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至誠と実行

新しい時代は、皆が為に生き合う時代でありたい。生かされている自分であることに感謝して未来に徳を残したい!

輪回循環の理と人道

2013年11月15日 14時26分26秒 | 日記
2013年11月15日(金) 


翁の言葉に、

儒教では循環といい、仏教では輪廻転生という、これは天理だ。循環とは春は秋になり、暑さから寒さになり、盛りから衰えに移り、富は貧に移るのを言う。輪廻といっても同じことだ。そうして仏道はこの輪廻を脱して安楽国の往生することを願い、儒教は、天命をおそれ天につかえて、泰山のように安泰であろうと願う。
ところで、私の教えるのは、貧を富にし、衰えたのを盛んにし、そうして循環輪転を脱して、富みかつ盛んな地位に安定させる道なのだ。
果樹というものは、今年たくさん実ると、翌年はきっと実らないものだ。これを世間では「年切り」という。
これも循環輪廻の理であって、当然そうなるべきものだ。それを人為によって年切りなしに毎年ならせるには、枝を透かしたり、つぼみの時に摘み取って花を減らしたりして、何度も肥しをしてやれば、年切りなしで、毎年同じように実るものだ。人の身代に盛衰貧富があるのは、ちょうどこの年切りのようなものなのだ。親は勤勉でも子は遊惰だとか、親は節倹だが子は驕者とかで、二代三代と続かないのは、いわゆる年切りであり循環輪転なのだ。もしこの年切りが無いように願うならば、果樹の手入れ法にならって、わが推譲の道を勤めるがよい。(二宮翁夜話より)



子供は子供と諦めている方々が、非常に多いことに心が痛みます。

果樹の隔年結果ならまだしも、人の身代は突き詰めれば家系が途絶えてしまうこともあります。

果樹ならば枯れてしまうということです。子供が結婚しない。結婚しても子供ができない。などなど。

未来に希望を拓く為にも、今こそ、二宮尊徳翁の精神が必要ではないでしょうか。




西村甲汪




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