◆SORAの腎臓がん日記◆

2008年12月まさかの「腎臓癌」
12センチの腫瘍が右腎臓に!
発病~入院手術とその後15年間の記録

突然の帰省

2014-12-27 22:38:32 | たわごと


車の前を青いトラックが走っていた。
空は青く雲の隙間から眩しい光がさている。
この道のりが特別なものになるかもしれないと心のどこかでそう思った。

新幹線のホームに一人立つ私に冷たい風が容赦なく吹き付けた。
私の後ろでは、若い母親と幼い子供が2人新幹線の到着を待ちわびていた。
子供達が嬉しくてはしゃいでいる。
その光景は、まるで昔の私そのもののような気がした。

大阪行のひかりがホームに入り
寒空の中、新幹線を待ちわびていた人々が吸い込まれるように車内へ

車内は帰省客で溢れかえっていた。
私は、空いた席を探し足早に車両の中央へと進み2人掛けの窓際に座っていた女性に
「隣空いていますか?」と声をかけた。
「はい。」の返事に安堵しコートを素早く脱いで腰かけた。

満員の自由席。
座れず連結部分で立っている人も数人いた。

私の後ろに並んでいた親子は座れただろうか?ふと頭をよぎったがすぐに
私の頭の中は、今朝 救急車で病院へと運ばれた母のことでいっぱいになった。

AM11;30前後
姉から母危篤の電話が入った。
前日の夜から高熱が出た母は、朝になりもはや体温計では測れない40度以上の高熱に襲われ意識をなくし救急車で病院へ搬送された。
搬送先の医師から、緊急に内視鏡検査をするが、もはや全身状態が悪く麻酔をすればそのまま逝ってしまう可能性が高い為、麻酔なしでの内視鏡検査にはいる。
その検査中、呼吸が停止する可能性が極めて高いと告げられた。
もしもの事態になった時、呼吸器をつけるか非かの選択を緊急に迫られた姉。

私が母の元に着く頃
母はどうなっているのだろう・・・。

米原に到着すると驚くほど多くの乗客が降りて行った。
私の隣に座っていた若い女性も米原で下車。
先ほどまで立っていた人達が安堵の表情を浮かべながら空いた席についた。
若い母親が子供を連れて帰省する姿が車内のあちらこちらに見えた。

私は、目頭が熱くなるのを抑えながら窓の外を眺めていた。

米原の手前あたりから雨が降っていた。
冷たい雨が新幹線の窓に突き刺さるようにあたってはスッと斜めに何本もの線を描いていた。

京都駅のホームにさしかかるとドアの前で
私の前にいた子供が嬉しそうに「おばあちゃん。おじいちゃん。」と繰り返し口にしていた。
ホームに到着すると、新幹線のドアの向こう側で上品なご夫婦がこちらの方に向かって満面の笑みで手を振っていた。ドアの前の2人の子供達がそれに応えるように大きく手を振った。
若かった頃の私達親子と父と母のように・・・。

新幹線から降りる時、上品なおじいさんと目が合った。
真っ赤な目をした私を不思議そうな顔をしたおじいさんがじっと見ていた。


近鉄電車に乗り換えるまでに

「内視鏡検査終わりました。ちょっと安心です」

しばらくして

「胆管炎,胆嚢炎で内視鏡入れて、たまっていた膿をだしてもらいました。予断は許せない状態です。」と姉からメールがはいる。


病室に入っると身体に何本もの点滴やチューブをつけられ
ところどころ頬が赤や紫色に変色した息を荒げた母がいた。
母は、時折ケモノノのような大声をあげた。
よく聞くと「痛い」と言っているようだった。

