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悠翠徒然

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中鋒と側筆の使い分け

2017-07-06 07:39:06 | Weblog
ここに悩む方が多いように思います。

自由自在に筆を使える事が大切であって、使い方に決まりはありません。

中鋒という言葉の定義に色々な意見がありますが、ここでは筆先(命毛)が書いた線の真ん中を通る事とします。

この『中鋒』、実は歴史がとても長いのです。

どのくらい長いかというと、甲骨文字まで遡ると言われています。

本当にありがとうなぁ〜(笑)

甲骨文字の時代、すでに筆の原型となる筆記用具はあったとされていて、それで下書きをしてから彫ったようです。

下書きしたときの筆の持ち方ですが、筆の柄を手のひらで握っていたと思われます。

初期の筆記ですから、赤ちゃんの握り方が自然だとおもいます。

そしてその握り方で書くと、自然に中鋒になるわけです。

話は少しそれますが、筆の出来も墨がわりの液体の出来も良くなかった時代のことですから、起筆はかなりバサバサになったことでしょうね。

それを綺麗にするために『蔵鋒』が生まれたのかもしれませんね。

ま、私見ですから、ご容赦ください。



甲骨文字の彫り口を見ると、薬研堀りの様にVの字に彫られています。

薬研堀の薬研は、薬種などを砕いて漢方薬を作る際に使用する船形で中がくぼんだ金属製の器具の事です。

この『薬研』横から見るとVの字なのです。

甲骨文字の断面もVの字、『薬研堀り』になっています。

篆刻でも『薬研堀り』で彫るように言われています。

私見ではありますが、これは中鋒が出所ではなく、『薬研堀り』の方が欠けにくいからのように思います。

甲骨文字の場合、そこまで深くは彫られていないので、強度を上げる目的で薬研堀りになっているとは考えにくいです。

甲羅や骨を逆さにして、往復して彫る事でVの字にする方が、右利きでも左利きでも彫りやすいはずです。

下書きの中鋒に倣って、薬研堀りで彫ったとする説はどうも違うように思えてきました。

色々なご意見があるでしょうが、書に関する時間の旅を楽しんでいただけだとすれば幸いです。


ここで言いたいのは、中鋒の起源は側筆より古いということです。

つまり筆が発達していない時代では、中鋒で書くことがマストであったということです。

それを王羲之は側筆と中鋒を使って、 自由自在に書いた。

そこが王羲之の凄いところだとおもいます。

なんでも最初にやった人が偉い!

日本の学校教育では、『トンスートン』と教えますが、これは側筆を使った書き方です。

かつては椅子と机のアンバランスな時代もありましたが、今では個人の体型に合わせて椅子の高さを変えて学べる学校も多いと聞きます。

だとしたら、台湾や中国のように、懸腕方は双鉤法で筆を持ち、『撥鐙法』で筆を垂直に立てて書くようにすべきだと考えます。

和翠塾の塾生のなかには、台湾出身の方も中国大陸出身の方もいらっしゃいますが、皆さん見事な『撥鐙法』です。

その使い方はまだまだ未開拓としても、懸腕法の筆の持ち方の基本はできています。

側筆だけを使って書くことばかりを学んでいては中鋒はかけません。

しかし、中鋒が書けるようになれば側筆は簡単に書けます。

和翠塾では、懸腕法は双鉤法で筆を持ち、『撥鐙法』を身につけるよう指導しています。

この方法をとっている書道教室は、今ではそう多くはないようです。

目的は、自由自在に筆を使って、書きたい線を書けるようになることです。

長くなりましたが、お分かりになりましたでしょうか。

ちょっと疲れた(笑)














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