ポコ・ア・ポコ~考古学・地質学の部

近年の興味関心のある考古学・地質学に関する内容のMy記憶の記録です。

小樽市総合博物館(運河館)へ~第二展示室 2019.6.3(月)

2019年06月28日 | 考古学に関すること

第二展示室
この展示室には、小樽市西部にある「忍路土場遺跡」(縄文時代
後期‣約3500年前)の発掘資料を展示されています。発火具や
漆製品等当時の生活を知る上での貴重な資料も公開中です。
 

 この建物が「第二展示室」入口です。

 クマの親子が冬眠している様子。


土器の模様の付け方 

 

 

   昔の人、よく考えたものですね。


 


発掘された土器群


壁面の展示をアップしたもの


床面の遺物をアップ


 忍路環状列石の模型。


 

 

 忍路遺跡は、縄文時代後期ということで、私の興味関心の「後期石器
時代」と比べ、当然のことながら”文化度”が高くなっています。特に、
土器の場合、造形的に美しく、薄く作る技術、形状、文様など繊細なも
のもあり、そのスキルの高さを感じます。また、狩りの道具として、弓
   矢を使っていることも、だんだん文化が発展してきたことがわかります。


(82) スペイン「ア・コールニャ編」⑤~サン・アントン城内の考古学博物館 5/29~30

2019年03月10日 | 考古学に関すること

スペイン・ポルトガルを周遊していたとき、スペイン北部
(バスク地方)の「ア・コールニャ考古学博物館」を見学した記
録がありましたので載せることにしました。展示物の中に、
旧石器時代と思われる遺物=石斧などがありましたのでー。


「サンアントン城」の内部は、考古学博物館になっています。ここ
には、先史時代の石器をはじめ、ローマ時代の遺物から、ケルト
人の装飾物、
独立戦争で使われた武器、無敵艦隊に関する資料ま
で、いろいろなものが展示されています。  

先史時代の石器 

~旧石器時代と思われる遺物=石斧はここまでか?~




  


階下には雨水を溜める貯水室もありました。

 


 


 バイキング時代の舟かナ?

 


 


 この城内に教会がありました。

 展示方法も工夫されていましたので、いつ頃の時代で何に使わ
れていたものかなど大体のことはわかります。
しかし、短時間
で、しかも展示物や資料だけではそのマチの歩んだ歴史の断
片しかわかりません。
まあ、このことはどのようなものを見る
ときにも言えることで仕方ないか?-と納得!したり・・・。 


(65) スペイン「サンタンデール編」①~ビルバオ→アルタミラの洞窟 5/27~28

2019年02月28日 | 考古学に関すること

スペイン北部(バスク地方)の「サンティリャーナ・デル・マル」にある「アルタミラの
洞窟」を見
学した記録(Myブログ;「スペイン・ポルトガル一人旅」)がありましたので、
 アルタミラ洞窟の関連記事をUPすることにしました。外国における後期旧石器時
  代(紀元前2万~前1万3500年)の人々の生活の一端を知る手がかりとしてー。


 [5/27]    ビルバオを8:30発のバス乗り、サンタンデール
へ行き、
バスを乗り換え
アルタミラの洞窟のある「サンティ
リャーナ・
デル・マル」へ移動する日です。サンタンデールから
アルタミラ洞窟行きのバスは、10:30発で11:15分着です。

「アルタミラ 地...」の画像検索結果

ビルバオ➡サンタンデール


 接待の乗務員まで付いています。(€14.69)


 車内サービスは、はじめに飴、その後スナックとジュースかコーヒーです。


 今回の旅行で一番グレードの高いバスに乗りました。


 スペイン北部はリアス式海岸で海近くまで山があり、緑いっぱいです。
 

 ビルバオから1時間15分かかり、9時45分サンタンデールのバス
ターミナルに着きました。
サンタンデールのバスターミナルでチケッ
トを買いアルタミラ行きのバスを待っていました。
そこに一人の白髪
のBBの女性が、私は人畜無害!と見たようで話しかけてきました。
何語で話をするか?」というので、英語が少し、スペイン語も少しわ
かるーと。
じゃー、スペイン語でと。込み入った話になると自信がな
いが…と
思いましたが、
すぐさま私の耳にはスペイン語のシャワーが。

「アルタミラ洞窟...」の画像検索結果

自分はイタリア人で「巡礼の旅」をしているところであること
すで
に何回か巡礼の旅のコースを回っていることなど。
そして、私にど
こから来たのか、これからどこへ行くのかーと。
私は日本人であり、
これからアルタミラの洞窟を見に行くところだと答えると、
自分も
見たことがあるが、あれは全部レプリカなんでつまらなかったと。
これから、胸をトキメカセ太古の奇跡を見ようとするものに何たる
ことか!と
思ったが、ある面では素直に再認識したところです。
んな会話をのやり取り後、「ブエン ビャッヘ!(よい旅を!)」と、

