これが自分であると思いこんでいるその枠組みを解体していくことは、あなたの住む世界を変えます。あれが悪い、あの人はこうだから、私はこうなの、そんな分離の世界のストーリーをもし変えたいとあなたが思っているのなら、いまの自分の枠組みからそれをすることはできません。自分の内側の変化を持ってのみ、それは可能です。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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一見、限定されたフィールドで整合性が取れているように見えても、より大きなフィールドをとって改めて眺めてみると、実に不自然で凝り固まって見えることがあります。このような時も、ただ大きなフィールドから眺めてそれに気付くだけで、凝り固まったものは解けていきます。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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今この瞬間にただ在って、ものごとを起こるがままに起こさせるということが、ここのところのテーマになっています。個としての自分が為そうとして為すのではなく、この身体でもこの名前の者でも、周囲がイメージする私でもない、「主体と客体と行為が一体である」というところにいて、起こることを起こるがままに気付いていると言う状態です。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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何もしないでただ在るというのは、傍観していることと同義ではありません。必要なことは、あなたが努力しないでも起こるのです。ただ起こることを起こるがままに起こさせることが、もっとも偉大な結果へとつながる、あなた自身の仕事と言えるでしょう。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/bom
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意識の運動として快楽や苦痛があるのなら、確かに苦楽を超えるには意識を超えていかなければならないと言うのは道理です。目覚めや悟りの探求を始めた頃には想像もしなかったテーマですが、存在とはつくづく奥深いものです。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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この身体が私だと言う幻想を大前提に構築された世界に生き続けるのも一つの選択です。その時人は、夢から目覚めるのではなく、夢の内容を良くすることに腐心し続けるのでしょう。覚者の慈悲とは、悪夢がまさに実態のない偽物であることを教え、目覚めと実在を示すことです。決してさらに深く幻想へと導くことではありません。続きはこちらhttp://www.healng-gate.com/blog
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私が悟りを求めたのは、際限のない問題提起と解決の繰り返し、その体験に心底辟易したからです。今目の前にある「問題」を解決したとしても、すぐに次の問題がやってきて、その体験自体に一体何の意味があったのだろう?それは真の成長と成熟を私にもたらしただろうか?と思ったのです。つづきはこちらhttp://www.eahling-gate.com/blog
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あらゆる人生の苦しみを呼ぶ出来事を解決しようとするのではなく、その苦しみが差し出す至高なるものからの招待状を受け取るかどうか。その選択があなたの人生を大きく左右するでしょう。疑い、迷い、焦り、不安等すべてを持ったまま、呼びかけに応えることができます。あなたが今することは、応えるのか、その呼びかけに応えないのか、決める事だけなのです。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.co . . . 本文を読む
ものごとがそうであることに、いかなる理由も本当は必要ないのです。それに理由をつけることによって、自ら歪め、複雑にしているのです。理由を手放しましょう。それは、それ自体によって存在しています。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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自らの闇に向き合い続けてちょうど半年、しんどいときもあったけれど、ようやくそれが気づきの光で満たされ、完了の鐘の音を聞きました。と同時に、この体、この名前の者が私であるという「個の意識」から解き放たれ、気付きのフィールドが一瞬にして無限に広がっていく体験がやってきました。つづきはこちらhttp://www.healing-gate.com/blog
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