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「大隈伯偶談」 (『東亜月報』第弐号所載) (1908.5)

2018年10月07日 | 清国・民国留日学生 1 教育、松本亀次郎

  

 大隈伯偶談

 支那学生教育之失敗 清国自袁世凱以下諸大官咸謂欲国富民智。莫若使学欧州科学。然與其直遣留学欧州。籍区区生硬粗疏之筆記以輸入。不如従咀嚼有得之日本輸入為便。既盛遣留学生於我国。然我当局者欲約束留学生之行為。留学生大怒。謂学校漁利。視支那学生若奇貨。及延欖学生者踵相接。至遠出横浜神戸長崎等処。不自約束。而欲以約束支那学生。本末顛倒之甚也。遂相率罷学。我当局乃撤回成議。為支那学生辱笑。此外我国人之受聘於支那而為教師者。我当局不察其人格。致彼輩蒙侮遂於其国。誠不堪遺憾者也。
 対清外交之失敗 始於博支馬司〔ポーツマス〕之失敗。小村與総理衙門之談判成立以来。益見悪於清国戦後之日清協約。雖甚失計。然締結以後。固須互為遵守。而我国人之言論。輒曰満州経営。曰利源調査。全視満州如己之領土。肆志妄為。耳之者不啻清人。雖欧美人亦怏怏不平。至醸物議。又如辰丸事件。不過一小故。方亟欲與親睦之清人。而乃大払其情。其不利有不得軽視者。凡外交之要。在相親以誠。相孚以信。我外交未甞以此為意。誠可嘆也。俄之外交術。未可一二語尽。然可徴之時。則大張国威。而其反面頗有可掬之愛情。以買清人歓心。故得収其效。我国之外交。宛如繼母虐遇其子。於列国之前巧言令色。有如慈母。陰則常以針刺其体。彼等安能尽孝道哉。若針刺之癖不悛。清国遂将徳美是頼歟。

 上の文は、明治四十一年五月十日 光緒三十四年四月十日 発行の 『東亜月報』 第弐号 東亜月報編輯局発行 の ◎説林 に、掲載されたものである。なお、この号には以下の清国留学生出版の雑誌広告も掲載されている。

      

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