スの時間が来たので別れました。すごいバイタリティーの人でした。

バスは定刻近くなるとバスターミナルにやって来ました。乗車する
とき、「ESTACI SAN.C.ALTAMIRA(アルタミラ)」のチケットを見
せながら、「
このバス、アルタミラに行くことができますか?」と。運
転手曰く、「乗り換える必要あり」と。
私はサンタンデールから「サン
ティリャーナ・デル・マル」までバスで行くつもりでいました。
そして、
着いたら、歩くかTAXIでアルタミラ博物館まで行かなくてはーと。

乗ったバスが、「サンティリャーナ・デル・マル」に着くと、運転士が「ア
ルタミラへ行く人!」と、
私の方に合図し、あのバスに乗れ!と指さし
ます。そこには20人位乗れるミニバスが待機していました。
ナント、
乗った客は私一人です。
私は、ミニバスに飛び乗り、いくらか?と聞
くと、「イラナイ!」という。
更に深く確かめる余裕もなく、バスが路
上駐車で
待っていたこともあり慌ただしく出発しました。     


 駐車場には大型バスが10台ほど駐車していました。
 

少し走り、ミニバスの最終目的地「アルタミラ博物館」正門に着きました。
帰りは15:45発のバスが出ることになっているが、ここで待っていたら
イイのか?と聞くと、
バスはここには来ない!と。どこで乗るのかと聞くと、
マチのバス停で、
時間は30分(2㎞)以上はーと。(個人旅行は要注意!)


結局は、サンタンデールで買ったチケットにアルタミラまでのバス代が
含まれていることがわかりました。
後から考えると、そう言えばチケッ
トに「アルタミラ行き」と書いてあったーと。
乗り換えのミニバスをチャー
ターした分もしっかり入っていることで納得しました。ナ・ル・ホ・ドーと。

それにしても、帰りのことが心配になりましたが、今日は天気もイイ
し暖かいしー。
何とかなるサ、今までもそうだったし…、と楽観的に
考えることにしました。
これから「アルタミラ洞窟」の見学開始です。
どんな絵巻模様を見せてくれるでしょうか?。 レプリカなれどー。 


いよいよ「アルタミラ博物館」を見学することにしました。
博物館のある場所は、丘陵地に立っており洞窟の雰囲気は全くあり
ません。
見学開始は、チケット(€3)を買った時点で決められます。
私は11:35からです。
社会見学の小中学生の姿も目に付きました。


 博物館正面入口です。今日は小中学生が大勢見学に来ていました。


 館内は撮影禁止です。


  右の旗のある所が入口です。 


 アルタミラ洞窟の岩のようです。この洞窟は「石灰岩」でできています。


 博物館の周囲はきれいに整備されていますがー。

 本物の洞窟は、この博物館近くにあるようですが、どう行く
のかよくわかりませんでした。
本洞窟は、1985年に登録、
2008年に登録内容が変更されたスペインの世界遺産です。
 

「アルタミラの洞...」の画像検索結果 「アルタミラの洞...」の画像検索結果
 本物の洞窟の入口。複数あり。 

【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

入口の高さ約2m、奥行270mほどの洞窟で、この洞窟を一躍有名にした
のは、
高さ1.1~2.65mの「
大広間」と呼ばれる支洞に、後期旧石器時代
 (紀元前2万~前1万3500年)の人々が描いた
野生のシカ、イノシシ、ウマ、
トナカイなどの動物を中心とした岩絵が残されています。      🐎  🐎

 【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

 洞窟は宗教的な儀式が行われた場所だったと推定されています。
壁画は1879年に発見され、その当時は太古の絵とは信じられま
せんでしたが、
20Cの初頭旧石器時代のものと認定されました。

【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

【スペイン】旧石器時代に描かれた洞窟壁画!世界遺産「アルタミラ洞窟」

これがきっかけでヨーロッパ各地の洞窟壁画が相次いで発見・報告されるよう
になったという。
昔は、本物の洞窟に入れたのですが、保護の観点からレプリ
カを作って「アルタミラ博物館」として一般に開放されているとのことです。
 
