瞑想と震災

2012-03-11 23:19:23 | 日記
 校了の作業が重なったこともあって、この週末に友人から誘われていた東北大震災の瓦礫の片付けのお手伝いに行けなかった。今日の午前中ようやく校了し、午後、沼袋のブラーマクマリスに、瞑想に行った。午後2時46分、参加者全員で瞑想(黙祷)をした。

 昨年まで、震災1年を機に、弊社BNPの『地球人』で震災の特集をしようと思っていて、先生方からもいろいろ提案をしていただいていたのだが、どうしてもその気になれず、時ばかりが経っていった。震災の本は書店に溢れている。それらの本を見て、感動もするし、大変意義のあることだと思う。ただどうしても、自分で震災の特集をする踏ん切りがつかないのだ。

 そんなことよりも、瓦礫の片付けに行けなかったことのほうを恥じる。

 震災を契機にして、人は意識が変わる(変わった)、生き方が変わる(変わった)、という。では、どのように。時は刻々と流れていく。はや1年だ。あっという間に、2年、3年が経つだろう。震災前と同じように、多少の節電はしているとはいえ、車に乗り、寒いと言っては暖房をつけ、食べ、生活をしている。

 そうした中で私にできることとは、より強く、神を感じ、魂を感じることであり、それを持続することである。そのために瞑想がある。絆とは、魂と魂の触れあいのことだと思う。