ものの見方・考え方(認知)の形成に果たすメディアの役割は想像以上に大きいと思います。
時代の風潮は、時代に少しずつ遅れて浸透してゆくものです。それに果たしたメディアの役割は実に圧倒的でした。進歩・発展したメディアによって私たちは様々な情報に雁字搦めにされ、偏った情報から “認知のゆがみ” が形成されて来たと私は思うのです。
情報源が多様となった現在でも、特に映像を伴うTVの影響力は絶大です。CMはもとよりニュース番組の多くは損得(勘定)がらみの情報に過ぎませんが、それらの情報を伝える映像と滑舌が曲者です。
映像は編集次第で同じ事実の映像でも全く別物に変身可能です。編集者の考え方次第なのです。滑舌の巧みさもしかりです。感情を圧し殺し淡々とした口調で何遍も繰り返されたら、大抵の人がつい本当のことと思い込むのも当然なのです。私もコロッと騙された口でした。
「事実があるから報道があるのではない。報道があるから、事実があるのである。」(山本夏彦)
最近、政治スキャンダルとして報道されている加計学園問題には違法性はなさそうです。唯々、国民感情におもねるような、忖度やら印象操作やら報道しない自由やら、以前からあったレッテル貼りなども含めオモシロ言葉が花盛りでした。
木で鼻をくくったような官房長官の対応や、挑発にまんまと乗ってしまった首相の大人気無さは批難されても仕方ないでしょう。ただ国会証言を聞く限り、真相は芥川の言う『藪の中』という以外にありません。冷静に考えれば “悪魔の証明” という見方が正しいのですが、そのような論調は少数派でした。
「私たちは偽善が大好きで、偽善なしではいられない。」(山本夏彦)
民主主義社会の政治家(屋?)は多くの場合、ポリティカル・コレクトネス(political correctness)に象徴されるように偽善を余儀なくされます。メディアもまた偽善が大好きです。そのメディアが重箱の隅を突っついて疑惑を見つけ、正義を盾にそれを暴露するや、偽善と知った国民は黙ってはいません。メディアの煽動にまんまと乗って、道義的責任を口々に思惑通り大騒ぎとなります。
これが言論の自由の持つ皮肉なカラクリで、かつて山本夏彦がこう揶揄しています。
「言論の自由とは大ぜいと同じことを言う自由のことである。」
どうやら真相に近い報道は、メディアの中でも少数派の論調にあるようです。現代は発達したSNSがメディアに代わり多様な情報を発していますが、残念なことにSNSではフェイク・ニュースの多いのが問題です。
加計学園問題のように推測(憶測?)だけなら疑いはどこまでも広がります。メディアがこぞって針小棒大に疑惑を煽り国民感情に訴えているのは、どう考えても政権を引きずり落とそうという思惑からとしか見えません。改憲を阻止したいのが大方のメディアの本音でしょう。
憲法は現実に即した法律体系の総元締めのはずですが、あたかも指一本触れてはならない教典の如しの扱いです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、・・・」憲法前文にある有名な一節です。この前文の掲げる前提が現実離れした幻想で、憲法の一番の欠陥と思います。
非情な国際政治の世界では、憲法前文に掲げるユートピア信仰など一笑に付されるだけです。弱肉強食こそが歴史的にみた大陸国家の論理です。抵抗しないと見られるや侵略・征服の餌食にされるだけです。現憲法は時代の10歩も先を目指し、哀しいかな足元の現実を見ていません。
極東情勢は今危機的です。欠陥だらけの平和憲法を崇め、平和と唱えているだけでこの危機に対処できるのでしょうか? 倒閣できたとしてその後の政治的空白の危険性をどう報道しているのでしょうか? 改憲阻止ばかりに躍起なメディアの姿は危機的現実に頬被りした偽善、私にはこのようにしか思えません。
こんな危機的状況にこそ国民一人ひとりの精神的独立が問われます。偽善好きなメディアの思惑通りに踊らされては堪りません。政治(的)報道でメディアが一斉に国民感情に訴え始めたら、裏に何かがあると疑ってかかった方がよいと思います。
メディアの中の少数派意見にこそ真相はある。私はこれを座標軸に、偏った情報から距離を置き印象操作に踊らされないよう用心しています。今回は、この暑さにダレないよう少し気合いを入れてみました(笑)。
