虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

黄昏のモノローグ~実感~

2017-11-29 18:00:59 | 小説
*このお話はフィクションです。

 若いころ50歳という年齢の響きに「人生終わっている」と思っていた。

 50歳になった人のことをそんなふうに見ていた。


 しかし、自分が今その年齢に達した。

 全く50歳という実感が湧かない。


 就職、結婚、子育て、マイホーム、出世、いつの間にか人生のありきたりのストーリーもほとんど通り過ぎてきた。


 あとは、孫が生まれるとか、年金いくらもらえるとか、老後のことを考えるのだろうか。


 しかし、まだそんな気分には到底慣れない。


 日々の激務の中で毎日があっという間に過ぎる。毎日熾烈な出世競争の中で生きている。



 何が楽しみで生きているの?


 20代の頃の自分からしたら馬鹿にされそうな生き方だ。

 「人に気を使ってペコペコ頭下げて、作り笑いして、それでいくらもらえるんだよ」


 そんな言葉を言われそうだ。

 しかし、人生とはそんなものだと今の自分は思う。


 人に気を使ってペコペコ頭下げて、作り笑いして、必死に生きている。

 
 今日も一日が終わる・・・。

 

 

黄昏のモノローグ~悪相~

2017-11-29 12:35:50 | 小説
*このお話はフィクションです。

 忙しそうにみんな働いている。

 私もあれこれ突発的な仕事が山のように来た。

 イラっとしている自分がいる。


 午後からは心にゆとりを持っていこう。


 忙しい時こそ、笑える余裕を持って・・・。


 そんな生き方が難しいと感じる。

 

黄昏のモノローグ~楽な生き方・辛い生き方~

2017-11-29 07:20:04 | 小説
*このお話はフィクションです。

 空の雲の流れが速い。薄青い空に雲が忙しげに流れている。

 釧路の街の朝はこの時期何となく寂しさが入り混じっているように見える。


 毎日があっという間に過ぎる。部長になったころはスケジュール帳を見ると憂鬱な気持ちになったものだった。びっしり書き込まれた予定、休日も何かしら入っている・・・。「ふー」と溜息から私の部長生活は始まった。

 部長に昇任する前、仕事もそれなりにこなし、周囲からも評価され、全てが自分の予想通り、想定内の範囲で生きていた。


 今思うと楽な生き方だった。常に自分のペースで生きていた。

 しかし、そんな時間の中で、自分の成長はあまりなかったように思う。

 たいした努力もせずに楽して生きていた時代の記憶はあまりない。


 今の生き方は確かに緊張とプレッシャーに押しつぶされそうな毎日だ。


 ただ一つ言えることは、激務の中で、「小さな幸せ」を感じられるようになったことだ。


 手作り弁当の有難さ、毎日眠れること、年老いたけれども母が生きていていること、娘がそれなりに充実した道を歩き始めていること・・・。


 今まで感じなかった幸せに気付いている自分がいる。


 さて、そろそろ早い社員は出社してくる。


 今日も修行の日々が始まる。

 感情・表情を直接的に伝えないということを心がけて・・・。


 釧路の街で昭和42年生まれの男は今日も懸命に生きている。