない?ものを持ち込まれても困るのかな?と感じたりー。 


先住民(網走管内)からのメッセージ (3/3)~石斧の部

2018年09月17日 | 考古学に関すること

今回は、知人からもらった石斧(せきふ)の話題です。
以下の14点は、同じ場所から出土したものとは限りません。そのため、
地表で採集した遺物は、学術的に信憑性がなくなってしまいます。しかし、
個々の石斧は、機能的で、芸術品そのもの!と、いつも感心していました。



これらは、石を打ち欠いただけの石器=「打製石器」でなく、更に磨き上げた石
器=磨製石器です。多くは、非常に見事に磨き上げられ、刃先も鋭く、文化度
の高さが推察できます。これらは、柄を付けて石斧として使ったり、手で握っ
て使う=
握斧(あくふ)ハンドアックスとして使われていたことでしょう。  


(4) 石斧

   
 ➊石斧    厚2.0、6.7×19.3/494.0g


 ➊石斧    厚1.7、6.1×16.5/310g

  

 ❸石斧    厚2.3、4.1×15.3/267.5g

 

 ➊石斧    厚1.5、4.8×114.2/201.5g


 ❺石斧    厚1.3、3.5×13.7/120.0g

 
 ❻石斧    厚2.4、4.7×16.5/319.0g

 
 ❼石斧    厚1.0、3.7×10.5/67.5g

  
 ❽石斧    厚1.4、4.3×9.6/104.0g

 
 ❾石斧    厚1.1、4.5×10.0/80.5g

 

 ❿石斧    厚1.1、4.1×10.6/75.5g

 
 ⓫石斧    厚1.3、3.2×6.8/52.5g


 
 ⑫石斧    厚0.5、2.8×6.7/18.0g

  
 ⓭石斧    厚2.7、3.4×11.3/187.0g
 

  

 ⓮石斧    厚1.6、5.4×14.1/202.0g

 人類が初めて道具として使ったのは、手で持てる適当な大きさの石でしょう。
  それも手で握って使えるように加工することに気づき、だんだん鋭い殺傷力の
  高い、しかもバランスのとれた洗練された形に変化したことが考えられます。
材質は、硬質な硯の原料になるような粘板岩?と思われるものが多いようで
す。しかも、多くはよく研磨されていて、刃の部分が鋭く削られています。
 


芦別・星の降る里百年記念館 ~「先住民の文化」のコーナー

2018年09月15日 | 考古学に関すること
 本記念館は、平成5年に芦別市100周年を記念して設置された郷土
資料館で、芦別市の自然や歴史、文化などをテーマとています。
展示室は、「スタードーム~ようこそ星の降る里へ」、
「豊かな自然と動植物」、「先住民の文化」、「開拓移民の歴史」、
「産業の歴史」、「芦別と文学」の各コーナーがありました。

まず、考古学に関する内容を見学しました。

縄文式後期の土器

 


縄文時代


旧石器時代


 北海道の黒曜石、アム-ル川をさかのぼってシベリアまで行っていたのか!


 この両頭石器&ナイフ、大きく完全形でオミゴトです。


 この打製石斧と磨製石斧、時代差、出土場所の違いを感じますがー。

 展示方法は、それなりに創意工夫されているなとは思いました。
小中学生がみても、予備知識のない大人が見ても、わかりやすい
展示にする
にはどうしたらイイのかとの視点でも見てきました。 
                     (2018.6.20)


旭川・神居古潭の先住民の住居跡 

2018年09月14日 | 考古学に関すること
神居古潭にある「神居古潭原住人遺跡」へ行ったときのことです。この
遺跡は、北海道文化財百選の一つで、国道12号線の深川との近くに
あり、擦文時代の先住民の竪穴住居跡(219基)を見ることができ
 ます。以前
来たことがありますが、久しぶりに立ち寄りました。 


 立派で新しい表示板がありました。右の詳細は下に拡大。


 興味・関心のある方お読みください。


 写真では竪穴のクボミは見ずらいですが、実際にははっきりわかります。 


 木に囲まれた所が、少しくぼんでいます。


 住居跡から擦文土器などが発見されているとのことです。

 