(壁面写真は、HPから)       YouTubeの動画にリンク


多摩市・国立埋蔵文化財センターへ(4/4)~遺跡庭園

2019年01月30日 | 考古学に関すること

「縄文の村」は都指定文化財・多摩ニュータウンNo.57遺跡の保存と
活用を兼ねて国立埋蔵文化財センター横に建設された遺跡庭園で、
実際に縄文時代前期前半(約6,000年前)の住居跡が2軒、中期後半
(約4,500年前)の住居跡が8軒、検出されている場所です。竪穴住
居はその時代の違いにより3棟復原されています。                
(縄文時代前期;台形住居、中期後半;円形住居、中期終末;敷石住居)
 

 

  庭園内にはトチノキ、クルミ、クリ等50種類の樹木やゼンマイ、
ワラビ等を植栽するなど当時の景観の中で散策ができるようになっ
ています。復原住居内には入ることができます。なお、
この遺跡庭園
「縄文の村」で実際に発掘された土器は「展示ホール」で展示中です。
  


多摩市・国立埋蔵文化財センターへ(3/4)~古墳時代前期など

2019年01月29日 | 考古学に関すること

 時代の流れとしては、日本列島は、弥生時代を経て「古墳時代」へ
と時代が進んで行きます。以下はその展示と他地域から出土した
旧石器時代の遺物もありましたので、注意深く観察しました。👀

【9】古墳時代前期

 



 【10】他地域の遺物


 




【3】汐留遺跡出土の染付磁器

 




その他~ポスターなど 


 




 一部展示方式をとっていますが、本館には数多くの遺物が貯蔵されています。

 ここで興味関心をもったのは、とりわけ、小笠原諸島北硫黄島の石野
遺跡や八丈島遺跡の土器や石器です。年代推定は約1900年前(弥生時代)
で、長い時間のなかで、日本列島と密接に関連があったということーと。


多摩市・国立埋蔵文化財センターへ(2/4)~縄文時代早期から弥生時代

2018年12月31日 | 考古学に関すること

関東の氷河期は、今の北海道の気候とのことです。このことは、北
海道に住む人間にとってすぐ想像できることです。ま、今より寒い
時期の北海道にも先住民が住んでいたし、その北のカラフトやシベ
リヤにも人間が住んでいたのですから人間は相当な寒さの中でも命
をつないでいけるもの!といつも感心させられます。

さて、その氷河期が終わり、だんだん暖かくなると生活様式が変わ
り、それに適応した文化が当然発展します。それが、縄文時代、そ
して弥生時代へとー。

【3】縄文時代早期

【4】縄文時代前期

【5】縄文時代中期前半

【6】縄文時代中期後半

 

【7】縄文時代後期

 




【8】弥生時代


 一方、縄文時代から弥生時代の展示物、とりわけ、土器から多く
学ぶことがありました。私の陶芸の師匠は、よく、「行き詰ったら、
古典から学べ!」と。人間のはじめて作った造形物は、硬い石(黒曜石
も含)から作り上げた石斧や矢じりがあげられますが、陶芸に直接関
係深いものとして、「土器」があります。そこまでさかのぼって古典か
ら学べ、と言っていたわけではな いと思いますが、縄文土器・弥生土
器にしても、その形状、模様など大変参考になりました。     


多摩市・国立埋蔵文化財センターへ(1/4)~後期旧石器時代から縄文時代草創期

2018年12月30日 | 考古学に関すること

私の関心ごとは、日本各地の後期旧石器時代の石器を見
ることです。それは、旭川の富沢地区で見つけた石斧ら
しいものと、関東地方の後期旧石器との比較検討がテー
マです。さて、国立埋蔵文化センターには、どのような
ものが展示されているのでしょうか!?
 

国立埋蔵文化財センター外観




~~内部の様子~~
【1】後期旧石器時代



 




【2】後期旧石器時代末~縄文時代草創期

~黒曜石のこと~

 


 ローム層、氷河期、黒曜石、石器、気候変動と人の暮らし、32,000
  年前…などのキーワードから、いろいろ頭をめぐるものがあります。
しかし、それは事物・事象である点としてであり、ストリーとしての
線としてつながらないもどかしさが感じました。ま、この分野の研
究者もレベルの差はありますが、こんな悩みを抱えながら探究して
いるのでしょうがー。展示の方法も研究され、はじめての人にも理
解できるような創意工夫がされていることが伝わってきました。


府中市郷土の森博物館へ(1/2)(2/2)~後期旧石器時代➡縄文~弥生時代

2018年11月20日 | 考古学に関すること

府中市郷土の森博物館へ(1/2)~後期旧石器時代

郷土の森博物館は、14haの広い敷地に、博物館本館、プ
ラネタリウム、復元建築物、公園で構成されています。本
館は中心施設で、府中の歴史・民俗・自然をテーマとした
常設展示は、豊富な実物資料の他、模型や映像を通して、
  府中市の歴史が理解しやすいように工夫されていました。
  

