至誠と実行

新しい時代は、皆が為に生き合う時代でありたい。生かされている自分であることに感謝して未来に徳を残したい!

幸せになるためには受けた恩を忘れない。

2013年01月29日 21時08分05秒 | 日記
1月29日(火)

今年最初のライフアップ講演会。

テーマは「幸せになるためには」です。



講演会の中で話した一部です。

二宮尊徳公は夜話の中でこのような話をされています。

[明日食べるものがない時]

ふつう世間では、明日食べるものがない時は、よそに借りにいこうとか

救いを乞おうとか考えるが、いよいよ明日食べるものがどうしてもないという時になると、

釜も膳椀も洗う気がしなくなってしまうそうだな。(中略)

なぜなら、ふつうの人々は日々釜を洗い、膳椀を洗うのは、明日食べるためであって、

昨日まで使ってきたに対して洗うわけじゃない、と考えている。しかしこれは心得ちがいだぞ。


たとえ明日食べるものがないとなっても、釜を洗い、膳も椀も洗いあげてそのうえで餓死すべきなんだ。

なぜなら、今日まで使ってきて命をつないできた恩があるからだよ。これが恩を知る者の道なんだよ。

この心がある者は、それが天意にかなっているから長く富が離れず貧乏はしないだろう。
                             (翁夜話より)


幸せになるためには 受けた恩を忘れず、 必ず、努力が必要!





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2013年 1月ライフアップ講座のご案内

2013年01月26日 16時33分07秒 | 日記
1月26日(土)


今年最初のライフアップ講座


1月29日(火) 尊徳記念館

9時45分 開場
10時   開会

今回のテーマは「幸せになるために」です。


どうぞ、お気軽にお越しください。








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駆け込み退職?!

2013年01月23日 11時00分28秒 | 日記

<駆け込み退職>佐賀、徳島43人 教頭、担任も 本紙調査

毎日新聞 1月23日(水)2時31分配信



 埼玉県内で100人超の教員が退職手当引き下げ前に「駆け込み退職」を希望している問題で、佐賀県と徳島県では教頭や学級担任を含む教員43人が既に駆け込み退職していたことが22日、毎日新聞の全国調査で分かった。学校事務職員や一般行政職員を加えると70人超が退職。高知県など4自治体でも退職希望者がおり教育委員会が対応に追われている。

 埼玉県とさいたま市を除く46都道府県と19政令市の教委に聞き取りをした。佐賀県は退職手当を引き下げる改正条例を1月1日に施行したが、昨年12月末で教員36人(小学校8人、中学校5人、高校16人、特別支援学校7人)と一般職員16人が退職。同県教委は「子供の教育に支障がないよう臨時的任用で年度末まで継続するようお願いし、一部はまだ働いている」と話す。

 徳島県も1月1日付で条例改正。昨年12月末に教員7人(小学校2人、中学校3人、高校1人、特別支援学校1人)と学校事務職員5人、一般職員7人が退職した。徳島市では中学教頭が辞め、現在も空席という。同県教委は「教員4人を臨時採用し、支障は出ていない」としている。

 また、高知県は3月に改正条例を施行する予定で、教員2人が2月末の退職を希望。愛知県と兵庫県、京都市でも3月改正で、退職希望者がいるとみられるが「未集計」などとして詳細を明らかにしていない。



かつて「聖職」と言われた教師、教員。

しかし、生活の為とはいえ「責任」というものはどこにあるのか?

未来の国を担う子供たちを正しく教育していくべき我々大人が

利他的に生きることを教えられなければ自己中心的に生きる子供たちは後を絶たないであろう





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お猿の年始参り

2013年01月06日 21時13分05秒 | 日記




お正月、我が家ではお猿さんも


年始参りに訪れました。


昨年は屋根の上に母子猿が毛づくろいしながら


のんびりしている姿を見かけましたが。


今年は、なんと!


玄関をあけたら、そこにいるではありませんか!


しかも、ご家族で7匹ほど・・・


板橋はよく猿が、お出ましになりますが・・・


今年は巳の年。巳申(みざる)の支合で申を引き寄せたかな?!



たらふく木の実を食べて満足したら、また山に帰って行きました。





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飯泉観音で新たな出発

2013年01月05日 11時56分53秒 | 日記
1月5日(土)




飯泉観音に初詣。飯泉山勝福寺は小田原城の鬼門除け
 金堂、講堂、東院(観音堂)、東培、西塔、南大門などが千代の里に宏壮な構えを見せていたが、室町期に今の所に移され、応永二十五年(一四一八)には小田原城の鬼門鎮護の道場となり、勝福寺の勅号さえ賜わり、歴代城主の保護もあつく栄えた。本堂内陣の春日造りの厨子に納められた像高二尺八寸、素木造りのご本尊は三十三年目ごとに開扉される。お眼や唇以外には彩色を施していないこのお像は「関東における十二世紀頃の制作」で「中央の定朝様式」の忠実な模倣のあとがうかがえるという。
 文化元年(一八〇四)二宮金次郎、のちの尊徳翁が十八歳の時である。この勝福寺で旅僧が「観音経」を訓読するのを聞いて深く感ずるところがあったという。尊徳翁はこのようにして若き日より「利他」に生きる崇高な精神を観世音菩薩から授けられたのである。本堂前に少年二宮金次郎の本尊礼拝の像が建てられている。 酒匂川を渡る手前に国府津があり、ここから勝福寺までの道を「巡礼街道」と呼んでいる。古地図を見ると相模国には「巡礼坂、巡礼峠、巡礼道」などの地名が多く、それだけに坂東札所巡礼が盛んであったことが知られる。『風土記稿』には「江戸より行程二十里、民戸八十一、多く観音門前に連住す」とあり、六軒の巡礼宿で、それぞれ巡礼は豆腐の石焼に舌鼓をうったことだろう。なお、ここの境内で名力士の雷電が土地の無法な力持ち岩五却を投げとばした話は有名。境内の樹齢数百年といわれる大公孫樹は、遠くからでも寺の所在を知らせる目標となっている。





県天然記念物の大イチョウの木



二宮金次郎が少年時代、お参りしながら一念発起した場所です。





祈る姿に心打たれました。


改めて、今年一年の出発を決意させられ世界の平和を願い


お参りいたしました。



西村 甲汪





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