蔵書目録

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「橋本雅邦君の平生」 (1905.3)

2020年08月25日 | 人物 作家、歌人、画家他

    橋本雅邦君の平生

 橋本雅邦君は、明治美術史の畵家傳中に中央首座を占むべき人。繪畵は君の生命也。繪畵に起き、繪畵に臥し、繪畵に食ひ、繪畵に樂み、繪畵以外復天地あることを知らざるものゝ如し。
 君も若き頃は謠曲の嗜みなどありしが、今は其一節をも謠はず。高年七十又一にして、毎朝必ず四時に起き、嚴冬の日を除く外は、則ち先づ其本郷龍岡町の家を出で、朝風淸き不忍の池を一周し歸るを常とし、歸れば則ち冷水拂浴をなして朝膳に向ひ、食後は其儘畵室に入りて、以て夜の十時に及び、面接日と定めたる日曜日の午後の外は、人にも面せず、畵室をも出でず。十時に及び始めて畵室を出でゝ、藥湯に浴し、家人門生等と談笑しつゝ麥酒 びーる 一壜若くは一壜以上を傾け、斯くて一時間内外にして乃ち臥す。此くの如きもの、三百六旬日復變ることなき也。 
 勤勉此に至る、然らば君は日々如何に多くの畵作を出す乎と云ふに、五日一石、十日一水、沈思靜慮して休せず、興旺し相熟するに非ざれば、斷じて一筆一點をも下すことあるなき也。故に片々たる畵帖の一葉も君は必ず一日半日を費す。
 美術院の谷中初音町に創立せられたる初なりき。君は毎日午前九時に正しく校堂に到り、午後二時には必ず歸り去り、其間生徒の質問あれば則ち之に答へたりと雖も、もと寡黙の人なるを以て、是非質問せざるべからざる事の外は、生徒も多く問ふ所あらず。從つて手持ち無沙汰の時多く、君は遂に君の爲に設けられたる一室に入りて、持來りたる依賴品等を畵き、生徒は日々其畵き成したる所を臨摹するを常としたりしが、午後其室に入りて之を摹せむとするに、往々前日摹し得たる所に果して何の加ふる所ありたる乎を發見するに苦みたりしと云ふ。嘗て畵きたる方尺許の絹地の如き、ただ極て單簡なる山水を畵き成したるに過ぎざれとも、之を成す爲め、日々此くの如くして實に一週日以上を要したりと聞く。君が如何に繪事に忠實なる乎は、此の一事を見ても之を知るべきにあらずや。
 去れば君の繪畵には、如何なる小作片々のものと雖も、一畵には必ず一畵の特色あり、又一畵の精神ありて、精采躍如たる所を存するを常とす。從つて君の繪畵は、言ふまでもなく寫意派の繪畵也。寫實派の繪畵にはあらざる也。  
 君の令閨は君が未だ困厄の中に在りたる日に沒し、今の夫人は繼室にして、府下新宿村の人也。家を治むる儉素にして秩序あり。家務を處理し、多數の子女を育するに、一事の君を煩はすことあるなし。子女亦皆自治し、學校に行くにも、銘々自ら其辨當を作りて行く。是を以て、君は力を專らにして繪事に從ひ、旅行をなさず、散策を試みず。自ら謂ふ、繪事の中自から樂地あり、慰藉あり、何ぞ必ずしも惡歩惰遊して、以てかの益なき勞疲を買ふことを須ゐむやと。又曰く、身に微恙ある、繪畵に對すれば則ち癒ゆ、復た湯藥を要するなしと。
 繪畵以外君は何等の嗜好を有せず。麥酒を飲み、鰻飯を食ふを嗜好と謂へば、則ち嗜好と謂ふべし。之を除けば別に嗜む所あるなき也。淡然自ら處し、他に求むる所あらず。其客室の如き、茶褐色の四壁、東久世竹亭伯書する所の「天機所動」四字の額、君が自ら意匠したる淡霞横抹旭日を吐かむとするすかし雕の欄間の外、往々依頼品に係る屛風を見るのみ。而して床には毎に必ず無落欵の軸を掲ぐ。是れ日夕之に對して其何人の作なる乎を鑒別せむが爲め也。世の一見筆者を判する鑒定家の如く匇卒なるものに非ず。
 君の自ら奉ずるは然かく質素なりと雖も、其文房具に至りては則ち實に贅澤を極む。硯は必ず剡渓 たんけい を用ゐ、墨は鈴木梅仙をして特に之れを製らしめ、筆は神田の得應軒之を特製し、大小修短種々あり、君の繪畵中到底他人の模俲すべからざる筆跡あるは、則ち必ず其筆に特殊のものあるに由る。紙は則ち特製の雅邦紙あり。繪具は之を用ゆる他の畵家の如く多からざれども、亦同く工夫して新品若くは新使用法を出すこと少なからず。門人下山觀山、横山大觀、菱田春草諸子が、新着色法を用ゆるも、寧ろ君に傚ひて愈新意を出したるものなるなしとせず。
 君はもと多く古畵を習ひて終に一流を成したりしもの其古畵を鑒識し、好否を判し、特色を識別するの力、實に鋭利明晰なるものあり。門人に教ゆる、亦古畵を臨摹するより始めしむ。而して自己の意思を以て、必ず其中の一部を變更せしむるを例とす。例へば鶴を摹するに仰ぎたるものを俯さしめ、瀧を摹するに右より落つるものを左より落ちしむるが如し。是れ甚だ容易なるが如くなれども、古人の意を用ゐたる所を知るに非ざれば、一部の變更は竟に全躰の釣合を失ふに至らむとす。古人用意の所を知る、殆どこれより善きはなき也。而して君は常に曰ふ、此くの如くにして初めてよく古人苦心の所を見るべしと。

 上の写真「橋本雅邦君肖像」と文は、明治三十八年三月一日発行の雑誌 『新家庭』第一巻第四号 新家庭社 に掲載されたものである。



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