 この場所は、「チャシコツ」といい、アイヌ語で「砦跡」と訳されています。
河岸に面したもので、直径20mほどの半円形で、深さは50~70cmです。
川との比高は10mで、河岸段丘の所に位置しています。
このチャシコツは、
立地場所、大きさなどから砦というより、他の用途で使われていたようです。


 左のササやぶの所は整備されていない様子です。



 
 クマザサの生い茂る中を歩いて行くと竪穴住居跡がありました。


 その他にも、結構住居跡がありました。市で整備されている所は
ここまで。
地形的にまだまだあったのでないかと思いました。


 さらに進んで行くと、農地にするために開墾中でした。
土器などの一部でもないものか、と探しましたが見当たりません。


 この辺りはすぐ川まで行ける場所です。


 カムイリンクススキー場が見えます。

 北海道のアイヌ人や先住民を含む考古学の分野については、昔か
ら興味・関心のあることでした。
今回も改めてHPなどで調べてみ
ましたが、アイヌ人と先住民との関係がよくわかっていません。
未だ解明されていないこと多々あり!ーといったところです。 
                        (2017.4/30)


タカハシホタテのこと

2018年09月12日 | 地質学に関すること

※以下は、タカハシホタテの資料として作成した抜粋です。

~タカハシホタテのこと~
タカハシホタテは、サハリンに住んでいた発見者の高橋さ
からついた名前です。この2枚貝は、新第三紀鮮新世
(500万年前)に出現して第四紀
(注)には絶滅しました。


 現在のホタテよりネコゼです。


 貝殻の凹凸が大きいのも特徴です。

 
 正面から(人間が勝手にそう見ているだけだがー)


 このような状態で生活していたようです。

絶滅の理由として、いろいろ推測されています。
今のホタテは貝殻が薄く、ジェット噴射で遊泳すること
が可能ですが、
タカハシホタテの生き残り戦術は現在の
ホタテのそれとは違うようでした。
タカハシホタテが生
きていた時代には他の貝をエサにして生きる「タマガイ」
がいました。
タマガイはドリルのような舌で、他の貝に
穴を開けそれを食べるという特色をもっています。
タカ
ハシホタテはこのタマガイから身を守るため、貝殻を厚
くしていったのでは?ーとも考えられています。
結果的
には、貝殻が厚くなりすぎ、しかもネコゼのような形に
なり、
自らすばやく泳げなく、ふくらんだ殻側を海底に
沈めて生活していたと考えられます。
そのわけは、海底
上面の殻には、大型のフジツボが付着した化石が採集さ
れているなどから推測されています。




この貝は、生息していた時代が地質時代的には新しいの
で周りの土砂が柔らかく、アンモナイト(注;2などより
採集しやすい方ですが、化石としてはモロい状態です。
この化石の中には「礫(レキ)岩」(砂礫が集まってできた岩
石)がありますが、このことからタカハシホタテは、海岸
近くのやや浅い所に生育していたことが考えられます。
なお、タカハシホタテの採集できる所は、沼田町、滝川市、
深川市、新十津川町、池田町等があり、昔は自由に採集でき
ましたが、場所や沢によっては規制がある場合があります。 


(From;NET)   
(注)「第四紀」とは、地球の46億年にわたる長い歴史の中
で、現在を含む
最も新しい時代で、地球上に人類が進化し、
拡散し、活動している時代です。
第四紀は、高緯度の大陸に
大規模な氷床が分布し、地球気候の寒冷化と温暖化が交互に
起こり、
それに伴い北半球の氷床や山岳氷河の拡大と縮小に
より、世界的な海面の低下と上昇を繰り返しました。
そのた
め、植物や動物などの生物分布域の移動などが起こった自然
環境変化の激しい時代です。
このような自然環境の変化の激
しい時代に、人類は原人から新人に進化すると共に熱帯から
寒帯まで、旧大陸から新大陸・オセアニアにまで分布範囲を
広げ、様々な文化と文明を発展させてきました。 


