虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

黄昏のモノローグ~忙しい日々を送れることへの感謝~

2017-11-24 16:27:48 | 小説
*このお話はフィクションです。

 金曜日のこの時間はみんな前向き的な表情で仕事をしている。

 明日から休みだという安堵の思いが人々の表情を柔和にさせる。


 私は明日は朝から夜遅くまで仕事と接待がある。

 日曜日も夕方まで仕事だ。


 土日はない。



 確かに重い気持ちになるが、どこか根底にこの忙しさを無駄とは思っていない自分がいる。


 人よりいい暮らしをしたいなら、人の三倍・四倍は働くなくてはいけない。



 大学卒業後、ある会社に就職した。すさまじい会社だった。


 ブラックと言う形容では語れないほどだった。

 今から25年前だった。



 その会社は表向きはテレビコマーシャルもしていた大手の会社だった。

 しかし、私はその会社ですさまじい経験をする。


 あるミスをしたら、これから本社まで謝りに行けと言われ、自費で行ったこともあった。

 目の前で人が倒れるのを何度か見た。体の不調を訴えても休ませてもらえない雰囲気だった。



 人の入れ替わりが激しい会社だった。


 社長はいつも部下を怒鳴り散らしていた。


 土下座を強要されることもあった。



 あれから25年・・・。


 その会社はもう存在していない。




 あのような会社にいたことも今となっては貴重な体験だ。



 辛い経験も役に立つ。


 その思いが自分を支えている。

黄昏のモノローグ~昼食~

2017-11-24 12:15:22 | 小説
*このお話はフィクションです。

 50歳の男性の方々の昼食はどうしてるのだろうか?

 私は毎日、妻が作ってくれた弁当を持参している。

 若いころは外食ばかりだった。

 しかし、仕事で勝負するようになってから手作りを弁当を作ってもらうようになった。


 自分を支えてくれている人、背負っている大切な人の存在に気付くために。


 さて、手作り弁当をいただきますか。

黄昏のモノローグ~娘へ~

2017-11-24 07:17:29 | 小説
*このお話はフィクションです。

 いよいよ娘が明日受験を迎える。

 昨日は、私がここ一番の商談やプレゼンをするときに身に付けるお守りを持たせた。

 それぐらいしかできないが、娘の合格を心より願っている。

 今日は夜、神社にお参りにでも行こうと思っている。


 彼女が生まれた18年前、自分は32歳だった。仕事なんか何とかなると思っていた適当な奴だった。


 当然周囲からの評判もよくなかった。


 いい加減な奴、そんな奴だった。



 しかし、私はその後別な課へ配属となり、そこである上司と運命の出会いをさせていただいた。


 この上司こそが私の恩人である。


 彼は私に仕事とは何かを教えてくれた。

 それは上から目線の一方的なものではなく、私の良さを認めながら伸ばしてくれた。

 この方との出会いが自分の運命を変えてくれた。



 熾烈だけれども出世競争の中に自分も加わることができている。


 苦しいことが多いが、今日もそれなりに前向きに生きようとしている自分がいる。


 苦しいことが多いからこそ、自分を高めることができているのも事実だ。


 娘よ、よくここままで成長してくれている。

 不安を持つほどあなたの努力は少ないことを私は知っています。

 がんばれ!

 そして妻よ、ここまで娘を立派に育ててくれてありがとう。感謝しております。



 今日も暗い雰囲気の空から雨が降っている・・・。

 しかし、50歳の男は何とか頑張っている。