画像 郷土の森博物館



目的は、後期旧石器時代の遺物や館内の掲示物などから、
当時のこの地の暮らしの様子を考えることがテーマです。



~後期旧石器時代~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  今回は、旧石器時代に関する解説文や展示品
を”資料”として写真を多くとりましたが、展示が教
科書や副読本的で子供たちにも理解できそうです。

府中市の位置する武蔵台には、3万5000年前(=旧
石器時代)に私たちの祖先がたどり着き、脈々と現
在に至るまで歴史をつないできたことを再認識させ
てくれました。個々にコメントを付けるには力不足
であり、大変なので資料としてここに留めておくこ
とにします。後程、見直したりしたいと思います。




 府中市郷土の森博物館へ(2/2)~縄文時代・弥生時代

後期旧石器時代のコーナーの次は、縄文時代、弥生時代
ですが、この時代に入ると土器や農機具が使われだすの
で展示物もグンと多くなります。とりわけ、土器は陶芸
の分野ですので私にとっては関心事です。特に、低火度
で焼かれた壺などの模様であり、洗練された造形です。
 先人の焼き物に関するノウハウやスキルの高さに感銘しま
した。そして、現在の陶芸の基盤がここから更に発展し
たものーと考えると、感慨深いものがあります。
 



~古墳時代以降~

 本博物館については、後期旧石器時代に関することをnet
で調べていると、ここで企画展「東京最古の旧石器」が開催され
ているという。「現生人類の旅路ーアフリカから府中へ」~(

 演)、「東京の旧石器ー3万年前、環境と人々の暮らしー」とか、
シンポジューム;「東京都埋蔵文化財センター調査研究員」など
のキーワードに心が動かされ見学することにしました。


遠軽町埋蔵文化財センターへ(1/3)(2/3)(3/3)~2018.9.29

2018年10月26日 | 考古学に関すること

「遠軽文化財埋蔵センター」へ(1/3)旭川➡道の駅しらたき➡遠軽町・白滝

9/29、予想最高気温20℃!、快晴の絶好のバイク日和で
 す。今季最後のツーリング!と、この日を待っていました。
目的は、私の近年の関心ごとである旧石器時代の遺物が
展示されている「遠軽文化財埋蔵センター」の見学です。

実は、9月上旬からの予定でしたが、天気と都合が悪くタ
イミングがつかめないでいました。それに北海道は10月に
入ると寒くなり、バイクに乗れなくなるといった事情も。
また、折しも、大型の台風24号が日本列島を縦断した後北
上し、10/1には北海道近くを通過する予報がでています。


10:00、バイク友と「道の駅 とうま」で待ち合わせです。
すぐ、ツーリング開始!です。

北見峠(標高;857m)を越え、「道の駅しらたき」で休息。
目的地の白滝ICまで後10.6Kmのところですがー。
 

 「道の駅 しらたき」は、気温;15℃(標高547m)でした。
 


 木々が紅葉してきましたがー。
 


 まだ、霜は降りていないのでないかな?
 



遠軽文化財埋蔵センターに着きました


 ここが遠軽文化財埋蔵センターです。
 


 「白滝ジオサイトマップ」で白滝の概要を!

 

~以下は、「白滝ジオサイトマップ」の拡大写真~

 遠軽文化財埋蔵センターは、8年前OPENしたまだ新し
い建物です。まずは、駐車場に設置されていた「ジオサイ
 トマップ」で黒曜石の露頭のある場所、白滝遺跡が発掘され
た場所などの概要を確認することからスタートしました。
バイク友の彼は、近年団体で赤石山の黒曜石の露頭の見学
をしているという
。さて、展示会場の様子はいかにー。👀




遠軽町埋蔵文化財センターへ(2/3)後期旧石器時代の遺物

 9/29、遠軽町埋蔵文化財センターの見学開始です。
現在、遠軽町内で確認されている埋蔵文化財包蔵地
(遺跡が発見されている場所)が217か所あるという。

これらの遺跡は、後期旧石器時代(30,0
00~12,000
年前)からアイヌ文化期までの長い期間にわたってい
ます。この地で、黒曜石の露頭があったり、小型剥
石器
尖頭状石器細石刃石器などが発掘調査されて
いましたが、埋蔵文化財包蔵地が飛躍的に増えたのは
高規格道路(旭川ー紋別間)の建設がきっかけです。
 





当センター展示室では、この発掘で出土した遺物を
中心に、わかりやすく工夫し展示しています。
  

  


 黒曜石原産地の特徴の中に、旭川も、「?」ですが記載! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


 

 


