しろいはね くろいはね

感情解放、ヒーリング、意識の目覚めをキーワードに日々の気づきを綴っていきます

闇についての考察

2010年10月08日 10時43分31秒 | スピリチュアル
先日、深い部分にあった封印が解けたせいか、その他の部分での過去世の記憶も今まで出てこなかったようなものが出てくるようになりました。昨日はあるテーマで掘り下げをしていたところ、ドロドロのダークな過去世が2つでてきました。

闇の存在との関係のあった時代でしたが、人々を恐怖に陥れ、その怨念さえも自らのパワーとして使役していたような人生です。うわ~、こんな人生あったのね~。。。と思いつつ、さらにリーディングを進めていきます。(過去世など、スピ系の話に抵抗感のある方は、夢物語として聞いてみて下さい。本当にあったのかどうかという議論はあまり意味がないのです。)

恐ろしい闇のパワーを使役しながら、私は闇の存在をはっきりと認識し、そして彼らをよく知っていました。ふと、だから私はそういう存在にも対処できるのだ、と思いました。実際できるかどうかわからないのですが、ヒプノのセッションをしているときにそう言った類のものが出てきたことがあって、妙に気持ちが落ち着いていたのが不思議でした。そういう経験もまた、学びなのね、と思いました。

意識は闇の存在についての考察に流れていきます。人々は、闇に蝕まれると心がねじ曲がり、生命を消耗していきます。そういった状態で生きているのは、存在のあり方として不自然であり、命のエネルギーがうまく体に流れません。すると、体(肉体とエネルギーの体の両方を指します)は栄養失調状態になり、衰弱していくのです。

そこで、「存在のあり方として不自然なのに、どうして闇の存在はあのようにパワーを持って存在を継続しているのか?」という疑問が浮かんできました。彼らは、人々の恐怖や不安、恐れなどを自らのパワーに変えています。それは、とても重たく効率の悪いエネルギーです。

「闇の者は人々にそういったものを呼び起こさせ、自らの糧にしている」そんな見方もできる一方で、こんな見方も浮かんできました。「闇の者は、人々からそういったエネルギーを『与えられている』」

ここで、先日の「力を与える」の記事を思い出していただきたいのです。あらゆる存在や思考などに力を与えているのは、自分自身であるということを。その存在が、「私」の現実においてパワーを持つことを「許可」しているのは、「私」なのです。

エネルギーワークをするようになって、エネルギーの質というものに実際に触れ、考える機会も増えたいま、分かることがあります。闇の存在の様な、重たいエネルギーは、確かにとても効率が悪いのです。抵抗や摩擦といったものが必要以上にあるためです。一方で、軽やかなエネルギーはどこにも滞ることなく流れるため、重たいエネルギーよりもはるかにパワフルです。

光は闇よりもパワフルである、とは繰り返し聞いてきましたが、確かにその通りであると感じています。どちらがいいとか悪いという話ではなく、エネルギーの質の話です。

闇の存在の本質について気付いたことをまとめてみましたが、頭でなくその姿を理解できた方は、かなり素晴らしい感性の方だと思います。決して新しい話でも視点でもないのですが、私自身、やっと理解できました。(←遅すぎ(^^;)

彼らに力を与えているのは「私自身」、ということは。。。←ここです!

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