高熱で意識を失くしたまま病院に搬送され
わけもわからないままに麻酔なしで口に内視鏡を押し込まれ無意識のまま恐怖で暴れた跡が色濃く残った母の姿がそこにあった。

耳元で何度も「〇〇やよ。わかる?」と聞くと
本当にわかっているのか意識があるのかわからない母が声に反応して頷く。
目は明かない。

うなされているかのように混濁した意識の中で発せられる言葉は
人間のものとは思えない獣の叫び・・・

「痛かったね。もう大丈夫やよ。」の言葉に頷く母。



一夜明け峠を越した。



熱も下がり血圧、脈拍もほぼ正常に戻った。
目は明かない。
言葉も発することが出来ない。


午後、私の声に

「〇〇ちゃん・・・」と私の名前を呼んでくれた。そして
「一人で来たん?」と口にした。

少し目を開け私の顔を確認した。

「わかる?」の問いかけに頷いた。

昨日は冷たかった母の手・・・

今日、母の手を握り締めると温かくなっていた。





急遽 奈良へ帰った。


母の声を聞くことは出来ないかもしれないと覚悟を決めて家を出た。

温かい母の手を握れないかもしれないと覚悟を決めて新幹線に乗った。


何とか踏ん張ってくれた母。



母の手の温かさを心に刻んで家に戻ってきました。









順調に回復してくれると信じて。






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神様、こんな年老いた母にもうこれ以上の試練を与えないで。
どうぞ静かな時間を与えてください・・・。



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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
SORAさんへ (ケン)
2014-12-27 23:15:59
大変な事があったのですね。
でも、とりあえず良かった。

お母さんはSORAの事が大好きなのですね。

意識が朦朧としていてもSORAさんの声は聞こえていたに違いありません。

大丈夫。大好きな人がいれば、気持ち、気力が溢れてきます。
お母さん、絶対大丈夫です。

SORAさん


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・・・多くは語りません。 (masahiro)
2014-12-28 00:16:33
別件でSORAさんにお詫びを入れようと過去の記事に行こうかと思ってこちらにきたらお母様の記事を見て驚きました。

・・・心中お察し致します。

写真と走馬灯のような電車のなかでの時間経過内容・・・、お母様に対する想いが伝わってきます・・・。

大丈夫、きっと順調に回復されます。だってあなたのお母様なのですから。

コメレス不要です。
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Unknown (Lunta)
2014-12-29 13:02:50
どきどきしながら読ませていただきましたが、お母様、無事持ち直されたとのことでほっとしました。
よかったですね。

意識が無いようでも聴覚は働いているものだと母の入院中に看護士さんに教わりました。
声掛けをしてあげるのはとても効果があるようですので、SORAさんが声をかけてあげたのもきっとよかったんですよ。

年末の大変な時ですが、どうぞお大事に。
良いお正月となりますよう。
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うまく言えない (himiko)
2014-12-29 15:11:15
どんなに苦しく張り裂けそうな思いで、不安と闘いながら一人新幹線に乗っていたかと思うとSORAさんを抱きしめてあげたい。。。
大切な大好きなお母さん・・・そばに居たくてもそうはできない現実があって切ないね・・・
長生きしてほしいけど、苦しい姿ほど辛いものはない
いろんな思いで心はぐちゃぐちゃだろうね
いつかは誰もが・・・わかっていても、できたらその中で最良であってほしい
どうか、お母さんに静かで穏やかな時間が続きますように・・・
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お気を確かに (kuma)
2014-12-29 15:37:57
お母様、持ちなおされたようで何よりです。一層のご快復を心よりご祈念申し上げます。
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お見舞い申し上げます (デ某)
2014-12-29 16:21:11
ご心配、ご心痛のことでしたね。
お無母様のご恢復を心よりお祈り申し上げます。
また落ち着かれた頃に改めてコメントいたしたく存じます。
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お詫び&訂正 (デ某)
2014-12-29 16:25:52
指のタッチがとびたいへん失礼いたしました。
お詫び申し上げ、「お無母様 → お母様」と訂正させていただきます。
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何と言っていいのか… (elly)
2014-12-29 17:18:49
soraさん、眠れているでしょうか…
お母様とお話しできて、温かい手を握ることができて本当に良かった。ただ、soraさんの体調が心配です。横になっても眠れないかもしれませんが、休めるときは休んで下さいね。
まわりに甘えられるときは、甘えて下さい。
お母様が穏やかな時間を過ごせますように心よりお祈りします。
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Unknown (TORA)
2014-12-30 01:44:19
お見舞い申し上げます。
どうかSORAサンも、身体壊されませんよぅに‥。
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Unknown (Rarudo)
2014-12-30 15:15:30
麻酔なしで・・・
想像もできないほどの苦しみだったでしょう。

お母様が痛みのない時間をすごされていますように。

SORAさんもご自愛ください。
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