昨日の朝10時にU病院にお迎えに行きました。
リハビリ病棟の院長さん?の回診中でした、
作業療法士さんが、「シルバーカーで歩いている所をみていただきましょうと」・・・
母はりきって、シルバーカーを押して歩きました。
院長先生からよく歩けているとお褒めの言葉をいただいていました。
ナースステーションで、手続きの用紙をいただき、お昼に飲む薬ももらい
10時~16時までの一時帰宅です。
理学療法士の方が駐車場まで送って来てくださいました。
母バイバイして実家へと・・・
車で7~8分で着く距離です。
実家の駐車場に着いたら、もうケアマネージャーさんが来られていました。
車から車椅子に移乗して、自宅へと・・・1か月ちょっと振りの帰宅にななります。
まずは、自宅の上がり框を手すりを使って上がりました。
シルバーカーを押して、まずは自分の部屋にいってもらいました。
ここで、もう一人ケアセンターヘルパー支援の代表の方が見えてました。
ベッドに座り、ポータブルトイレに移動して、用たしの動作をしてもらいました。
手すりの位置が今一なのか少しバランスが悪くて立ちにくそうでしたが、
ズボンとスパッツとリハパンプラスパッドを降ろして、
今度は立ち上がり、片方の手を手すりを握り、ズボンスパッツとリハパンをあげてもらいました。
右手で手すりを持ち左手であげるのですが、見た感じ完璧には上がりませんでした。
やっぱり、見守りをする方が必要だと思いました。
取りあえず、パンツをととのえて、
リビング(食堂)に移動しました。
その後
色々お話が進んでいましたが、
兄が、母が退院したら、
母にまた以前のように料理を作ってもらうと言いました。
もしできない場合は、できる範囲内で手伝ってもらいたいと言い出しました。
御年95歳の母が今まで(脳梗塞なる前)ちょくちょくと料理を作っていたようです。
晩ご飯は、月曜日~金曜日まで宅食を取っていますが・・・
デイザービスに行かない日のお昼ご飯を作ったり、
宅食だけではたりないので、色々とプラスしてのお料理を母が作っていました。
今現在母は、脳梗塞の後遺症右半身に軽い麻痺が残っています。
力が入りにくいようですし、手のにぎる力も弱いようです。
そのような母にまだ、料理を作らせようと考えている兄の気持に理解できません。
私も・旦〇も・ケアマネージャーさんも・ヘルパー支援部の代表の方も・・・
みんな唖然としましたが・・・
結局誰もこの場では何も言いませんでした。
現在の母に本当に調理をさせたら、火傷・指を切る・転ぶ・油をかぶる・熱湯を浴びる等々の
危険がいっぱいあると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・
今回の母の帰宅は、家に帰って自分のことがどれ位こなせられるのかられるのか?をみたかったのと・・・
今後ヘルパーさんに来ていただく回数を増やすようにするか?
今は、週3回1回1時間で入ってもらっています。(洗濯干し・風呂・トイレ掃除・部屋掃除等々)
母の見守りをしてくださる人を24時間必要とするか、
ポータブルトイレの掃除や、リハビリパンツやパッドの処理をお願いする人に来てもらうか?等々の
介護の必要性をみたいからでした。
来週、23日にU病院で介護福祉士さん、理学療法士さん、ケアマネージャーさん・兄・旦〇・美恋♪さん等
で、今後退院に向かっての
母が、家に帰り快適に過ごすための話し合いを持つことになっています。
その時に兄が母に調理をさせようとしていることも話し合いがあると思われます。
私達夫婦の考えとしては、母の料理作りには無理があるので反対です。
怪我を負ってからでは取り返しがつかないと思うからです。
・・・・・・・・・・・
『母2回目のトイレは、洋式トイレに行きましたが、やっぱりズボン・スパッツ・リハビリパンツ・パッドの
あげるのが大変みたいでした。』
病院のリハビリでは、リハパンとパット・借りたパジャマ下だけなので上げやすいと思います。
昨日の夕暮れ
晩ご飯は、遅くなりスーパーのお寿司にしました。
私達二人は、母がこれからの余生を暮らすにあたりどうしたらいいのかと毎日話し合いが尽きません・・・
話がバラバラで、支離滅裂になりました。
・・・・・・・・・・・・・
昨日のお昼ご飯
仕出しのお弁当
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のモーニングタイム
夕暮れ時
今日も病院に夕方行きました。
母元気そうです。
日々リハビリ頑張っています。
今日も美恋♪さんブログに遊びに来てくださった皆様
