◆SORAの腎臓がん日記◆

2008年12月まさかの「腎臓癌」
12センチの腫瘍が右腎臓に!
発病~入院手術とその後15年間の記録

17年前の空の色

2013-11-03 23:17:41 | たわごと






あの日の空の色は覚えていない。
晴れた日だったはずだけど、記憶の中の空は深く悲しい色だ。


17年前の文化の日は、次男の通う幼稚園でバザーがあって
私は、長男と次男を連れて幼稚園のバザーへ出掛けた。
子供達が喜ぶのもほどほどに早目にお昼を食べさせ病院へと向かう。

当時、義父は胃癌を患い入院中だった。

胃を全摘し「癌はすべて取り切れました。」
そう医師から聞かされていたが、術後も癌は義父の身体を蝕んでいった・・・。

背が高くガッチリと体格の良い義父の身体は、あっという間に骨と皮になっていた。
人間の身体というのは、こんな短期間に変化するのだと思い知らされた。

私が嫁に来てから義父は、本当にいつも優しく私に接してくれた。
娘が居なかったというのも大きな原因だと思うが、本当に優しかった。
縫製業を営んでいた義父の職場は自宅から徒歩3分の工場で
朝、昼、晩、と3度の食事は家で食べる為
私は、主人と一緒に食事するより義父と食事する方が多かった。
思い返せば食事中、義父が話をする時はいつも私を見て私に話かけてくれていた。
いつも笑顔で少し照れくさそうに話しかけてくれていた。

孫が出来てからの義父は、孫をお風呂に入れたり自転車に乗せ散歩に行くというのが日常となっていた。
義父が孫を見つめる眼差しは温かくて優しかった。

入退院を繰り返し
自分の命の期限を悟っていた義父は自分が居なくなった後のことを心配し
残された者が困らないようノートにあれこれ記した。
そして、自分より後に残る自分の母(主人の祖母)の世話を何度も何度も私達に頼んだ。
見届けられぬ最愛の2人の孫の将来をも心配し、大人になるまでしっかり見守るよう書き残していた。
最後には、麻薬で震える手で乱れた文字で自分の葬儀の段取りまでも書いてあった・・。
病に襲われてからの義父は、一度も弱音を吐かなかった。


幼稚園のバザーから子供を連れて病院へ向かった。
病室のベッドで横たわる義父は、孫の手を一生懸命に握った。
麻薬で朦朧とする意識の中、初孫である長男(当時小学4年)に
「〇〇(長男の名前)頑張れよ!」と力を込めた言葉をかけた。
混濁した世界に居ながら義父は一生懸命に私達に何かを伝えているようだった。
その目には、薄らと涙が滲んでいた。

義母の話では、
私と子供達が病室を出た後、義父は私達の後を追うように
ベッドからずれ落ちたという・・・。
まるでその姿は、私や孫と一緒に家に帰りたかったかのようだったと・・・。
そしてそれまで必死に意識を保とうとしていた義父の意識は
どんどん別の世界に吸い込まれていったらしい。

その晩、義父は病室に駆けつけた息子である私の主人と実弟に
最後の力を振り絞り大きな声で2人の名前を叫び

「頼むぞ。」

の言葉を最期に 11月3日 に息をひきとった。



亡くなる1週間ほど前、カレンダーを見て義母に
「この日に決めた。」
と、11月3日を指差したという。

義父享年61歳。

苦しみから解放され自宅に戻った義父の顔はニッコリ笑って眠っているようだった。
私は、義父の不機嫌な顔も怒った顔も一度も見たことがない。

そして、最期の義父の顔もやはり笑顔だった。

お別れに訪れた人達が、皆口をそろえて
「笑ってる」
と言った。










17年前の11月3日の空の色を私は覚えていない。
毎年、この日になると あの日の空の色は何色だったかな。。。
そんなことを思いながら生前の優しかった義父に想いを馳せ空を見上げる。









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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうでしたか。 (太陽)
2013-11-04 03:19:41
昨日は義父様の命日だったのですぬ。悲しい日。SORAさんやお孫さんともっと一緒にいたかったでしょうに。家族思いで優しい、強いかただったんですぬ。なんて癌なんて病気が存在するのか。意地悪ですね天は。

義父様は今でも空からご家族を見守っていられるでしょう。
返信する
Unknown (だいちゃん)
2013-11-04 19:29:44
17年前でもしっかりと鮮明にSORAさんの記憶に残っているということは、まだ胸なかで生き続けているということでは・・と思います。

私も15年前に父・母を病気で亡くしましたが、今でも時間が逆に頭の中に回転することがあります。

SORAさんの不思議なパワーは義父様との心の通信かもしれませんね。
返信する
こんにちは (Y)
2013-11-04 19:45:47
義父様の命日だったんですね。SORAさんの文面から、義父様の優しい、家族思いの姿が目に浮かぶようで心動かされました。よい舅に恵まれて幸せでしたね。

亡き人にとって、こうやって命日に想いを馳せてくれる、これが一番の供養になると思います。
明日は私の亡き夫の命日です。
楽しい思い出をたくさん想いだして偲びたいと思います。
返信する
太陽さんへ (SORA)
2013-11-05 22:58:33
太陽さん、こんばんは。

そうですね、義父はまだまだ孫といっしょに過ごしたかったと思います。
とても残念ですが、長生き出来なかったぶん
義父の人生は短かったけれど中身の濃いものだったと思います。そして、孫にも十分に愛情を注いでくれたのだと感じます。

時たま、義父がそばで守ってくれているように感じます。
返信する
だいちゃんへ (SORA)
2013-11-05 23:03:58
そうでしたか、だいちゃんとご両親のお別れは随分早かったのですね。

よく亡くなっても心の中で生き続ける・・・と言いますが、本当にその言葉の通りです。

きっと、だいちゃんも心の中でご両親は今も生き続けておられるのでしょうね。
そして、だいちゃんを守ってらっしゃる。そう感じます。
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Yさんへ (SORA)
2013-11-05 23:12:03
Yさん、温かい言葉ありがとうございます。

Yさんのご主人様の命日は11月4日なんですね。私の場合は義父ですが、ご主人とのお別れは想像もつかないほど辛かったことでしょう・・。

>明日は私の亡き夫の命日です。
楽しい思い出をたくさん想いだして偲びたいと思います。

きっとYさんがご主人を偲ばれ想いを馳せているその傍らには、ご主人も一緒におられると思います。そして、Yさんの病気が悪くならないように
いつも見守っておられる事でしょう。

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Unknown (ママン~)
2013-11-14 11:33:44
義父様、優しい方だったんですね。
きっとSORAさんの心の中でずっとずっと感謝と愛されていた気持ちが深く今後も残っていくことでしょう。
まだお若かったのにすごく残念ですね。

私の母方の祖父も亡くなる前に「自分は○月○日に死ぬんだ」と言っていて、本当にその日に亡くなったそうです。
そういうことってあるんですね・・・。

空の色は何色だったのでしょうね?
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ママ~ンさんへ (SORA)
2013-11-14 21:19:20
ママ~ンさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。
義父には、まだまだ長生きしてほしかったです。
思うようには行かないものですね。

自分で何日と言ってその日に逝く・・・
歌手の島倉千代子さんも亡くなる3日前にレコディングしたという話がワイドショーで流れましたが、わかるんでしょうか自分の命の期限。
せつないですね。
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