
2021年05月21日(金)(二食目)
本日のコース
気分が不安定な時は本当に安定していた方がいいのか?自問しつつも
気分の云々は置いておいて感覚重視スイッチを入れる
しばらくするとリセット感が出て安定傾向になったりする
感覚重視スイッチを入れた時は料理をするのが私のお気に入り
おいしくなあれ♪以外はあんまり考えずに作る
あと感覚重視スイッチを入れた上でよく噛んで食べるのも楽しい
八丁堀waccaのコースみたいに趣向を凝らした料理を食べるにはうってつけだと思う
うってつけのタイミングであろうがなかろうがおいしいと感じられそうな強度があるのがwaccaの料理
本日のコース
前菜
・海鮮カレパッチョ(海鮮&スパイス)
・無水チキン(パキスタン&北海道)&熟成ラム赤身(イタリア&スパイス)
サラダ
・マサラナッツのチョップドカチュンバル(NY&インド)
魚料理
・鯖とトマトパスタとキーマ目前(イタリア&インド)
口直し
・キャビアとオーベルジーヌボルタ(フランス&ベンガル)
肉料理
・ポークビンダルー(トンカツ&ゴア)
デザート
・とろけるワタラッパン(スリランカアレンジ)
変でおもしろい
仮に変じゃなくおもしろくもないとしても単純においしくもある
どのみち楽しめる
この楽しさはもはや食事の楽しさよりも遊園地の楽しさの方が近いかもしれない
逆にどのアトラクションも楽しい遊園地なんか存在しないから遊園地以上かも
まじで全部好き
印象に残っていることを記録も兼ねて書き留めようと思ったけど
あまりにも膨大になりかねないので断念
そういえば今日の昼に初台たんどーるで食べていたら隣のテーブルの二人の会話が聞こえてきた
一人が小声で「おいしい」って言った時は何故か私が心の中でガッツポーズ
たんどーるの料理をおいしいと思う人が多い世界になって欲しいと思っているからか!?
さておきもう一人の発言「やっぱりスパイスカレーっておいしいですよね」
…
前向きで好印象な言葉として発せられているのはわかる
わかるんだよ
ホントにわかる(orわかっているつもり)
そもそも「カレー」ですら厳密な科学的な定義は無いっぽい
各法律をざっと眺めてみても定義らしい定義は無いっぽい
辞書を引いてみてもカレー→カレー粉→香辛料→スパイス→薬味→…と分解できない
「カレー」そして「スパイス」というのは学術用語ではなく実用語なのだろう
※ちなみに「実用」を辞書で引くと「日常生活などの場で実際に役に立つこと」と出てくる
そして「スパイスカレー」だ
学術的に定義されない「スパイス」と「カレー」が組み合わさってしまった
これは悲劇なのか喜劇なのか
そして仮に実用語だとみなすとしてもまだまだ未熟と言えそうなのが「スパイスカレー」
こうして私がこねくりまわしていること自体が未熟というか通念化されていない証拠かもしれない
だから私もとやかく言える立場ではない
というか誰もとやかく言える立場ではない
逆に言えば全員がとやかく言っていいのかもしれない
ここで我に返る
脱線が長くなってしまった
で
一番に言いたいっていうか一番強めに思っているのは
こんなもんのすんごい料理を作れるwaccaの三浦シェフが敢えて「Japanese Spice Curry」という看板を掲げているという点
もちろん用語をこねくりまわして煙に巻くように有耶無耶のモヤモヤをおもしろがっている私なんかと同じ立ち位置のはずもなく
ある特定の意味における「スパイスカレー」の発祥とされる大阪出身のお店なりの覚悟なのかもしれない
それもたぶんそうだと思う
でも核心は三浦シェフが「スパイスカレー」という未熟な実用語を通念化させよう試みる決意の表れなんじゃないかと私は思っている
そこに「Japanese」と付けるのは…もう説明不要か
何度も何度も食べないとwaccaの料理を作り方がどうこうとか味がどうこうとか私が語ってしっくりくる言葉に落とし込めるようにはならない気がする
(それでもこんなに書いちゃってる矛盾)
waccaのカレーじゃなくても おいしい or 超おいしい しかないと思うこともある
いずれにしても まだまだ先になりそうな気がする
それがあと5回なのかあと100回なのか
そもそも言葉に落とし込みたいという欲求すら無いような気もする
食事そのものは言葉ではない
だけどもんのすんごい料理を食べると思考が気持ちよくなって色々と書いてしまったりすることがある
この投稿がまさにそれ
私は私でいつまでもどこまでも当事者と部外者の間を行ったり来たりしながら見届けていけたら楽しそうだなと思う
無責任ですいません
今日も生きてカレー食べた
明日も生きてカレー食べよ
ごちそうさまでした