![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/46/615792efd871629ffd03f6a6bc828a41.jpg)
6月は時間が無く3本の映画しか観れなかった。映画館で〈告白〉、昨日観たばかりの〈ザ・ウォーカー)の2本と、「迷い婚ーすべての迷える女性たちへー」を録画したのを3回に分けて観た。
(告白〉は三十代の女性作家が書いたデビュー作でベストセラーとなっているが、本は読んでいない。映画冒頭、モノローグのように松たか子が淡々と話す滑り出しは圧巻だった。復讐劇とは知っていたが、観終った後で口の中にざらざらした感触が残る後味が悪い映画だった。エンドロールが始まっても椅子から離れられないー、これほど毒の強さを見せ付けられれば、誰だって立ち上がる気力を失ってしまうだろう。
教室という聖域、終業式の日にいきなり担任が「この中に犯人が居る」と独白から始まるプロローグ、しかも少年法で罰せられない犯人の生徒二人に対して、彼女なりの復讐を遂げるという展開は扇情的だ。
でも、私は彼女の復讐が達成した瞬間、してやったりに似た爽快感を持ってしまった。後から打ち消そうとしても、仕返しして何が悪いのよとなかなか認めたくない感情が入り乱れた。人は弱い生き物で、いつも危げさを抱えている。〈告白〉は人の奥に潜んでいる邪悪さを起こし、濁流のように呑み込んでしまう怖ろしい魔物を孕んでいるように思えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d1/d22a2d31b8efff09837a50d4c8a8224c.jpg)
奇をてらったセンセーショナルな構成に比べ、娘を殺した少年Aの動機はあまりにも古典的だったのではないかと思えてしかたがない。幼くして離婚した母親への満たされない愛からの少年Aの犯行は、働く女性や自分を生きようとする女性達を不安に落としいれるだろう。一方専業主婦である少年Bの母親が過保護な子育てのあまりに息子も犯行に加担することになったと描かれている。
昔から子育てに影響を与えるからととやかく云われ続ける女たちの生き方。子育てだけでなく結婚するかしないかでもあれこれ問われる。中学生の少年が罪を犯した理由を、子育てした母親にさも責任があるかのような捕え方は看過できない。女同士で争うのは醜い。私たち女性はいつも自分を責め充分苦しんで来たのだから、足を引っ張るのは止めるべきだ。〈告白〉の原作者が男だったら「あんたら男どもは分かっちゃいないのよ」と、鼻であしらえたが、女性作家だっただけに残念だった。(ひょっとすると原作のニュアンスは違うのかもしれない)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/52/663e9acafb727c90c9ae3879f17be5a7.jpg)
こんな教師は実在している。熱血漢で、生徒の事を親身になって考えているようなのだが、実は自己陶酔に浸っているだけの軽薄な教師。担任の後釜に転任した教師『ウェルテル』の描き方はアイロニカルでお見事だった!今の子供たちは彼の本質をとっくに見抜ける洞察力はある。森口悠子は彼の愚かな性格を逆手に取り、指導方法を提案するフリをしてAとBの復讐に利用する。それが映画の後半で明白になり背筋が寒くなってしまった。
(ここからネタバレあり)
森口悠子の復讐はやはり少年Aに直接手を下すのではなく、彼が愛してやまない母親を、結果的に少年が発明した時限爆弾で爆破することによって終った。森口は「これが私の復讐であり、あなたの更生の第一歩だと思いませんか? 」 と、崩れ落ちるAに勝ち誇ったように語ったのが印象的だった。(その後に「かもね」と付け加えてにやりと笑ったのはどうしても解せない)
同害報復で、果たして更正の糸口を見つけられるのだろうか。相手の大事なものを奪って苦しめるなんてこれほど許せない大罪はないだろうに。