ありがとうございました。
リハビリ病棟の院長さん?の回診中でした、
作業療法士さんが、「シルバーカーで歩いている所をみていただきましょうと」・・・
母はりきって、シルバーカーを押して歩きました。
院長先生からよく歩けているとお褒めの言葉をいただいていました。
ナースステーションで、手続きの用紙をいただき、お昼に飲む薬ももらい
10時~16時までの一時帰宅です。
理学療法士の方が駐車場まで送って来てくださいました。
母バイバイして実家へと・・・
車で7~8分で着く距離です。
実家の駐車場に着いたら、もうケアマネージャーさんが来られていました。
車から車椅子に移乗して、自宅へと・・・1か月ちょっと振りの帰宅にななります。
まずは、自宅の上がり框を手すりを使って上がりました。
シルバーカーを押して、まずは自分の部屋にいってもらいました。
ここで、もう一人ケアセンターヘルパー支援の代表の方が見えてました。
ベッドに座り、ポータブルトイレに移動して、用たしの動作をしてもらいました。
手すりの位置が今一なのか少しバランスが悪くて立ちにくそうでしたが、
ズボンとスパッツとリハパンプラスパッドを降ろして、
今度は立ち上がり、片方の手を手すりを握り、ズボンスパッツとリハパンをあげてもらいました。
右手で手すりを持ち左手であげるのですが、見た感じ完璧には上がりませんでした。
やっぱり、見守りをする方が必要だと思いました。
取りあえず、パンツをととのえて、
リビング(食堂)に移動しました。
その後
色々お話が進んでいましたが、
兄が、母が退院したら、
母にまた以前のように料理を作ってもらうと言いました。
もしできない場合は、できる範囲内で手伝ってもらいたいと言い出しました。
御年95歳の母が今まで(脳梗塞なる前)ちょくちょくと料理を作っていたようです。
晩ご飯は、月曜日~金曜日まで宅食を取っていますが・・・
デイザービスに行かない日のお昼ご飯を作ったり、
宅食だけではたりないので、色々とプラスしてのお料理を母が作っていました。
今現在母は、脳梗塞の後遺症右半身に軽い麻痺が残っています。
力が入りにくいようですし、手のにぎる力も弱いようです。
そのような母にまだ、料理を作らせようと考えている兄の気持に理解できません。
私も・旦〇も・ケアマネージャーさんも・ヘルパー支援部の代表の方も・・・
みんな唖然としましたが・・・
結局誰もこの場では何も言いませんでした。
現在の母に本当に調理をさせたら、火傷・指を切る・転ぶ・油をかぶる・熱湯を浴びる等々の
危険がいっぱいあると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・
今回の母の帰宅は、家に帰って自分のことがどれ位こなせられるのかられるのか?をみたかったのと・・・
今後ヘルパーさんに来ていただく回数を増やすようにするか?
今は、週3回1回1時間で入ってもらっています。(洗濯干し・風呂・トイレ掃除・部屋掃除等々)
母の見守りをしてくださる人を24時間必要とするか、
ポータブルトイレの掃除や、リハビリパンツやパッドの処理をお願いする人に来てもらうか?等々の
介護の必要性をみたいからでした。
来週、23日にU病院で介護福祉士さん、理学療法士さん、ケアマネージャーさん・兄・旦〇・美恋♪さん等
で、今後退院に向かっての
母が、家に帰り快適に過ごすための話し合いを持つことになっています。
その時に兄が母に調理をさせようとしていることも話し合いがあると思われます。
私達夫婦の考えとしては、母の料理作りには無理があるので反対です。
怪我を負ってからでは取り返しがつかないと思うからです。
・・・・・・・・・・・
『母2回目のトイレは、洋式トイレに行きましたが、やっぱりズボン・スパッツ・リハビリパンツ・パッドの
あげるのが大変みたいでした。』
病院のリハビリでは、リハパンとパット・借りたパジャマ下だけなので上げやすいと思います。
昨日の夕暮れ
晩ご飯は、遅くなりスーパーのお寿司にしました。
私達二人は、母がこれからの余生を暮らすにあたりどうしたらいいのかと毎日話し合いが尽きません・・・
話がバラバラで、支離滅裂になりました。
・・・・・・・・・・・・・
昨日のお昼ご飯
仕出しのお弁当
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のモーニングタイム
夕暮れ時
今日も病院に夕方行きました。
母元気そうです。
日々リハビリ頑張っています。
今日も美恋♪さんブログに遊びに来てくださった皆様
ありがとうございました。