 ナウマンゾウの臼歯 

 


 

 

  

 


 時代的にはかけ離れていますが、寄贈されたアンモナイトもー。

 ここ遠軽町白滝は、日本最大級の黒曜石の産地です。
その埋蔵量は2億から5億トンといわれ、市街地北側の赤石
山を中心に露頭がいくつも広がっています。この黒曜石の
産地のふもとの標高300mほどの河岸段丘の上では、約百
か所もの旧石器時代の遺跡が発見され、22か所で発掘調査
が行われ、700万点の遺物が出土したとのことです。




遠軽町埋蔵文化財センターへ(3/3)~センター➡白滝遺跡群➡当麻ダム➡旭川

 遠軽町埋蔵文化財センターで旧石器時代の遺物をたっぷり
見た後、「遠軽町郷土館」や「丸瀬布郷土資料館」も見学した
い気持ちもありましたが、旭川に戻ることにしました。

途中、国指定史跡の「白滝遺跡群」を見ることにしました。
恐らく発掘調査の終わった後は、ある程度復元し放置され
るので、ブュシュ等が繁茂していることが予期されます。



 
国道沿いの白滝遺跡群№C-011という場所に行きましたが

立派な看板があり、親切ていねいに説明されていました。


13:30ごろ「道の駅 しらたき」で遅い昼食。
その後ー
9月末にもなると、日没が早いのと夕方になると気温もグンと
下がるので、早めに旭川に戻ることにしました。バイクには適
温(最高気温は20.8℃)で、風もなく抜けるような青空です。
愛別で高速をおり、私の場合、当麻町を経由して帰ると少し
近道になることもあり、ここでバイク友
とお別れです。  

その途中、灌漑用の「
当麻ダム」に立ち寄ることにしました。
「永山新川」にハクチョウやカモが飛来しなくなってからし
ばらく行っていませんが、5月に遭った当麻の友人から当麻
ダムでハクチョウを見たとの情報がありました。ですから、
当麻ダムは機会があれば行ってみよう!と思っていました。

当麻ダムの様子


 これが当麻ダムです。ダムのふもとまで水田があります。


 今の時季は放水されており、カラッポ!です。


 これではハクチョウやカモは来ないな!


 春であればダムの水が満タンなので飛来する可能性あり!ーと納得。


 ここには魚がいないのかな?
 


 色付いてきた山々


 当麻市街・旭川方面

 今年最後のツーリングか、と思い大事に走ってきました。
走行距離180km、帰宅16:00は心にも体にもやさしいツー
リングでした。今年も元気で、無事故・無違反で終えたこと
にヨロズの神様に感謝!です。合わせて、向学心に燃え、生
  涯学習を実践している自分を自分でホメながらー(^^♪
  。


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (1/7)~これは石斧か?

2018年09月27日 | 考古学に関すること

 旭川の富沢地区に、雨紛川という石狩川の支流があります。
10年ほど前、
この川の上流に地質学的に特記すべき岩石や
地層があるのでそれを見るため河原を歩いていた時、石器、
とりわけ「石斧」(せきふ)のようなものを何点か見つけ収集し
ました。「先住民の落とし物!? 」かーと。
 
 
 この地区に、少し広い沢に川が1本流れています。

後日、石器らしき物を改めて観察し、もしこれが遺物であれば、時代・年
  代はいつ頃のものか、わかるモノなら調べてみよう!と心が動きました。
このようなケースの場合、常に否定的・批判的な角度で考えていかなくて

  はーと思います。自然の何らかの作用で、偶然そうなったのかも、とか。


 
このような河原でー。

そこで、もう少し調べてから…と、ずーっとお蔵入り!していました。
 ところが、何度も雨紛川を散策する機会があり、新たな発見がありました。
 それは、石斧以外の遺物を手に入れたことで、もしかして!の期待感がー。

まずは、私のお宝!として、ブログに記録しておくことにしました。 


 遺物の条件はー 
石器・石斧などの条件としては、だけでなく、人の手が加わっている箇所、
すなわち、石片が部分的にも研磨されたり、打ち砕かれた部分があることです。
私としては、これらは先住民の作った石器・石斧ではないかーと考えました。
石器だとすると、時代はいつごろか!?。
そこで、途中経過を記録しておくことにしました。

