晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

井樋ノ尾観世音でcoffee break (7月20日)

2022年07月23日 | 長崎街道歩き

4回目ワクチン接種日が近いので用心にこしたことはありません。山は止して、軽めに井樋ノ尾長崎街道を歩きましょう。ポットにコーヒーを淹れ息子から届いた治三郎のシフォンケーキをヒップバッグに入れてさあ出発!

ところが車を降り外へ出るといきなり激しい雨! 傘も用意してきたけれど無理はせずに、先ずは最寄りの井樋ノ尾観世音寺でコーヒータイムにしよう。

井樋ノ尾観世音は、島原の乱で一揆軍の神社仏閣の焼き討ちを避けるため、原城北三の丸に安置されていた聖観音像を持ってきて、この地に観音堂を建立したのが始まりと言われている。清水が湧き出ているのを見てこの地に決めたらしい。

キリスト教弾圧時には教会が焼き払われマリア像や十字架が疎まれるが、島原の乱では弾圧された信徒が神社仏閣を仕返しとばかりにやり返す。歴史を知るたびに複雑な気持ちになる・・・。

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観音堂はいつ立ち寄っても地元の人々の手できれいに掃除され、清水が湧き出る音がリズミカルに庭に響いていて心地よい。軒を借りて腰掛ける。雨音に耳を澄ませ雨に煙る田んぼや集落を眺めてコーヒーを啜っているうちに、あっという間に一時間が経った。歩かなくても充分に満たされたと話す夫と私。やっぱり雨の日は好きだなあ。

そういえば、今年4月10日に龍石社から井樋ノ尾岳山頂を藪漕ぎで登った際、下山時にストックの前半分を落としてしまい探しても見つけられなかった。ところが、2ヶ月後の6月に林道(長崎街道)を歩いていたところ、な、なんとそのストックの先が林道道脇に立てかけられていたのだ。誰かが山中で見つけ、わざわざ下の林道まで運び置いてくれたのだろう。 諦めて新しいストックをすでに購入していたが、10年ほど愛用していたストックだった。何より温かい山人の御厚意に感謝したのだった。しっかりその時のお礼を言い、空になったポットに湧き出た清水を頂き後にしました。

その時の画像→

五島から運ばれた砂が使われていて水子地蔵様もいらっしゃる。

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3 コメント

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Unknown (由々)
2022-07-25 06:23:09
井樋ノ尾観世音、島原の乱ゆかりのお堂、
どこなんだろう?と早速調べてみました。
近くに長崎街道が通っているのですね。
すっかり惹かれております。

大病してから10年ほどの間に、
4,5回、長崎へとお邪魔しました。
軽々に申し上げては失礼なのかもしれませんが、
永井隆、切支丹に惹かれてでした。

母が1度も長崎へ行ったことがなく、
長崎だけは旅したいと申しております。
年内を考えていたのですが、この状況、どうなることか・・・
また、いろいろと教えて下さい。

4回目のワクチン接種、お大事になさって下さいませ。
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Unknown (mkdiechi)
2022-07-25 06:52:00
興奮して自分のことばかりで失礼しました。
ストックのお話、雨の中のご夫婦の語らい、
良いお話でした。
返信する
おはようございます (しずく(bamboo))
2022-07-25 11:05:09
まあまあ由々さん多大なるイマジネーション力!
井樋ノ尾観世音は長崎の観光ガイドブックにも載っていない、小さくて清貧なお堂ですよ。
でも、私たち夫婦にとってはお気に入りの場所でたびたび訪れます。竜馬を初め色んな文化がこの道を行きかったと想像するだけでたまりません。
また四季折々の季節が移ろい、昭和の風情を感じさせてくれます。道端に咲くお茶の花、みかんや柿の花々を見て、幼い日々が蘇えり祖母や母との暮らしが思い出されるの。

>永井隆、切支丹に惹かれてでした

長崎といえば、誰もが”原爆と祈り”を想われるでしょうね。当然といえば当然です。私も半世紀前に進学を長崎の地に決めたのは似たような理由から・・・(笑)。でも、今は慣れっこになっちゃってるかも。
縁あって、故郷の鹿児島より長崎に暮らすことになろうとは夢にも考えていませんでした。
お母様や由々さんの期待を裏切って悲しませることにならないか心配だなぁ~
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