芦別・星の降る里百年記念館~「豊かな自然と動植物」コーナー(化石、岩石など)

2018年09月11日 | 地質学に関すること
本記念館の「豊かな自然と動植物」コーナーを見学したものです。
芦別は、炭鉱があったため、石炭を掘っていた時見つかった
アンモナイトや二枚貝の化石類たくさん展示されていました。

 芦別市南部に広がる中生代白亜紀層には、アンモナイトやウミユリ、
二枚貝などに代表される海棲生物の化石が多く発見されています。
この時代の芦別は、遠浅の亜熱帯気候だったことが考えられます。
そして、その上層には新生代古第三紀の石炭層が市の中央部に広
がっています。また、市の北部には空知地方唯一の火山=イルム
ケップ山があり、周辺に様々の火山噴出が厚く堆積しています。
  


Myアンモナイト(1/2)~化石採集の思い出

2018年09月10日 | 地質学に関すること

ササヤカで、お金のかからないコレクションとして、アンモナイトの
化石を何点か持っています。自分で採集したものもありますが、多く
親戚や知人・友人  からもらい、宝物のように持ってきたものです。

  
 ➊ 羽幌産のアンモナイト。羽幌の家内の叔父からもらったものです。
海岸にあったもので、フジツボや海の生物などが付着しています。きれ
いにクリーニングされた中央部の渦巻きは、人為的に加工されたもので
   実際のものと異なります。厚18.0cm、30.8×43.5cm、重さ;32.5Kg

  北海道は、アンモナイトの産地ですが、特定の場所でしか産出しません
  場所は、北海道の宗谷~中央部~浦河と根室付近に限定されています

アンモナイト産地

  
 ➋ このアンモナイトは、原型通り!化石になった感じで、丸みがあります。
流水で相当浸食されていますが、菊花文様の縫合線がよく見えます。中央
部がクリーニングされていないのは、周りの岩質と化石の石灰化の状態か
  ら分離させることが難しいから。 厚10.2cm、13.1×19.6、重さ;5.7Kg
   化石採集の思い出昔、学術研究を目的に、学友と2人で中川町のある沢に入
  り調査・採集したときの話です。その沢は、道路の付いていなく、人家のない山
   奥にあります。旭川から中川駅まで列車で行き、そこから奥地の営林署事務所
  まで行くトラックに巡り合い(ま、ヒッチハイク)、乗せてもらいまいました。
その事務所で1泊させてもらい、翌日、4時間かけて山越えして目的の沢へ。
 その沢は、アンモナイトやイノセラムス、二枚貝などの化石がゴロゴロあり、
別世界です。その時の感動は、今も鮮明に覚えています。   (下記に続く)

 
 
 ❸ やや扁平したアンモナイトです。大きさとしてはまあまあ
 ですが、貝殻の石灰質がきれいに固まっていなく、ボソボソ感
   でモロイ感じです。厚9.5cm、18.5×31.0cm、重さ;9.8Kg。

  (続)沢近くにキャンプを張り3日間いました。方位と距離を基にルートmap
  をつくり、どの場所にどんな種類の化石があるか記録し、標本を採集します。
アンモナイトを始め二枚貝等、大小さまざまな化石を沢山採集しました。
しかし、帰りのことを考えなくてはなりません。できるだけハンマーとタ
ガネで不要な岩を落としても、石の重さはちょっとかさばるすぐ重くなり
  ます。例えば、小振りの❷の厚10.2cm、13.1×19.6の化石を持ってくる
だけでも、重さ;5.7Kgになります。再度4時間かけてあのケモノ道みたい
なアップダウンのある山を越え元の事務所まで戻らなくてはなりません。

持ってきたもので減ったものは、食糧ぐらいです。大小いくつかのハン

 マーやタガネも結構重いものです。リックの総重量はどのくらいになった
のか
計っていませんが、30Kg以上はあったのでないかと思います。少し
  無謀な調査隊!でしたが、これも、若かりしの楽しい思い出になりました。


;現在は、採集規制の沢が多くあると思いますので要注意です。