まず、10点UPします。形は石斧のように見えますが、果たしてー。


 研磨の痕跡が見られ石斧らしい感じのものです。
  厚さcm、幅×長さcm/重さg
      ① 厚3.1cm、7.1×23.2cm/874.5g   
   ② 厚2.2cm、10.2×20.3cm/751.5g
   ③ 厚2.6cm、7.4×17.0cm/541.5g
   ④ 厚1.5cm、6.1×17.3cm/337.5g 
   ⑤ 厚2.3cm、5.8×13.2cm/337.5g
 ⑥ 厚2.6cm、6.0×14.0cm/341.0g
 ⑦ 厚2.5cm、6.1×16.9cm/438.0g
 ⑧ 厚2.0cm、7.7×15.6cm/307.5g
   ⑨ 厚2.6cm、5.6×115.7cm/409.0g
 ⑩ 厚2.5cm、5.8×12.3cm/272.5g

 これらは形が石斧に似ていますが、河原にある加工しやすい石を
見繕っている傾向があります。研磨がごくわずかで、矢じりや土器
がないことなどから、大胆に「旧石器時代後期」になるかな!?とー。
しかし、矢じりや土器は発見されていないだけかも知れないし、部
分的に研磨の跡があるので、「縄文時代のはじめころ」か!?ーとか、


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (2/7)~My疑問点はー

2018年09月26日 | 考古学に関すること
石器・石斧を例にしても、新しい時代になっていくと、加工技術
がグレードUPしてきます。そこには、とてつもなく長い長い時
間がかかりますがー。参考に、下の写真は前述の擦文文化か、オ
ホーツク文化時代の石斧ですが、この時代では、黒曜石のポイン
トや矢じり、土器なども使われていました。石斧にいたっては、
全体が研磨されピカピカ、ツルツルといった感じです。

 
 網走管内で貰った石斧。

しかし、私が収拾した石斧らしきものは、一部分しか研磨されていません。
今回も、前回より大きめの石斧らしい遺物10点を紹介します。 


 少し大きい石斧(⑪~⑳)です。 

厚さcm、 幅×長さ/重さ
        ⑪ 厚3.4cm、7.8×21.1cm/867.0g   
   ⑫ 厚3.3cm、6.8×18.1cm/584.5g
      ⑬ 厚4.1cm、9.3×27.2cm/1264.0g
      ⑭ 厚4.4cm、9.5×20.0cm/1033.0g 
        ⑮ 厚4.6cm、11.0×16.1cm/1020.0g
  ⑯ 厚2.6cm、8.6×14.1cm/608.5g
   ⑰ 厚2.6cm、6.5×14.7cm/470.5g
   ⑱ 厚2.7cm、7.0×17.7cm/426.0g
   ⑲ 厚2.8cm、6.4×14.8cm/367.0g
      ⑳ 厚4.5cm、5.5×19.1cm/670.0g
 

問点興味関心のある方、一緒に考えてください。

(1) 採集した場所の疑問

今までの調査では、石器を採集できた場所は、橋脚より50m上流~
下流200mの河原に限定されています。この地は、河川の上流部に
位置しているので、河原には角ばった石が多いことも特徴です。 
さらに特記すべきことは、この場所は、近年、橋の架け替えや堤防など
の工事があったことです。
しかし、通常古代の先住民は、洪水が頻繁に
  起たであろう平地でなく、
経験的に丘陵・高台のところに住居を構えます。
それが、平地、しかも河原の砂利に混じっていることが大きな疑問です。


 この河原からも、多数見つけました。

(2) 研磨が少ないことの疑問
これが縄文時代擦文時代の遺物だとすると、研磨という作業はほんの
わずかしかなされていないことです。(これを局部練磨石器というのか?)
例えば、白滝の旧石器時代のポイントや矢じりを見ると、黒曜石という恵ま
れた素材がありました。そこでは、相当レベルの高い技術を持っています。
しかし、これらは、河原の転石から、石斧になりそうなものを拾い集め
 加工しているようです(これは礫石器かー)。ここの住んでいた人たちは、
石斧の加工の状態から見て、時代がより古かった可能性があります。


 ササヤブをこいで住居跡のような場所がないかとー。

(3) 他の遺跡が発見されない疑問
今まで河原で収集したものは、石斧もしくは石斧のようなもののみです。
先住民がここで生活していたとしたら、その他の痕跡があるはずです。
どこか小高いところか河岸段丘の場所に住居を構えていたものと思います。
それが発見できれば、ある程度ですが、時代が特定できるかもしれません。
近くの小高い山、石器の発見した更に上流や下流を何度か探索しました。
竪穴住居の跡のような場所もありましたが、断定することはできません。
河原の他に露頭を探しましたが、周囲にはありません。更なる調査がー。


 何かくぼ地がー。住居跡か!~そう簡単には見つからない。
黄色の直線は1mの折尺。写真で見るとくぼ地か否か不可解ですが。

  今のところ自力解決では、疑問点が残るだけです。まあ、
~かな!?と、想像のツバサをチョッピリ羽ばたかす程度でも
イイのですがー。堂々巡りになることも多いのですが、ひと
つのテーマを作り探究しようとすることは、脳の活性化にも
イイかと、もう少し続けて行こうと思います。
 


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (3/7)~局部磨製石器か!