〈告白〉がベストセラーであることも映画が人気であることも分かっていて敢えて書き留めておきたかった。私にとって、問題提起を含んだ話題作であるとの一定評価しても好みの作品ではなかった。年を重ねたからだろうか。人間の狡さや内面を燻りだして深く追求する物に立ち向かう気持ちが萎えてきているのは本当だ。観終った後「生きていて良かった」と自然に感情が湧きあがり、明日を信じられる作品が素直に嬉しくなってきている。
最近はテレビ番組や映画、書籍にしても推理小説などの凄惨な殺人現場がやたらと多すぎると思うのは私だけだろうか?刺激を求めて人を簡単に殺しすぎる設定を量産しているのが怖い。
(告白〉は三十代の女性作家が書いたデビュー作でベストセラーとなっているが、本は読んでいない。映画冒頭、モノローグのように松たか子が淡々と話す滑り出しは圧巻だった。復讐劇とは知っていたが、観終った後で口の中にざらざらした感触が残る後味が悪い映画だった。エンドロールが始まっても椅子から離れられないー、これほど毒の強さを見せ付けられれば、誰だって立ち上がる気力を失ってしまうだろう。
教室という聖域、終業式の日にいきなり担任が「この中に犯人が居る」と独白から始まるプロローグ、しかも少年法で罰せられない犯人の生徒二人に対して、彼女なりの復讐を遂げるという展開は扇情的だ。
でも、私は彼女の復讐が達成した瞬間、してやったりに似た爽快感を持ってしまった。後から打ち消そうとしても、仕返しして何が悪いのよとなかなか認めたくない感情が入り乱れた。人は弱い生き物で、いつも危げさを抱えている。〈告白〉は人の奥に潜んでいる邪悪さを起こし、濁流のように呑み込んでしまう怖ろしい魔物を孕んでいるように思えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d1/d22a2d31b8efff09837a50d4c8a8224c.jpg)
奇をてらったセンセーショナルな構成に比べ、娘を殺した少年Aの動機はあまりにも古典的だったのではないかと思えてしかたがない。幼くして離婚した母親への満たされない愛からの少年Aの犯行は、働く女性や自分を生きようとする女性達を不安に落としいれるだろう。一方専業主婦である少年Bの母親が過保護な子育てのあまりに息子も犯行に加担することになったと描かれている。
昔から子育てに影響を与えるからととやかく云われ続ける女たちの生き方。子育てだけでなく結婚するかしないかでもあれこれ問われる。中学生の少年が罪を犯した理由を、子育てした母親にさも責任があるかのような捕え方は看過できない。女同士で争うのは醜い。私たち女性はいつも自分を責め充分苦しんで来たのだから、足を引っ張るのは止めるべきだ。〈告白〉の原作者が男だったら「あんたら男どもは分かっちゃいないのよ」と、鼻であしらえたが、女性作家だっただけに残念だった。(ひょっとすると原作のニュアンスは違うのかもしれない)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/52/663e9acafb727c90c9ae3879f17be5a7.jpg)
こんな教師は実在している。熱血漢で、生徒の事を親身になって考えているようなのだが、実は自己陶酔に浸っているだけの軽薄な教師。担任の後釜に転任した教師『ウェルテル』の描き方はアイロニカルでお見事だった!今の子供たちは彼の本質をとっくに見抜ける洞察力はある。森口悠子は彼の愚かな性格を逆手に取り、指導方法を提案するフリをしてAとBの復讐に利用する。それが映画の後半で明白になり背筋が寒くなってしまった。
(ここからネタバレあり)
森口悠子の復讐はやはり少年Aに直接手を下すのではなく、彼が愛してやまない母親を、結果的に少年が発明した時限爆弾で爆破することによって終った。森口は「これが私の復讐であり、あなたの更生の第一歩だと思いませんか? 」 と、崩れ落ちるAに勝ち誇ったように語ったのが印象的だった。(その後に「かもね」と付け加えてにやりと笑ったのはどうしても解せない)
同害報復で、果たして更正の糸口を見つけられるのだろうか。相手の大事なものを奪って苦しめるなんてこれほど許せない大罪はないだろうに。
