蔵書目録

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「私の音楽遍歴」 安藤幸 (1954.9)

2020年07月22日 | 音楽学校、音楽教育家

 私の音楽遍歴

 我が国ヴァイオリン界の元老、安藤幸子女史は今年七十七才の喜寿を迎えた。女史は明治二十九年東音卒、ドイツに留学後は母校の教授として後進を育成し、傍ら芸術院会員。文豪幸田露伴、ピアニスト幸田延子女史の令妹に当る。   

   安藤幸

 音楽之友から与えられた題名は「私の青春時代」ということですが、もう半世紀も前のことを書けと云われても記憶がはっきりせず、あんなこともあつた、こんなこともあつたと思い出しはするのですが、どれが何才の時のことかははつきりと致しません。この文章をお読みになる方もそんな事もあつたのか位にお読みになつて下さい。  

 私がヴァイオリンをはじめたのは、今流に数えると十才の時だつたと思います。それまでは世間一般のお嬢さん方と同様にお琴を習つておりました。私の家は日本のものであれ、西洋のものであれ、一家そろつて音楽好きだつたものですから、当時としては非常に環境に恵まれていたと云えるでしょう。姉はピアノをやつておりましたので、私はヴァイオリンをはじめたわけです。はじめた動機と云えばただ好きだつたとしか云えません。

 話は一寸横道にそれますが、ピアノをしていた姉は私より十才も年上で、とてもしつかりしていたらしく、兄の幸田露伴も大分面倒をかけていたらしく、私も大分感化されました。伊藤整という人の書いた「日本文壇史」をお読みになればお解りになりますが、姉の延子は音楽取調所(音楽学校の前身)を優秀な成績で卒業し、そしてそれまで熱心な日蓮宗の信者であつた幸田家を一家揃つてキリスト教徒にしたのも姉の力が大きかつたようです。その頃北海道の勤務地から職を棄てて乞食のような恰好でまいもどつた、露伴に何くれと援助を与えたのも姉だつたようです。

 さて私がヴァイオリンをはじめた頃は、まだヴァイオリンなどという楽器は日本に極くわずかしかなく、音楽学校でヴァイオリンを専門にやつている方も五指を屈するに足らぬ程の淋しさでした。現在のように子供がヴァイオリンを習うなどということは一寸考えられないことだつたのです。その頃音楽学校に専科生というものが出来まして、そこへ私が入れて頂いたわけです、専科でヴァイオリンを習うのは私一人だつたものですから、本科の人と一緒にディートリッヒさんが教えて下さいました。 

    

〔写真の説明〕

 〔左〕滞日当時のディートリッヒ氏

 〔中〕渡欧直前の記念撮影

 〔右〕明治三十五年ベルリン留学当時(左)

 ディートリッヒさんは音楽学校がウィーンから招聘した熱心な音楽教育家で、献身的でその頃の日本の音楽界にとつて非常に貴重な存在だつたのです。その後ベルリンのホッホシューレを出たユンケルさんがいらしつたので、私はユンケルさんにも習いました。

 二十才の時文部省の留学生ということでウィーンへまいりましたが、私はどうしてもヨアヒムに師事したかつたのでベルリンへ行つてしまいました。ヨアヒムはベルリンのホッホシューレの教授をしておりましたが、ともかくベルリンに行つてプリベートにでも習いたいと思つたのです。ヨアヒムは峻厳な感じの怖そうな人で、身体は大きく弾く時にはヴァイオリンが普通の半分位に見える人でした。ヨアヒムにつくということは大変難しいことだと聞いておりましたが、やはりプリベートには教えて呉れませんでした。来年三月の試験をうけてみろと云われたので、ベルリンに行つたのは十二月ですがマルケースと云う先生について三月まで待ちました。三月にホッホシューレーレの試験を受け無事入学できました。私はヨアヒムに習えると期待しておりましたが、それはかなり弾けるようになつた者だけのクラスなので一寸がつかり致しました。一年後オーディションの上やつと待望のヨアヒムに師事することができました。

 レッスンは二週間に一度でとてもきびしいものでした。他のお弟子さん達が一しょに傍聴をしているので、他人が弾くときは大変勉強になりましたが、自分が弾く段になるととてもつらいものです。ヨアヒムは口数がとても少くて、出来ないからと云つてガミガミ叱るでもなし、良く出来たからといつて大変ほめるでもない。生徒が弾いて悪いところは、無言のまま直接弾いて聴かせてくれます。そして気に入る演奏をしたときにはただ一言「グート」と云うだけです。この「グート」と云われるまでが大変なのです。こうして足掛四年の間ヨアヒム先生の下で勉強致し帰国したわけです。

 ドイツに滞在中にはいろいろな演奏会に行き大変勉強になりました。まだ日本にはオーケストラも室内楽もなかつた頃でしたのでその素晴らしさにびっくりしてしまいました。

 ヴァイオリンではサラサーテやイザイエ、ピアノではダルベル等が活躍しており、指揮者ではニキッシュが生きており、ベートーヴェンのシンフォニー等、もう無我夢中でむさぼるように聴いておりました。私が始めて弦楽四重奏を聴いたのはウィーンでヘルメスベルゲル・クゥルテットをきいたのが最初です。その中でディートリッヒさんがヴァイオリンを弾いておりました。ですからディートリッヒさんも相当な腕前であつたわけです。