2018年09月25日 | 考古学に関すること

磨製石器は、新石器時代の指標とされていましたが、ヨー
ロッパや西アジアで旧石器時代の中石器時代に当たる紀元
前9000年(
約1.1万年前)に局部 磨製石器(刃先だけ磨い
た石斧)が発見されています。
日本でも発見済です。

石斧以外の遺物の発見
何度も現地に行っているうちに、石斧以外に新たなものがあることがー。

(1) 研磨された「石包丁」のようなもの

当初、⑧、⑨、⑩は、私なりに石斧の仲間に入れていましたが、それ
以外のものがあることに気付きました。それは、狩猟・採集生活の折、肉
を切ったり、穀物や植物を小さくするような道具に使えそうなものです。
特に①は、手の握るところがあり、形も包丁のようで、刃になる部分が、
研磨されていて日常生活に使用されていたのではないかと想像しました。
また、⑤、⑥、⑦は小さいですが、持つところが細くなり刃の部分も結
構研磨されています。これらは、自然の偶然だけではできないことです。



 研磨された石包丁のようなもの
 


  厚さcm、幅×長さcm/重さg
  ① 厚1.5cm、2.9×10.0cm/67.3g
  ② 厚1.7cm、2.9×10.1cm/74.8g
③ 厚1.4cm、2.4×9.6cm/74.8g
④ 厚1.2cm、3.8×9.6cm/94.8g
    ⑤ 厚2.3cm、4.2×10.4cm/163.4g 
    ⑥ 厚1.9cm、3.8×12.2cm/144.7g
    ⑦ 厚1.9cm、4.4×12.7cm/151.2g  
    ⑧ 厚1.8cm、5.5×19.7cm/382.0g
    ⑨ 厚2.3cm、6.5×16.5cm/401.0g
    ⑩ 厚2.0cm、5.4×15.5cm/297.5g

(2) ポイント(尖頭器)のようなもの
特に、➂は、実にヤリの形をしたイイ形をしています。
恐らく時代的には、弓はなかったと考えられるので、棒の先にこれらを縛
り付け、狩りや戦いに使うポイントだったのかな?と思われるものです。
②は、何らかの破片がポイントのような形になったのかも知れませんが、
意図的に先や両角が鋭くなっているところが捨てがたいものがあります。
④も、偶然にできた三角柱の岩石片を利用して、少し加工した感じです。


 ポイント(尖頭器)のようなもの

  厚さcm、幅×長さcm/重さg
  ① 厚2.0cm、13.6×7.2cm/256.0g
  ② 厚1.2cm、5.1×12.0cm/123.5g
 ③ 厚3.9cm、3.9×10.9cm/97.0g
 ④ 厚2.4cm、2.8×12.7cm/95.5g
 ⑤ 厚1.5cm、4.9×9.6cm/109.5g 
  ⑥ 厚19.5cm、3.4×13.3cm/140.5g

 以上が、私なりに厳選!した遺物36点です。「らしいものー」と
現地で収集したものは100点以上ですが、もう少し吟味してから
分類しようと思います。また、今後も新たな発見もありますので、
サンプルはだんだん増えてきます。北海道は、これから冬の季節に
なりますので、河原での収集や付近の探索は不可能です。しかし、
春向かって楽しみなことは、雪が融け大量の雪解け水の作用で、今
まで地表に表れていない遺物が発見できる可能性があるからです。

さて、私が手にしているものは、局部練磨石器なので
しょうか!?練磨した箇所が顕著に見られないので、まだ
遺物と断定できないでいます。他で発掘された局部磨
製石器を調べ、比較検討する必要もでてきました。
 


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (4/7)~岩宿遺跡と白滝遺跡

2018年09月24日 | 考古学に関すること

岩宿遺跡と白滝遺跡 (旧石器時代)

縄文文化時代以前を、旧石器時代あるいは先土器時代という呼び方が
一般的かもしれません。しかし、日本列島のその時代には、旧石器
時代はないとされていましたが、岩宿で70年ほど前旧石器時代の
遺跡が発掘されてから、日本全国で次々と発見・発掘されました。

旧石器時代という呼称は、「土器」というこの時代にないも
のを用いて生活していた時代の呼称にしていることに問題
があるとの指摘もあります。岩宿博物館では、土器を持たず、
狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる
日本最古の時代
を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで「岩宿時代」と
呼んでいます。私にとっては、時代の呼称は、あまり関心の
ないことですが、 岩宿遺跡から出土した石器と私が収集した
石器を比較することにしました。  