〈告白〉がベストセラーであることも映画が人気であることも分かっていて敢えて書き留めておきたかった。私にとって、問題提起を含んだ話題作であるとの一定評価しても好みの作品ではなかった。年を重ねたからだろうか。人間の狡さや内面を燻りだして深く追求する物に立ち向かう気持ちが萎えてきているのは本当だ。観終った後「生きていて良かった」と自然に感情が湧きあがり、明日を信じられる作品が素直に嬉しくなってきている。
最近はテレビ番組や映画、書籍にしても推理小説などの凄惨な殺人現場がやたらと多すぎると思うのは私だけだろうか?刺激を求めて人を簡単に殺しすぎる設定を量産しているのが怖い。
昨日はまたまたご迷惑おかけしました~^^;;
ご配慮感謝です。
ところで「告白」昨年入院中に長男から送ってきた数冊の中にあり、一気に読んで、その後部屋から部屋へと周りました~^^;;
衝撃内容でしたので、「口直し」に小川糸さんの「喋々喃々」を読みその優しい言葉運びにほっ!としたことでした~(*^^*)
原作を先に読んでいた「食堂かたつむり」は映画を観て後悔しましたので原作だけでやめておきましょうか~(笑)
そうだったのですか!なるほど、観客の想像に任せるという結論だったのですね。
もし、少年Aの母親は生きているとするならば、つまり”お灸を据えた ”ということですよね?森口が牛乳の中に夫のHIV血液を混入したと云った時、彼女は単に恐怖感を持たせただけだと信じて疑わなかったのです。(例え混入したとしても感染しない医学的な知識はありましたが)ところが、本当に入れていたというのは私には衝撃でした。
彼女をそこまで追い詰めるのは、わが子を殺されたのですから分からないでもありません。警察がきちんと裁いてくれなかったのもあります。
やはり同じ立場に追い込んで、少年を更正に導くには乱暴な手法にしか思えないのです。
北風と太陽 のような穏便作が通用すると甘い考えは毛頭ないのですがね・・・
ちなみに25歳の息子も読んでいて、構成などの書き方には一目を置いていたようですが、後味はよろしくなかったようですよ。映画は観る気がしないといっておりました(HI!)
原作では「かもね」の表現はなかったようですね(分からなかったので訊ねたのです)。そこが>最後の言葉が付け加えられた最大の変更点
なのですね。
CJNさんのおかげでなぞが解けました。すっきりです。ありがとうございまし
病院のベッドで読むには面白い作品だったでしょう
映画の後でpoleさんと2人でケーキを買って帰り、お茶しました
>(その後に「かもね」と付け加えてにやりと笑ったのはどうしても解せない)
観てないのに意見なんておこがましいですが、これはほんとうは母親は死んでないということでは?
あとは「更生の第一歩(=あなたのため)」にもかかっているんじゃないかと。
こんなことしても更生になるとは思えませんしね・・・。
そちらの可能性が大いにあると思います。
この「かもね」で、かなり軽薄になってしまったとしか思えないのです。
「かもね」とは・・・更正を促すには少年を相手にした言葉とはいえあまりにも軽すぎる言葉でした。私には松たかこがゲームに興じている同年代の女性としか写りませんでした。奇をてらいすぎた言葉です。
>監督さんも苦手なんですよね。
『嫌われ松子の一生』と同監督だったのを思い出しました!。(私にとっては)この原作も映画もバッドで最悪でした・・・
教室のイメージが湧きませんでしたが、映像になった教室は学級崩壊でしたね。
あのテンデンバラバラの教室で、松たかこの告白を聞いていたのでしょうか?
少年A、少年Bは、松たかこの声が聞こえたのでしょうか?
いつも中高年ばかりの映画館に入っていますので、若い人(女性)が多かったのに驚きました。(笑い)
感想・・・見なきゃ良かったと思いますが、話題作は見ちゃいますね!(笑い)
>若い人(女性)が多かったのに驚きました
長崎でも高校生らしき年代が目に付きましたが、彼らはいったいどんな風に感じたのでしょうか?夫の職場で「良かったと」いう感想を持った女性が居たというのです。膝をつき合せて話してみたいです。賛否両論分かれるところが、また話題作なのでしょうね!