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時代の風潮は、時代に少しずつ遅れて浸透してゆくものです。それに果たしたメディアの役割は実に圧倒的でした。進歩・発展したメディアによって私たちは様々な情報に雁字搦めにされ、偏った情報から “認知のゆがみ” が形成されて来たと私は思うのです。
情報源が多様となった現在でも、特に映像を伴うTVの影響力は絶大です。CMはもとよりニュース番組の多くは損得(勘定)がらみの情報に過ぎませんが、それらの情報を伝える映像と滑舌が曲者です。
映像は編集次第で同じ事実の映像でも全く別物に変身可能です。編集者の考え方次第なのです。滑舌の巧みさもしかりです。感情を圧し殺し淡々とした口調で何遍も繰り返されたら、大抵の人がつい本当のことと思い込むのも当然なのです。私もコロッと騙された口でした。
「事実があるから報道があるのではない。報道があるから、事実があるのである。」(山本夏彦)
最近、政治スキャンダルとして報道されている加計学園問題には違法性はなさそうです。唯々、国民感情におもねるような、忖度やら印象操作やら報道しない自由やら、以前からあったレッテル貼りなども含めオモシロ言葉が花盛りでした。
木で鼻をくくったような官房長官の対応や、挑発にまんまと乗ってしまった首相の大人気無さは批難されても仕方ないでしょう。ただ国会証言を聞く限り、真相は芥川の言う『藪の中』という以外にありません。冷静に考えれば “悪魔の証明” という見方が正しいのですが、そのような論調は少数派でした。
「私たちは偽善が大好きで、偽善なしではいられない。」(山本夏彦)
民主主義社会の政治家(屋?)は多くの場合、ポリティカル・コレクトネス(political correctness)に象徴されるように偽善を余儀なくされます。メディアもまた偽善が大好きです。そのメディアが重箱の隅を突っついて疑惑を見つけ、正義を盾にそれを暴露するや、偽善と知った国民は黙ってはいません。メディアの煽動にまんまと乗って、道義的責任を口々に思惑通り大騒ぎとなります。
これが言論の自由の持つ皮肉なカラクリで、かつて山本夏彦がこう揶揄しています。
「言論の自由とは大ぜいと同じことを言う自由のことである。」
どうやら真相に近い報道は、メディアの中でも少数派の論調にあるようです。現代は発達したSNSがメディアに代わり多様な情報を発していますが、残念なことにSNSではフェイク・ニュースの多いのが問題です。
加計学園問題のように推測(憶測?)だけなら疑いはどこまでも広がります。メディアがこぞって針小棒大に疑惑を煽り国民感情に訴えているのは、どう考えても政権を引きずり落とそうという思惑からとしか見えません。改憲を阻止したいのが大方のメディアの本音でしょう。
憲法は現実に即した法律体系の総元締めのはずですが、あたかも指一本触れてはならない教典の如しの扱いです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、・・・」憲法前文にある有名な一節です。この前文の掲げる前提が現実離れした幻想で、憲法の一番の欠陥と思います。
非情な国際政治の世界では、憲法前文に掲げるユートピア信仰など一笑に付されるだけです。弱肉強食こそが歴史的にみた大陸国家の論理です。抵抗しないと見られるや侵略・征服の餌食にされるだけです。現憲法は時代の10歩も先を目指し、哀しいかな足元の現実を見ていません。
極東情勢は今危機的です。欠陥だらけの平和憲法を崇め、平和と唱えているだけでこの危機に対処できるのでしょうか? 倒閣できたとしてその後の政治的空白の危険性をどう報道しているのでしょうか? 改憲阻止ばかりに躍起なメディアの姿は危機的現実に頬被りした偽善、私にはこのようにしか思えません。
こんな危機的状況にこそ国民一人ひとりの精神的独立が問われます。偽善好きなメディアの思惑通りに踊らされては堪りません。政治(的)報道でメディアが一斉に国民感情に訴え始めたら、裏に何かがあると疑ってかかった方がよいと思います。
メディアの中の少数派意見にこそ真相はある。私はこれを座標軸に、偏った情報から距離を置き印象操作に踊らされないよう用心しています。今回は、この暑さにダレないよう少し気合いを入れてみました(笑)。
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