岩宿遺跡の例 (HPより)

相澤忠洋さん(発掘調査の頃) 1946年9月11日、最初の発掘調査
相沢忠洋(発掘調査の頃) 1949年9月11日、最初の発掘調査
(写真提供:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3万年前) 岩宿2石器文化(約2万年前)
最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)
岩宿1石器文化(約3.5万年前) 岩宿2石器文化(約2.5万年前)

 岩宿遺跡から出土したものの例ですが、まず、岩宿1の約3.5万年前
の場合は石と石をぶつけて石斧やポイントを作った感じで、素朴な作
りになっています。そして、近くで発掘された約2.5万年前の石器は
材質も黒曜石を使い、矢じりなどもあり手がこんできています。

写真はあまり鮮明でありませんが、岩宿1石器文化(約3.5万年前)の石
器と比べても研磨の仕方や形状は私の採集した石斧と違いがあります。
私の石斧の方が、局部研磨ではありますが、時代的に新しいかな?と
 見えたり、思えたり、反面、大胆な形状からみて古く見えたりします。
研磨の技術が新しいとすると、土器は発見されていないが縄文
時代か、と考えたりなかなか微妙で悩ましいことです。


北海道の白滝遺跡(旧石器時代)

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器

白滝遺跡群から出土した細刃技法の石器。

 材質が黒曜石なこともあり、きれいで大きなポイント
のこれらの写真から、
白滝遺跡の方が、当時の高度な石器製
作技術を読み取ることができます。私の石器・石斧は、この以
前の時代なのでしょうか。迷宮入りしました。まだまだ、参
考文献や展示された石器から学ばなくてはーと思います。


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (5/7)~明治大学博物館へ

2018年09月23日 | 考古学に関すること
過日、岩宿遺跡に発掘に携わり、その折発掘された遺物(レプリカ)がある
中央線代々木駅から歩いて5分の「明治大学博物館」を見学しました。

いくら石器をみても、説明を読んでもよくわからないことも多いのですが、
私には解決!しなければならないテーマがあります。それは、とりわけ、旧
石器時代後期の遺物として展示されている日本各地の遺物の比較検討です。
まず、岩宿遺跡で発掘された遺物を見ることにしました。

 

 



  

 ここまでの写真が岩宿遺跡から出土したものです。
以下は、明治大学が発掘した他の遺跡から出土したものです。写真が多量
ですが、整理しきれないので展示されていた掲示物とともに載せました。


 

 

 

 

 礫石器やハンドアックス、細石器もしっかりみることができました。
さて、自分の収集した石器と思われるものは、…ーとの視点で。
礫石器は、材質は違っても何か共通点を見出すことができます。
さて!?。


富沢地区で見つけた先住民の落とし物!? (6/7)~東京大学総合研究博物館へ

2018年09月22日 | 考古学に関すること
 次は、文京区本郷にある東大の門!をクグルことにしました。
netで考古学関連のことを調べているとき、東大で「世界最古の石器
ハンドアックス~ デザインの始まり展のことを知ったからです。

175万年前 最古のデザインされた石器
東京大学では、エチオピアの地溝帯で175万年前のハンドアックス
を発見。それをエチオピア政府から借り、2か月間展示するという。
恐竜やアンモナイトの時代よりは古くはありませんが、「万年」という
単位、それも175万年前という世界に人間の祖先が存在し、一定の文
化を築いていたという。テーマはハンドアックス=握斧=手斧です。


 


 ハンドアックス


 アシュール型石器の世界最古の例。下の写真は裏側に回って撮りました。


 エチオピアのコンソで発掘。165万年前~125万年前。


 展示スペースから見えるラボ


 マンモスの骨格


弥生時代の遺物か


化石の部

 
 タカハシホタテ


 アンモナイト。

  東大に入って!本物のしかも175万年前のハンドアックスから、今自分が
解決すべき課題のヒントになりそうなことはないかの視点で見学しました。
まず、展示されたハンドアックスが意外に大きく、実際に日常的に使うには
ちょっと手軽でないかなーと思いました。昔の人は大きかったのではーとも
考ましたが、それぞれの時代の頭蓋骨のレプリカがありましたが、現代人と
比較しても大きく感じませんでした。小さいくらいです。本展示会のための
ボランテアの人たちからもいろいろ話を聞くことができました。しかし、私
の課題を解決するヒントは直接ありませんでした。新しい出会いがたくさん
あり、何か利口になった気持ちで東大を後にしました。さて、次はー。