 日本に帰つてからは上野で教鞭をとつておりましたが昭和七年再びウィーンへ国際コンクールの審査員として招聘されました。そのときは十ヵ月程滞在し、コンクールがすんでからはフレッシュのところへ通つて指導をうけました。

 その後上野にもオーケストラが出来ましたが、指揮はユンケルさんがなさいました。私がコンサートマスターでしたが、萩原英一さんや颯田琴次さんなどいろいろ一風変つたメンバーがおりました。やさしい曲ばかりやつておりましたが、今考えると一しょにひいたというだけでシンフォニーなぞには全然歯がたちませんでした。

 楽器は以前グァルネリウスを使つておりましたが、これはある事情で手放してしまいました。現在使つているのはグワダニーニです。このグワダニーニはユンケルさんから頂いたものでたのしい思いでが御座居ます。それはユンケルさんと室内楽をはじめようとしたときに、私の持つているヴァイオリンがあまり良いものではありませんでしたので、ヴァイオリンはとくに楽器が大事だからといわれて私に下すつたのです。姉がヴォラを弾きましたが、このヴィオラもユンケルさんから拝借したものです。セロは横浜にいたデヴィスと云う人です。この人は素人でしたがイギリスに居た頃、くろうとを相手に何時も室内楽をして楽しんでいたそうです。腕前は大層上手というわけではありませんが、音楽知識がとても豊富な人でした。それでユンケルさんと姉と私は、毎週一回横浜のデヴィスさんの家へ汽車に乗つて通つたものです。朝から晩まで弾きづめで食事のとき以外は休まず、やつと終列車に間に合う時間まで楽しんだものです。私もこれで大変室内楽の勉強になりました。

 私は一度もリサイタルを開いたことが御座居ません。レオ・シロタが「なぜあなたはリサイタルをしないのか」と云つてすすめましたが今の世の中とは大分違い、私の性質のせいもあるのでしょうが、何か自分のためにお客様を一晩中引張つておくのは、申しわけないような気がして出来ませんでした。でもレオ・シロタと「ソナタ・アーベント」と云うのを開きましたが、現在でいえばジョイント・リサイタルのようなものでしよう。

 私が上野で教えた生徒には、鳥井つな、多久興、藤田経秋、河野俊達、鈴木鎮一、渡辺暁雄、伊藤良、鈴木共子さんなどが居ります。先日は楽壇の皆さんと、それから私の生徒さん達に喜寿のお祝をしていただき、こんな長生きをして申しわけがないような気が致しました。この紙上をかりてみなさんに厚く御礼を申し上げます。

 終戦後、外国の演奏家がたくさん参りましたが、メニューヒン、シゲティ、アイザックスターン等どれもみんな聴いておりますが、みなそれぞれに感心しております、ことにメニューヒンが来た時は、最初の来朝者であつたしほんとうにうれしくてたまりませんでした。

 日本のヴァイオリン界もそういうこうに刺激されてか、最近は小さな子供がヴァイオリンのケースを下げてレッスンに通つているそうですが、はたしてこの子供達の中から何人のすぐれたヴァイオリニストが出るか、私はそれを大変楽しみにしております。

                                             (文責記者)

 上の文と写真は、 昭和二十九年九月一日発行の 『音楽之友』 九月号 第十二巻 第九号 に掲載されたものである。

 下は、レオ・シロタ、マリア・トールとの音楽会のプログラムである。

  

 安藤幸子女史

 マリア・トール女史  大演奏會

 レオ・シロタ氏

  時 〔昭和六年〕四月二十九日(水)夕七時

  所  市公會堂

  主催・名古屋音樂協會

      プログラム

 Ⅰ.奏鳴曲 二短調 ‥‥‥ ブラームス

    アレグロ

      アンダンテ

        アレグロ ビバーチェ

               ヴァイオリン獨奏  安藤幸子女史

               伴奏        レオ・シロタ氏

 Ⅱ.我が まどろみ 寺の庭に いよよ うつゝなく  ‥‥‥ シューマン

   詩人(ミューズの子)             ‥‥‥ シューベルト

               ソプラノ獨唱    マリア・トール女史

               伴奏        レオ・シロタ氏

          - 休憩 -

 Ⅲ.旋律                     ‥‥‥ バッハ

   ガボット                   ‥‥‥ バッハ

   アレグロ      ‥‥‥ プグナニー作曲 クライスラー編曲               

               ヴァイオリン獨奏  安藤幸子女史

               伴奏        レオ・シロタ氏

 Ⅳ.歌劇「フライシューツ」中のローマンス     ‥‥‥ ウェーベル

   捧げまつる歌                 ‥‥‥ シュトラウス

   チェチリェ                  ‥‥‥ シュトラウス

               ソプラノ獨唱    マリア・トール女史

               伴奏        レオ・シロタ氏

 Ⅴ.夜想曲 ヘ短調                ‥‥‥ ショパン

   ワルツ 變イ長調               ‥‥‥ ショパン

   軍隊行進曲     ‥‥‥ シューベルト作曲 タウジッヒ編曲

               ピアノ ソロ    レオ・シロタ氏



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